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ムンク《叫び》の解説——叫んでいるのは誰で、どこで見られるのか

ムンク《叫び》の解説。叫んでいるのは中央の人物ではない。版面に刻まれた銘を館の記録からたどり、叫びが自然の側から来ていることを読む。シカゴ美術館が持つ1895年の石版画と、同じころの版画あわせて四点を図版で確かめ、実物をどこで見られるかまで記す。

叫び
エドヴァルド・ムンク《叫び》シカゴ美術館蔵

ムンク《叫び》で叫んでいるのは、画面の中央にいる人物ではないと読める。エドヴァルド・ムンクは1863年に生まれ、1944年に没したノルウェーの画家である。当サイトで公開しているのは、1895年に刷られた石版画の一枚である。

叫び
エドヴァルド・ムンク《叫び》1895年。館の記録では、クリーム色の厚紙に黒インクの石版画。画寸は35.5×25.3センチ。番号は1963.282。シカゴ美術館蔵。エドヴァルド・ムンク《叫び》シカゴ美術館蔵

この記事では、まず画面に何が描かれているかを確かめる。次に、館の記録に残る銘から、誰の叫びなのかを読む。そのうえで、この一枚が油彩ではないことと、同じころにムンクが刷っていた仕事を並べる。

《叫び》で叫んでいるのは誰か

中央の人物は口を開けている。だが両手は耳に当てられている。声を出す姿勢ではなく、音を遮る姿勢である。

館の記録では、版面の下の中央に「叫び」にあたる語が刻まれている。さらにその右下に、ドイツ語で一文が記されている。「私は自然を貫く大きな叫びを感じた」と読める文である。

館の記録には、もう一つの書き込みもある。紙の右下に、鉛筆でムンクの署名が入っている。版に描いた銘とは別に、刷り上がった紙へ本人が書き入れたものである。

この文で叫びを発しているのは、人物ではない。自然の側である。人物はそれを感じ取り、耳をふさいでいる。画面の姿勢と、記録に残る文は食い違わない。

つまり「誰が叫んでいるのか」という問いには、画面の外側から答えが来る。描かれた人物は、叫びを聞いた側だと読める。

オスロのムンク美術館の解説によれば、この図のもとには画家自身の体験がある。1891年の夕方、オスロ・フィヨルドに日が沈むころ、二人の友と道を歩いていた。燃えるような空の色に画家は強く心を揺さぶられたが、友人たちは何も感じなかったという。

ムンクは1892年の冬、滞在していた南仏ニースで、この散歩を散文詩に書き留めた。同館の解説では、画家は燃える雲と青黒い町と水の眺めに心を奪われ、不安に震えたと書いている。詩には、青黒いフィヨルドと町の上に血と炎の舌が漂う、という描写もある。その中に、自然を貫く果てしない叫び、という一節がある。版面の銘は、この詩と同じ言葉の流れにある。

奥の二人が振り返らないのは、この記述と合う。叫びを感じたのは手前の一人だけで、連れの二人には届いていない。

同館の学芸員は、奥の二人がまっすぐな道の上に置かれている点に目を向ける。二人は話し込むか物思いにふけり、振り返らずに歩き続ける。一つの出来事に二通りの反応があり、そのあいだに通い合いが無い、という読みである。

同館は、手前の人物そのものにも特徴を見る。どの階級や文化にも属さず、性別も民族も決まらず、時代も感じさせない。だからこそ、見る人が誰でも自分を重ねられる図になっている。

よく知られた題は「叫び」だが、館の記録に刻まれた語も同じ意味である。題と銘が同じ語である以上、この絵の主題は叫びという出来事そのものだと言える。

ただし、同じ学芸員は、この人物が自分で叫んでいるのか、叫びに反射的に応じているのかは決められないとも書く。人物が何に怯えているのかまでは、画面からも記録からも決まらない。そこは読む側に残されている。

画面には何が描かれているか

手すりが画面の左上から右下へ斜めに下りる。人物はその手前に立ち、体をこちらへ向ける。

頭には髪が無く、顔は細長い楕円に引き伸ばされている。目は丸く、口は縦長に開く。両手は頬ではなく、耳の高さに添えられている。

奥の橋の上、手すりの脇には、黒い人影が二つ並ぶ。背の高い帽子の輪郭だけが見え、顔は無い。こちらを振り返ってもいない。

水面には小さな船がいくつか浮かぶ。右の遠くには、建物らしい形がいくつか並ぶ。日常の風景が、そのまま続いている。

空は横に走る波線の束で埋まる。線は左右に長く伸び、上下に積み重なる。画面の右半分の斜面は縦の線で埋められ、空の横線とぶつかる。

色は黒一色である。赤も橙も使われていない。にもかかわらず、空と水が人物の輪郭と同じうねりを持つため、音が広がっていくように見える。人物の体も、空や水と同じ曲線でできている。その中で、手すりと橋の直線だけがうねりを横切り、奥の二人のまっすぐな歩みを支えている。

