同じ名前が、二通りに現れる——ラスロップの寄贈と、その死後の購入
一九〇八年は「による寄贈」。一九一一年は「コレクション、購入、基金」。三年のあいだに、行の書き方が変わっている。生きているあいだは贈り、亡くなったあとは買われた。台紙に貼った広重の絵から読みたい。古い記録写真に写り込んだ館の札にも触れたい。

同じ名前が、二通りに現れる
出所の行を人の名で絞ると、こういう例が出てくる。
フランシス・ラスロップ。
当サイトで公開している作品のうち、八十一点にこの名がある。
しかし、行の書き方が二通りある。
一つは、こうである。
フランシス・ラスロップによる寄贈、一九〇八年。
六点が、この行を持つ。
もう一つは、こうである。
フランシス・ラスロップ・コレクション、購入、フレデリック・C・ヒューイット基金、一九一一年。
七十五点が、この行を持つ。
前者は、本人が渡したものである。
後者は、館が買ったものである。
そして、買われたものの名前に、その人の名が付いている。
三年のあいだに、何が起きたのか。
今回は、その二つの行を九点で読みたい。

白黒の画像である。
横長の絵で、まわりに広い台紙が付く。
中央やや右に、切り立った岩がある。
その岩肌を、白い水が幾筋も垂れる。
滝である。
水の筋は、細く、まっすぐで、途中で切れない。
岩の上に、松が数本生えている。
枝が横へ張り出す。
滝の下は、暗い淵になる。
左手前には、低い岸と草。
右下に、落款と印。
画面の左上に、題らしい文字が縦に書かれている。
そして、画像の右下に、印刷された小さな札が写り込んでいる。
館の名が入っている。
撮影のときに置かれたものである。
白黒の写真と、館の札
六点の画像には、共通する特徴がある。
いずれも白黒である。
そして、画面の右下に、印刷された小さな札が写り込んでいる。
館の名が入った札である。
つまり、撮影のときに、作品と一緒に札を置いた。
これは、古い記録写真の作法である。
第四回では、器に直接書かれた番号が写り込んでいた。
第七回では、色見本の帯が写っていた。
第十回では、方眼紙が背景になっていた。
いずれも、記録のための撮影である。
作品だけを美しく撮るのではない。
どこの所蔵で、どういう大きさで、どういう色かを、同じ一枚に収める。
写真そのものが、台帳の一部として作られている。
そして、こうした古い写真は撮り直されないまま残る。
見る側は、白黒から色を補うことになる。
技法の欄に絹本着色とあるので、色は付いている。
しかし、どんな色かは分からない。
滝の水は白いだろう。
松は緑だろう。
その程度しか推し量れない。
台紙の幅を、見る
六点のうち、後の二点は台紙が広い。
絵の部分が二十一センチ四方ほどで、台紙を含めるとその倍近くになる。
一方、寸法の欄には、絵の寸法しか書かれていない。
台紙を含めた大きさは、記録されていない。
第六回で見た掛軸は違った。
画面、表装込み、軸首込みの三段が書かれていた。
同じ館の記録でも、形式によって扱いが変わる。
掛軸の表装は、作品の一部と見なされる。
台紙は、そうではないらしい。
あとから付けられた保護材という扱いだろう。
しかし、画像を見れば、台紙は明らかに構成の一部である。
余白の広さが、絵の見え方を決めている。
小さな二点は、余白のおかげで静かに見える。
記録に書かれないものが、見え方を左右している。
台紙に貼った絵
技法の欄に、台紙に貼った絵とある。
掛軸ではない。
巻子でもない。
厚い紙の台に、絵を貼り付けたものである。
そして、そのまわりに余白を取る。
西洋の額装に近い形式である。
日本の絵は、掛軸か屏風か画帖に仕立てるのが基本である。
台紙に貼る形式は、輸出のために作られたか、後の時代に仕立て直されたものだろう。
第十七回で扱った、形を変える仕立ての一種である。
館の記録は、その事情を書かない。
現在の形式を書くだけである。
九点のうち六点が、この形式である。
二つの寸法
六点の寸法を並べたい。
三十五・四掛ける五十四・五センチ。
三十五・四掛ける五十四・四センチ。
三十五・四掛ける五十四・四センチ。
三十五・四掛ける五十四・四センチ。
二十一掛ける三十・九センチ。
二十・九掛ける三十一センチ。
四点が同じ大きさ、二点が同じ大きさ。
二つの組に分かれている。
そして、番号は〇八・一四八の四から九まで連続する。
つまり、六点は一つのまとまりとして入っている。
大きい四点と、小さい二点。
もとは、揃物として作られたのだろう。
波と、山と、船

