紙に、油彩で描く——アルバート・ビアスタット
油彩といえばカンヴァス、という理解からは外れる。九点のうち四点は、紙に油彩と記録される。軽く、持ち運べて、その場で描ける。後から貼るという処置も加わる。支持体の側から九点を読みたい。大きさは、二つの群に分かれている。

紙に、油彩で描く
九点の技法の欄を読むと、見慣れない組み合わせが並ぶ。
紙に油彩、である。四点がこの書き方になっている。
油彩といえばカンヴァス、というのが一般の理解だろう。
しかし紙にも油彩は描ける。しかも、いくつかの利点がある。
九点は、その利点と限界を見るための組み合わせである。
紙の四点、板紙の一点、板の一点、そしてカンヴァスの三点。
支持体が四種類も混ざっている。同じ画家の同じ主題でありながら、下地が違う。
その差が、画面の見え方をどう変えるかを追いたい。
九点の内訳
先に、九点の中身を確かめておく。
紙に油彩が四点、板紙に油彩が一点、板に油彩が一点、カンヴァスに油彩が三点である。
年は1863年から1889年ごろに散らばる。二十六年の幅がある。
主題は、山と水辺が八点、木の習作が一点。
いずれも風景で、人物画は含まれない。
紙は、なぜ選ばれるか
紙は軽い。木枠も要らない。丸めれば鞄に入る。
油を吸うので、絵具が早く乾く。塗り重ねずに済む。
屋外で短時間に描くには、都合がよい。
ただし、油は紙を傷める。時間がたつと茶色く変色し、もろくなる。
そのため、多くは板や厚紙に貼って補強される。
貼れば平らに保たれる。額にも入れやすい。
かわりに、紙の裏は見えなくなる。裏に書き込みがあっても読めない。
保存のための処置が、情報を隠すこともある。
板紙という素材
九点のうち一点は、板紙に油彩と書かれる。
紙より厚く、板より軽い。反りにくく、割れにくい。
十九世紀の後半には、こうした厚紙が画材として広く売られた。
紙と板の中間にあたる素材である。
九点には、紙、板紙、板、カンヴァスの四つがそろっている。
貼るという処置
九点の技法の欄を細かく読むと、貼り付けの記述がある。
板に貼る、板紙に貼る、という語が続く。
これは制作のときの処置とは限らない。あとから保存のために行うこともある。
館の記録は、どちらかを書き分けていない。
貼られた時点で、紙は独立した支持体でなくなる。
館の記録では、貼り付けまで含めて一つの技法として書かれる。
紙に油彩、板に貼る。二つの段階が一行に収まる。
読む側は、その二段階を頭のなかで分けて読むことになる。
大きさが、二つに分かれる
九点の寸法を並べると、はっきり二つの群になる。
紙や板に描かれた六点は、縦20センチから37センチである。
カンヴァスに描かれた三点は、縦91センチから148センチである。
面積では、十倍以上の差がある。
小さい群は屋外で、大きい群は画室で作られたと考えられる。
もっとも、館の記録には制作の場所が書かれていない。
小さいから屋外、とは限らない。画室で小さく描くこともある。
ここでの読みは、寸法と筆づかいからの推測にとどまる。

九点で最も小さい一点である。
画面のほとんどを、木の幹が占める。斜めに走る。
樹皮は粗く、細かい線と点で刻まれる。
幹から、太い枝が右上へ伸びる。
左には、細い幹がもう一本立つ。
根元には、白い塊がいくつか見える。石か、光の当たった部分である。
背景は暗く、奥行きがほとんどない。
公開画像は白黒である。記録には油彩とあるが、色は確かめられない。
題は、習作、とだけ書かれる。完成した絵ではない。
樹皮の描写は細かい。点と短い線を重ねて、粗い表面を作る。
こうした細部は、大きな絵の中では小さくしか使われない。
一本の木を覚えるために描いた紙だと考えられる。
習作という題
九点のうち一点だけ、題に習作という語が入る。
残る八点は、地名か、場面の名で終わる。
つまり、館は残りの八点を習作として登録していない。
小さくても、独立した作品として扱われている。
大きさと格付けは、必ずしも対応しない。
館が習作と呼ぶかどうかは、記録が残っているかにもよる。
売られた記録があれば作品、画室に残っていれば習作。そう分かれることもある。
九点の題の付き方も、その事情を映しているのかもしれない。

