美術史・技法

一ドル紙幣の、あの顔——ギルバート・スチュアートの複製

一ドル紙幣の肖像は、ギルバート・スチュアートの絵にもとづく。義歯で形の変わった口元、何も描かれない背景、そして繰り返し複製された三つの型。独立まもない国で、一人の顔が国家の記号になっていく過程を六点の作品からたどる。

ジョージ・ワシントン
ギルバート・スチュアート《ジョージ・ワシントン》メトロポリタン美術館蔵

一ドル紙幣の、あの顔

一枚の肖像画から始めたい。

ジョージ・ワシントン
ギルバート・スチュアート《ジョージ・ワシントン》1795年に着手。油彩・画布。縦76.8センチ、横64.1センチ。メトロポリタン美術館蔵。ギルバート・スチュアート《ジョージ・ワシントン》メトロポリタン美術館蔵

老人が一人、こちらをやや斜めに向いている。

白い髪。額は広く、生え際は後退している。頬は赤みを帯び、目は青灰色。

口元は結ばれ、下唇の下に影がある。顎の線がやや張り出している。

黒に近い暗褐色の上着。首元には白い襟布が幾重にも巻かれ、その白が画面で最も明るい。

背景は緑がかった暗色。右手にカーテンらしき布が垂れ、その向こうに桃色の空がわずかに見える。

この顔を、多くの人が見たことがあるはずだ。

アメリカの一ドル紙幣に使われている肖像は、この画家によるワシントン像にもとづいている。

口元に、注目してほしい

顔の中で、いちばん不自然な場所がある。口の周辺である。

上唇の上と、下唇の下が、妙に膨らんで見える。

理由は分かっている。当時、ワシントンは自分の歯をほとんど失っていた。

代わりに義歯を入れていたが、それが顔の形を変えていた。

画家はそれを、隠しきっていない。

義歯は当時、動物の歯や象牙、他人の歯を組み合わせて作られた。金属のばねで固定するため、口を自然に閉じることが難しい。

その結果、口のまわりが張り、頬の下が窪む。

肖像画としては、隠したい要素だろう。実際、隠して描く選択もあり得た。

彼はそうしなかった。

背景は、ほとんど描かれていない

もう一点、この画面には特徴がある。

背景に、ほとんど何も無い。

緑がかった暗い色面と、右のカーテンらしき布。その向こうに桃色の空。

しかし、それが室内なのか屋外なのかは分からない。

軍服も、勲章も、書物も、地図も無い。着ているのは黒っぽい上着と、白い襟布だけである。

初代大統領の肖像でありながら、身分を示す品が一つも描かれていない。

これは当時の肖像画としては、かなり異例である。

未完成の部分がある

さらに近くで見ると、気づくことがある。

顔と襟元は丁寧に仕上げられている。絵具は薄く重ねられ、肌の血色まで作り込まれている。

一方、上着の下のほうと、右下の背景は粗い。絵具が薄く、下地が透けている箇所がある。

この画家の作品には、こういう例がしばしばある。顔だけが完成し、あとは途中で止まっている。

理由は後で触れたい。

この記事の問い

ギルバート・スチュアートは、生涯にワシントンの肖像を何十点も描いた。

同じ顔を、何度も、何度も。

なぜそんなことになったのか。そして、複製された顔は何をしたのか。

問いを三つに分けたい。

第一に、なぜ彼はそれほど多くの複製を作れたのか。商売の仕組みの話である。

第二に、なぜワシントンの顔が必要とされたのか。国の側の事情である。

第三に、複製された顔は、その後どうなったのか。

順に見ていきたい。

作者はギルバート・スチュアート。1755年、ロードアイランドの生まれ。

若いころにロンドンへ渡り、当時の一流の肖像画家のもとで修業した。

ロンドンとダブリンで名を上げ、1793年にアメリカへ戻っている。

ロンドンでの仕事

帰国前の作品も、当サイトにある。

ジョン・ゲル艦長
《ジョン・ゲル艦長》1785年。油彩・画布。縦240センチ、横148.6センチ。等身大を超える全身像。ギルバート・スチュアート《ジョン・ゲル艦長》メトロポリタン美術館蔵

イギリス海軍の艦長を描いた全身像である。

縦2.4メートル。見上げるほどの大きさだ。

紺の軍服に金の縁取り。白いズボンと白い靴下。左手に帽子を抱え、右手を横へ差し出している。

指さす先には、遠くの海と船が見える。

足元は岩場。背後は嵐の去ったあとらしい空で、灰色の雲が渦を巻く。

これは典型的な、イギリス風の格式ある肖像画である。

大きさ、姿勢、背景の劇的な空。すべてが対象を偉大に見せるために配されている。

この様式を身につけた画家が、十年後にアメリカで正反対の肖像を描くことになる。

なお、この種の全身像は値段も高い。画布も大きく、時間もかかる。

肖像画には、寸法ごとの相場があった。頭部だけ、胸から上、膝から上、全身。大きくなるほど高い。

依頼主は予算に応じて寸法を選ぶ。つまり絵の大きさは、そのまま支払った額を示していた。

同じ時代のアメリカで肖像画がどんな商売だったかは別のコラムで詳しく扱っている。

借金から逃げて、帰ってきた

帰国の事情は、あまり格好のよいものではない。

ロンドンで成功しながら、彼は浪費家だった。収入を上回る暮らしをして、借金がかさむ。

債務者監獄を避けるためにダブリンへ移り、そこでも同じことを繰り返した。

そしてアメリカへ帰る。

帰国の目的について、彼自身が語ったとされる言葉が伝わっている。

ワシントンの肖像を描き、その複製で借金を返す、という趣旨である。

この発言の出所は伝記の類であり、正確な文言は確認できない。ただ、実際に起きたことはその通りだった。

彼は1795年にワシントンと面会し、肖像を描く。当時、大統領は六十三歳である。

ワシントンの側にも事情があった。彼は肖像のために坐ることを好まなかったと伝えられる。

しかし公人である以上、断り続けることもできない。

坐る側は嫌がり、描く側は複製で稼ぎたい。この組み合わせが、限られた回数の実写と、大量の複製という結果を生んだ。

三つの型

ワシントンの肖像には、大きく三つの型がある。

いずれもスチュアートが実物を前にして描いた原型があり、そこから複製が作られた。

ひとつは、頭を右へ向けた型。もうひとつは、左へ向けた型。

そして三つめが、全身の立像である。

冒頭に挙げた一枚は、二つめの型に属する。

いちばん有名なのは、一つめの型の原型だろう。未完成のまま残されたその一枚が、紙幣の図像のもとになっている。

面白いのは、未完成の絵が標準になったことである。

顔だけが仕上がり、周囲が塗り残されたまま。その状態の絵が、国の顔として複製され続けた。