画面の中央に、大きな波が立ち上がる。
波頭が幾つにも割れ、指のような形になる。
その先端が、白く飛び散る。
波の下に、黒い岩。
岩は低く、水に半ば沈む。
右手に、岸と松。
左手は、遠い海と空。
水平線は低い。
波の形だけで、画面が成り立っている。
右下に落款と印。
左上に、題の文字。

こちらは、山の景色である。
中央に、丸みのある岩山が盛り上がる。
その頂と斜面に、松が生える。
山の下は、平らな地面。
そこに、細い道と、小さな石が点々と散る。
左には、遠い山並みが重なる。
右下に、また松。
墨の濃淡だけで、遠近が作られている。
手前の岩は濃く、遠い山は薄い。

大きな船が一隻、画面の左に寄って浮かぶ。
船体は横向きで、船首が左を向く。
胴は白く、板の目が描かれる。
太い帆柱が立ち、そこから帆が下がる。
帆は横に細い線が入り、莚を編んだもののように見える。
風で少し膨らんでいる。
船尾には、屋根の付いた小屋。
水面は静かで、波がほとんどない。
右手の遠くに、低い島影。
空は白く、何も描かれていない。
九点のうち、この一点だけが船を大きく描いている。
半分の大きさの二点

前の四点より、ずっと小さい。
そして、台紙が広い。
絵の部分のまわりに、濃い縁が回り、その外にさらに広い余白がある。
絵の中身は、海である。
右手に、大きな帆が斜めに立つ。
帆の下に、小さな船体。
人が乗っているのが見える。
左手には、低い島影と、遠い山。
水面は薄く、ほとんど白い。
上部に、題の文字と落款。
余白の面積が、絵の面積より広い。

前の一点と、同じ大きさ、同じ台紙である。
絵の右手に、黒い岩の塊が立つ。
上が細くすぼまる。
その手前に、低い岩と草。
左は、広い海。
遠くに、小さな島が二つ。
水平線は、画面の中ほどより下にある。
上半分は、ほとんど何もない。
題の文字と落款が、その空白の中に置かれる。
一九〇八年の寄贈
ここまでの六点は、同じ行を持つ。
フランシス・ラスロップによる寄贈、一九〇八年。
本人が渡したものである。
番号は〇八・一四八の四から九。
一九〇八年の、百四十八番目の受け入れ、その四から九番目。
六点だけの、小さな寄贈である。
そして、内容は同じ画家の同じ形式の絵にそろっている。
つまり、まとまりとして渡された。
揃物の一部かもしれない
六点の題を並べたい。
箱根白糸の滝。
相州小ゆるぎの磯。
木曽街道観音坂。
武州芝浦。
上総鋸山遠望。
武州本牧。
いずれも、地名が入っている。
そして、六つとも別の場所である。
箱根、相模、木曽、武蔵、上総。
日本の各地の名所である。
こういう題の付け方は、揃物の一枚を示唆する。
各地の名所を何十枚か描き、まとめて売る。
第十七回で扱った揃物の話である。
ただし、これらは版画ではなく、絹に描いた絵である。
一点ずつ手で描かれている。
同じ主題を、絹に描いて売ることもあった。
版画より高価で、注文に応じて描かれる。
六点が同じ大きさの組に分かれているのも、そのためだろう。
大きい四点で一組、小さい二点で別の一組。
もとの組がいくつあったかは分からない。
館に来たのは、この六点だけである。
記録に書かれない、絵と版画の関係
もう一つ、指摘しておきたいことがある。
この画家は、版画で広く知られている。
各地の名所を描いた版画の揃物が、何組も作られた。
そして、ここにある六点は、絹に描いた絵である。
同じ画家が、同じ主題を、二つの媒体で作っている。
版画は安く、多く出回る。
絹の絵は高く、一点しかない。
集める人にとって、後者は稀少である。
館の記録は、両者の関係を書かない。
分類の欄が、絵画と版画に分かれるだけである。
しかし、同じ人の集めたものが両方に分かれて入っていることは、番号を追えば分かる。
一九〇八年の六点が絵画。
一九一一年の七十五点が版画。
一人の関心が、二つの部門にまたがっている。
三年後、行が変わる
次の三点は、行が違う。