シカゴにあるのは油彩ではなく石版画である

館の記録では、これは1895年の石版画である。油彩でもパステルでもない。

石版画は、平らな石の面に脂を含む画材で描き、水と油が反発する性質を使って刷る技法である。版を彫る必要が無いため、描いた線がそのまま紙に出る。

空の波線を見ると、太さが一定でない。手で引いた線の勢いが、そのまま残っている。彫刻刀で整えた線とは、太りかたが違う。

石版画は、一つの版から何枚もの紙に刷ることができる。だから《叫び》のこの図は、世界に一枚しかない絵ではない。同じ版から刷られた紙が複数ある。一つの版と複数の紙の関係については、《神奈川沖浪裏》の解説でも扱った。

色のある《叫び》はどこにあるか

色のある《叫び》は、絵具で描いた2点と、クレヨンやパステルの素描2点の計4点である。ムンク美術館はそう整理している。画家は注文主の求めに応じて描くこともあれば、手元に残すために描くこともあったという。

1893年の一点は、オスロの国立美術館にある。館の記録では、厚紙にテンペラとクレヨンで描かれ、寸法は91×73.5センチ。1910年に収集家オラフ・スコウから贈られた。

残る3点のうち2点はムンク美術館が持つ。1910年ごろとされるテンペラと油彩の一点と、1893年のクレヨンの一点で、どちらも画家が手元に残したものである。もう1点のパステルは個人の所蔵である。同館の解説では、画家はこのパステルを売るとき、散文詩の短い版を額の表に貼り付けたという。ムンク美術館は、絵と素描と石版画の3点を、一度に一つずつ入れ替えて見せている。どれも厚紙か紙なので、光で傷むのを避けるためである。

色のある《叫び》はなぜ傷みやすいのか

厚紙に描かれていることに加え、絵具そのものに弱さがある。ムンク美術館によれば、画家は質のよくないカドミウム黄の絵具を使うことがあった。1910年ごろとされる同館の一点では、もとは黄色だった筆跡のいくつかが白く変わっている。

同館は2012年からニューヨークの分析機関と、のちにイタリアの国立研究機関が率いる国際チームと調査を進めた。同館の6点の《叫び》を調べ、画家自身が持っていた絵具の管で作った試料と比べた。その結果、黄色が傷む主な原因は、それまで考えられていた光ではなく湿度だと分かった。

同館は、この絵をほかの収蔵品より低い湿度で保つ必要があるとしている。また2004年の盗難で持ち去られた一点は、2006年に戻ったときには傷を負っていた。展示を入れ替えるのは、こうした事情を踏まえた措置である。

どちらの館もオスロにあるが、見たい一点が出ているとはかぎらない。行く前に、それぞれの館の展示情報を確かめたい。

石版画については、ムンク美術館の解説が、刷られたのは30枚ほどと見積もる。正確な数は分かっていない。同館はそのうち6枚を持ち、1枚はムンク自身が手で色を付けている。色のある2点と合わせると、同館が持つ完成した《叫び》は8点になる。シカゴの一枚は、その石版画と同じ版から刷られた紙である。

石版画には、詩から取ったドイツ語の短い一文が一緒に刷られた。ムンク美術館の解説では、この一文は切り落とされることが多く、文の無い刷りもかなりあるという。シカゴの一枚は、館の記録で銘も一文も残っていることが分かる。

油彩やパステルで描かれた《叫び》は、当サイトの在庫に無い。本文で触れることはできても、図版には使えない。当サイトが扱うのは、館がCC0として公開した画像だけだからである。

その意味で、シカゴの一枚は代用品ではない。ムンク自身が版を作り、刷らせた作品である。館の記録では、版画素描の部門が所蔵している。1963年に、シカゴの画廊から館が買い入れた。同じ年に同じ画廊から、後で見る《岸辺の二人の女》も館に入っている。

館の記録が挙げる文献の最初は、1907年にベルリンで出たムンクの版画目録で、この図は32番に載る。刷られて12年後には、すでに画家の版画の一つとして数えられていたことになる。

館の記録では、画寸は35.5×25.3センチだが、紙は51×38.5センチある。図のまわりに広い余白が残り、その右下に鉛筆の署名が入る。版に刻まれた銘と一文、紙に書かれた署名という三つの文字を、一枚の上で見比べられる。

同じころのムンクは何を刷っていたか

《叫び》の前後、ムンクは版画の仕事を続けている。技法は石版画だけではない。

病める子ども
エドヴァルド・ムンク《病める子ども》1896年。館の記録では、二つの石から淡青と黒で刷った転写石版画。画寸は42×57.2センチ。番号は2003.1。シカゴ美術館蔵。エドヴァルド・ムンク《病める子ども》シカゴ美術館蔵

横顔の少女が、長い髪を枕に広げている。右側は暗い縦の線で塞がれ、背後は薄い青で開く。顔の輪郭は細い線で、髪と影は短い線の重なりで表される。

館の解説によれば、ムンクが13歳のとき、姉のソフィエが結核で亡くなった。その9年後、画家は《病める子ども》の油彩の最初の一点を描き、のちに油彩は5点になる。どれも死の直前のソフィエを描いたものである。画家はのちに、これらを描くことが技法の上でも心の上でも浄化だったと語っている。

