作品を知る

波の下に、三十人がいる——葛飾北斎《神奈川沖浪裏》

《神奈川沖浪裏》には、三十人ほどの人間が描かれている。舟の種類、三つの三角形、水平線の高さ、隅に押された落款。縦25センチほどの一枚の版画を、細部から読み直したい。同じ図の別の摺りや、同じシリーズの他の図と並べながら追いかける。

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏
葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》メトロポリタン美術館蔵

波の下に、三十人がいる

世界でもっとも複製された絵のひとつを、はじめから見直したい。

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏
葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》1830〜32年ごろ。横大判の錦絵。メトロポリタン美術館蔵。葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》メトロポリタン美術館蔵

まず、目に入るのは左の大波である。

画面の左半分から立ち上がり、頂点で右へ折れ、爪のように分かれた飛沫を垂らしている。

その内側は、藍の濃淡で層をなす。外へ向かうほど濃く、内側は白い。

次に、右下の第二の波。こちらは低く、手前へせり上がっている。

そして中央、二つの波にはさまれた低い位置に、白い三角形がある。

富士である。画面の中でもっとも小さく、もっとも静かな要素として置かれている。

大きさは、A4より少し小さい

先に、実物の寸法を確認しておきたい。

所蔵館の記録によれば、縦25.4センチ、横38.1センチ。横大判と呼ばれる、当時の標準的な判型である。

A4の紙を横に置いたものより、少し大きい程度だ。

この絵は、大画面として作られていない。手に持って見る紙である。

にもかかわらず、複製されるときはたいてい大きく引き伸ばされる。ポスター、壁紙、缶の側面。

私たちが持っている「大波」の印象は、実物の大きさとかなりずれている。

飛沫の作り

もう少し近くで見ておきたい。

大波の頂点から垂れる飛沫は、単純な線ではない。太い指のような形が分かれ、その先がさらに細かく分かれている。

分かれ方には規則がある。ひとつの塊から三つか四つに分かれ、それぞれがまた同じように分かれる。

同じ形の繰り返しが、大きさを変えて重なっている。近づいても、離れても、似た形が出てくる。

波頭の白は、摺っていない紙の白である。塗った白ではない。

その白い部分の縁だけに、細い藍の輪郭が引かれている。この輪郭があることで、白い泡が「形」として立ち上がる。

輪郭を引かなければ、白はただの余白になっていたはずである。

落款を読む

画面の左上に、二つの枠がある。

上の枠に「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。シリーズ の名と、この一図の題である。

その左下に「北斎改為一筆」とある。北斎あらため為一が描いた、という意味だ。

北斎は生涯に何度も画号を変えた人である。春朗、宗理、葛飾北斎、戴斗、為一、画狂老人卍。数え方によるが、三十を超えるとされる。

この署名は、以前の名で知られた人物が新しい名で描いている、という宣伝でもある。名前を変えても、あの北斎ですよ、と断っている。

七十歳の絵師が、まだ売り込みをしている。そう読むと、少し愉快である。

舟に、人が乗っている

ここからが本題である。よく見ると、波の中に舟が三艘ある。

左の大波の下に一艘。中央の低い位置に一艘。右下の波にもう一艘。

そして、その舟に人が乗っている。

一艘あたり八人前後。舳先にもう一人。三艘で、およそ三十人が数えられる。

全員が同じ姿勢をとっている。舟の縁にしがみつき、背を丸め、頭を伏せている。

顔は描かれていない。誰も、こちらを見ていない。

この舟は押送船と呼ばれる型で、獲れた魚を江戸へ運ぶための速い舟である。房総から江戸湾へ、鮮度が落ちる前に届ける仕事に使われた。

つまりこの絵は、天災の場面ではない。日常の労働の場面である。

そのことが分かると、画面の意味が変わってくる。

この記事の問い

一枚の版画を、三ページかけて読みたい。

なぜこの構図なのか。あの青は何か。同じ版から刷られた別の一枚は、どう違うのか。

そして、なぜこの絵だけが世界中に広まったのか。

作者は葛飾北斎。この絵を出したとき、七十歳前後である。

七十歳までに、何をしていたか

北斎の経歴も簡単に押さえておきたい。

1760年ごろ、江戸の本所に生まれたとされる。十代で版木彫りの見習いをし、二十歳前に勝川春章の門に入った。

勝川派は役者絵の一門である。つまり北斎の出発点は、芝居の宣伝物だった。役者絵がどんな商品だったかは別のコラムで扱っている。

その後、狩野派や琳派、さらに西洋の銅版画からも学んでいる。流派を渡り歩いた人である。

五十代では、絵の手本集〈北斎漫画〉を出して広く売れた。人の姿勢、動物、建物、幽霊まで、あらゆるものを描き並べた本である。

風景版画に本格的に取り組むのは、六十代の終わりからだ。

つまり〈冨嶽三十六景〉は、四十年以上の蓄積の上に出てきた企画である。若い天才の作品ではない。

押送船という舟

舟についても補っておきたい。

押送船は、細長く、櫓を多く並べた高速の輸送船である。房総や相模で獲れた魚を、鮮度が落ちる前に江戸へ運ぶために使われた。

速さが商売なので、多少の荒天でも出る。乗り手は熟練の漕ぎ手である。

画面の舟は、いずれも波に対して斜めに向いている。真横を向けば転覆するから、舳先を波へ入れる。

その操船の結果として、三艘が同じ方向に並ぶ。整列させたのではなく、そうせざるを得ない配置である。

北斎がこの舟を選んだ理由は分からない。ただ、江戸の人にとっては見慣れた舟だったはずだ。

漁船でも軍船でもなく、物流の舟。日常の絵として読める根拠は、ここにもある。

構図——三つの三角形

画面には、三角形が三つある。

ひとつは、左の大波が作る大きな三角。頂点は画面の上端近く、底辺は左下へ流れる。

ふたつめは、右下の波が作る低い三角。

そして三つめが、中央の富士である。

大波の三角と富士の三角は、形が相似している。傾きも、稜線の角度もよく似ている。

つまり北斎は、波を富士の形に似せて描いている。あるいは、富士を波の形に置いている。

大きさは正反対である。手前の波は画面の半分を占め、遠くの富士は指先ほどしかない。

近いものを大きく、遠いものを小さく。遠近法としては当たり前のことだが、ここまで極端にやると別の効果が出る。

動くものが巨大で、動かないものが小さい。

波は数秒で崩れる。富士は千年変わらない。その二つが、面積の比として画面に置かれている。