美術史・技法

白は、塗らずに作る——鈴木春信と錦絵の誕生

多色摺の錦絵は、鈴木春信の時代に始まった。白は塗らずに紙の色で作り、見当という小さな刻み目で色板を合わせる。手間のかかる技術が、なぜ町の道楽から生まれたのか。判型が定まる過程や、紙を凹ませる技法まで、公開作品からたどる。

鴉と鷺
鈴木春信《鴉と鷺》メトロポリタン美術館蔵

黒い人と、白い人が、傘の下にいる

一枚の版画から始めたい。

鴉と鷺
鈴木春信《鴉と鷺》1769年ごろ。中判の錦絵。縦26センチほど。メトロポリタン美術館蔵。鈴木春信《鴉と鷺》メトロポリタン美術館蔵

雪の日である。上から柳の枝が垂れ、白い雪をかぶっている。

その下に、二人が一本の傘を差して立っている。

左の人物は、頭からつま先まで黒い。頭巾も着物も黒で、わずかに帯の柄だけが赤い。

右の人物は、白い。頭巾も打掛も白で、裾に朱の裏地がのぞく。

二人は身を寄せ、顔を近づけている。傘は黄色。骨が一本ずつ描き分けられている。

黒と白。この対比が題名になっている。〈鴉と鷺〉である。

雪は描かれていない。降っている雪も、積もった雪も、紙の白のままである。

柳の枝の白い部分は、線で囲われているだけだ。それが雪に見える。

右に「鈴木春信画」の落款。

どちらが男で、どちらが女か

もう少し見ていきたい。

黒い人物と白い人物、どちらが男でどちらが女か。画面からは即断できない。

顔立ちに差がない。目も鼻も口も、同じ形で描かれている。輪郭の丸みも、首の細さも変わらない。

体つきも同じである。肩幅も、身長も、ほぼ揃っている。

区別できるのは、着ているものだけだ。黒い人物は前を合わせただけの簡素な形、白い人物は打掛を羽織り、裾を長く引いている。

春信の描く人物は、たいていこうである。性別も年齢も、衣服と髪型で示される。顔では区別されない。

これは技量の不足ではない。同じ時代の役者絵では、勝川春章が顔の描き分けを始めていた。似顔の技術は既にあった。

にもかかわらず、春信は顔を型のままにしている。

似顔が求められた役者絵と、求められなかった美人画。市場が違えば、要求も違う。役者絵の事情は別のコラムで扱っている。

白は、塗られていない

もうひとつ、この画面で効いているのが白の使い方である。

白い人物の打掛は、絵具で塗られていない。輪郭線と、裾の朱と、帯の柄だけが摺られ、あいだは紙のままである。

雪も同じだ。地面の雪も、柳に積もった雪も、摺っていない部分である。

つまり画面の三割ほどは、何も摺られていない。

その白い面の中に、黒い人物が置かれる。黒が強く効くのは、まわりが徹底して白いからだ。

摺らないことで色を作る——この考え方は、日本の版画に一貫している。広重の《蒲原 夜之雪》でも、雪は紙の白だった。別のコラムで扱っている。

この一枚が、なぜ画期的なのか

いま見ると、静かで上品な絵に見える。当時としては、技術の見本市のような一枚だった。

理由は、色の数である。

この画面には、黒、白、黄、朱、藍、茶、緑がある。輪郭を摺る墨の版を含めれば、版木は十枚近くになる。

十枚の版木に、同じ紙を十回、寸分たがわず重ねる。これができるようになったのが、1760年代の半ばだった。

それ以前の版画は、色がずっと少ない。

順を追っておきたい。

十七世紀後半、菱川師宣らの版画は墨摺絵である。墨一色で線を摺るだけ。色は無い。

次に来るのが手彩色の時代だ。摺り上がった紙に、筆で色を塗る。丹という橙色の顔料を使うものを丹絵、紅を主に使うものを紅絵と呼ぶ。

一枚ずつ人の手で塗るので、同じ図柄でも彩色が違う。手間もかかる。

漆のような光沢を出すために、墨に膠を混ぜて盛り上げる漆絵という工夫も生まれた。

十八世紀の前半、ようやく色も版で摺るようになる。紅摺絵である。ただし色数は二、三色にとどまった。

赤と緑、あるいは赤と青。それ以上増やすと、位置がずれて使い物にならなかったからだ。

そして1765年ごろ、色数の制限が外れる。錦絵の成立である。

「錦」とは、多色の織物のことだ。それほど色が豊かだ、という意味の呼び名である。

この記事では、その転換に何が必要だったのかを追いかけたい。

問いは三つある。

技術として、何ができるようになったのか。

その技術は、誰の金で育ったのか。

そして、色数が増えたことで、絵の内容はどう変わったのか。

最後の問いがいちばん面白い。色が増えれば絵が良くなる、という単純な話ではないからだ。

春信という人

作者の鈴木春信は、1725年ごろの生まれとされる。生年も出自も、はっきりしない。

京都の出身とする説もあるが、確定していない。誰に学んだかも、諸説がある。

活動が確認できるのは1760年前後からで、初期には役者絵も手がけていた。

その画風は、当時の主流だった鳥居派の力強い線とは違う。細く、均一で、抑揚の少ない線である。

人物は小さく、頭が大きく、手足が細い。現実の人体比とはかなり違う。

この様式が、多色摺の技術と結びついたとき、それまでに無いものが出てきた。

線が細く均一なら、色版とのずれが目立ちにくい。淡い色を重ねても濁らない。

様式と技術が、たまたま噛み合ったとも言える。