ウィリアム・モリスの代表作と特徴——《いちご泥棒》の鳥は何をしているのか
ウィリアム・モリスの代表作と特徴を、クリーヴランド美術館が公開した布と版画5点から読みます。《いちご泥棒》の鳥と藍の抜染、《孔雀と龍》の織り、《スミレとオダマキ》の天然染料、ケルムスコット・プレスまでを館の記録に沿ってたどります。

ウィリアム・モリスは、十九世紀のイギリスで室内を飾る布や本を作った。当サイトで画像を扱えるのは、クリーヴランド美術館が公開した布と版画である。まず、いちばん知られた一点から見る。

濃い藍の地に、鳥と苺と花が隙間なく並ぶ。鳥は上下二段に分かれる。茎は曲がりながら上下につながり、地の青はほとんど残らない。
ウィリアム・モリスの代表作
布では《いちご泥棒》《孔雀と龍》《スミレとオダマキ》《チューリップ》が当サイトで見られる。館の記録は、《いちご泥棒》をモリスの布のなかでおそらく最も見覚えのあるものと書く。《孔雀と龍》については、客にとりわけ好まれた図案の一つで、五つの配色で売られたと記す。
モリス自身についても、館の記録は短くまとめている。図案家、職人、詩人、小説家、事業家、社会運動家と並べて紹介する。医者が彼の死因を、ウィリアム・モリスであったこと、そして十人分の仕事をしたことだと述べた、という言葉も引く。
記録では、彼の装飾美術の会社は1875年以降モリス商会と呼ばれた。会社は家具や室内の品を作って売り、優美で色の豊かな模様と質の高い材料で求められたとある。記録は、モリスが公正な労働条件のもとで物を作ることにこだわり、その点で同時代の製造業者と違っていたと書く。
同じ記録は、モリスの有名な言葉も引く。役に立つと知っているもの、美しいと信じるもの以外を、家に置いてはならない。量産品と飾りであふれた部屋に対して、調和と節度を求めた言葉である。会社の品のなかで、布は最も利益の大きい商品だったと記録は書く。刺繍、刷った木綿、織物、タペストリー、絨毯と、布の種類も幅広かった。記録は、モリスの図案と仕事の考え方が、過去への広い知識と未来への見通しを結びつけていたと評している。
ウィリアム・モリスはどんな生涯を送ったか
ヴィクトリア&アルバート博物館の記録では、モリスは1834年にロンドンで生まれ、1896年にロンドンで没した。62歳だった。
十代の1848年から1856年まで、一家はロンドン北東のウォルサムストウの家に住んだ。この家がいまのウィリアム・モリス・ギャラリーである。
1860年、建築家フィリップ・ウェッブの設計で、自邸「赤い家」が完成した。ナショナル・トラストは、友人のバーン=ジョーンズがこの家を「地上でいちばん美しい場所」と呼んだと紹介している。家を自分たちで飾った経験が、装飾の会社につながっていく。
会社はモリス・マーシャル・フォークナー商会として始まり、1862年のロンドンの博覧会に出品した。ヴィクトリア&アルバート博物館の記録によれば、1865年には、まだ無名だったこの会社が大きな仕事を得る。サウス・ケンジントン博物館、いまのヴィクトリア&アルバート博物館の食堂の装飾である。
1875年に会社はモリス商会となり、1881年にはロンドン南西のマートン・アビーに工房を移した。藍の抜染が成功したのはここである。晩年の1890年にはケルムスコット・プレスを始め、没年の1896年に『チョーサー作品集』を仕上げた。同館はこの本を、モリス最後の大仕事で、彼が火をつけた印刷復興の象徴と位置づけている。
布、壁紙、家具、室内、本。手がけたものは広いが、どれも「暮らしの場を美しくする」という一つの目的でつながっている。
《いちご泥棒》の鳥は何をしているのか
苺を狙っている。館の記録では、この図案はケルムスコット・マナーの庭にいたツグミをたたえたものである。オックスフォードシャーにあるモリスの田舎の家である。記録は、娘メイ・モリスの言葉を引く。父は朝早く庭に出て、実をついばむツグミを眺めていたという。庭師が首をひねってやりたいと言うと、庭の鳥には一羽も手を出すなと答えたとある。
画面では、鳥の扱いが段ごとに違う。上の段の鳥は白っぽく、背を向け合って並ぶ。二羽のあいだに、赤い苺がいくつも垂れる。下の段の鳥は赤茶色で、大きな花をはさんで向かい合う。胸には細かな斑点が打たれている。
色の作り方も記録に書かれている。モリスはこの布で藍の抜染を完成させた、とある。記録によれば、まず布全体を青く染め、そこを抜いてから木版で色を重ねる方法である。この布では、彼のほかのどの布より多くの色が使われたと記す。
図案の年と、この布の年は違う。ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館の記録では、図案は1883年のものである。同じ年の5月、モリスは最初の刷りについて娘に手紙を書いた。藍の抜染は1875年から試していたが、うまくいったのは1881年にマートン・アビーの工房へ移ってからだという。青と白の地に赤と黄を加えたのも、この図案が最初だった。赤はアリザリンの染料、黄はウェルドと呼ばれる草の染料だと同館は書く。
同館によれば、藍の抜染は主にアジアで何世紀も使われてきた古い技法で、モリスはその色の深さと細部の鋭さを好んだ。最初の刷りに満足したモリスは、この図案を特許局に登録している。モリス商会の刷った布のなかでも特に高価な品だったが、客には大いに好まれた。いっぽう当サイトの一点は、館の記録で1936年ごろとされる。モリスの没後も、会社がこの図案を刷り続けたことを示す一枚である。
画像の右の端には、藍の地のまま残った布の耳がある。拡大すると、そこに小さな白い文字で、ロンドンのオックスフォード通りの番地を含む社名が刷り込まれている。売り場で反物として扱われた布であることが、端の文字から分かる。館の記録も、この一枚をマートン・アビーで20世紀に作られたものとしている。
模様はどう組み立てられているか
左右を鏡のように折り返し、同じ単位を上下に継いでいる。どの布も、画面の外へ模様が続くように端が切れている。一枚の絵としてではなく、壁や窓を覆う面として作られている。

