白は、塗らずに作る——鈴木春信と錦絵の誕生
多色摺の錦絵は、鈴木春信の時代に始まった。白は塗らずに紙の色で作り、見当という小さな刻み目で色板を合わせる。手間のかかる技術が、なぜ町の道楽から生まれたのか。判型が定まる過程や、紙を凹ませる技法まで、公開作品からたどる。

黒い人と、白い人が、傘の下にいる
一枚の版画から始めたい。

雪の日である。上から柳の枝が垂れ、白い雪をかぶっている。
その下に、二人が一本の傘を差して立っている。
左の人物は、頭からつま先まで黒い。頭巾も着物も黒で、わずかに帯の柄だけが赤い。
右の人物は、白い。頭巾も打掛も白で、裾に朱の裏地がのぞく。
二人は身を寄せ、顔を近づけている。傘は黄色。骨が一本ずつ描き分けられている。
黒と白。この対比が題名になっている。〈鴉と鷺〉である。
雪は描かれていない。降っている雪も、積もった雪も、紙の白のままである。
柳の枝の白い部分は、線で囲われているだけだ。それが雪に見える。
右に「鈴木春信画」の落款。
どちらが男で、どちらが女か
もう少し見ていきたい。
黒い人物と白い人物、どちらが男でどちらが女か。画面からは即断できない。
顔立ちに差がない。目も鼻も口も、同じ形で描かれている。輪郭の丸みも、首の細さも変わらない。
体つきも同じである。肩幅も、身長も、ほぼ揃っている。
区別できるのは、着ているものだけだ。黒い人物は前を合わせただけの簡素な形、白い人物は打掛を羽織り、裾を長く引いている。
春信の描く人物は、たいていこうである。性別も年齢も、衣服と髪型で示される。顔では区別されない。
これは技量の不足ではない。同じ時代の役者絵では、勝川春章が顔の描き分けを始めていた。似顔の技術は既にあった。
にもかかわらず、春信は顔を型のままにしている。
似顔が求められた役者絵と、求められなかった美人画。市場が違えば、要求も違う。役者絵の事情は別のコラムで扱っている。
白は、塗られていない
もうひとつ、この画面で効いているのが白の使い方である。
白い人物の打掛は、絵具で塗られていない。輪郭線と、裾の朱と、帯の柄だけが摺られ、あいだは紙のままである。
雪も同じだ。地面の雪も、柳に積もった雪も、摺っていない部分である。
つまり画面の三割ほどは、何も摺られていない。
その白い面の中に、黒い人物が置かれる。黒が強く効くのは、まわりが徹底して白いからだ。
摺らないことで色を作る——この考え方は、日本の版画に一貫している。広重の《蒲原 夜之雪》でも、雪は紙の白だった。別のコラムで扱っている。
この一枚が、なぜ画期的なのか
いま見ると、静かで上品な絵に見える。当時としては、技術の見本市のような一枚だった。
理由は、色の数である。
この画面には、黒、白、黄、朱、藍、茶、緑がある。輪郭を摺る墨の版を含めれば、版木は十枚近くになる。
十枚の版木に、同じ紙を十回、寸分たがわず重ねる。これができるようになったのが、1760年代の半ばだった。
それ以前の版画は、色がずっと少ない。
順を追っておきたい。
十七世紀後半、菱川師宣らの版画は墨摺絵である。墨一色で線を摺るだけ。色は無い。
次に来るのが手彩色の時代だ。摺り上がった紙に、筆で色を塗る。丹という橙色の顔料を使うものを丹絵、紅を主に使うものを紅絵と呼ぶ。
一枚ずつ人の手で塗るので、同じ図柄でも彩色が違う。手間もかかる。
漆のような光沢を出すために、墨に膠を混ぜて盛り上げる漆絵という工夫も生まれた。
十八世紀の前半、ようやく色も版で摺るようになる。紅摺絵である。ただし色数は二、三色にとどまった。
赤と緑、あるいは赤と青。それ以上増やすと、位置がずれて使い物にならなかったからだ。
そして1765年ごろ、色数の制限が外れる。錦絵の成立である。
「錦」とは、多色の織物のことだ。それほど色が豊かだ、という意味の呼び名である。
この記事では、その転換に何が必要だったのかを追いかけたい。
問いは三つある。
技術として、何ができるようになったのか。
その技術は、誰の金で育ったのか。
そして、色数が増えたことで、絵の内容はどう変わったのか。
最後の問いがいちばん面白い。色が増えれば絵が良くなる、という単純な話ではないからだ。
春信という人
作者の鈴木春信は、1725年ごろの生まれとされる。生年も出自も、はっきりしない。
京都の出身とする説もあるが、確定していない。誰に学んだかも、諸説がある。
活動が確認できるのは1760年前後からで、初期には役者絵も手がけていた。
その画風は、当時の主流だった鳥居派の力強い線とは違う。細く、均一で、抑揚の少ない線である。
人物は小さく、頭が大きく、手足が細い。現実の人体比とはかなり違う。
この様式が、多色摺の技術と結びついたとき、それまでに無いものが出てきた。
線が細く均一なら、色版とのずれが目立ちにくい。淡い色を重ねても濁らない。
様式と技術が、たまたま噛み合ったとも言える。