原作と模作——ヴァン・ダイクの名で残る絵
縦12.2センチの板絵が十三点。いずれも「ヴァン・ダイクに倣う」と記録された使徒像である。本人の習作や大きな肖像と並べ、原作と写しの関係を九点で読む。鑑定書が売買に使われた経緯にも触れておきたい。来歴が三世紀に及ぶ肖像も見ておく。

縦12.2センチの使徒
一点の油彩から始めたい。

寸法を見てほしい。縦12.2センチ、横10.6センチ。名刺を二枚並べた程度の大きさである。
その中に、男の半身が描かれている。腕を組み、右手に鍵を握る。
鍵は、聖ペテロを示す持物である。灰褐色の髭が胸まで垂れ、額に深い皺が刻まれる。
衣は黄土色で、肩に暗い青の布が掛かる。背景は茶褐色の闇である。
顔は左上を向き、光がそちらから当たる。頬と鼻筋が明るく、目の下に影が落ちる。
筆の跡は粗い。髭は数本の線で示され、衣の襞は一筆で引かれている。
小さな板の上で、大きな絵と同じ手つきが使われている。
作者の欄に「倣う」とある
記録の書き方に注目したい。所蔵館の記録は、作者を「after Sir Anthony van Dyck」と記す。
日本語にすれば「ヴァン・ダイクに倣う」である。つまり本人の作ではない。
誰かがヴァン・ダイクの絵を写した、という意味である。写した人の名は書かれていない。
制作年も「1660年以降」とだけある。ヴァン・ダイクが没したのは1641年である。
つまり、没後に作られた複製だと分かる。記録の語一つで、作品の位置づけが決まる。
十三点が、同じ寸法で揃っている
同じ形式の作品が、まとまって残っている。

寸法は先の一点と同じである。縦12.2センチ、横10.6センチ。
男が正面を向き、細長い剣を右手で立てて持つ。剣はパウロを示す持物である。
黒い髭が広く胸を覆い、頭髪は乱れている。衣は暗い緑で、肩から赤い布が下がる。
当サイトには、この形式の板絵が13点公開されている。いずれも同じ寸法、同じ材料である。
聖人の名は、ペテロ、パウロ、ヤコブ、ヨハネ、マタイ、マルコ、トマス、シモン、バルトロマイと続く。
つまり、使徒の連作を小さく写した組物である。
誰が写したのか、分からない
写した人についても考えたい。記録に名前がない以上、特定はできない。
考えられるのは、工房の職人、後世の模写家、あるいは複製を専門にした画家である。
17世紀のヨーロッパでは、名画の複製が商売として成立していた。版画による複製も盛んだった。
つまり写しを作る仕事は、日陰の作業ではない。需要のある職業だった。
問い——写しは、何のために作られたのか
ここで問いを立てたい。原作があるのに、なぜ写しを作るのか。
そして、写しは原作より価値が低いのか。記録は、その判断をどう書いているのか。
当サイトにはヴァン・ダイク本人の作が30点、倣った作が13点公開されている。
両方を並べて、原作と写しの関係を読みたい。
横顔だけの一点
もう一点、同じ組から見たい。

この一点は、人物が横を向いている。顔は右向きの側面で、目は前方を見る。
白い髪が耳の上で乱れ、髭も白い。衣は暗い青緑で、肩に褐色の布が掛かる。
手には道具らしき形が見える。ただし小さく、判別は難しい。
十三点を並べると、向きと持物だけが違う。姿勢の型は共通している。
つまり原作の連作そのものが、型で構成されていたと考えられる。
使徒の連作という商品
主題の背景にも触れておきたい。使徒の頭部を並べる連作は、17世紀に数多く作られた。
十二人という数が決まっているので、揃物になる。教会にも、個人の家にも掛けられた。
数の決まった枠が集める動機を作る点は、
別のコラムでも扱った。
主題が同じなら、写しにも需要がある。原作が一つしかなくても、写しなら何組でも作れる。
板に描くという選択
材料にも触れておきたい。この十三点は、いずれも板に描かれている。
小さな画面では、板のほうが扱いやすい。画布は張り枠が要り、小さくすると歪みやすい。
板なら、そのまま切って使える。縁を額に嵌めることもできる。
材料の選択は、寸法と用途から決まっている。板絵の性質については、
別のコラムで詳しく扱った。
大きさが変わると、用途が変わる
写しの寸法にも意味がある。原作の使徒像は、等身に近い大きさで描かれたと考えられている。
写しは縦12.2センチである。壁に掛ける絵ではなく、机上や小箱に収める大きさになる。
つまり写しは、原作の縮小版として別の用途を持つ。教会の壁の絵が、個人の手元の品になる。
複製が、作品の使われ方を変える例である。
大きな写しもある
写しは、小さいものばかりではない。

こちらは大きい。縦126.8センチ、横101センチ。
少年が四人並ぶ。右端の一人は緑の服に白い大きな襟、金の鎖を掛ける。
中央の一人は淡い桃色の服で、赤いマントを羽織る。左の二人は褐色の服である。
背景の左に、岩と彫像らしき人物像が見える。空には雲が流れる。
顔の描き方は丁寧で、目の潤みまで描かれる。写しといっても、手を抜いた絵ではない。