《チューリップ》は緑の濃淡だけで刷られている。縁の飾られた花が、少しずつ段をずらして並ぶ。葉は細かく切れ込み、巻きながら隣の単位へ渡る。色数が少ないぶん、線の流れがそのまま模様になる。
花は白く抜かれ、縁が細かく波打つ。一つの単位には大小二つの花があり、上の花は開き、下の花は横を向く。その組が斜めに一段ずつずれて、布の端から端まで続く。
技法にも違いがある。館の記録では、《いちご泥棒》は木版で一色ずつ押した布だが、《チューリップ》はローラー捺染である。彫った金属の円筒で連続して刷る方法で、同じ模様を長く安定して刷れる。モリスの布にも、手の版と機械の刷りの両方があったことになる。

こちらは刷ったものではなく、織ったものである。向かい合う孔雀が大きく広がり、その下に翼を広げた小さな龍が並ぶ。地はくすんだ緑で、文様は淡い赤と青である。
画像で見ると、淡い赤の大きな鳥が左右対称に置かれ、尾の羽を下へ広げる。その間の帯には、赤い翼と濃い青の頭を持つ小さな龍が背中合わせに並ぶ。鳥と龍の組が、上下に何段も繰り返される。
縦2メートルを超えるこの一枚は、館の記録の寸法で206.6センチある。壁掛けやカーテンとして、部屋の一面を覆う大きさである。
館の記録では、モリスは中世の壁掛けがそうであったと想像したように、石の冷えた部屋に暖かみを与える布を作ろうとした。記録は、この布がその理想にいちばん近づいたものだと書く。同じ年に彼はロンドンの商人ヴィンセント・ロビンソンの店で、ダマスカスの部屋の再現を見た。朱と金と群青に彩られ、「アラビアン・ナイトに入っていくようだ」とモリスは書いたという。それがここの異国風の意匠を一部生んだと館は説明する。
この一枚には来歴も残る。館の記録では、1878年から1886年の間に、クリーヴランドの実業家ジョージ・ウィリス・パックが買った。ユークリッド通りの自宅に飾るためである。モリスが思い描いたとおり、実際の家の壁で使われた布が、いま館にある。

濃い青の地に、黄の葉と赤い花が渦を巻く。画像では、上に大きな赤い花、その左右にひまわりのような丸い花が置かれ、下には赤いオダマキの花が下を向いて並ぶ。館の記録では、モリスはこうした布が重い襞を作って垂れ、庭の壁のように見えることを思い描いた。
染料についても記録がある。モリスは工業化したイギリスで普通になった化学染料を嫌い、天然染料を試すことを強く好んだ。天然染料は高く手に入りにくく、染め屋は古い方法を復活させる必要があった。それでも光や洗いで褪せにくく、より繊細な調子を出せたとある。
布の下端には、ゆるい糸の束が出ている。館の記録では、これは水色と緑の経糸である。布は長く織られ、この糸の見える位置で切り分けられたと記す。
記録によれば、緯糸には赤、桃色、黄、青など何色もが使われている。表では模様の中に沈むが、裏から見るとその色がよく見えるという。手で織った布の作りが、裏と端に残っている。
モリスは布のほかに何を作ったか
本を作った。挿絵のための版も彫っている。

