雨は線で、雪は紙の白で——広重が天気を摺った方法
雨は、本当は線に見えない。それでも私たちは広重の斜線を雨として読む。ぼかし、藍、見当、そして摺師の手つき。形のないものを木の板と紙に定着させた技術を追い、同じ版木から別の絵が生まれる理由を、当サイトにある二枚の《三島》で確かめる。

斜めの線が、坂を横切る
一枚の版画を、線の向きだけで見てみたい。

まず、右上から左下へ落ちる細い線。これが雨である。
次に、左下から右上へ上がっていく坂道。人が登っていく方向である。
三つ目に、右上の竹林。風に押されて、左へなびいている。
三つの方向が、画面の上で交差している。そこに、傘を差した駕籠かきと、蓑をかぶった男が入る。
人物はみな前かがみで、顔がほとんど見えない。誰か特定の人の話ではないからだ。
背景の竹林は、輪郭を持たない墨の面として置かれている。手前ははっきり、奥はぼんやり。
そして空。上端に濃い墨の帯があり、下へ向かって薄くなる。にわか雨の暗さが、その一本の帯だけで表現されている。
画面の右端には、雨に煙る家並みがかすかに見える。宿場である。
左上には題字。「東海道五十三次之内」と series の名があり、その下に「庄野」、そして小さく「白雨」——にわか雨のことである。
左下には「廣重画」の落款と、版元の印。この一枚が誰の仕事で、誰が売ったかが、画面の中に書き込まれている。
作者は歌川広重。1797年、江戸の定火消同心・安藤家に生まれた。本業は火消の役人である。
十五歳前後で歌川豊広に入門し、絵師としての名を得た。最初の二十年ほどは、美人画や役者絵を描いていた。
風景で当てたのは三十代半ばである。1833年ごろに出た保永堂版の東海道五十三次が、この人の名を決定づけた。
つまり広重は、遅れて出てきた画家だった。北斎の《冨嶽三十六景》が世に出た数年後に、風景版画の市場へ入っている。
先行者との違いも、はっきりしている。
北斎の風景は、形が強い。波は爪のように尖り、山は幾何学的な三角形になる。人物は誇張され、動きが大きい。
広重の風景は、そうではない。形よりも、空気の状態が前に出る。雨、雪、霧、夕暮れ。
同じ市場で、別の商品を出したことになる。後発が同じことをやっても勝てない、という判断があったのかもしれない。
もっとも、これは結果から見た説明である。本人がそう考えたという記録はない。
雨は、本当は見えない
ここで、当たり前すぎて見過ごしがちな事実を確認しておきたい。
雨は、線には見えない。
実際に降っている雨を目で追うと、水滴は速すぎて見えず、見えるのは水面の波紋、濡れた地面の色、煙ったような遠景である。
だから西洋の絵画は、長いあいだ雨をほとんど描かなかった。空を暗くし、地面を濡らし、大気を灰色にすることで「雨降り」を示した。
日本の絵は違う道を選んだ。雨を、まっすぐな細い線の束として描く。
これは自然の模写ではない。約束事である。線を引けば雨、と決めた記号の体系だ。
そして版画は、この約束にきわめて相性がよかった。彫った板の凸部に絵具を載せて摺る技法では、細くまっすぐな線こそが得意だからである。
雨の線は、彫師が版木を彫り残してつくる。何百本もの平行線を、幅一ミリに満たない太さで残す作業である。

《庄野》の雨は太く、まばらで、激しい。《土山》の雨は細く、密で、静かである。
線の太さと間隔を変えるだけで、雨の種類が変わる。これが、この技法の強みだった。
さらに《庄野》では、雨の線が二種類重ねられている。細い線の群れの上に、やや太い線が別の角度で走っている。
風が向きを変えている、という状態が、線の角度差だけで示されている。
油絵具でこれをやるのは難しい。筆で細い平行線を何百本も引けば、どうしても揺れるし、下の色と混ざる。
彫って摺る技法だからこそ、雨は雨として画面に残った。技法が主題を選んだ、と言ってもいい。
縦に長い紙に、雨を降らせる
判型が変われば、雨の見え方も変わる。

これは短冊判と呼ばれる細長い版型である。縦37センチに対し、横は12.7センチしかない。
画面を上から下へ、雨の線が斜めに貫いている。細長い紙では、この斜線がとりわけよく効く。
上半分は灰色の空と、金龍山——浅草寺の五重塔。中ほどに寺の屋根が並び、下半分は隅田川と、繋がれた舟である。
雨の中の川辺を、上から見下ろす角度で切り取っている。
横長の画面なら、風景は左右に広がる。縦長にすると、手前から奥へ、あるいは上から下への流れが強くなる。
同じ雨でも、紙の形が変われば、まったく別の経験になる。判型の選択もまた、表現の一部である。
この記事で追いたいこと
広重は、雨・雪・霧・夜という、形のないものを主題にした画家である。
その形のないものを、木の板と紙と糊で、どうやって定着させたのか。
そして同じ版木から摺られた紙が、なぜ一枚ごとに違う絵になるのか。
技術の話から入って、最後に「天気を見る」という行為そのものへ戻りたい。