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ターナー《国会議事堂の火災》の解説——燃えたのはいつで、どこで見られるのか

ターナー《国会議事堂の火災》の解説。館の記録では1835年のカンヴァスに油彩で、クリーヴランド美術館が所蔵する。燃えたのは1834年10月16日の夜のロンドンである。炎はどう描かれ、なぜ同じ主題の絵が二点あるのか。館の記録とCC0の画像から読む。

国会議事堂の火災、1834年10月16日
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《国会議事堂の火災、1834年10月16日》クリーヴランド美術館蔵

《国会議事堂の火災》とはどんな絵か

《国会議事堂の火災、1834年10月16日》は、テムズ川ごしに燃える議事堂を描いた油彩である。

館の記録では1835年の作。額を除いた画面は縦92センチ、横123.2センチで、クリーヴランド美術館が所蔵している。

描いたのはジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー。館の記録では、1775年に生まれ1851年に没したイギリスの画家である。

国会議事堂の火災、1834年10月16日
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《国会議事堂の火災、1834年10月16日》1835年。館の記録では、カンヴァスに油彩。92×123.2センチ。番号は1942.647。クリーヴランド美術館蔵。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《国会議事堂の火災、1834年10月16日》クリーヴランド美術館蔵

画面の主役は建物ではない。炎と、炎が水と煙に配った光である。

議事堂の輪郭はほとんど残っていない。中景に白く発光する塊があり、そこから橙と赤の帯が左上へ斜めに立ちのぼる。

帯は途中で煙に変わり、画面の左上隅まで届く。空の残りは灰色と薄い青にとどめられている。

中景を橋が横切る。アーチが並び、その上を黒い点の列が埋めている。火を見に集まった人である。

左下の岸にも人が重なる。顔は描かれず、赤茶の塊と黒い頭の連なりになっている。

右下には舟が何艘か浮かぶ。一艘には柱が一本立ち、舟はどれも炎のほうへ向かっている。

川面には炎の反射が縦に伸びる。手前に来るほど筆の跡は太く、白く濁っていく。

燃えたのはいつ、どこか

題に書かれた1834年10月16日が、その夜にあたる。館の記録では、この夜にロンドンの国会議事堂が焼けた。

フィラデルフィア美術館は、翌17日の『タイムズ』紙の記事を引いている。前夜7時少し前、ウェストミンスターと対岸の住人は、ここ何年もない恐ろしい大火に騒然となった、という書き出しである。

館の英語の題は、上院と下院の議事堂の火災に日付を添えたものである。燃えたのは、議会の両院が入る建物だった。

クリーヴランドの館の記録は、人々がテムズ川の岸に集まって火を見たことも伝えている。はじめは干潮で水をくみ上げにくく、消火の道具を引く蒸気船も動きにくかった。火は何時間も手がつけられずに燃えたという。

フィラデルフィア美術館の教材は、議事堂を11世紀にさかのぼる建物として紹介している。国の政治の中心が、ひと晩で焼け落ちたことになる。

フィラデルフィア美術館によれば、出火は事故によるものだった。炎は聖スティーブンの間と下院をのみ込み、隣のウェストミンスター寺院の塔を照らしたが、寺院は焼けずに残った。

