納屋と鍛冶場の、暗い隅——エリファレット・F・アンドルーズ
納屋の隅、鍛冶場の内部。いずれも暗く、小さな画面である。九点すべてが習作の性格を持つ。壁に掛かった道具を数えながら、職人の仕事場を描くという主題を見ていく。小さな画面に何を入れ、何を省いたか。その判断を追いたい。

納屋の隅
一枚の小さな油彩から始めたい。

暗い室内である。
左に、大きな籠が置かれる。
編み目が、細い線で示される。
その右に、切り株のような台がある。
台の上に、金属の桶が載る。
桶は明るい灰で、画面の中で最も光る。
背後には、木の柱と斜めの梁がある。
右上には、革の帯や布が吊り下がる。
右奥には、外の光がわずかに差す。
床には、藁が散らばる。
暗い室内を、描く
この一枚の大半は、暗い。
茶と黒が、画面の八割を占める。
そこへ、明るい部分が二つ入る。
籠の編み目と、金属の桶である。
つまり、暗い中に明るい点を置く。
見る人の目は、そこへ行く。
そして、そこから周囲へ広がる。
暗い室内を描くときの、基本の作りである。
九点が、すべて小品
九点の寸法を並べたい。
縦23.5センチから35センチ。
横26.5センチから37.9センチ。
つまり、いずれも小さい。
そして、いずれも油彩・画布である。
さらに、制作年がすべて不明である。
館の記録には、年が記されていない。
つまり、署名も年記もないのだろう。
九点は、習作として残されたものと考えられる。
習作という性格
習作は、売るための絵ではない。
対象を観察し、記録するための絵である。
だから、署名がない。
そして、年も書かない。
画家の手元に残り、遺品として伝わる。
九点が同じ受け入れ番号の系列に属するのも、その事情による。
一九一六年、まとまって館へ入っている。
つまり、遺品の一括寄贈だろう。
描いた人について
エリファレット・フレイザー・アンドルーズは、一八三五年に生まれた。
一九一五年に没している。
米国の生まれで、欧州で学んだ。
そして、首都で美術学校の運営に関わったと伝えられる。
肖像画も手がけた。
つまり、教育者であり、画家でもあった。
九点は、その画業の私的な部分にあたる。
売るためではなく、自分のために描いた絵である。
鍛冶場の内部
二点目も、室内である。

暗い作業場である。
中央に、炉がある。
その上に、煙突が斜めに伸びる。
左には、小さな窓がある。
格子が入り、外の光が差す。
その手前に、車輪のようなものが立てかけられる。
右には、棚と道具が並ぶ。
床には、桶と木材が転がる。
全体に、茶と黒である。
明るいのは、窓と炉の周りだけである。
道具を、数える
この一枚には、道具が多い。
炉、ふいご、金床、車輪、桶、そして壁に掛かる工具。
いずれも、輪郭だけで描かれる。
しかし、種類は判別できる。
つまり、形の要点が押さえられている。
鍛冶場という場所を示すには、道具が要る。
道具がなければ、ただの暗い部屋である。
道具の集まりが、場所の名を決めている。
職人の仕事場を、描く
十九世紀の絵では、職人の仕事場がしばしば主題になった。
鍛冶場、粉挽き小屋、織物工場。
いずれも、暗く、道具が多い。
そして、画家にとっては光の実験の場である。
炉の火、窓からの光、そして暗がり。
三つの光源が、同じ画面にある。
つまり、明暗の練習に向いている。
九点のうち四点が室内なのは、その関心の現れだろう。
窓の格子
二点目の窓に注目したい。
小さく、格子が入っている。
そして、その内側が明るい。
つまり、外の光が格子越しに入る。
格子は、細い線で描かれる。
明るい面に、暗い線を数本引くだけである。
しかし、それで窓に見える。
暗い室内では、この小さな明るい面が要になる。
窓がなければ、部屋の広さも奥行きも分からない。
台所の内部
三点目も、室内である。

