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ターナーの代表作と特徴——なぜ輪郭が消え、光だけが残るのか

ターナーの代表作と特徴を、公開中の六点で確かめる。国会議事堂の火災、月夜の石炭積み、アオスタ渓谷の吹雪、晩年の捕鯨船。十九世紀イギリスの風景画家が、なぜ輪郭を消して光と大気だけを残したのかを館の記録から読む。

月光のもとで石炭を積み込む男たち
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《月光のもとで石炭を積み込む男たち》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

ターナーの代表作は、光と大気そのものを主題にした風景画に集まっている。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは、1775年に生まれ1851年に没したイギリスの画家である。

モートレイク・テラス
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《モートレイク・テラス》1827年。館の記録では、カンヴァスに油彩。92.1×122.2センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《モートレイク・テラス》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

この記事では、まず画家の位置づけを押さえる。次に当サイトで公開している六点を年代順に見る。図版を出せない二つの代表作も、所蔵館の解説から読む。そのうえで、輪郭が消えていく過程と、絵を見る場所をたどる。

ターナーはどんな画家か

テムズ川、海、アルプス、ヴェネツィアを描き続けた風景画家である。油彩と水彩の両方を数多く残した。

ロンドンのナショナル・ギャラリーの解説によれば、画家はロンドンのコヴェント・ガーデンの近くに生まれた。1789年、14歳でロイヤル・アカデミーの美術学校に入っている。はじめは建物や名所を正確に写す水彩で腕を磨き、やがて油彩の大画面へ進む。のちにはアカデミーで遠近法の教授も務めた。

ヘレフォード大聖堂
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヘレフォード大聖堂》1793年ごろ。館の記録では、黒鉛、紙。16.2×20.5センチ。番号は1987.47。クリーヴランド美術館蔵。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヘレフォード大聖堂》クリーヴランド美術館蔵

18歳ごろの鉛筆の素描である。手前の大きな尖頭アーチを枠にして、その奥に大聖堂の正面と塔を細い線で描き込む。窓の格子や飾りの一つひとつまで、定規を当てたように正確に追っている。のちに輪郭を溶かしていく画家が、出発点ではこれほど線に忠実だった。

若いころから古い巨匠の風景画をよく学んだ。とくに十七世紀のクロード・ロランへの傾倒は強く、その関係はターナーとクロード・ロランにまとめた。

日本でよく名の挙がる《雨、蒸気、速度》のような代表作は、当サイトの在庫に無い。本文で触れることはできても、図版には使えない。

そこでこの記事では、四つの館が公開した六点を使う。クリーヴランド美術館、シカゴ美術館、メトロポリタン美術館、そしてナショナル・ギャラリー(ワシントン)である。いずれも館がCC0として出した画像である。

一点目の《モートレイク・テラス》は1827年の作である。川に面した段地から水面を見渡し、中央やや上に白い日輪が低く懸かる。石の塀に黒い犬が座り、対岸の家並みは霞んで横に続く。左の芝地には赤い服の人と椅子が見え、奥には円柱の並ぶ白い小さな建物が立つ。

この段階では、まだ木も舟も犬も形が読める。全体は黄と褐色の一色に近いが、何がどこにあるかは迷わない。

ターナーの代表作

当サイトで出せるもののうち、最もよく知られているのは火災の絵である。

国会議事堂の火災、1834年10月16日
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《国会議事堂の火災、1834年10月16日》1835年。館の記録では、カンヴァスに油彩。92×123.2センチ。番号は1942.647。クリーヴランド美術館蔵。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《国会議事堂の火災、1834年10月16日》クリーヴランド美術館蔵

館の記録では、1834年10月16日の夜にロンドンの国会議事堂が焼け、テムズ川の岸に群衆が集まった。潮が引いていたため水をくみ上げにくく、消火の道具を引く蒸気船も思うように動けなかった。そのため火は何時間も燃え続けた、と記録は書く。

画面の右下では、小舟が炎のほうへ向かう。館の記録は、ターナーが炎の高さを誇張したと述べる。そのうえで、出来事の記録ではなく、自然の破壊力を前にした人間の無力さを表した絵として読む。

館の来歴の記録では、絵はリーズの収集家マーシャルが画家から買い、その家に伝わった。1922年にクリーヴランドの収集家セヴェランスの手に渡り、彼の遺贈で館に入っている。

同じ火災を描いた別の一点は、フィラデルフィア美術館にある。この火災の絵そのものについてはターナー《国会議事堂の火災》の解説で詳しく扱った。

月光のもとで石炭を積み込む男たち
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《月光のもとで石炭を積み込む男たち》1835年。館の記録では、カンヴァスに油彩。92.3×122.8センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《月光のもとで石炭を積み込む男たち》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

