葛飾北斎《神奈川沖浪裏》の解説——なぜ富士は小さく、どこで見られるのか
葛飾北斎《神奈川沖浪裏》を解説します。《富嶽三十六景》の一図を、当サイトが公開しているCC0の図版と所蔵館の記録から読みます。なぜ富士はあれほど小さいのか、実物はどこで見られるのか。同じ連作の三図と並べて確かめます。

《神奈川沖浪裏》とはどんな絵か
葛飾北斎《神奈川沖浪裏》は、連作《富嶽三十六景》のうちの一図である。肉筆の絵ではなく、木版の多色摺で作られた版画だ。館の記録では1830年代の作で、大きさは縦25.4センチ、横37.6センチ。A4の紙より一回り大きい程度しかない。
題は画面の左上に、細長い枠へ入れて摺られている。枠の字は「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」と読める。連作名の「冨」は「富」の異体字で、両方の書き方が今も使われている。
題にある「神奈川沖」は、陸ではなく海の上を指す。この絵は岸から海を眺めた景色ではない。波に揉まれる舟と同じ高さから、遠くの富士を見ている。その一点だけで、ほかの富士の絵と立ち位置が違う。

画面には何が描かれているか
手前に、大きな波が立ち上がる。左上で崩れかけた頂が、細い爪のような形にいくつも分かれて垂れている。波の内側は濃い藍、縁へ行くほど淡い藍、いちばん外は紙の白である。
輪郭線を引いて中を塗った絵ではない。版を何枚も重ねて色の面を作り、面と面の境目が形になっている。泡の一粒ずつにも縁の線はない。
藍の濃淡は、少なくとも三段階に分かれている。谷の底に近いほど濃く、頂へ向かうほど薄い。濃い藍と紙の白がじかに接する場所では、波の縁が刃物のように鋭く見える。逆に淡い藍が挟まる場所では、水が厚く重そうに見える。同じ絵の中で、水の手ざわりが場所ごとに変えてある。
波の下には、細長い舟が三艘見える。左に一艘、中央の谷に一艘、右の波陰に一艘。どの舟にも人が並び、舟べりへ体を伏せている。顔は描き分けられていない。人はここでは、波の大きさを測るための目盛りとして置かれている。
画面の中央、波と波のあいだに富士が顔を出す。頂は白く、裾は紺に沈む。背後の空は灰色に摺られ、白い飛沫の点がその上へ散る。飛沫と山頂の雪が同じ白なので、遠くの山と手前の水が一度に目へ入ってくる。
空の上のほうは、灰色から淡い紅へ変わっていく。日の出か日没に近い時刻だと取れるが、時刻を決める手がかりは画面の中にない。断定はできない。確かなのは、空が均一な一色では摺られていないということである。
なぜ富士はあれほど小さいのか
理由は二つに分けて言える。
一つは、見る人の立ち位置である。この絵の視点は海面の高さにあり、富士までは遠い。遠いものが小さく見えるという当たり前を、北斎はここでは崩していない。
もう一つは、連作の組み立て方である。《富嶽三十六景》では富士はどの図にも出るが、主役の座を手前へ譲ることが多い。波が来るときもあれば、職人や旅人が来るときもある。富士は動かない基準として、遠くに置かれる。
舟の向きも効いている。三艘とも舳先が画面の左奥へ向き、波の斜面に沿って並ぶ。その線をたどっていくと、視線は自然に画面の中央へ降り、富士に行き当たる。小さいのに見落とさないのは、そこへ導く線が引いてあるからである。
そのうえで、この図には仕掛けがある。富士のすぐ手前で砕けている波が、富士とほとんど同じ三角形をしている。白い泡が斜面の雪のように広がり、大小二つの三角が縦に重なる。小さく描かれた富士が波に呑まれて見えなくならないのは、この重なりのためだと画面からは読める。
《神奈川沖浪裏》はどこで見られるか
版画なので、同じ図が世界の複数の館にある。「本物が一枚だけどこかにある」という種類の絵ではない。原版から摺られた紙が各地に残っていて、それぞれが実物である。
当サイトが公開しているCC0の図版だけでも、《神奈川沖浪裏》の摺りは六点ある。上に載せたのはシカゴ美術館の一点で、ほかにメトロポリタン美術館の摺りやシカゴ美術館の別の摺りも見られる。
摺りが違えば、紙の状態も色の出方も違う。メトロポリタン美術館の一点は、館の記録で24.4×35.7センチ。上のシカゴ美術館の一点より、縦も横も一センチ以上小さい。紙の縁が裁たれているためと見られる。
摺りを見比べるときの目の付けどころは三つある。藍の濃さ、紙の焼け具合、そして版のずれである。版が少しずれると、輪郭と色の面のあいだに細い隙間ができる。同じ図なのに印象が違って見えるときは、たいていこのどれかが効いている。
日本国内でも、浮世絵を所蔵する館がこの図を展示することがある。ただし紙と色は光に弱く、常設で出し続けられるものではない。実物を見る機会は展示期間に限られる。画面上で細部を追うだけなら、公開されている高解像度の画像で足りる。
同じ連作のほかの図と並べる
連作の中に置くと、この一図の性格がはっきりする。

《凱風快晴》は富士だけの図である。舟も人もいない。山肌の色は摺りによって幅があり、この摺りでは赤というより赤茶に近い。空には白い雲が横へ細く並び、裾は針葉樹を示す細かい点で埋まっている。

《山下白雨》では、同じ富士が上下で二つの天気に割れる。頂の上は晴れた青空で、裾は闇に近い。その闇の中を、稲妻が一本走る。山頂は晴れ、麓は雷雨という経験が、一枚に畳み込まれている。

《相州七里浜》の海は静かだ。手前に松の生えた丘があり、富士は遠くに白く浮かぶ。画面に占める富士の大きさは《神奈川沖浪裏》とさほど変わらない。それでもこちらの富士は小さいと感じにくい。手前に、富士と形を競う相手がいないからである。
浮世絵が海を渡ったあとの話は浮世絵は、西洋の絵に何を渡したのかで扱った。同じ江戸後期の絵師の仕事は歌川国芳とはにまとめてある。北斎の経歴と当サイトの所蔵図版は葛飾北斎のページから辿れる。