いま見る議事堂は、この火事のあとに建て直されたものである。

1775年生まれのターナーは、このとき五十九歳である。フィラデルフィア美術館は、ターナーが何万もの見物人とともに火事を見ていたと書く。

鉛筆と水彩ですばやく写生し、立つ位置を変えながら、借りた舟の上からも描いた。それをもとに、アトリエで油彩に仕上げたという。

テートに残る火事の写生

ロンドンのテートには、その夜の写生とみられる紙の作品がまとまって残る。テートの記録には、1834年の《国会議事堂の火災》と題した作が少なくとも三点並ぶ。

そのうち一点は、議事堂わきの広場からの眺めかと記録されている。火が収まったあとの焼け跡と、ウェストミンスター寺院を描いた紙の作品も2点ある。

1834年から翌年ごろの水彩《国会議事堂の火災》もテートにある。1835年には、ターナーの絵をもとにウィルモアが彫った版画も出版された。

油彩の2点は、こうした写生の束の上に組み立てられた。現場で見た火を、何枚もの紙に分けて記録していたことが、テートの記録から分かる。

右下の舟は、その消火にかかわる舟として描かれている。館の記録は、舟が炎のほうへ向かっているとしている。

ただし、この絵は現場の写しではない。実際の出来事にもとづきつつ炎の高さを誇張している、というのが館の見方である。

題に日付がそのまま入っている点も見ておきたい。風景画でありながら、特定の一夜の出来事を指す題になっている。ここが、名所を描いた同時代の風景画と違うところである。

炎はどう描かれているか

炎に輪郭線はない。いちばん熱い中心が白、その外側が黄、さらに外が橙から赤へ移る。

色の帯は境目を持たない。絵具が濡れたまま隣の色に押し込まれ、境が溶けている。

火の明るさは、炎そのものより周囲の描き方で決まっている。橋の石も、川面も、岸の人も、火の側だけが暖かい色に染まる。

反対に画面の右側は冷たい。灰と青の靄の奥に、塔らしい白い影が浮かぶだけである。

暖色と寒色を左右に分け、そのあいだを橋が横につなぐ。これがこの絵の骨組みである。

炎と水の境では、絵具が厚く盛り上がっている。光る部分だけ絵具が高くなり、実物の照明を受けて明るく見える。

暗い部分は逆に薄い。布地の目が透けるほど薄く延ばされ、煙はその上を掠めるように置かれている。

厚い絵具と薄い絵具の差が、そのまま明暗の差になっている。色だけでなく、絵具の量でも光を作っていることになる。

実物や拡大画像はどこから見るとよいか

まず離れて、炎と橋と川面の三つの帯をつかむ。次に右下の舟を見つけ、炎に向かう向きを確かめる。

最後に近づいて、炎と水の境の盛り上がった絵具を見る。作品ページの拡大画像でも、厚い所と薄い所の差は分かる。

近づくと、炎は形を失う。一歩下がると、また火として見える。館の記録も、鮮やかな色の帯と移ろう大気の表現は抽象に近いと書いている。

ターナーはなぜ議事堂の火事を描いたのか

自然の破壊の力の前で人が無力であることを描くためだった、とクリーヴランドの館は読む。実際の火事は、その表現の出発点だったという。

フィラデルフィア美術館も、まず自然が人を圧する力を読み取る。燃えさかる炎にくらべ、人の作ったガス灯の小さな光はいかにも弱い。

同じ館は、政治の含みにも触れる。議事堂は国の安定を表す建物だった。火事は政治の変わり目に起き、さらなる改革が要るしるしと受け取る人もいたという。

見物人の描き方も、その読みに沿っている。岸の人も橋の人も、ただ炎を見上げるだけで、手を出せない群れとして描かれる。

同じ主題の絵がもう一点ある

館の記録では、ターナーはこの火事を二点の油彩に描いている。

クリーヴランドの一点は、テムズ川の南東岸から川下に向かって見た眺めにあたる。もう一点はフィラデルフィア美術館にあり、ウェストミンスター橋の正面から火を見ている。

同じ夜を、立つ位置を変えて二度描いたことになる。当サイトで図版に使えるのは、クリーヴランドの一点だけである。

フィラデルフィアの一点も、館の記録では縦92.1センチ、横123.2センチ。二点はほぼ同じ大きさのカンヴァスに描かれている。題も、クリーヴランドと同じく上院と下院の議事堂の火災に日付を添えたものである。制作年は1834年か1835年とされる。

フィラデルフィアの一点では、右側にウェストミンスター橋が大きく誇張され、手前へ急角度で落ちてくる。館は、ターナーがテムズ川の南岸からこの眺めを見たと書く。

その館の教材では、炎が川面と橋の白い石に赤橙の反射を落とし、橋が熱で溶けるように見えると説明する。強い風が青灰色の煙を夜空へ運び、人々は舟や橋や岸から見つめている。

クリーヴランドの一点は、館の記録では1835年のロイヤル・アカデミー展に出品された。翌1836年には英国協会の展覧会にも出ている。

見る位置が違えば、橋の見え方も変わる。クリーヴランドの一点では、橋は炎の手前を横切る帯として奥へ流れていく。

火は橋の向こうで燃え、こちらの岸には人の列だけがある。見物人と火事のあいだに川と橋が挟まる構図になっている。

《国会議事堂の火災》についてよくある誤解

一つ目は、時計塔のある今の議事堂が燃えた、という思い込みである。燃えたのは上院と下院が入っていた古い建物群で、今の姿は火事のあとの建て直しである。

二つ目は、その夜に現場で描き上げた、という見方である。フィラデルフィア美術館によれば、現場で描いたのは鉛筆と水彩の写生で、油彩はアトリエで仕上げた。クリーヴランドの一点が人前に出たのは、翌年のロイヤル・アカデミー展である。

三つ目は、2点は同じ絵の写しだ、という見方である。大きさはほぼ同じだが、立つ位置が違う。クリーヴランドでは橋は奥へ流れ、フィラデルフィアでは手前へ迫ってくる。

どこで見られるか

この絵はクリーヴランド美術館にある。館がCC0で公開した画像を、当サイトも作品ページで配信している。

館の記録では、絵はまずリーズのジョン・ガース・マーシャルがターナーから買い、その家に長く伝わった。1888年にはロンドンの競売に出されたが、その後も一族のもとに残っている。1883年には、一族のヴィクター・マーシャルが、物故した英国の画家の作を集めたロイヤル・アカデミーの展覧会に貸している。

