美術史・技法

アメリカはなぜ、荒野を歴史画の大きさで描いたのか——トマス・コール《オックスボウ》

入場料25セント、三週間で1万2千人。十九世紀アメリカの風景画は、見世物であり、記録的な値段で売れる商品だった。なぜ荒野が歴史画の寸法で描かれたのか。そして「手つかずの自然」という言葉が消していたものは何か。三人の画家の主張を読み分ける。

雷雨のあとのホリヨーク山からの眺め——オックスボウ
トマス・コール《雷雨のあとのホリヨーク山からの眺め——オックスボウ》メトロポリタン美術館蔵

一枚の絵が、真っ二つに割れている

まず、画面が二つに分かれていることを確認したい。

雷雨のあとのホリヨーク山からの眺め——オックスボウ
《雷雨のあとのホリヨーク山からの眺め、マサチューセッツ州ノーサンプトン——オックスボウ》1836年。縦130.8センチ、横193センチ。メトロポリタン美術館蔵。トマス・コール《雷雨のあとのホリヨーク山からの眺め——オックスボウ》メトロポリタン美術館蔵

左半分は、暗い。

嵐雲が斜めに垂れこめ、雨が降っている。手前には落雷か強風で裂けた木が、白い幹をさらしている。斜面は下草に覆われ、道はない。

右半分は、明るい。

コネティカット川が大きく蛇行し、馬蹄形の入り江をつくっている。まわりは区画された農地で、干し草の山と小さな家が点在する。川面に舟が浮かんでいる。

同じ一枚の中に、原生林と耕作地が、雨と晴れが、並んで置かれている。

分ける線は、画面をほぼ対角に走っている。偶然の構図ではない。

そしてもう一つ。中央下寄りの斜面に、小さな人物がいる。

日傘のようなものを立て、画架を据えて、こちらを振り返っている。画家自身である。

つまりこの絵は、「私はいまこの場所に立って、この二つの世界を同時に見ている」と宣言している。

作者はトマス・コール。1801年にイギリスで生まれ、十七歳で家族とともにアメリカへ渡った。ほとんど独学で絵を学んだ人である。

題名にある「オックスボウ」は、牛の首にかける木製の軛のことで、そこから転じて、川が大きく曲がってできる馬蹄形の地形を指す。

描かれているのはマサチューセッツ州、コネティカット川の実在の湾曲部である。画家はホリヨーク山の中腹に登り、そこから見下ろしている。

当時この山は、すでに観光地だった。頂上に休憩所があり、眺望を楽しむ人が来ていた。

つまりこの絵の視点は、探検家のものではない。観光客が立てる場所である。

にもかかわらず、左半分には人跡未踏の荒れ地が描かれる。同じ場所の、違う顔を並べているわけだ。

嵐は、去りつつある

題名をもう一度読みたい。「雷雨のあとの眺め」である。

嵐は終わったばかりで、雲はまだ左半分を覆っている。雨の筋が斜めに見える。

しかし右奥はすでに晴れ、川面が光っている。天候は、左から右へ抜けていく途中である。

つまりこの絵には、方向がある。暗いほうから明るいほうへ。過去から未来へ。

十九世紀のアメリカで、これがどう読まれたかは想像がつく。荒野は文明に道を譲る、という物語である。

ただしコール自身が、その物語を全面的に肯定していたかは疑わしい。この点は後で戻ってくる。

荒れた丘に、文字が彫られている

もう一つ、この絵には仕掛けが指摘されている。

右奥の丘の斜面に、樹木を伐り払ってできた地肌の模様が見える。

この模様が、ヘブライ語の文字を形づくっている、という読み方が古くからある。上下を逆さにすると別の語になる、とも言われる。

コールは信仰の篤い人で、風景を神の書物として読む態度を持っていた。だからこの読み方には一定の説得力がある。

ただし、伐採跡が偶然そう見えているだけ、という可能性も否定できない。ここは確定した事実としては扱わない。

いずれにせよ、この画面は自然の記録ではない。読ませるために作られた図である。

《オックスボウ》のための下絵
《〈オックスボウ〉のための下絵》1836年。厚紙に油彩と鉛筆。縦14センチ、横23.8センチ。完成作の約十三分の一の大きさである。トマス・コール《《オックスボウ》のための下絵》メトロポリタン美術館蔵

残っている下絵を見ると、構図の骨格はこの段階でほぼ決まっている。

暗い左と明るい右、対角線、蛇行する川。現場で決めたのは、この配分だった。

厚紙に油彩と鉛筆、という材料の組み合わせにも注意したい。屋外で素早く色を置き、線で位置を確かめている。

完成作は縦横それぞれ十倍近い。同じ構図を十倍に拡大すると、絵の性質は変わる。

小さな画面なら、視線は一度に全体を捉える。二メートル近い画面では、そうはいかない。観客は左を見て、右を見て、また左へ戻る。

見るのに時間がかかること。それ自体が、この寸法の狙いである。

素描や下絵が制作の中で果たす役割については、別のコラムでまとめて扱っている。

この記事の問い

十九世紀のアメリカで、風景画は異様に大きくなった。

横二メートル、三メートルという画布が次々に描かれ、入場料を取って公開され、記録的な値段で売れた。

なぜ荒野が、それほどの主題になりえたのか。

そして、その「荒野」は本当に無人だったのか。

順に見ていきたい。

その前に、大きさの話をしておく。

ヨーロッパの絵画の序列では、大画面は歴史画のためのものだった。神話、聖書、王の事績。風景はもっと小さい判で描かれるのが普通である。

風景画の地位がどう上がっていったかについては、別のコラムで扱っている。十七世紀のフランスで、それは百年がかりの仕事だった。

十九世紀のアメリカは、その順序を一気に飛ばした。歴史画の寸法を、いきなり風景に使ったのである。

理由のひとつは単純で、描くべき歴史がなかったからだ。建国から半世紀ほどしか経っていない国に、絵にすべき古い事績は少ない。

かわりに、他国にない規模の自然があった。そこに歴史画の寸法を与える——という発想は、いま思えば当然の帰結だったかもしれない。