石造りの部屋である。
中央に、開いた扉がある。
その向こうに、明るい外が見える。
石の階段が、上へ続く。
扉の左には、棚がある。
そこに、器や壺が並ぶ。
右には、竈がある。
その上で、煙が細く立ち上る。
人影が一つ、竈の脇に座る。
床は、石畳である。
扉の向こうの光
この一枚の要は、開いた扉である。
その向こうが、明るい。
つまり、画面の中に明るい矩形がある。
暗い室内に、白い四角。
その対比が、非常に強い。
そして、その光が室内に差し込む。
床の石と、竈の縁が明るくなる。
一つの光源が、画面全体を組み立てている。
光源を、画面に入れる
暗い室内を描くとき、光源をどう扱うか。
画面の外に置く方法もある。
その場合、光だけが差し込む。
画面の中に置く方法もある。
窓や扉として、直接見せる。
この一枚は、後者である。
光源が見えると、光の理屈が分かる。
そして、明暗の差が最大になる。
九点のうち三点が、この作りである。
人を、小さく置く
竈の脇に座る人影に注目したい。
小さく、輪郭だけで描かれる。
顔も、服も、はっきりしない。
つまり、人物画ではない。
しかし、この人がいることで場所が生きる。
台所は、人が働く場所である。
誰もいなければ、道具の並ぶ倉庫に見える。
一人置くだけで、生活の場になる。
部屋の隅を、描く
四点目も、室内である。

木造の部屋である。
正面に、扉と窓がある。
窓には格子が入り、外が明るい。
左には、卓と椅子がある。
右には、緑の大きな箱のようなものが立つ。
暖炉だろう。
その上には、布が掛かる。
天井からは、紐と布が下がる。
壁には、小さな額と紙が貼られる。
床は板張りで、木目が見える。
生活の痕跡
この一枚の壁に注目したい。
小さな額、紙片、そして掛けられた道具。
いずれも、暮らしの痕跡である。
つまり、人のいない部屋に、人の気配がある。
そして、天井から下がる布や紐。
洗濯物か、乾かしている草だろう。
こうした細部が、生活の場であることを示す。
家具だけでは、模型のように見える。
緑の暖炉
右に立つ緑の箱に注目したい。
大きく、床から天井近くまである。
表面には、四角い区画が並ぶ。
つまり、陶製の暖炉だろう。
中欧や北欧の家で使われた形式である。
陶の板を積んで作り、熱を蓄える。
米国の家では、あまり見ない。
つまり、この室内は欧州の家である。
九点のいくつかは、欧州滞在中の作かもしれない。
場所を、推し量る
九点の室内を見ると、欧州の家に見える。
石造りの台所、陶の暖炉、木組みの納屋。
米国の家とは、作りが違う。
つまり、欧州滞在中に描かれた可能性が高い。
館の記録には、場所の記載がない。
だから、断定はしない。
しかし、建物の形は手がかりになる。
年代も場所も分からないとき、描かれたものが唯一の資料である。
四つの室内を、並べる
室内の四点を並べてみたい。
馬屋、鍛冶場、台所、そして家の一室。
いずれも、暗く、道具が多い。
そして、いずれも人がほとんどいない。
つまり、場所そのものが主題である。
そして、四点とも扉か窓が描かれている。
その開口から、光が入る。
同じ構造で、四つの場所を描いている。
つまり、練習として意識的に繰り返している。
木の質感
四点の室内には、木材が多く描かれる。
柱、梁、床板、扉、家具。
いずれも、木目が示される。
そして、古びて黒ずんでいる。
木の質感を描くには、色の幅が要る。
黄土、褐色、赤茶、そして黒。
その重なりで、経年を表す。
新しい木なら、明るい黄で足りる。
古い木ほど、色数が要る。
水辺の習作
五点目は、屋外である。