版画は1894年から96年に3点作られ、この図はその最後にあたる。1896年、ムンクはパリで刷り師オーギュスト・クロと組み、新しい版の技法を試した。これは画家の最初の多色石版画である。黒か赤の主版に、最大4つの色版を組み合わせて刷り分けた。館は、この刷りの冷たい青と黒が、死の青白さを思わせると書く。

夕べ、メランコリー(第一)
エドヴァルド・ムンク《夕べ、メランコリー(第一)》1896年。館の記録では、手彩色の木版。画寸は37.7×45センチ。番号は1959.82。クリーヴランド美術館蔵。エドヴァルド・ムンク《夕べ、メランコリー(第一)》クリーヴランド美術館蔵

手前の男が頬杖をつき、視線を落とす。背後の入り江は、濃い藍と白の帯が横に積み重なる。水際の線はくねり、黄色い小舟が一つ浮かぶ。

館の解説では、男は画家の友人の批評家ヤッペ・ニルセンで、恋に破れて苦しんでいた。場所はオスロの南の漁村、オースゴールストランの岸である。画家は木目の強い版木を選び、わざと粗く彫った。黒で刷ったあと水彩とグワッシュで広く色を付けたため、一枚ごとに仕上がりが違う。館によれば、この一枚は版木を二つに切る前の最初の状態で刷られた、知られる2枚のうちの一つである。

岸辺の二人の女
エドヴァルド・ムンク《岸辺の二人の女》1898年。館の記録では、一つの版木を三つに挽き割って刷った木版。画寸は45.6×51.4センチ。番号は1963.293。シカゴ美術館蔵。エドヴァルド・ムンク《岸辺の二人の女》シカゴ美術館蔵

白い服の女が立ち、その左で黒い衣の人物がうずくまる。緑の岸と濃い青の海が、斜めの線で分かれる。立つ女の長い髪だけが赤褐色で、画面の中でただ一か所だけ暖かい色になっている。

館の記録によれば、この版木は三つに挽き割られている。部分ごとに濃い青、緑、黒、赤褐色を乗せて刷り、緑のクレヨンで手も加えている。

館の解説は、白い服の少女が暗い海の向こうを見つめ、隣の死を思わせる姿に気づいていないと読む。孤独と性と死という主題を、版木の粗い木目と少ない色で表した一枚だという。

三点に共通するのは、人物が一人か二人で、背景が大きな帯になることである。《叫び》の空と水の帯も、この並びの中にある。

技法は石版と木版に分かれるが、画面の作りは近い。手前の人物を大きく置き、奥を横の帯で区切る。この組み立てを、ムンクは何度も試している。

《叫び》はなぜこれほど有名になったのか

石版画で広まったことが大きい。ムンク美術館の学芸員によれば、この図は早くから雑誌に複製された。1895年にはフランスの『ラ・ルヴュ・ブランシュ』に、翌年にはアメリカの雑誌に載った。1908年には、心の病と芸術を扱った本の表紙にも使われている。

版画は何枚も刷れるので、油彩よりずっと速く、遠くまで届いた。単純で強い図は、縮めても刷り直しても形が崩れない。この記事で見てきた太い波線と、輪郭だけの人物がそれを支えている。

言葉の側でも、ムンクはこの主題を手放さなかった。同館によれば、画家は1928年に、生涯の連作を扱った小冊子で散文詩の全文を公表した。未発表の手記や日記にも、この文の異なる版が8つ残る。絵と同じくらい、文が画家にとって大事だったと考えられる。

同館によれば、ムンクはこの図を色のある4点に描き、版画では数十枚を刷った。その後も話題は途切れなかった。1994年には国立美術館から、2004年にはムンク美術館から盗まれ、いずれも後に取り戻されている。今では人物の身ぶりが、恐怖を表す記号として風刺画や絵文字にまで使われる。

《叫び》はどこで見られるか

当サイトでは、《叫び》の作品ページで大きく見られる。ほかの版画とまとめて見るなら、エドヴァルド・ムンクの画家ページに公開中の作品が並ぶ。

代表作をひととおりたどる記事としては、ムンクの代表作と特徴がある。

油彩の《叫び》を目当てに来た人には、黒一色のこの一枚は地味に映るかもしれない。だが線の運びを追うなら、こちらのほうが見やすい。空のうねりがどこから始まり、どこで人物の輪郭に合流するかが、色に邪魔されずに追える。

色のある《叫び》を見たいなら、行き先はオスロである。ムンク美術館では絵と素描と石版画のうち一つがいつも出ていて、残る二つは暗い収蔵庫で休んでいる。国立美術館の1893年の一点は、別の館なので展示の予定も別に確かめる必要がある。

シカゴの石版画の実物はシカゴ美術館にある。版画は光に弱く、常に展示されるとは限らない。展示の有無は館の発表で確かめてほしい。当サイトはこの館と関係が無い。

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