横長の版画である。
左の三分の一に、文字が縦に何行も並ぶ。
崩し字で、詞書らしい。
その右に、人物が並ぶ。
左端に、天秤棒を担いだ女性が二人。
前後に桶を下げている。
その右に、着飾った女性が三人。
袖が長く、裾が広がる。
さらに右に、建物の入口。
そこにも人がいる。
線は太く、単純である。
色は、部分に薄く置かれているだけである。
技法の欄に、墨摺絵とある。
墨だけで刷り、あとから筆で色を入れる形式である。
彩色の版がまだ使われていない時期の版画である。
浮絵という形式

室内を描いた版画である。
そして、その室内が奥へ深く伸びている。
手前に、開いた戸口の柱。
そこから、床と天井の線が奥へ収束していく。
一点に向かって、線が集まる。
西洋の遠近法である。
奥には、屏風と欄間が見える。
床には、人が二十人以上いる。
座っている者、腕を組み合っている者。
手前の右側に、屏風が置かれる。
左には、格子。
天井の梁も、奥へ向かって細くなる。
こういう版画を、浮絵と呼ぶ。
画面が浮き上がって見えることからの名である。
十八世紀の前半に流行した。

前の一点と、同じ形式である。
しかし、色がはっきりしている。
柱と梁が、朱色に近い橙で塗られる。
床は淡い黄土色。
奥へ向かって、線が収束する。
天井には、格子状の飾りが横に走る。
左右の壁には、格子と障子。
床に、人が十数人。
座り、寝そべり、身を寄せている。
中央の手前に、朱色の盆と道具が置かれる。
寸法は四十三・五掛ける六十四・五センチ。
九点のなかで、いちばん大きい。
遠近法が、日本に入るとき
浮絵について、もう少し書いておきたい。
この形式は、十八世紀の前半に現れる。
床と天井と柱の線が、画面の奥の一点に集まる。
一点透視という作図法である。
ヨーロッパでは、十五世紀に理論化された。
それが、書物や版画を通じて東アジアへ伝わった。
日本では、長崎を通じて入っている。
そして、版画の絵師がそれを取り入れた。
ただし、完全に正確ではない。
線の集まり方に、ずれがあることが多い。
作図の理屈を理解したうえで使ったのか。
見た目を真似ただけなのか。
その判断は難しい。
九点のうち二点が、この形式である。
一七四〇年ごろと、一七四〇年代の初め。
ほぼ同じ時期である。
流行していた時期に、まとめて作られたのだろう。
そして、どちらも室内を描いている。
室内は、この形式に向いている。
柱と梁と床が、まっすぐな線を作るからである。
屋外の風景では、収束する線が見つけにくい。
だから、浮絵の多くは室内か、通りの眺めになる。
形式が、描ける主題を決めている。
大判という判型
二点の寸法欄に、判型の名が入っている。
大判である。
三十三掛ける四十七センチ。
四十三・五掛ける六十四・五センチ。
同じ大判なのに、寸法がかなり違う。
これは、判型の名が厳密でないためである。
紙の大きさは、時期と版元によって変わる。
大判という呼び方も、時代によって指す寸法が違う。
第五回で書いたとおり、記録が判型の名を書くのは一部だけである。
数字があれば、判型は推し量れる。
しかし、名と数字が食い違うこともある。
館の記録は、両方を書いて、そのままにしている。
読む側は、数字のほうを信じることになる。
買われたコレクション
三点の行を、もう一度読みたい。
フランシス・ラスロップ・コレクション、購入、フレデリック・C・ヒューイット基金、一九一一年。
三つの部分がある。
コレクションの名。
購入という語。
そして、基金の名。
つまり、この人が集めたものを、館が別の人の基金で買った。
年は一九一一年。
三年前の寄贈の年から、三年後である。