横長の画面である。
奥に、鋭い峰が連なる。頂に雪が残る。
峰は紫がかった灰色で、光の当たる面だけが明るい。
中央には、大きな山塊がある。頂が丸く、影が濃い。
その手前に、緑の低い岸が横に伸びる。
下半分は水である。灰色に近い青で、波がほとんどない。
空は白く曇る。雲の形はぼやける。
色数は少ない。灰、紫、緑、白でほぼ作られる。
筆は速く、細部はほとんど描かれない。
峰の名が、題に入る
九点の題を見ると、地名が入るものが六点ある。
アラスカ沿岸山脈、サンフランシスコ湾、カナディアン・ロッキー、ヨセミテ渓谷、マッターホルン。
北米の西部と、ヨーロッパのアルプスが混ざる。
地名があると、どこを描いたかが分かる。旅の範囲が読める。
残る三点は、木の習作、入江、山の風景。場所が特定されない。
速く描くための色
屋外で描くとき、時間は限られる。
光は動き、雲は流れる。
だから、色を混ぜる回数を減らす。数色を決めて、それだけで押し通す。
九点の紙の作は、いずれも色数が少ない。
大きな画面では、色の幅が広がる。時間をかけられるからである。

湾を描いた横長の画面である。
画面の中央から右へ、砂の岸が弧を描く。
岸の手前には、白い波が細く寄せる。
右には草地があり、緑と黄土が混ざる。
水面は灰色で、遠くまで平らに続く。
奥には低い陸地が横に伸びる。建物らしい白い点が並ぶ。
空は薄い灰色で、雲が広く広がる。
右下に、署名らしい文字が小さく入る。
九点のなかで、最も静かな画面である。
岸の線
いま見た一点で最も目を引くのは、砂の岸が描く弧である。
画面の中央から右へ、ゆるやかに曲がる。
この一本の線が、奥行きを作っている。
手前は太く、奥は細くなる。それだけで距離が伝わる。
余計な要素を足さず、線一本で空間を作っている。
山のない一点
九点のうち八点には、山が描かれる。
この一点だけ、山がない。平らな湾である。
同じ画家の名は、高い山の絵と結びついている。
しかし、実際には平地も海辺も描いている。
一覧を眺めると、その幅が見えてくる。

九点で唯一、板に直接描かれた一点である。
画面の左に、崖の上の草地がある。
そこに松が四本立つ。幹が斜めに傾き、枝が右へ流れる。
風の強い土地であることが、木の形から分かる。
崖の下は砂浜で、白く明るい。
波打ち際は淡い緑がかった青である。水が澄んでいる。
その先に岩が点在し、暗い影を落とす。
空は灰色で、雲が横に流れる。
右下に、署名が入る。
水の色を、変える
九点の水の色を並べると、幅がある。
灰色、青灰色、青緑、明るい緑。
同じ水でも、深さと底の色で見え方が変わる。
砂の上の浅い水は明るく、深い湖は暗い。
九点の画面では、その差が丁寧に描き分けられている。
木の形が、風を示す
海辺の木は、風の当たる側の枝が伸びにくい。
そのため、幹が傾き、枝が一方へ流れる。
この一点の松は、まさにその形をしている。
風そのものは描けない。しかし、木の形が風を語る。
九点のうち、風の分かる画面はこの一点だけである。

