画家を知る

雨は線で、雪は紙の白で——広重が天気を摺った方法

雨は、本当は線に見えない。それでも私たちは広重の斜線を雨として読む。ぼかし、藍、見当、そして摺師の手つき。形のないものを木の板と紙に定着させた技術を追い、同じ版木から別の絵が生まれる理由を、当サイトにある二枚の《三島》で確かめる。

東海道五十三次之内 庄野 白雨
歌川広重《東海道五十三次之内 庄野 白雨》メトロポリタン美術館蔵

斜めの線が、坂を横切る

一枚の版画を、線の向きだけで見てみたい。

東海道五十三次之内 庄野 白雨
《東海道五十三次之内 庄野 白雨》1833〜34年ごろ。竹内孫八ら版元による、いわゆる保永堂版東海道の一枚。歌川広重《東海道五十三次之内 庄野 白雨》メトロポリタン美術館蔵

まず、右上から左下へ落ちる細い線。これが雨である。

次に、左下から右上へ上がっていく坂道。人が登っていく方向である。

三つ目に、右上の竹林。風に押されて、左へなびいている。

三つの方向が、画面の上で交差している。そこに、傘を差した駕籠かきと、蓑をかぶった男が入る。

人物はみな前かがみで、顔がほとんど見えない。誰か特定の人の話ではないからだ。

背景の竹林は、輪郭を持たない墨の面として置かれている。手前ははっきり、奥はぼんやり。

そして空。上端に濃い墨の帯があり、下へ向かって薄くなる。にわか雨の暗さが、その一本の帯だけで表現されている。

画面の右端には、雨に煙る家並みがかすかに見える。宿場である。

左上には題字。「東海道五十三次之内」と series の名があり、その下に「庄野」、そして小さく「白雨」——にわか雨のことである。

左下には「廣重画」の落款と、版元の印。この一枚が誰の仕事で、誰が売ったかが、画面の中に書き込まれている。

作者は歌川広重。1797年、江戸の定火消同心・安藤家に生まれた。本業は火消の役人である。

十五歳前後で歌川豊広に入門し、絵師としての名を得た。最初の二十年ほどは、美人画や役者絵を描いていた。

風景で当てたのは三十代半ばである。1833年ごろに出た保永堂版の東海道五十三次が、この人の名を決定づけた。

つまり広重は、遅れて出てきた画家だった。北斎の《冨嶽三十六景》が世に出た数年後に、風景版画の市場へ入っている。

先行者との違いも、はっきりしている。

北斎の風景は、形が強い。波は爪のように尖り、山は幾何学的な三角形になる。人物は誇張され、動きが大きい。

広重の風景は、そうではない。形よりも、空気の状態が前に出る。雨、雪、霧、夕暮れ。

同じ市場で、別の商品を出したことになる。後発が同じことをやっても勝てない、という判断があったのかもしれない。

もっとも、これは結果から見た説明である。本人がそう考えたという記録はない。

雨は、本当は見えない

ここで、当たり前すぎて見過ごしがちな事実を確認しておきたい。

雨は、線には見えない。

実際に降っている雨を目で追うと、水滴は速すぎて見えず、見えるのは水面の波紋、濡れた地面の色、煙ったような遠景である。

だから西洋の絵画は、長いあいだ雨をほとんど描かなかった。空を暗くし、地面を濡らし、大気を灰色にすることで「雨降り」を示した。

日本の絵は違う道を選んだ。雨を、まっすぐな細い線の束として描く。

これは自然の模写ではない。約束事である。線を引けば雨、と決めた記号の体系だ。

そして版画は、この約束にきわめて相性がよかった。彫った板の凸部に絵具を載せて摺る技法では、細くまっすぐな線こそが得意だからである。

雨の線は、彫師が版木を彫り残してつくる。何百本もの平行線を、幅一ミリに満たない太さで残す作業である。

東海道五十三次之内 土山 春之雨
《東海道五十三次之内 土山 春之雨》1834〜35年。同じ雨でも、こちらは細かく密で、山道の湿り気を伝える降り方になっている。歌川広重《東海道五十三次之内 土山 春之雨》メトロポリタン美術館蔵

《庄野》の雨は太く、まばらで、激しい。《土山》の雨は細く、密で、静かである。

線の太さと間隔を変えるだけで、雨の種類が変わる。これが、この技法の強みだった。

さらに《庄野》では、雨の線が二種類重ねられている。細い線の群れの上に、やや太い線が別の角度で走っている。

風が向きを変えている、という状態が、線の角度差だけで示されている。

油絵具でこれをやるのは難しい。筆で細い平行線を何百本も引けば、どうしても揺れるし、下の色と混ざる。

彫って摺る技法だからこそ、雨は雨として画面に残った。技法が主題を選んだ、と言ってもいい。

縦に長い紙に、雨を降らせる

判型が変われば、雨の見え方も変わる。

東都名所 浅草金龍山下、吾妻橋中雨
《東都名所 浅草金龍山下、吾妻橋中雨》1840年ごろ。短冊判。縦37センチ、横12.7センチという細長い画面。歌川広重《東都名所 浅草金龍山下、吾妻橋中雨》メトロポリタン美術館蔵

これは短冊判と呼ばれる細長い版型である。縦37センチに対し、横は12.7センチしかない。

画面を上から下へ、雨の線が斜めに貫いている。細長い紙では、この斜線がとりわけよく効く。

上半分は灰色の空と、金龍山——浅草寺の五重塔。中ほどに寺の屋根が並び、下半分は隅田川と、繋がれた舟である。

雨の中の川辺を、上から見下ろす角度で切り取っている。

横長の画面なら、風景は左右に広がる。縦長にすると、手前から奥へ、あるいは上から下への流れが強くなる。

同じ雨でも、紙の形が変われば、まったく別の経験になる。判型の選択もまた、表現の一部である。

この記事で追いたいこと

広重は、雨・雪・霧・夜という、形のないものを主題にした画家である。

その形のないものを、木の板と紙と糊で、どうやって定着させたのか。

そして同じ版木から摺られた紙が、なぜ一枚ごとに違う絵になるのか。

技術の話から入って、最後に「天気を見る」という行為そのものへ戻りたい。