縦長の画面である。
下半分に、水面が広がる。
水は緑と青灰で、静かである。
水面には、対岸の木立が映る。
そして、白い鳥が数羽浮かぶ。
手前の左には、大きな葉の植物が茂る。
葉は明るい緑で、大きく描かれる。
右手前には、板と杭が水面に立つ。
奥には、緑の土手と、白い壁が見える。
明るい色を、使う
この一枚は、室内の四点とはまったく違う。
緑、青、白が明るく置かれる。
暗い部分が、ほとんどない。
つまり、戸外の光の中で描かれている。
同じ画家が、暗い室内と明るい屋外の両方を描く。
そして、そのどちらも小さな画布である。
つまり、条件を変えて練習している。
習作としての性格が、そこに現れている。
水面の反射
水面の描き方を見たい。
対岸の木立が、縦の筆で映り込む。
そして、その色は実物より暗い。
さらに、水面には横の筆が入る。
つまり、縦と横の筆が重なる。
この重なりが、水面になる。
前回の記事でも、同じ方法に触れた。
反射を描くときの、標準的な手順である。
縦長を、選ぶ
五点目は、縦長の画面である。
水辺の風景なら、横長が自然に思える。
しかし、この画家は縦長を選ぶ。
理由は、手前の植物と、奥の土手を上下に積むためだろう。
縦長なら、近景と遠景の差が大きく取れる。
そして、水面の広がりも縦に伸ばせる。
画面の形は、何を見せたいかで決まる。
花の習作
六点目は、花だけである。

縦長の画面である。
下半分に、花壇が広がる。
白い大きな花が、いくつも咲く。
そして、赤い小さな花が点々と混ざる。
葉は、青みがかった緑である。
細く、切れ込みがある。
背後には、暗い木立が茂る。
その上部に、明るい空がわずかに見える。
つまり、暗い背景に明るい花が浮く。
花を、点で描く
花の描き方を見たい。
一つずつ、丸い塊として置かれる。
花びらは、描き分けられていない。
白い絵具を、厚く一筆で置く。
そして、縁をわずかにぼかす。
赤い花も同じである。
小さな点として置かれる。
離れて見れば、花壇に見える。
近づけば、絵具の塊である。
暗い背景に、明るい花
この構図は、効果が強い。
暗い木立の前に、白い花が並ぶ。
明暗の差が、最大になる。
そして、白い花が浮き上がる。
同じ構図は、静物画でもよく使われる。
暗い背景に、明るい対象を置く。
九点の中でも、この一枚は対比が最も強い。
葉の形を、描き分ける
六点目の葉に注目したい。
細く、切れ込みがある。
そして、青みがかった緑である。
つまり、花の種類に応じた葉が描かれている。
花だけを描いて、葉を適当にすませることもできる。
しかし、この画家は葉も描き分ける。
観察の対象は、花だけではない。
株の全体が、記録されている。
五点目と、六点目
五点目と六点目は、寸法が同じである。
縦34.9センチ、横26.5センチ。
そして、いずれも縦長である。
つまり、同じ画布を使っている。
戸外で描くために、同じ大きさの画布を複数用意する。
そして、対象を変えて描く。
九点のうち三点が、この寸法である。
一組として持ち歩いていたのだろう。
水辺に立つ人
七点目は、人物が入る。

縦長の画面である。
右手前に、女性が立つ。
黒い衣を着て、こちらに背を向ける。
腰には、赤茶の布が巻かれる。
手には、傘のようなものを持つ。
その先に、水面が広がる。
水は青灰で、静かである。
対岸には、木立と赤い屋根の家がある。
空は白く、雲が広がる。
後ろ姿を、置く
女性は、こちらに背を向けている。
顔は見えない。
つまり、見る人と同じ方向を見ている。
風景画で、しばしば使われる手法である。
見る人は、その人物の背後に立つ。
そして、同じ景色を見る。
前回の記事でも、彫像の背中について同じことを書いた。
後ろ姿は、風景への入口になる。
黒い衣の面
女性の衣は、黒である。
そして、画面の中で最も暗い。
つまり、明るい水面と強く対比される。
その対比が、人物の輪郭を切り出す。
顔も、衣の細部も描かれていない。
黒い塊が、そこに立っているだけである。
しかし、それで十分に人に見える。
輪郭の力である。
山羊の習作
八点目は、動物である。

褐色の地の上に、山羊が描かれる。
中央に、灰色の山羊が立つ。
顔は正面を向き、角が短い。
その右に、白い山羊が頭を下げる。
角は長く、後ろへ曲がる。
さらに右上には、別の山羊の胴が見える。
左上には、小さな白い子山羊がいる。
そして、右下に黒い影がある。
背景は、塗り残されている。
塗り残された背景
この一枚は、背景が描かれていない。
褐色の下地が、そのまま見える。
つまり、未完成である。
あるいは、はじめから背景を描く気がなかった。
対象だけを観察して記録する。
そういう目的なら、背景は要らない。
九点の中で、これだけが明らかに習作である。
一枚に、複数の山羊が並ぶのも、その証拠である。
一枚に、複数の姿勢
この画布には、山羊が四頭描かれている。
そして、いずれも姿勢が違う。
立つ、頭を下げる、横を向く、寝そべる。
つまり、姿勢の見本を集めている。
後で絵に使うときに、選べるようにしてある。
写生帖の一頁と、同じ考え方である。
紙ではなく、画布に描いているだけである。
馬に乗る二人
九点目は、屋外である。

