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葛飾北斎《凱風快晴》の解説——赤富士はなぜ赤く、どこで見られるのか

凱風快晴は葛飾北斎の富嶽三十六景の一図で、赤富士の通称で知られる。山と空と樹海だけが置かれ、人も家も描かれていない。赤く見える理由と、同じ版木から摺られた二枚でなぜ色が違うのか、そして実物を所蔵する館を、館の記録に即して読む。

凱風快晴
葛飾北斎《凱風快晴》メトロポリタン美術館蔵

《凱風快晴》は、葛飾北斎の『富嶽三十六景』のうちの一図である。赤富士の通称で呼ばれることが多い。画面にあるのは、山と空と、山裾をおおう樹海だけだ。人も家も舟も描かれていない。

凱風快晴
葛飾北斎《凱風快晴》1830〜32年ごろ。館の記録では、木版多色摺・紙。24.4×35.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。葛飾北斎《凱風快晴》メトロポリタン美術館蔵

左上に短冊形の枠があり、そこに連作の名と図の名が入る。その下に落款が摺られている。山の稜線は画面の左下から長くゆるやかにのぼる。頂は画面の右寄りにあり、右へは短く急に落ちて、裾は画面の右端で切れる。左右は対称ではない。頂からは白い雪が筋になって垂れ、山腹の途中で切れている。

《凱風快晴》はどこで見られるか

版画なので、原本が一点しかない作品ではない。同じ版木から何枚も摺られ、いまも国内外の館に残っている。日本では東京国立博物館と東京富士美術館が所蔵し、海外ではメトロポリタン美術館やクリーヴランド美術館などが持つ。

当サイトで画像を扱える範囲では、この図の摺りは二館にある。ひとつはメトロポリタン美術館の一枚で、館の記録では24.4×35.6センチ。もうひとつはクリーヴランド美術館の一枚で、25.6×37.5センチとある。

国内の二館の記録も、文化庁の文化遺産オンラインで引ける。東京国立博物館の一枚は横大判の錦絵で、25.3×38.0センチとある。東京富士美術館の一枚は24.1×37.2センチで、1830年から32年ごろの作とされる。

千葉県野田市の茂木本家美術館は、この図を藍色で摺った「青富士」を所蔵すると紹介している。館の展覧会案内によれば、現存が確認されているのは7点だけだという。同じ案内は、《凱風快晴》と《神奈川沖浪裏》と《山下白雨》の3図を「三役」と呼ぶ。

見られる場所を探すときは、所蔵館の収蔵番号で引くのがいちばん早い。クリーヴランドの一枚なら1930.189である。

実物を見に行く前に、画像で細部を確かめておく手もある。メトロポリタンとクリーヴランドの二枚は、館が画像を CC0 で公開している。大きな画像で山腹を拡大すると、赤の中の木目や、樹海の点の一つずつまで見える。当サイトの作品ページも、この公開画像をもとにしている。

二枚が館に入った経緯も記録に残る。メトロポリタンの一枚は、1914年に館の基金で購入された。クリーヴランドの一枚は、地元の収集家ホイッテモアが1930年に遺贈した。収集家はこれを、ニューヨークの山中商会から買ったと記録される。

どちらも100年近く前から、アメリカの館で保管されてきた。江戸で摺られた紙が、遅くとも大正から昭和のはじめには海を渡っていたことになる。

凱風快晴(富嶽三十六景より)
葛飾北斎《凱風快晴》1830年代初め。館の記録では、木版多色摺。25.6×37.5センチ。番号は1930.189。クリーヴランド美術館蔵。葛飾北斎《凱風快晴(富嶽三十六景より)》クリーヴランド美術館蔵

ただし、常に展示されているとはかぎらない。紙と顔料は光に弱く、浮世絵は多くの館で期間を限って出す扱いになっている。確実に見たいときは、行く前に館の展示情報をあたるほうがよい。

