ルーベンスの代表作と特徴——なぜ人体は厚みを持って動くのか
ルーベンスの代表作と特徴を、当サイトで公開している五点から読む。狩りの女神ディアナ、猪狩り、油彩の下絵、妻イサベラの肖像を順に見て、人体の厚みと動き、色の置き方、小さな油彩が果たした役割を館の記録とともに確かめる。

ルーベンスの代表作は、神話と宗教の大きな画面に集まっている。ペーテル・パウル・ルーベンスはフランドルの画家である。1577年にドイツのジーゲンで生まれ、1640年にアントウェルペンで没した。人体に厚みがあり、画面の中で動いて見えるのが特徴である。

ルーベンスの代表作
はじめはクリーヴランド美術館の《狩りに出るディアナとニンフたち》である。館の記録では、額を除いて縦216センチ、横178.7センチある。等身大に近い人物が五人、横に並んで前へ出てくる。
館の記録では、中央の女は狩りの女神ディアナである。額に三日月を付けており、月の女神でもあることが分かる、と記録は説明する。ディアナは男と離れて暮らし、ニンフたちを連れていた、とも書く。手の届かない美しさや純潔を表すことが多い女神で、絵は官能的な体の描写に道徳の含みを重ねている、と館は見る。
左では、半人半獣のサテュロスがニンフに手を伸ばす。ニンフは身をよじって押し返す。館の記録は、この組み合わせを悪徳と美徳のせめぎ合いとして読む。
館の記録はさらに、ルーベンスが豊かな体の人物を画面の手前へ引き出したと述べる。ディアナが一歩踏み出すことで、見る者との間の空間が動く、とも書く。足もとの犬は首輪まで手前に来ている。館の記録によれば、白黒の犬の首輪には月と星が付いている。二頭の猟犬がディアナの供であることを示す印だという。
この絵は、20世紀の戦争もくぐり抜けている。館の来歴では、パリ近郊のロスチャイルド家にあったが、1940年にナチスの略奪組織に押収された。1942年からはゲーリングの手元に置かれ、戦後に連合国が取り戻して1948年に一家へ返した。館が買い入れたのは1959年である。

メトロポリタン美術館の一点も、狩りの話である。館の記録では板に油彩で、縦133.4センチと板としては大きい。手前に猪の首が置かれ、女がその毛に手を触れる。右の若い男が首を差し出し、女の顔をのぞきこむ。
猪の首は画面の下半分を占める。牙と、閉じない目が見える。獣の毛は灰色と茶で、女の腕の白さとじかに隣り合う。
後ろでは男が角笛を吹き、その上に髭の顔がのぞく。人物は画面いっぱいに詰まり、背景はほとんど無い。遠景を省いて体だけで画面を埋めるのは、この画家によくある組み立てである。

ワシントンのナショナル・ギャラリーにあるこの一点は、横3メートルを超える。旧約聖書の預言者ダニエルが、ライオンの穴に投げ込まれた場面である。中央のダニエルは両手を組み、上の明かりを仰ぐ。穴の天井は右上で開き、岩の割れ目から青い空と草がのぞく。
そのまわりを、十頭近いライオンが取り囲む。眠るもの、牙をむくもの、こちらを見るものと、一頭ずつ姿勢が違う。足もとには骨と頭蓋骨が転がり、ここが獣の穴であることを告げる。
来歴も名高い。館の記録では、画家は1618年に、ハーグ駐在のイギリス大使ダドリー・カールトンにこの絵を渡し、古代彫刻と交換した。絵はのちにイギリス王チャールズ1世に贈られ、ホワイトホールの宮殿に掛けられた。1643年までにスコットランドのハミルトン公の手に移り、その一族のもとに長く残った。1963年の競売の目録では、別の画家たちの作とされたこともある。館が手に入れたのは1965年である。
当サイトにない代表作
画像を扱えない作品で、代表作としてまず挙がるのはアントウェルペンの聖母大聖堂の二つの祭壇画である。《キリスト昇架》は1610年ごろ、《キリスト降架》は1611年の注文で、1614年までに描かれた。どちらも三連の祭壇画の中央の画面で、いまも描かれた目的の場所にある。1794年にフランス軍がパリへ運び去り、1815年に戻った経緯がある。降架の注文主は火縄銃手の組合で、守護聖人は聖クリストフォロスだった。両翼の外側にこの聖人が描かれているのはそのためである。
この二点の前に、画家はイタリアで八年を過ごした。1600年にヴェネツィアへ着き、ティツィアーノらの絵を見たのち、マントヴァのゴンザーガ家の宮廷画家となった。1608年、母の死を受けてアントウェルペンへ戻る。

