帳面は、縦12センチ——ビアスタットの下調べ
縦12.1センチの帳面に、船と紋章と鉱山のメモが並ぶ。ビアスタットの大画面は、その小さな紙の積み重ねでできている。九点で準備と完成の距離を読む。バイソンを描いた一点の扱いにも触れる。紙に描いた油彩の習作も並べて見ておきたい。

帳面は、縦12センチしかない
一点の素描から始めたい。

まず寸法を見てほしい。縦12.1センチ、横19.7センチ、厚さ1.1センチ。
上着の内ポケットに入る大きさである。革の表紙で、紙の縁に金が施されている。
その一頁に、帆船が描かれている。線は細く、鉛筆の跡である。
船体の輪郭、マスト、帆桁。細部は描かれず、構造だけが取られている。
右上には、別の線が数本ある。舷側の形を試したものだと考えられる。
つまり、完成させるための絵ではない。形を確かめるための線である。
何のための素描か
題名に手がかりがある。「コロンブスの上陸のための」とある。
つまり、ある大画面を描くための準備である。
15世紀の航海を主題にするなら、当時の船の形を知る必要がある。
しかし画家は、その船を見たことがない。だから調べる。
描いたのは、誰か
作者はアルバート・ビアスタットである。1830年にドイツで生まれ、幼くしてアメリカへ渡った。
若い頃にヨーロッパへ戻って学び、帰国後、西部への探検隊に同行した。
その旅で描いた素描をもとに、大画面を制作して名を上げている。
1902年に没した。晩年には流行が変わり、評価は下がったとされる。
つまり、西部の景観を売った画家である。売れた時期と、売れなくなった時期がある。
紋章と、武器も調べている
同じ帳面の、別の頁を見たい。

頁には、盾の形が並ぶ。上部が尖ったアーチ形である。
大小あわせて六つほど描かれ、内部に区画の線が入る。
その脇に、細かい文字の書き込みがある。色や材質の指定だと考えられる。
下部には、同じ形が横一列に並ぶ。旗や幕に配置した状態を試したものだろう。
つまり、紋章の形と配置を検討している。
武器も、形を取る
もう一頁を見たい。

剣が二振り、交差して描かれる。柄の飾りが丁寧に取られている。
右上に、兜らしき形がある。曲面の輪郭だけである。
下部には、台座のような形が描かれる。
つまり、画面に登場する道具を、一つずつ調べている。
歴史の場面を描くには、この作業が要る。
一八九一年という年
制作年にも注目したい。コロンブスの主題を準備したのは1891年ごろである。
翌年は、コロンブスの航海から四百年にあたる。記念の催しが各地で計画されていた。
つまり、時事に合わせた企画だった可能性が高い。
ただし、完成作がどうなったかは、当サイトの公開分からは分からない。
準備の紙だけが残り、結果が見えない。よくあることである。
問い——大画面は、どう準備されたのか
ここで問いを立てたい。当サイトにはビアスタットの作品が168点公開されている。
そのうち、およそ150点がスケッチブックの頁である。完成した油彩は18点にとどまる。
つまり公開分の大半が、準備の段階の紙である。
準備と完成のあいだに、何があるのか。二つを並べて読みたい。
完成作は、二メートルを超える
完成した大画面を見たい。

大きい。縦154.1センチ、横243.5センチ。横幅は二メートル四十を超える。
先ほどの帳面の、面積で百倍以上になる。
画面の奥に、雪をかぶった峰が立つ。鋭い稜線が空へ突き上げる。
その手前を、白い雲が横切る。峰の下半分は雲に隠れている。
中景に湖があり、水面が緑がかって光る。左の岩壁から、細い滝が落ちる。
手前は岸である。倒木が横たわり、赤い草が生える。
右には針葉樹が高く伸びる。幹は太く、樹皮が細かく描かれる。
光が、奥から差している
構図を確かめたい。画面の奥、峰と雲のあたりが最も明るい。
その光が手前へ広がり、湖の水面を照らす。
一方、左右の樹木は暗い。明暗が、視線を中央奥へ導く。
つまり、劇場の舞台のような構造である。
見る側は、暗い手前から明るい奥へ導かれる。
この場面は、実景なのか
ここは慎重に扱いたい。題名には、具体的な山の名がある。
しかし画面の構成は、その場に立って見た眺めとは限らない。
複数の場所で取った素描を組み合わせ、理想的な眺めを作る方法が広く行われていた。
実在の要素を組み替える方法は、
別のコラムで扱った。
つまり、この画面は記録ではなく、構成された景色である。
額の厚さが、二十一センチある
寸法欄をもう一度見たい。額を含めると、縦214.9センチ、横302.3センチ。
厚さは21.6センチと記録されている。
つまり、額の枠だけで二十センチ以上の奥行がある。
大画面を支えるには、それだけの構造が要る。
額と絵の関係は、別のコラムで扱った。
描かれていない人々
もう一点、書いておきたい。この画面には、人が描かれていない。
湖も、森も、峰も、人の手が入っていないように見える。
しかし実際には、この地域には人が住んでいた。
同じ時期、合衆国政府は先住民の土地を奪い、移住を強制していた。
つまり「無人の自然」という見え方そのものが、選択の結果である。
記録という言葉の危うさは、
別のコラムで扱った。