四館の記録を並べると、寸法が少しずつ違うことに気づく。縦は24.1から25.6センチ、横は35.6から38.0センチまで幅がある。版木が別なのではなく、摺ったあとの紙の裁ち方が違うと考えるのが素直である。版画の寸法は、紙をどこで切るかで動く。

《凱風快晴》はいつ、誰が出したのか

天保のはじめ、1830年代の初めに出た錦絵である。メトロポリタン美術館の記録は1830年から32年ごろとする。クリーヴランド美術館の記録は、連作を1829年から1833年の仕事としている。

館の記録では、北斎は1760年に江戸で生まれ、1849年に没した。この連作を出したのは、70歳前後のことになる。

クリーヴランドの記録には、画面の銘も書き取られている。落款は「北斎改為一筆」、版元は西村屋与八である。北斎がこのころ為一と名乗っていたことが、落款から分かる。

左上の短冊の題は「冨嶽三十六景 凱風快晴」と読める。読みは「がいふうかいせい」。凱風とは、南から吹くおだやかな風をいう。古く『詩経』の邶風に「凱風」という詩があり、凱風が南から吹くとうたい出す。

この題には地名が入っていない。連作の多くは《神奈川沖浪裏》《甲州三坂水面》《尾州不二見原》のように、富士を眺めた場所を題に掛ける。《凱風快晴》が名指すのは、風と天気だけである。どこから見た富士かは、題からは決められない。

クリーヴランドの記録によれば、富士は19世紀の日本の旅の本にたびたび現れた。地図には富士の形の印で山の位置を示し、よく見える場所まで書き込むものもあったという。富士の眺めは、買う側にもなじみのある題材だったと考えられる。

シカゴ美術館の解説は、富士が北斎の時代よりずっと前から聖なる山として拝まれてきたと書く。北斎のころには、全国から参詣の人が集まる山だった。最後の大きな噴火は1707年で、連作が出る120年余り前のことである。同じ館は、この連作が風景版画の人気を定着させたとも述べている。

題は三十六景だが、連作は好評を受けてのちに10図が加わり、全46図になった。はじめの36図は輪郭を藍で摺り、追加の10図は墨で摺っている。輪郭の色で、二つの組を見分けられる。

浮世絵は、絵師が下絵を描き、彫師が版木を彫り、摺師が紙に摺って仕上げる。版元はその全体を企画し、売り出す立場にある。画面の赤も空の青も、この分業の中で決まった色である。

なぜ富士は赤いのか

赤富士の赤が何を表すかについて、館の解説は一つにそろっていない。クリーヴランド美術館は、季節を夏の終わりから秋の初めとし、その時期に山が赤みを帯びると説明する。東京富士美術館は、夏から秋の晴れた早朝に、富士が山全体を赤く染めることがあるという。

東京国立博物館の解説は、答えを一つに決めていない。晴天の下の赤土の色なのか、朝焼けの色なのか、と問いを立てたままにしている。どれも館の記録に書かれていることで、当サイトが独自に確かめたものではない。

三館の説明は、互いに打ち消し合うものではない。季節を夏から秋に置く点では、クリーヴランドと東京富士美術館が一致する。違うのは、赤を光の色と見るか、山肌の色と見るかである。画面には太陽も朝の光の向きも描かれていないので、どちらかに決める手がかりは図の中にない。「朝焼けの富士」と断定するのは、館の記録の範囲では解釈の一つにとどまる。

画面からも、その季節と矛盾しない手がかりは読める。頂に残る雪は、山頂をおおう面ではなく、筋の形で下へ伸びている。雪が積もりきった姿ではなく、消えかけた残雪の姿に近い。空には小さな雲が横に長く連なり、何列も並ぶ。真夏の入道雲とは形が違う。

山裾の樹海の描き方も見ておきたい。木の一本ずつは描かれていない。短い点を無数に打ち、その密度の差だけで森の面を作っている。稜線に近いところは点がまばらになり、下へ行くほど詰まる。遠くの木が小さく見える効果が、点の大きさではなく間隔で出ている。