そのあいだに、集めた人は亡くなったと考えられる。
館の記録は、そこには触れない。
しかし、行の書き方が変わったことが、状況の変化を示している。
生きているあいだは、寄贈。
亡くなったあとは、購入。
同じ人の集めたものが、二通りの経路で館に入っている。
版画の年代が、古い
購入された七十五点について、少し書いておきたい。
九点のうち三点しか見ていないが、その三点だけでも特徴がある。
一六七五年から八〇年ごろ。
一七四〇年ごろ。
一七四〇年代の初めごろ。
いずれも十七世紀後半から十八世紀前半である。
第五回で読んだ版画の買い物は、十八世紀後半から十九世紀のものが中心だった。
こちらは、それより古い。
そして、古い版画は数が少ない。
墨だけで刷った初期のものは、残存が限られる。
紙が薄く、色が乏しく、扱いも粗かった。
そういう時期の版画がまとまって入ったことになる。
館が基金を使ってまで買ったのは、この古さのためだろう。
寄贈を待っていたら、市場に出た機会を逃す。
第四回で書いた、基金という仕組みの利点がここで働いている。
待って、機会が来たときに買う。
一九一一年は、その機会だった。
番号が、通しになる
三点の番号は、JP六四七、JP六五五、JP六六一である。
そして、この行を持つ七十五点の番号は、六四七から八〇三まで並ぶ。
つまり、まとめて登録されている。
第四回と第五回で見た、日本の版画の通し番号である。
一方、一九〇八年の寄贈のほうは、年で始まる番号だった。
〇八・一四八の四から九。
同じ人の集めたものが、二種類の番号体系に分かれて入っている。
理由は、種別の違いである。
台紙に貼った絵は、絵画として登録された。
版画は、版画の番号を受けた。
物の種類によって、番号の体系が変わる。
第四回で書いたとおりである。
二つの行を、並べて読む
九点を、行で分けたい。
寄贈が六点、購入が三点。
そして、寄贈の六点はすべて同じ画家の作である。
購入の七十五点には、いろいろな画家が含まれる。
九点のうち三点を見ただけでも、三人の別々の画家である。
しかも、十七世紀から十八世紀の版画である。
一方、寄贈の六点は十九世紀の絵。
同じ人が、両方を集めていた。
そして、渡し方が違った。
六点は自分の意思で贈り、残りは死後に買われた。
なぜ全部を贈らなかったのか。
記録は答えない。
考えられる説明はある。
遺族の事情。
館の側の予算。
あるいは、六点を先に贈って、館との関係を作っておいたのかもしれない。
いずれも推測である。
名前が、二度残る
出所の行の役割を、ここでもう一度考えたい。
寄贈の行は、贈った人の名を残す。
購入の行は、金の出どころを残す。
この二つが、同じ人について両方書かれている。
そして、購入の行では、集めた人の名がコレクションの名として先頭に来る。
つまり、館は、この人の名を二度残している。
一度目は寄贈者として。
二度目はコレクションの名として。
第六回と第十六回で読んだ行も、コレクションの名が先頭にあった。
集めた人の仕事を、まとまりとして保存する書き方である。
購入したものにその人の名を付ける義務は、館にはない。
それでも付けている。
集めるという行為そのものが、記録に値すると考えられているからだろう。
次の回では、また別の収集家を読みたい。
版画を集めた人が、同時に掛軸と刀装具も集めていた例である。
そこでは、コレクションの名と基金の名が、また並ぶ。
同じ書き方の行が、二十五年後にもう一度出てくる。
館が個人の収集を買い取るときの、定型の文である。
そして、その定型がいつ生まれたかも、行の年を並べれば見当がつく。








