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歌川広重《大はしあたけの夕立》の解説——雨はどう描かれ、どこで見られるのか

歌川広重《大はしあたけの夕立》の解説。館の記録では1857年の木版多色摺で、クリーヴランド美術館が所蔵する。雨の線はどう彫られ、題の「大はし」と「あたけ」はどこを指すのか。ゴッホが写した図でもある一枚を、館の記録とCC0の画像から読む。

大はしあたけの夕立(名所江戸百景より)
歌川広重《大はしあたけの夕立(名所江戸百景より)》クリーヴランド美術館蔵

《大はしあたけの夕立》とはどんな絵か

歌川広重の《大はしあたけの夕立》は、橋の上を襲う夕立を縦長の画面に描いた木版の浮世絵である。館の記録では1857年の作で、縦35.3センチ、横23.2センチ。クリーヴランド美術館が所蔵している。

組になっているのは《名所江戸百景》。江戸の名所を一景ずつ縦長の版型で描いた、広重の最後の大きな仕事にあたる。

大はしあたけの夕立(名所江戸百景より)
歌川広重《大はしあたけの夕立(名所江戸百景より)》1857年。館の記録では、木版多色摺。35.3×23.2センチ。番号は1921.318。クリーヴランド美術館蔵。歌川広重《大はしあたけの夕立(名所江戸百景より)》クリーヴランド美術館蔵

画面のほぼ半分を、斜めに架かる木の橋が占めている。橋は左下から右上へ上がり、途中で切れて画面の外へ出ていく。

橋の上には五人がいる。菅笠をかぶって荷を担ぐ者、番傘をさして身を縮める者、蓑をかぶって走る者に分かれている。

橋の下には杭と筋交いが幾重にも組まれ、その足元は濃い藍に沈む。川面は水色で、遠い岸は灰色の帯になる。

川には筏が一つ浮かぶ。竿を持つ小さな人影が乗っている。

空は上へいくほど黒い。墨を濃く重ねた帯が、画面の上端を押さえつけている。

右上には題の短冊、左下には絵師と版元の印が置かれる。枠の外ではなく、絵の中に文字が入る作りである。

雨はどう描かれているか

雨は、細い直線の束として画面の端から端まで引かれている。線は上から下へ、わずかに傾いて走る。

近くで見ると、傾きが二通りあることが分かる。左へ倒れる束と、右へ倒れる束が重ねられている。

二つの向きが交わるので、雨が風に煽られて乱れているように見える。一方向だけなら、ただの斜線に見えたはずである。

線は墨で摺られている。つまり彫師は、線を版木の上に細く残し、その両脇を彫り下げている。

一本の線が数十センチにわたって切れずに続く。途中で欠ければ、雨はそこで止まって見える。摺師も、その線を潰さずに色を乗せなければならない。雨の激しさは、この二つの手の精度に支えられている。

空と川にも注意しておきたい。空は上端がいちばん黒く、下へいくほど薄くなる。川は逆に、下端の藍がいちばん濃い。

この濃淡は、版木に置く絵具の量を摺りのたびに加減して出す。線ではなく面で作る階調である。

線は人物の上も橋の上も遠慮なく横切る。雨だけが手前にあり、ほかはすべてその奥にある。

空の黒、川の水色、橋の肌色。使われている色は多くない。少ない色の上に線を重ねる方が、雨は強く見える。

広重が雨を描いたのはこの一枚だけではない。《東海道五十三次》では、坂道を駆ける人々に雨を当てている。

庄野 白雨(東海道五十三次のうち)
歌川広重《庄野 白雨(東海道五十三次のうち)》1833年。館の記録では、木版多色摺。38×25.4センチ。番号は1948.306。クリーヴランド美術館蔵。歌川広重《庄野 白雨(東海道五十三次のうち)》クリーヴランド美術館蔵

こちらは横長で、雨の線はさらに寝ている。斜面と竹林と雨が同じ向きに傾き、画面をひとつの方向へ流している。

「大はし」と「あたけ」はどこを指すのか

館の記録は、この図の題を「新大橋と安宅に降るにわか雨」の意味の英語で記している。「大はし」は新大橋を、「あたけ」は対岸の地名を指す。

新大橋は隅田川に架かっていた橋である。絵の中で杭が何本も立つのは、木造の橋脚を描いているからである。

画面の奥に横たわる灰色の帯が、その対岸にあたる。樹木の輪郭だけが並び、建物は描き込まれていない。

夕立は、夏の夕方に降る強い雨を指す言葉である。題そのものが、季節と時刻を告げている。

広重は同じ川筋を、雨以外の条件でも描いている。

永代橋佃島(名所江戸百景より)
歌川広重《永代橋佃島(名所江戸百景より)》1858年。館の記録では、木版多色摺。36.5×24.5センチ。番号は1992.73。クリーヴランド美術館蔵。歌川広重《永代橋佃島(名所江戸百景より)》クリーヴランド美術館蔵

こちらは夜である。手前に橋脚を一本だけ大きく立て、その脇から月と停泊する船を見せている。

手前に大きなものを置き、奥を小さく抜く。《大はしあたけの夕立》の橋の使い方と、考え方は同じである。

両国花火(名所江戸百景より)
歌川広重《両国花火(名所江戸百景より)》1858年。館の記録では、木版多色摺。33.7×22センチ。番号は1940.986。クリーヴランド美術館蔵。歌川広重《両国花火(名所江戸百景より)》クリーヴランド美術館蔵

花火の図でも、橋は斜めに置かれている。縦長の画面に長い橋を入れるには、斜めにするほかない。

雪の夜を摺り分けた図も残っている。

蒲原 夜之雪(東海道五十三次のうち・第十六)
歌川広重《蒲原 夜之雪(東海道五十三次のうち・第十六)》1833年。館の記録では、木版多色摺。22.6×35.5センチ。番号は1985.317。クリーヴランド美術館蔵。歌川広重《蒲原 夜之雪(東海道五十三次のうち・第十六)》クリーヴランド美術館蔵

雨と雪と夜で摺りをどう変えたかは、広重の雨と雪と夜を並べた記事にまとめてある。

ゴッホはこの図をどう写したか

この図は、日本の外でも写された。ファン・ゴッホ美術館は、フィンセント・ファン・ゴッホがこの図を写した油彩を《雨の橋(広重に倣う)》の題で所蔵している。

その油彩はCC0で公開されていないため、当サイトでは図版に使えない。ここで扱えるのは広重の版画の側だけである。

写した側が何に惹かれたかを断定はできない。ただ、写しやすい要素ははっきりしている。斜めに走る橋、端から端まで引かれた雨の線、少ない色である。

油彩で雨の線を引くのは、版木で彫るのとは勝手が違う。木版では線を残せば済むが、絵具では上から一本ずつ乗せることになる。同じ図でも、手数の置き場所が入れ替わる。

浮世絵が西洋の画家に何を渡したかは、浮世絵が西洋の絵を変えた経緯の記事で扱っている。

《大はしあたけの夕立》はどこで見られるか

実物はクリーヴランド美術館にある。館は同じ図の別の摺りをもう一点持っており、そちらも公開されている。

館は所蔵品の画像をCC0で公開しており、当サイトはその画像を使っている。

雨の線の向きは、縮小した画像では潰れやすい。《大はしあたけの夕立》の作品ページで拡大して確かめられる。

当サイトが公開している広重の図は439点ある。歌川広重の作品ページからたどれる。

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