画家を知る

帳面は、縦12センチ——ビアスタットの下調べ

縦12.1センチの帳面に、船と紋章と鉱山のメモが並ぶ。ビアスタットの大画面は、その小さな紙の積み重ねでできている。九点で準備と完成の距離を読む。バイソンを描いた一点の扱いにも触れる。紙に描いた油彩の習作も並べて見ておきたい。

〈コロンブスの上陸〉のための船の素描(スケッチブックより)
アルバート・ビアスタット《〈コロンブスの上陸〉のための船の素描(スケッチブックより)》メトロポリタン美術館蔵

帳面は、縦12センチしかない

一点の素描から始めたい。

〈コロンブスの上陸〉のための船の素描(スケッチブックより)
アルバート・ビアスタット《〈コロンブスの上陸〉のための船の素描(スケッチブックより)》1891年ごろ。金縁の紙に黒鉛、革表紙の帳面。帳面は縦12.1センチ、横19.7センチ、厚さ1.1センチ。メトロポリタン美術館蔵。アルバート・ビアスタット《〈コロンブスの上陸〉のための船の素描(スケッチブックより)》メトロポリタン美術館蔵

まず寸法を見てほしい。縦12.1センチ、横19.7センチ、厚さ1.1センチ。

上着の内ポケットに入る大きさである。革の表紙で、紙の縁に金が施されている。

その一頁に、帆船が描かれている。線は細く、鉛筆の跡である。

船体の輪郭、マスト、帆桁。細部は描かれず、構造だけが取られている。

右上には、別の線が数本ある。舷側の形を試したものだと考えられる。

つまり、完成させるための絵ではない。形を確かめるための線である。

何のための素描か

題名に手がかりがある。「コロンブスの上陸のための」とある。

つまり、ある大画面を描くための準備である。

15世紀の航海を主題にするなら、当時の船の形を知る必要がある。

しかし画家は、その船を見たことがない。だから調べる。

描いたのは、誰か

作者はアルバート・ビアスタットである。1830年にドイツで生まれ、幼くしてアメリカへ渡った。

若い頃にヨーロッパへ戻って学び、帰国後、西部への探検隊に同行した。

その旅で描いた素描をもとに、大画面を制作して名を上げている。

1902年に没した。晩年には流行が変わり、評価は下がったとされる。

つまり、西部の景観を売った画家である。売れた時期と、売れなくなった時期がある。

紋章と、武器も調べている

同じ帳面の、別の頁を見たい。

〈コロンブスの上陸〉のための紋章の習作(スケッチブックより)
アルバート・ビアスタット《〈コロンブスの上陸〉のための紋章の習作(スケッチブックより)》1891年ごろ。金縁の紙に黒鉛、革表紙の帳面。縦12.1センチ、横19.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。アルバート・ビアスタット《〈コロンブスの上陸〉のための紋章の習作(スケッチブックより)》メトロポリタン美術館蔵

頁には、盾の形が並ぶ。上部が尖ったアーチ形である。

大小あわせて六つほど描かれ、内部に区画の線が入る。

その脇に、細かい文字の書き込みがある。色や材質の指定だと考えられる。

下部には、同じ形が横一列に並ぶ。旗や幕に配置した状態を試したものだろう。

つまり、紋章の形と配置を検討している。

武器も、形を取る

もう一頁を見たい。

武器と装具(スケッチブックより)
アルバート・ビアスタット《武器と装具(スケッチブックより)》1891年ごろ。金縁の紙に黒鉛、革表紙の帳面。縦12.1センチ、横19.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。アルバート・ビアスタット《武器と装具(スケッチブックより)》メトロポリタン美術館蔵

剣が二振り、交差して描かれる。柄の飾りが丁寧に取られている。

右上に、兜らしき形がある。曲面の輪郭だけである。

下部には、台座のような形が描かれる。

つまり、画面に登場する道具を、一つずつ調べている。

歴史の場面を描くには、この作業が要る。

一八九一年という年

制作年にも注目したい。コロンブスの主題を準備したのは1891年ごろである。

翌年は、コロンブスの航海から四百年にあたる。記念の催しが各地で計画されていた。

つまり、時事に合わせた企画だった可能性が高い。

ただし、完成作がどうなったかは、当サイトの公開分からは分からない。

準備の紙だけが残り、結果が見えない。よくあることである。

問い——大画面は、どう準備されたのか

ここで問いを立てたい。当サイトにはビアスタットの作品が168点公開されている。

そのうち、およそ150点がスケッチブックの頁である。完成した油彩は18点にとどまる。

つまり公開分の大半が、準備の段階の紙である。

準備と完成のあいだに、何があるのか。二つを並べて読みたい。

完成作は、二メートルを超える

完成した大画面を見たい。

コーコラン山
アルバート・ビアスタット《コーコラン山》1876〜1877年ごろ。油彩・画布。縦154.1センチ、横243.5センチ。額を含めて縦214.9センチ、横302.3センチ、厚さ21.6センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アルバート・ビアスタット《コーコラン山》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

大きい。縦154.1センチ、横243.5センチ。横幅は二メートル四十を超える。

先ほどの帳面の、面積で百倍以上になる。

画面の奥に、雪をかぶった峰が立つ。鋭い稜線が空へ突き上げる。

その手前を、白い雲が横切る。峰の下半分は雲に隠れている。

中景に湖があり、水面が緑がかって光る。左の岩壁から、細い滝が落ちる。

手前は岸である。倒木が横たわり、赤い草が生える。

右には針葉樹が高く伸びる。幹は太く、樹皮が細かく描かれる。

光が、奥から差している

構図を確かめたい。画面の奥、峰と雲のあたりが最も明るい。

その光が手前へ広がり、湖の水面を照らす。

一方、左右の樹木は暗い。明暗が、視線を中央奥へ導く。

つまり、劇場の舞台のような構造である。

見る側は、暗い手前から明るい奥へ導かれる。

この場面は、実景なのか

ここは慎重に扱いたい。題名には、具体的な山の名がある。

しかし画面の構成は、その場に立って見た眺めとは限らない。

複数の場所で取った素描を組み合わせ、理想的な眺めを作る方法が広く行われていた。

実在の要素を組み替える方法は、
別のコラムで扱った。

つまり、この画面は記録ではなく、構成された景色である。

額の厚さが、二十一センチある

寸法欄をもう一度見たい。額を含めると、縦214.9センチ、横302.3センチ。

厚さは21.6センチと記録されている。

つまり、額の枠だけで二十センチ以上の奥行がある。

大画面を支えるには、それだけの構造が要る。

額と絵の関係は、別のコラムで扱った。

描かれていない人々

もう一点、書いておきたい。この画面には、人が描かれていない。

湖も、森も、峰も、人の手が入っていないように見える。

しかし実際には、この地域には人が住んでいた。

同じ時期、合衆国政府は先住民の土地を奪い、移住を強制していた。

つまり「無人の自然」という見え方そのものが、選択の結果である。

記録という言葉の危うさは、
別のコラムで扱った。