イタリア時代の仕事は、当サイトでも見られる。ジェノヴァの貴婦人を描いたこの肖像は、館の記録では1606年の作である。裏には、画面が切り詰められる前に表から写した銘がある。1606年、22歳のブリジダ・スピノラ・ドーリアをルーベンスが描いた、と読める。館の来歴では、彼女は前年の7月にドーリア家の侯爵と結婚している。絵はその後、1621年に再婚した夫の家に移り、1661年にはマントヴァの一族の目録に載る。
白い繻子の衣が光を返し、大きなひだ襟が顔を囲む。背後には赤い幕が垂れ、左には建物の柱が立つ。左手には扇を持つ。衣の光沢と幕の赤に、のちの大画面の色づかいの芽を見ることもできる。イタリアで学んだ大きな人体と強い明暗が、帰国後の祭壇画の土台になっている。
帰国の二年後、1610年に画家はアントウェルペンに家を買い、自分の設計でイタリアの邸宅風に改めた。隣の工房では弟子たちとともに多くの大作が描かれた。画家はこの家で暮らし、描き、そして没した。いまは「ルーベンスの家」として市が運営している。改修が段階的に進められているので、公開の範囲は訪ねる前に館の案内で確かめておきたい。
1620年代からは王侯の注文が続く。1622年から25年には、フランス王太后マリー・ド・メディシスの生涯を二十四点の大画面にした。パリのリュクサンブール宮殿のために描かれ、いまはルーヴル美術館にある。ロンドンのバンケティング・ハウスの天井画も、1636年3月までに据え付けが済んだ。こちらは描かれた天井にそのまま残っており、建物ごと見られる。
ルーベンスの絵は何が違うのか
違いは、まず体の作りに出る。輪郭が線で閉じず、明るい肌と暗い影が隣り合って面を作る。肩や腿は丸く張り出し、布は体の動きに引きずられる。
色の置き方も偏っている。肌は白から桜色、布は赤と青、毛皮は茶で、暗い部分にも色が残る。黒を影として敷くより、色の濃さで奥行きを作っている。
人物は、たいてい止まっていない。《ライオンの穴のダニエル》では、獣の毛並みまで人の肌と同じ厚みで描かれる。歩き出す足、ねじれた腰、伸ばした腕が一枚の中で重なる。静かな場面でも、どこかが動いている。
一つ前の世代のフランドル絵画と比べると、この違いははっきりする。線で形を閉じ、細部を一つずつ詰める描き方はヤン・ファン・エイク《受胎告知》の解説で見られる。
小さな油彩は何のために描いたのか
ルーベンスの仕事には、大作とは別に小さな油彩がある。

館の記録では、縦50.4センチ、横66.4センチしかない。筆のあとは太く、細部は省かれている。寝台の上の二人、踏み込む男たち、奥で光る兜が、数回の筆で置かれている。
題は《サムソンの捕縛》である。左の寝台に女が横たわり、その前で男が兵に腕をつかまれる。奥には槍と兜が重なり、左上から赤い天幕の布が垂れる。顔はどれも描き込まれておらず、明暗の位置だけが決まっている。
館の解説によれば、これはアントウェルペンの市長ニコラース・ロコックスが注文した大きな絵のための下絵である。旧約聖書の話で、怪力のサムソンは目覚めると、恋人デリラに力の源の髪を切られていた。左の寝台の女がデリラにあたる。
館は、兵に押さえられてねじれるサムソンの姿勢が、古代ローマの彫刻に学んだものだと書く。強い明暗の対比は、16世紀のヴェネツィアの画家ティントレットを思わせるという。イタリアで学んだものが、帰国直後の小さな板に詰まっている。
来歴も、下絵の扱われ方を物語る。館の記録では、この板はおそらく画家の死まで手元にあり、1642年の遺品の売り立てで油彩下絵の大きな一山に入った。館が買った1923年には、弟子のファン・ダイクの作として扱われていた。