クリーヴランドの記録は、摺りの痕跡にも触れている。赤を摺るとき、桜の版木の木目が色と一緒に紙へ移った、という指摘である。東京富士美術館の解説も、山肌に見える版木の木目をこの図の大きな特徴に挙げる。広い赤の面が、木目のおかげで単調にならないという見方である。クリーヴランドの作品ページで山腹を拡大し、赤の中の横向きの筋を探してみるとよい。

いっぽうで、赤い色そのものを気象の記録として読むことはできない。これは木版画であり、色は顔料と摺りで決まるからだ。山の赤は、画家と摺師が選んだ色でもある。実景の再現と考えるより、山をひとつの形として立てるための色と見るほうが、画面の作りには合う。

同じ版木から摺られた二枚で、色がこれだけ違う

上の二点を並べて見ると、同じ図とは思えないほど色が違う。メトロポリタンの一枚は、山全体が朱に近い赤でおおわれる。空は上から下まで青く、白い雲の列が画面の上端近くまで詰まっている。

クリーヴランドの一枚は、山腹が淡い桃色にとどまる。そのぶん頂のあたりの暗い褐色が際立ち、山が二つの色に分かれて見える。空は上端に濃い藍の帯があり、下へ行くほど淡くなって、山裾の近くでは白に近い。樹海は、こちらのほうが暗い藍に寄っている。

版画の色は、版木ではなく摺りの工程で決まる部分が大きい。何色を何回のせるか、どれだけ濃く置くかで、刷り上がりは変わる。摺られた時期によっても、保管の状態によっても、いまの見え方は違ってくる。一枚だけを見て「この絵の色はこうだ」と決められない。

東京国立博物館の解説も、この点に触れている。同じ《凱風快晴》でも、空や山がもっと淡い摺りがあるという。館の一枚は青空と赤い山がはっきり出ており、晴天に立つ富士の強さがあると書く。先に触れた「青富士」は、その振れ幅のいちばん外にある摺りといえる。

図版で色を比べるときは、画像そのものの条件も頭に入れておきたい。館ごとに撮影の機材も照明も違う。ここに並べた二点の差は、摺りの差と撮影の差が重なったものとして見るのが正確である。

同じ図の摺りを見比べる話は、《神奈川沖浪裏》の解説でも扱っている。

《凱風快晴》と《山下白雨》は何が同じで、何が違うのか

二図は、富士の形と置き方がほぼ同じである。どちらも頂は画面の右寄りにあり、左の稜線が長く、右が短い。山だけを大きく置き、人を描かない。題に地名が入らない点も共通する。違うのは天気で、《凱風快晴》は晴れ、《山下白雨》は麓に雷雨がある。茂木本家美術館の案内が《凱風快晴》を「赤富士」、《山下白雨》を「黒富士」と呼ぶのも、この対をふまえた呼び名だろう。

富嶽三十六景 山下白雨
葛飾北斎《山下白雨》1830〜32年ごろ。館の記録では、木版多色摺・紙。25.7×38.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。葛飾北斎《富嶽三十六景 山下白雨》メトロポリタン美術館蔵

《山下白雨》では、山の上半分が赤褐色の点でおおわれ、頂から白い雪の筋が垂れる。ここまでは《凱風快晴》とよく似ている。ところが山の下半分は黒く沈み、そこに朱色の稲妻が折れ曲がって走る。山頂は晴れ、麓は雷雨という二つの天気が、一枚に同居する。

シカゴ美術館の解説は、この図について、なだらかな山の斜面と鋭くぎざぎざの稲妻の取り合わせを挙げる。単純でありながら視覚的な力が強い、という評価である。

二図を続けて見ると、《凱風快晴》の静けさがはっきりする。《山下白雨》の雲は、山の中腹の高さで左右にもくもくと湧く。《凱風快晴》の雲は小さく平たく、空の全体に散っている。山裾も、一方は黒い闇で、一方は青い樹海である。同じ山の形を使いながら、天気の描き分けだけで、まったく違う一日が描かれている。