1920年にはロンドンの画廊で売りに出されたが、持ち主に戻った。1922年にクリーヴランドの実業家ジョン・セヴェランスが買い、1936年に没した彼の遺贈として1942年に館に入った。

もう一点は、アメリカ東部のフィラデルフィア美術館で見られる。館の記録では、ジョン・ハワード・マクファデンの収集の一点として収められている。

ターナーの作品をまとめて見るなら、ロンドンのテート・ブリテンである。画家は手もとに残した作品を国に遺し、その多くをテートが収めている。油彩は約三百点、素描や水彩など紙の作品は三万点を超える。画業の全体はターナーの代表作と特徴でたどった。

火と夜の組み合わせは、ターナーが繰り返し扱った主題でもある。次の一点は同じ1835年の作で、ナショナル・ギャラリー(ワシントン)にある。

月光のもとで石炭を積み込む男たち
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《月光のもとで石炭を積み込む男たち》1835年。館の記録では、カンヴァスに油彩。92.3×122.8センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《月光のもとで石炭を積み込む男たち》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

画面の中央では月光が雲を破り、その光が川を白い道にしている。右手では、石炭を積み替える舟の上で松明が赤く燃えている。

館の解説によれば、場所はイングランド北東部のタイン川である。平底の荷舟がノーサンバーランドとダラムの石炭を運び、松明の下で帆船へ積み替えている。

館の解説は、産業革命のきびしい労働の場面が、ターナーの手で時と場所を超えた詩になったと書く。水面に落ちる月の反射は厚い絵具で置かれ、空の輝きと張り合っている。

左には、朝の潮を待つ帆船が並ぶ。手前の水面には浮標が浮かび、筏の上に人が一人いる。その奥の工場や船は、灰色の絵具と細い線で示されるだけである。

館の記録では、マンチェスターの収集家ヘンリー・マッコネルのために描かれた。前年のロイヤル・アカデミー展に出たヴェネツィアの絵と対になる一点で、左下の浮標には画家の頭文字が入る。

冷たい月と熱い火を一枚に置く構えは、議事堂の火事と同じである。寸法もほとんど変わらない。

マッコネルは1849年、商売が傾いたときに2点を手放した。館の記録によれば、のちにそれを悔やみ、1861年に買い戻そうとしたがかなわなかった。

ヴェネツィア:税関とサン・ジョルジョ・マッジョーレ
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア:税関とサン・ジョルジョ・マッジョーレ》1834年。館の記録では、カンヴァスに油彩。91.5×122センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア:税関とサン・ジョルジョ・マッジョーレ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

対になる《ヴェネツィア:税関とサン・ジョルジョ・マッジョーレ》は、晴れた昼の絵である。青い空の下、中央に白い円屋根の聖堂と赤い鐘楼が立ち、右には金色の像を頂いた税関の塔が立つ。

左手前のゴンドラには着飾った人々が乗り、右の岸には舟が密に並ぶ。左右に舟と帆を寄せ、中央に水の道を開く組み立ては、石炭の絵と同じである。南の昼と北の夜、交易の都と工業の川が、同じ型の画面で向き合う。

ここに並べた油彩は、どれも縦およそ92センチ、横およそ123センチである。フィラデルフィア美術館の教材も、議事堂の絵を36×48インチと記す。ターナーは、この大きさのカンヴァスを繰り返し使っている。

自然の力そのものを主題にした絵も、シカゴ美術館で公開されている。

アオスタ渓谷:吹雪、雪崩、雷雨
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《アオスタ渓谷:吹雪、雪崩、雷雨》1836年から37年。館の記録では、カンヴァスに油彩。92.2×123センチ。番号は1947.513。シカゴ美術館蔵。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《アオスタ渓谷:吹雪、雪崩、雷雨》シカゴ美術館蔵

谷を斜めに走るのは雪崩と吹雪である。左上からは暗い雲が弧を描いて覆いかぶさり、谷の奥だけが白く明るい。白い雪煙が左から右へ弧を描き、山の輪郭を消している。右下に小さく人と動物がいて、大きさの見当がそこで付く。

晩年には、主題そのものが光に溶けていく。

大洪水の夕べ
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《大洪水の夕べ》1843年ごろ。館の記録では、カンヴァスに油彩。76×76センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《大洪水の夕べ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦横とも76センチの正方形の画面で、中心に光がたまり、鳥の群れがその周りを渦になって回る。手前の赤い塊だけが形を保っている。その下には小さな人影がいくつか集まり、右下では水が白く渦を巻いている。

館の来歴の記録では、1872年の競売に「方舟へ向かう動物たち」という題で出ていた。1891年の競売では「大洪水」の題が付いている。洪水の前夜という題の意味が、そこからも読み取れる。

ターナーが古い風景画から何を受け取ったのかは、ターナーとクロード・ロランの関係を追った記事で扱っている。

光と色をそのまま主題にする描き方が、のちの画家にどうつながるのかは印象派とは何かの記事も合わせて読んでほしい。

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