紙に描かれ、板に貼られていない数少ない一点である。
中央奥に、雪をかぶった峰が白く輝く。
その左右に、暗い岩壁が迫る。谷になっている。
手前は湖で、水面が鏡のように静かである。
湖の中央に、小さな島がある。木が数本茂る。
水面には、白い鳥が数羽浮かぶ。
左の岸は暗い緑で、木立が密に並ぶ。
空は青灰色で、雲が厚い。
右下に署名らしい文字がある。
鏡のような水面
いま見た一点の湖は、波がほとんどない。
山も木も、水面に映っている。
映り込みを描くと、画面が上下に対になる。
同時に、静けさが強く出る。風がないことが分かる。
九点のうち、映り込みのはっきりした画面は二点である。
空の描き方
九点の空を見比べると、雲の描き方に幅がある。
小さな紙の画面では、雲は一色の面に近い。形がぼやける。
大きなカンヴァスでは、雲に層ができる。白、灰、桃色が重なる。
雲は形が定まらない。時間をかけるほど、複雑にできる。
支持体の差が、空の描写にも表れている。
白い峰と、暗い前景
九点の山の絵には、共通する組み立てがある。
奥の峰を明るく、手前を暗くする。
明暗の差で、距離が生まれる。
さらに、明るい部分を画面の中央に置けば、目はそこへ行く。
九点の五点が、この構えである。

前の一点と、寸法がまったく同じである。
奥に、雪と氷に覆われた山がそびえる。中央が最も高い。
その手前に、暗い岩の斜面が左右から迫る。
右には、細い針葉樹が数本立つ。上へまっすぐ伸びる。
中央は湖で、水面が青緑に光る。
手前の水際には、倒れた木が横たわる。白い幹が目立つ。
石が点々と転がる。
空は灰色で、山の上に雲がかかる。
同じ寸法の紙を続けて使ったのだろう。
倒れた木
いま見た一点の水際には、倒れた木が横たわる。
樹皮が剥げ、白い幹が露わになっている。
倒木は、風景画でよく使われる要素である。手前に置けば、奥行きの目安になる。
同時に、時間の経過を示す。この森が古いことが伝わる。
九点のうち三点に、倒木か枯れ枝が描かれる。
同じ寸法の紙
九点のうち二点は、縦37.5センチ、横53.3センチで完全に一致する。
別の二点も、35センチ台と48センチ台で近い。
紙は束で買う。同じ寸法が続くのは自然である。
旅に持って出るときも、同じ大きさなら重ねやすい。
寸法の一致は、道具立ての記録でもある。

ここから三点は、カンヴァスの大画面である。
九点で唯一の縦長で、縦は1.1メートルを超える。
画面の中央に、細い流れが落ちる。白い水が岩を伝う。
その周りは暗い森である。木の幹が縦に何本も立つ。
左には、白い樹皮の木がある。ほかの幹より明るい。
手前には大きな岩が積み重なる。表面に苔らしい緑が乗る。
倒れた木が斜めに渡る。
上部は葉が茂り、空はほとんど見えない。
暗い画面の中で、水の白だけが強く光る。
縦長を選ぶとき
九点のうち、縦長の画面は二点だけである。
一点は森の滝、一点はマッターホルンである。
どちらも、上下に長いものが主題になっている。
落ちる水と、そびえる峰。縦の動きが画面の骨格になる。
残る七点は横長で、広がりを見せる構えである。
森の中の暗さ
この一点は、九点のなかで最も暗い。
森の中は、光が届かない。
暗い画面を作るには、時間がかかる。何度も塗り重ねて深みを出す。
紙に描いた小品では、これほど暗くはできない。
支持体と画面の性格が、ここでも結びついている。

横長の大画面である。横は1.2メートルを超える。
左に、灰白色の岩壁がそびえる。垂直に切り立つ。
中央奥には、尖った峰が霞んで見える。
その手前を、川が手前へ流れてくる。水面が明るい。
川には小さな舟が二艘浮かぶ。人が乗る。
右手前は草地で、鹿らしい動物が数頭いる。
木が数本立ち、枝が画面の右上へ伸びる。
空は雲が厚く、上部が明るい。
大きな画面には、人も動物も舟も入る。要素が増える。
人と動物
大きな画面には、人や動物が入る。
舟に乗る人、草地の鹿。いずれも小さく描かれる。
小さく描くことで、風景の大きさが伝わる。
同時に、その土地に人が入っていることも示される。
小さな紙の画面には、こうした要素が入らない。場所が足りない。
大きくすると、増えるもの
小さな紙の画面には、人も動物も出てこない。
大きなカンヴァスには、舟、鹿、木立、雲の層が入る。
面積が増えれば、置ける要素が増える。
同時に、見せ場も増やさなければ間が持たない。
九点の大小の差は、要素の数の差でもある。