緑の草地である。
中央に、栗毛の馬が立つ。
その上に、黒い衣の人物が横向きに座る。
女性の乗り方だろう。
右には、黒い馬が立つ。
その上に、別の人物が座る。
こちらは、背を向けている。
背後には、暗い木立が茂る。
空は、木の間からわずかに見える。
影を、地面に落とす
八点目の山羊の足元に注目したい。
黒い影が、右下に伸びている。
背景は塗られていないのに、影だけがある。
つまり、光の向きを記録している。
影の形と長さで、光源の位置が分かる。
そして、山羊が地面に立っていることも示される。
影がなければ、宙に浮いて見える。
習作でも、影は省かない。
馬を、観察する
この一枚も、習作の性格が強い。
背景は大まかで、木立は塊として塗られる。
一方、馬の体は丁寧である。
脚の関節、胴の厚み、首の付け根。
いずれも、形が取られている。
つまり、馬を観察するための絵である。
人物は、その上に載る添え物に見える。
顔も、衣の細部も描かれていない。
人物を、描き込まない
九点のうち、人物が出てくるのは三点である。
台所の人影、散歩の女性、騎馬の二人。
いずれも、顔が描かれていない。
輪郭と、衣の色だけである。
つまり、人物は主題ではない。
場所と光が主題であり、人はその中の点景である。
肖像画も手がけた画家が、習作では人を省く。
関心の置きどころが、そこから読める。
九点の主題
主題を整理したい。
室内が四点。
風景が二点、花が一点。
動物が一点、人物のいる風景が一点。
つまり、主題がばらばらである。
一つの主題を追った連作ではない。
目についたものを、順に描いている。
習作の集まりとは、そういうものである。
制作年が、すべて不明
九点は、いずれも制作年が不明である。
これは、習作の特徴でもある。
売る絵なら、署名と年を入れる。
手元に残す絵なら、その必要がない。
つまり、九点は最初から売る予定がなかった。
そして、画家の死後に館へ渡った。
年が分からないぶん、順序も分からない。
九点の並びは、当サイトが決めたものにすぎない。
一九一六年の受け入れ
九点は、同じ番号の系列に属する。
そして、一九一六年に館へ入っている。
画家の没年は一九一五年である。
つまり、没後すぐの受け入れである。
遺族か、遺言によるものだろう。
習作は、売れる品ではない。
だから、遺品として残り、館へ渡る。
そして、まとまって収蔵される。
習作が、残る意味
完成作より、習作のほうが人に近い。
迷いも、省略も、そのまま残る。
塗り残した背景、輪郭だけの人物、繰り返された姿勢。
いずれも、制作の過程である。
完成作では、これらは消される。
美術館が習作を集めるのは、そのためでもある。
作品だけを見ていては、画家の手つきが見えない。
九点は、その手つきの記録である。
画布の裏を、想像する
九点は、いずれも画布に描かれている。
板や紙ではない。
小さな画布は、あらかじめ木枠に張って売られていた。
十九世紀後半には、そうした画材が普及している。
つまり、買ってすぐ描ける。
戸外へ持ち出すにも、軽い。
九点の寸法が近いのは、既製の画布を使ったためだろう。
規格の画布が、絵の大きさを決めている。
九点を、順に見る
見方を提案して、終わりたい。
九点を、明るさで並べてみてほしい。
最も暗いのは、馬屋と鍛冶場である。
最も明るいのは、堀の縁と花壇である。
その間に、五点が並ぶ。
つまり、明暗の幅が非常に広い。
同じ画家が、同じ大きさの画布で、この幅を試している。
暗い室内と、明るい戸外。
その両方を描けることが、習作の目的だったのだろう。
明るさの順に並べ替えて、見送ってほしい。