同じ1835年に、夜の川も描いている。中央に白い月が懸かり、その光が水面へまっすぐ落ちる。

右に並ぶ帆船の脇では、松明の火のもとで石炭が積み替えられる。炎は橙、月の光は銀白で、同じ画面に二つの光源が並ぶ。帆船の帆柱は細い線だけで示される。左にも帆船が並び、中央の水面には黒く丸い浮きのような物と小舟が浮かぶ。両側の船の列が、月への道を左右から挟む形になっている。

アオスタ渓谷:吹雪、雪崩、雷雨
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《アオスタ渓谷:吹雪、雪崩、雷雨》1836年から37年。館の記録では、カンヴァスに油彩。92.2×123センチ。番号は1947.513。シカゴ美術館蔵。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《アオスタ渓谷:吹雪、雪崩、雷雨》シカゴ美術館蔵

山の絵では、画面の中央が渦になる。雪と雲と光が一つの塊として下りてきて、左の岩肌だけがかろうじて形を保つ。

下の隅に、人と荷が小さく描かれる。人の大きさが分かるのは、ここだけである。その小ささが、雪崩と雷雨の大きさを測る物差しになっている。

図版を出せない二つの代表作は何を描いたか

画像を扱えないが、代表作として必ず名の挙がる二点がある。どちらもロンドンのナショナル・ギャラリーにある。以下は同館の解説による。

《戦艦テメレール号》

1839年の作で、トラファルガーの海戦で旗艦を守った古い軍艦が、蒸気の曳き船に引かれていく。行き先はロンドン南東の解体場である。1838年、船は海軍から売られ、二日がかりでテムズ川を上った。

館の解説は、ターナーがこの曳航を見た可能性は低いと書く。当時の報道をもとに、想像で場面を組み立てたという。そのため事実と違う点が多い。

実際の船は帆柱を外されていたが、絵では三本の帆柱が残る。黒と黄の船体は白と金に塗り替えられ、幽霊のように浮かぶ。曳き船の煙突は帆柱の前に移され、黒い煙が軍艦のほうへ流れる。

沈む日の反対側、左上の空には細い月が昇っている。批評家ラスキンは、ターナーの深紅の夕空がしばしば死を意味すると述べた。

夕日にも無理がある。川を上る船は西へ向かうので、背後の東に日が沈むことはない。それでも画家は、帆の時代が蒸気の時代に道を譲る場面として、沈む日を背に置いた。買いたいという申し出があっても、画家は没するまで手放さなかった。館の解説によれば、画家はこの絵を「わが愛しの絵」と呼んだ。縦90.7センチ、横121.6センチで、遺贈の作品のなかでも最初に公開されたものの一つである。

《雨、蒸気、速度》

1844年の作である。機関車が、テムズ川に架かるメイドンヘッドの鉄道橋を、雨の中こちらへ走ってくる。橋は技師ブルネルの設計で、1838年に完成した。左に見える古いアーチ橋は、1770年代に架けられた道路の橋である。機関車が引くのは屋根のない貨車で、いちばん安い運賃の客が乗ったという。見る人はロンドンのある東を向き、列車は西へ向かう。

橋の線路の途中には、野うさぎが一匹描かれていた。機関の速さに、自然の速さを並べたものだという。絵具が年月で透け、いまは見えないが、1859年の版画には残っている。

館の解説によれば、当時この区間では、走る馬より速い時速60マイルほどが出た。ターナーは新しい乗り物によく乗っており、この絵を近代を拒む絵と見る読みは当たらないだろう、と館は書く。

なぜ輪郭が消え、光だけが残るのか

晩年に近づくほど、形は色の濃淡に置き換わっていく。1827年の《モートレイク・テラス》と並べると、その差ははっきり見える。

ヴェネツィアへの接近
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィアへの接近》1844年。館の記録では、カンヴァスに油彩。62×94センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィアへの接近》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

1844年のこの一点では、街並みが淡い横一線の帯になる。塔らしい細い形がいくつか立つだけで、建物の輪郭は無い。《雨、蒸気、速度》と同じ年の作である。

人は赤や白の小さな絵具の塊として置かれる。空には桃色と黄の刷毛が斜めに走り、下半分は黄緑を帯びた水である。絵具は粒立ち、カンヴァスの織り目が随所に透ける。

捕鯨船
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《捕鯨船》1845年ごろ。館の記録では、カンヴァスに油彩。91.8×122.6センチ。番号は96.29。メトロポリタン美術館蔵。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《捕鯨船》メトロポリタン美術館蔵

さらに一年あと、画面はほとんど白っぽい大気に覆われる。帆船と小舟、左下の暗い塊がかろうじて現れるだけである。館の記録では、1896年にウルフ基金で館に入った。

見るときは、画面のいちばん明るいところを先に探すとよい。そこから外へ向かって色がどう暗くなるかを追うと、構図の骨組みが見えてくる。《月光のもとで石炭を積み込む男たち》なら、月と松明の火の二か所が明るい。目はその二つの光の間を行き来するように組まれている。