九点で最も大きい一点である。縦は1.5メートル近い。
画面の中央奥に、尖った峰がそびえる。
峰の上部は桃色に染まる。日の出の光である。
峰の周りには雲が渦を巻く。桃色と灰が混ざる。
手前は暗い谷で、針葉樹が何本も立つ。
左の木は太く、幹が縦に画面を切る。
谷の底には、白い水が細く落ちる。
右下には岩が積み重なる。
暗い前景と、明るい峰の対比が強い。
光の色
いま見た一点では、峰の上部が桃色に染まる。
日の出の光は、赤みを帯びる。高いところから当たる。
その色を出すには、白に薄く赤を混ぜる。混ぜすぎると濁る。
周りの雲にも同じ色が反射する。峰と雲が同じ色になる。
九点のなかで、時刻がはっきり分かるのはこの一点だけである。
年の書き方が、変わる
九点の年の欄を並べると、書き方が四通りある。
一年で確定するものが二点。二つの年で幅を示すものが二点。
およそ、が付くものが三点。そして、より後、と書かれるものが二点ある。
より後、というのは下限だけが決まっている場合の書き方である。
制作の記録が残らなければ、こうなる。
三つの館に分かれる
九点は、三つの館に分かれて所蔵されている。
四点がニューヨークの館、二点がスミソニアン、一点がシカゴの館である。
記録の書き方も少しずつ違う。技法の語順や、貼り付けの書き方が揃わない。
同じ画家の同じ種類の作でも、記録の形は所蔵先で決まる。
比べるときは、その差を頭に置いておきたい。
二つの仕事
九点は、二つの仕事を並べている。
一つは、その場で速く描く小さな油彩である。
もう一つは、画室で時間をかけて作る大きな油彩である。
前者は材料であり、後者は商品である。
同じ画家が、両方を続けている。
山を売る絵
十九世紀の後半、西部の風景画は都市で高く売れた。
行ったことのない土地を、絵で見る需要があった。
大きな画面は、その需要に応えるために作られる。
小さな習作は、その材料である。売るためのものではない。
九点の二つの群は、市場との距離が違う。
帖と、紙と、布
同じ画家の写生帖については、当サイトでも扱ってきた。
鉛筆で描く帖、船を写した帖。いずれも小さな紙である。
そこから紙の油彩、そしてカンヴァスの大画面へと段階が続く。
帖の頁については、頁の寸法が、九点とも同じ理由——アルバート・ビアスタットで扱った。
九点は、その次の段階にあたる。
何を持ち帰るか
現地で描いた小さな画面には、形と色の情報が入る。
山の輪郭、雪の位置、水の色、木の生え方。
大きな絵を作るときは、それらを組み合わせる。
一つの画面をそのまま拡大するとは限らない。
だから、小さな画面と大きな画面は、一対一では対応しない。
現地と、画室
大きな画面は、現地では描けない。
風が吹き、光が変わり、運ぶ手段もない。
だから、現地では小さく描き、持ち帰って大きく作る。
その手順は、当時の風景画では一般的だった。
九点の二つの群は、その手順の両端である。
白黒の一点
九点のうち一点は、公開画像が白黒である。
最も小さい木の習作である。
小さく、暗く、色数の少ない画面は、撮り直しの優先度が下がる。
館の事情としては理解できる。ただし、見る側には色が届かない。
見えないことを書き添えるのは、そのためである。
画像の写り方
九点の画像を見比べると、額の写り込みに差がある。
四点は額の縁が写り、五点は画面だけが切り取られている。
額が写ると、作品の範囲が広く見える。
同じ館の中でも、撮影の時期によって扱いが違う。
当サイトは提供元の画像をそのまま使うので、この差もそのまま出る。
支持体から読む
この記事は、技法の欄から入った。
紙に油彩、板に貼る、という短い記述が、制作の場所と手順を教えてくれる。
同じ油彩でも、下に何があるかで性格が変わる。
技法の欄は、画材の一覧ではない。仕事の仕方の記録である。
同じ画家の下調べについては、帳面は、縦12センチ——ビアスタットの下調べにも書いた。