こちらも小さい。画面の左右に柱が立ち、上は丸い天井で閉じる。中央の人物が杯を掲げ、足もとに骨と蛇が転がる。枠ごと描いてあるので、置かれる場所まで一緒に考えていることが分かる。館の記録では、1929年に収集家オグデン・ミルズの遺贈で館に入った。
当サイトには、この描き方の裏づけになる記録を持つ一点もある。クリーヴランド美術館は《教会の勝利》について、ルーベンスが下絵として描いた油彩の写しとみられる、と記す。記録では、その下絵はマドリードの王立修道院に納めるつづれ織りのために描かれた。注文したのはスペイン王フェリペ二世の娘イサベルで、織物はいまもそこに掛かる、とも書く。
クリーヴランド美術館によれば、もとになった下絵はマドリードのプラド美術館にある。大きな仕事に入る前に、小さな油彩で全体を決めていたことになる。
日本で見られるルーベンス
上野の国立西洋美術館に、ルーベンス自身の手になる油彩が2点ある。一つは《眠る二人の子供》である。1612年から13年ごろの作で、板に油彩、50.5×65.5センチ。《サムソンの捕縛》とほぼ同じ大きさの板である。幼い子が頬を寄せて眠る顔を、近い距離からとらえている。
館の解説では、二人は画家の兄の子で、右がクララ、左がフィリップと考えられる。二人は1610年と11年に生まれており、その年格好から制作年が導かれている。同じ顔は別の大きな油彩にも使われており、この板も習作として描かれたと館は見る。習作だからこそ、素早い筆の運びや頬の豊かな肉付けがそのまま残っている。
もう一つは《豊穣》で、1630年ごろの作である。館の記録では油彩・板で、63.7×45.8センチ。館の解説によれば、つづれ織りのための下絵と思われ、個人蔵の《正義》と対をなす。中央の若い女が豊穣を表し、膝の上の角から果物がこぼれ、二人の幼子がそれを拾い集める。
館は、《眠る二人の子供》を画家の35、6歳ごろ、《豊穣》を50代の初めの作と見ている。同じ館で、若いころと円熟期の小さな油彩を見比べられることになる。シカゴの《サムソンの捕縛》やクリーヴランドの《教会の勝利》と並べてみたい。下絵が画家の仕事でどれほど大きな位置を占めたかが分かる。
同じ館には、ルーベンスに関わる作品がほかにもある。ヨルダーンスに帰属する《ソドムを去るロトとその家族》は、ルーベンスの構図にもとづく。ルノワールが描いた、ルーベンス作《神々の会議》の模写も収蔵されている。のちの画家が手本としたことが、所蔵品からも見てとれる。
妻を描いた一点

館の記録では、イサベラ・ブラントはルーベンスの最初の妻で、画家は彼女をさまざまな姿で何度も描いた。記録は、彼女が三十五歳で亡くなったこと、この肖像がその五年以上前に描かれたことを記す。
館の記録では、額を除いて縦53センチ、横46センチである。《狩りに出るディアナとニンフたち》の四分の一ほどの幅しかない。
画面は胸から上で、右手が胸もとに添えられる。黒い衣と黒い布に包まれ、金の飾りを髪に付ける。口の端が上がり、目はこちらを見ている。顔と手と襟もとの白い布のほかに、明るい色はほとんど無い。
館の記録によれば、画家は先に顔を描き、手はあとから描き足した。
館の記録は、温かい色、たっぷりした筆のあと、生き生きした表情が、描く者と描かれる者の近さを示すと述べる。記録はまた、先のディアナの絵の右のニンフが彼女の顔立ちだとも書く。
大画面の女神と、小さな板の妻が、同じ顔から出ていることになる。神話の人物が生身に見える理由の一つが、ここにある。
作品はどこで見られるか
ここで図版に挙げた七点は、アメリカの4館にある。クリーヴランド美術館、メトロポリタン美術館、シカゴ美術館、ナショナル・ギャラリー(ワシントン)である。どれも各館が公開している記録と画像にもとづく。日本では、上野の国立西洋美術館の2点が身近な入口になる。
初めて見るなら、大きな神話画と小さな下絵を一組で見るとよい。《狩りに出るディアナとニンフたち》で人体の厚みと動きをつかみ、《サムソンの捕縛》で同じ動きが数回の筆でどう決まるかを見る。最後に《イサベラ・ブラントの肖像》で、その筆が身近な人の顔に向かったときの近さを確かめる。展示は入れ替わるので、行く前に各館の展示情報をあたるほうがよい。
同じ十七世紀の北の画家はレンブラントの代表作と特徴で扱った。ほかの作品はペーテル・パウル・ルーベンスの作品一覧から見られる。