ルツェルン湖から見たフリューレン
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ルツェルン湖から見たフリューレン》1845年。館の記録では、水彩とグアッシュ、掻き取り、紙。29.2×47.9センチ。番号は1954.129。クリーヴランド美術館蔵。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ルツェルン湖から見たフリューレン》クリーヴランド美術館蔵

水彩でも同じことが起きている。館の記録では、1841年から45年に何度か夏にスイスを旅し、念入りに仕上げた水彩の一群を描いた。これはその一枚で、スイスの小さな町フリューレンが紫がかった霧の中から姿を現す。

右上では光が渦を巻き、山の形をのみこむ。それでも右下の舟や岸の人々は、日々の暮らしを続けている。館の記録は、アルプスの広大さの中に人を置くことで、場面が現実のものだと思い出させると書く。館の記録によれば、絵具を掻き取る技法も使われている。

《捕鯨船》《ヴェネツィアへの接近》と合わせて三点を並べてみる。変わったのは筆の速さではなく、何を手がかりにして見せるかだと分かる。線で囲む代わりに、明るさの差だけで物の位置を決めている。

理由を画家本人の言葉で裏づけることはできない。ただ、火災、吹雪、月光、霧という題材が、いずれも輪郭を溶かす条件であることは画面から確かめられる。

ただし、形がほどけても構図の骨組みは捨てていない。ナショナル・ギャラリーの解説は、《雨、蒸気、速度》の鋭く縮まる橋の線が、クロードやプッサンから学んだ遠近法に基づくと書く。遠近法の教授でもあった画家は、溶けていく大気の中に、目を奥へ引く線を一本通している。

光と大気を主題にするこの方向は、のちの世代とも重ねて語られる。その流れは印象派とは何かで整理した。

初めて見るときはどの順で見ればよいか

年代順に見るのがいちばん分かりやすい。1793年ごろの大聖堂の素描、1827年の《モートレイク・テラス》、1835年の火災と月夜と進む。最後に1844年のヴェネツィア、1845年の捕鯨船とスイスの水彩を見る。線で描かれた建物が、半世紀のうちに光の中へほどけていく流れが追える。

一枚ごとには、まず明るい一点を探し、次に人の姿を探す。ターナーの画面には、どれほど大気が渦巻いても、たいてい小さな人や舟がいる。それが見つかると、その場面の大きさがつかめる。

もう一つ気をつけたいのは、ターナーの名で伝わる絵の中に写しが混じることである。クリーヴランド美術館の《マブ女王の洞窟》について、館の記録は、1846年に発表された絵を縮小した写しだと書く。無名の画家による写しが多い主題だという。作者の欄だけでなく、館の記録の説明まで読んでおきたい。

ターナーの絵はどこで見られるか

当サイトでは、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの画家ページに公開中の作品を並べてある。火災の一点は《国会議事堂の火災、1834年10月16日》の作品ページで大きく見られる。

実物は、クリーヴランド、シカゴ、ニューヨーク、ワシントンの各館にある。展示の有無は、それぞれの館の発表で確かめてほしい。

まとまった数を見るならロンドンである。画家は手元の作品を国に遺した。ナショナル・ギャラリーの説明では、その遺贈は仕上げた絵が100点、未完の絵が182点、素描と下絵が19,049点にのぼる。紙の作品の多くは、いまロンドンのテートが持っている。テートの案内では、同館の版画素描室で予約して見られるターナーの作品は三万二千点を超える。

ナショナル・ギャラリーには、遺言に条件を付けた二点が残る。《カルタゴを建設するディド》と《霧の中を昇る太陽》である。

館の説明によれば、画家は1831年の二度目の遺言で、この二点をクロード・ロランの二点の隣に掛けるよう求めた。《海港》と《イサクとリベカの結婚のある風景》である。没後12か月以内にそう掛けることが、遺贈の条件だった。遺言をめぐる争いが片づき、二点が正式に館の所蔵となったのは1856年である。

《カルタゴを建設するディド》は1815年の作で、縦155.5センチ、横230センチ。館の解説では、クロードの港の絵に並ぼうとして描いた最初の一枚だという。左の青い衣の女がディドで、夫の墓を造らせている。前に立つ兜の男は、のちに彼女が恋する英雄アエネアスとみられる。画家はカルタゴの興亡を主な油彩だけで十点描いた。

もう一点の《霧の中を昇る太陽》は、引き潮の朝の浜で漁師が獲物を降ろす場面である。鏡のような海が霞んだ日の光を映し、沖の軍艦は霧で幽霊のように見える。館の解説では、嵐の海を描いてきた画家が、静かな海に取り組んだ一枚だった。舟や人物はオランダの海洋画に学んだもので、1810年に画家が自分の画廊で見せたときは《オランダの舟》と題された。

画家はこの絵に深い愛着を持っていた。大の支援者だった収集家が買ったが、その没後の1827年の売り立てで、画家はより高い値で買い戻している。古い巨匠と並べて評価されたいという望みが、遺言の形で残っている。

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