空の青と輪郭の藍は、何で摺られたのか

《凱風快晴》の空の青には、当時ヨーロッパから入ってきた青い顔料が使われた。東京国立博物館は、連作の初めのころに「ベロ」と呼ばれた顔料が多く使われたと書く。シカゴ美術館も、値が下がって手に入りやすくなったこの青を、空と水に惜しみなく使った点を連作の特徴に挙げる。

この青は、ぼかしに向いていた。クリーヴランドの一枚の空を見ると、上端の濃い藍から下へ、色がなめらかに薄れていく。版木の上で絵具の濃さを少しずつ変えて摺る技法で、濃淡の帯が一度の摺りで出る。

輪郭の線にも藍が使われている。東京国立博物館の解説は、《神奈川沖浪裏》について、主版まで藍で摺ったことで鋭い印象が生まれたと書く。主版とは、絵の輪郭線を彫った版木のことである。《凱風快晴》の山の稜線も、画像で見るかぎり、墨の黒ではなく青みのある線である。

赤い山、青い空、藍の線という組み合わせは、色数としては少ない。それでも画面が強く見えるのは、赤と青という反対の色が、斜めの稜線一本で大きく分けられているからだろう。これは画面から読める構成上の推測であり、北斎自身の言葉が残っているわけではない。

『富嶽三十六景』のほかの図とどう違うか

この連作のなかで、《凱風快晴》は富士を画面いっぱいに置いた数少ない図である。ほかの図の多くは、富士を遠景の小さな三角として置き、手前に人の営みを描く。

富嶽三十六景 神奈川沖浪裏
葛飾北斎《神奈川沖浪裏》1830〜32年ごろ。館の記録では、木版多色摺・紙。24.4×35.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。葛飾北斎《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》メトロポリタン美術館蔵

《神奈川沖浪裏》では立場が逆になる。主役は波と舟で、富士は波間の小さな三角に退く。山の大きさは、画面のなかで自由に決められている。

尾州不二見原(富嶽三十六景より)
葛飾北斎《尾州不二見原》1830〜32年ごろ。館の記録では、木版多色摺・紙。24.1×38.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。葛飾北斎《尾州不二見原(富嶽三十六景より)》メトロポリタン美術館蔵

《尾州不二見原》では、富士はさらに小さくなる。題の尾州は尾張の国のことで、メトロポリタン美術館の記録も尾張国の不二見原と英訳している。画面の中央に大きな桶の輪があり、その内側で職人が板を削っている。輪の向こう、遠い家並みの上に、白い富士が指先ほどの大きさでのぞく。山は主役ではなく、輪の中に収まる点にすぎない。

富嶽三十六景 甲州三坂水面
葛飾北斎《甲州三坂水面》1830〜32年ごろ。館の記録では、木版多色摺・紙。24.9×37センチ。メトロポリタン美術館蔵。葛飾北斎《富嶽三十六景 甲州三坂水面》メトロポリタン美術館蔵

《甲州三坂水面》は、湖に映る富士を描く。ところが水面の富士は、実の山の真下ではなく、左へずれた位置に淡く置かれている。映り方として正確ではない。手前には舟と船頭、対岸には茅葺に見える屋根が並び、人の暮らしが入る。

ここまでの五図を順に見ると、富士の扱いが毎回変わっているのがわかる。画面いっぱいの主役にもなれば、雷雨を足元に抱く山にも、波間の点にも、桶の輪の中の点にもなり、水に映る影にもなる。連作とは同じ山を何度も描くことだが、北斎はそのつど山の役を変えている。《凱風快晴》はその振れ幅の、いちばん単純な側の端にある。

こうして並べると、《凱風快晴》の単純さは、ほかの図とくらべてあえて選ばれたものだとわかる。山だけを置き、人を消し、場所の名も入れない。残ったのは、赤い三角と、その上の空である。北斎のほかの仕事は葛飾北斎の作品一覧から見られる。

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