館の記録では、これはモリスとバーン=ジョーンズの初期の共同作業から実際に出来た、数少ない挿絵の一つである。記録によれば、モリスが語り直した古い神話や伝説に挿絵を付ける計画だった。二十四話のうち一話ぶんを彫った段階で出版先が見つからず、計画は中断した。記録は、その経験がモリス自身の印刷所につながったと書く。
印刷所はケルムスコット・プレスという。ヴィクトリア&アルバート博物館の記録では、ロンドン西部のハマースミスにあった。館の記録では1890年に始まり、モリスが図案した装飾と活字で本を作った。挿絵は友人のバーン=ジョーンズらが描いたとある。この印刷所の代表作が、1896年に仕上がった『チョーサー作品集』である。ヴィクトリア&アルバート博物館の記録では、バーン=ジョーンズの木版挿絵が八十七点入る。ゴシック風の活字もモリスが図案し、この本にちなんで「チョーサー」と名づけられた。刷られたのは425部で、モリスが没する少し前に出た。
クリーヴランド美術館の記録は、モリスが読者に本を手に持って読む感触まで楽しんでほしいと考えたと書く。上質の麻の紙に刷られ、多くは獣皮紙で装丁された。その作りは、印刷術が始まったばかりの頃の本と多くを共有している。
館の記録によれば、場面は恋人の神クピドに見捨てられたプシュケが、泣きながら川へ踏み入るところである。髪は後ろへ流れている。
画像では、プシュケは体を大きく前へ倒し、顔を腕に埋めるようにして水へ踏み出す。裸足の足が岸の端にかかり、長い衣は足首まで垂れる。対岸の草むらが、画面の右に小さく見える。
版画の画面は小さい。館の記録では縦10.5センチ、横8.2センチである。黒い線だけで、空は横の細い線、川は流れる線、衣は長い縦の線に描き分けられる。布の模様と同じ手が、ここでは線の向きを変えることで働いている。
作品ページは《いちご泥棒》から開ける。ほかの布や版画はウィリアム・モリスの作品一覧から見られる。模様を平らな面として組み立てる作り方は尾形光琳《八橋図》の解説でも扱った。線だけで水を描く方法は葛飾北斎《神奈川沖浪裏》の解説で確かめられる。
モリスの作品はどこで見られるか
まとまって見られるのはロンドンとその周辺である。ヴィクトリア&アルバート博物館は、いちご泥棒の布を含む多くの作品を持つ。館の中には、モリスの会社が手がけた食堂も残っている。館が設けた三つの軽食の部屋の一つで、1865年の末に注文を受けた。同館の記録では、天井と壁の装飾の多くをウェッブが、モリスの指揮のもとで図案した。
壁の上の帯には、走る野兎と追う犬が交互に並ぶ。ウェッブはこの着想を、ニューカッスル大聖堂の洗礼盤の彫刻から得たと語っている。同じ記録によれば、実際の仕上げでは、図案の段階から色の配置が一部入れ替えられた。図案の紙と実物の部屋を見比べられるのも、この館ならではである。
暮らした家も見られる。ロンドン北東のウォルサムストウにあるウィリアム・モリス・ギャラリーは、1848年から56年まで一家が住んだ家である。1950年に開館し、2012年に改装を終えて再び開いた。ギャラリーの解説によれば、建物はロイド公園の中に建つ1740年代の家で、裏庭の堀にちなんで「水の家」と呼ばれていた。開館は、1914年に最初の計画が立ってから四十年近く後のことである。モリスだけを扱う公立の展示館は、ここだけだという。ロンドン南東のベクスリーヒースには、ウェッブの設計で1860年に完成した自邸「赤い家」がある。いまはナショナル・トラストが公開している。苺の図案の舞台になったケルムスコット・マナーは、オックスフォードシャーの田園にある。
布は、使われる部屋の中で見てこそ意味が分かる。カーテンや壁掛けとして垂れたときの襞の具合は、平らな画像では確かめにくい。実物を前にしたら、少し離れて模様の単位がどこで継がれているかを探すとよい。


