美術史・技法

このフェルメールは、フェルメールか——ワシントンの六枚が示す「帰属」という判断

真作、工房、模倣者。同じ館から来た六点の作者欄は、三通りに書き分けられている。2022年の再帰属、1925年ごろに描かれた二枚、そして贋作者の手口をたどると、名前の欄が「日付つきの判断」であることが見えてくる。

フルートを持つ女
ヨハネス・フェルメールの工房《フルートを持つ女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

同じ壁掛け、同じ椅子、違う名前

ワシントンのナショナル・ギャラリーに、よく似た二枚の小さな板絵がある。どちらも二十センチ前後。人物の胸から上だけを、近い距離で捉えている。

赤い帽子の娘
帽子の赤には輪郭がない。縁の毛羽が背景に溶け、揺れているように見える。ヨハネス・フェルメール《赤い帽子の娘》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

一枚は《赤い帽子の娘》。羽根に覆われた大きな帽子をかぶり、椅子の背に腕を掛けて、こちらを振り向いている。

背後には模様の入った壁掛けが下がり、手前には獅子の頭を彫った椅子の飾りが二つ見える。青い上着の襞には、白い絵具の粒がぽつぽつと置かれている。

もう一枚は《フルートを持つ女》。円錐形の帽子、青い上着、白い襟。背景の壁掛けも、獅子の頭も、絵具の粒までも共通している。

フルートを持つ女
顔の陰に緑がかった色が回り、口もとの赤が唐突に浮く。似ているのに、どこか歩幅が合わない。ヨハネス・フェルメールの工房《フルートを持つ女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

支持体も共通している。どちらも板に描かれている。

これは珍しいことである。フェルメールの現存作はほとんどが布に描かれており、板に描かれたものはこの二点しか知られていない。

小さく、板で、同じ小道具。二枚が組で考えられてきたのには、それだけの根拠があった。

道具立ては同じである。ところが当サイトの作者欄を見ると、前者は「ヨハネス・フェルメール」、後者は「ヨハネス・フェルメールの工房」となっている。

同じ部屋で、同じ小道具を使って描かれた二枚。にもかかわらず、名前の欄だけが分かれている。

この差は、絵を見ただけでは決められない。決めているのは誰で、根拠は何なのか。この記事はその話である。

三通りの書き方

当サイトには、ワシントンのナショナル・ギャラリー由来のフェルメール関係の作品が六点ある。作者の表記は、三通りに分かれている。

  • ヨハネス・フェルメール —《天秤を持つ女》《手紙を書く女》《赤い帽子の娘》
  • ヨハネス・フェルメールの工房 —《フルートを持つ女》
  • ヨハネス・フェルメールの模倣者 —《レースを編む女》《微笑む娘》

この表記は、当サイトが判断したものではない。所蔵館の記録をそのまま引き継いでいる。

三段階になっていることに注意したい。「本人」と「偽物」の二択ではなく、あいだに「工房」が置かれている。

美術館の作者欄は、しばしばこうした階層を持つ。本人、工房、追随者、模倣者、そして「〜に帰属」。断定の度合いを、言葉で刻んでいるわけである。

この言い分けは、館ごとの気分ではなく、おおよそ共通の目安がある。

「〜に帰属」は、本人の作である可能性が高いが確証がない場合。「工房」は、本人の監督下で別の手が入ったと考えられる場合。

「追随者」は、様式を学んだ後続の画家。「模倣者」は、その画家に似せて描いた者で、制作年が大きく離れることもある。

さらに「〜の様式による」という言い方もある。これはもう、時代も手も特定できていないという告白に近い。

読む側はつい名前だけを見るが、実際には「どのくらい確からしいか」の表示でもある。

そして厄介なことに、この表示は絵の隣の小さな札にしか書かれない。画像だけが流通すると、階層は簡単に消えてしまう。

そもそも、なぜ数が問題になるのか

フェルメールの場合、この判断がとりわけ重い意味を持つ。作品の数が極端に少ないからである。

現在、確実な作品として認められているのは三十数点にすぎない。生涯に描いた数自体が少なかったと考えられている。

理由はいくつも挙げられている。制作が遅かったこと。画商も兼ねていて、絵を売るだけの生活ではなかったこと。

四十代前半で亡くなったことも大きい。1675年に世を去ったあと、残された妻は多額の負債を抱えて破産を申請している。

大量に描いて広く売った画家ではなかった、ということである。少ないのは偶然ではなく、働き方の結果でもある。

しかも彼は、死後およそ二世紀のあいだ、ほとんど忘れられていた。同時代のオランダには売れる画家が大勢いて、その一人という扱いだった。

再評価のきっかけは十九世紀の半ばである。フランスの批評家テオフィル・トレ=ビュルガーが調査を重ね、1866年に本格的な論考を発表した。

この再発見には副作用があった。トレ=ビュルガーはフェルメールの作品として七十点近くを挙げてしまう。実際の倍以上である。

忘れられていた画家が発見されると、その名前に吸い寄せられる形で、周辺の作品が次々と結びつけられる。市場もそれを歓迎する。

つまり「フェルメール」という枠は、一度大きく膨らんでから、百五十年かけて縮んできた。今回の《フルートを持つ女》も、その長い収縮の途中にある一件である。

2022年、《フルートを持つ女》が動いた

表記が変わったのは、2022年10月のことである。それまでは長く、フェルメール本人の作とされてきた。

きっかけは、感染症の流行にともなう閉館だった。展示の入れ替えが止まった期間に、館の保存修復と科学調査の担当者が、手元の数点をまとめて調べ直した。

顕微鏡で顔料の粒を見る。可視光以外の波長で層の重なりを撮る。地塗り、下描き、上塗りの順序を、絵具の側から読み直していく作業である。

この種の調査は、いきなり結論を出すものではない。まず、その画家が「いつも何をしているか」を積み上げる。

フェルメールなら、下層にどんな色を敷き、明るい部分をどう作り、輪郭をどうぼかすか。複数の真作を同じ方法で調べ、癖の一覧を作る。

そのうえで問題の一枚を同じ物差しで測る。合致するか、外れるか。外れるとしたら、どこがどう外れるか。

ここで押さえておきたいことがある。科学調査には、できることとできないことがある。

できるのは否定である。十九世紀の絵具が出れば、十七世紀の絵ではありえない。これは動かない。

できないのは肯定である。十七世紀の材料しか出なかったとしても、それだけでは「フェルメールが描いた」ことにはならない。

同じ街の、同じ画材屋で材料を買った別人かもしれない。だから判断は、材料だけでなく、手つきの分析と記録の突き合わせを重ねることになる。

「証明された」ではなく「いまのところ、こう考えるのが最も無理がない」。帰属の言葉づかいが慎重なのは、この構造のためである。

何が「足りない」と判断されたのか

出てきたのは、奇妙な食い違いだった。この絵を描いた人物は、フェルメールの特徴的なやり方を知っている。しかし、それを実行する腕が伴っていない。

たとえば、白い絵具の粒である。フェルメールは、光がにじんで見える場所を選んでこれを打つ。

パンの表面、真鍮の縁、濡れた唇。焦点の合っていないレンズを覗いたときのような、光の粒立ちを再現するための手段である。

《フルートを持つ女》では、その粒の置き方が均質になっている。どこも同じ調子で並び、面の説明になっていない。

技法だけを覚えて、なぜそこに置くのかを理解していない。調査はそう判断したことになる。

道具立ての一致も、この判断を支えている。壁掛けも、獅子の頭の椅子も、フェルメールの真作に繰り返し出てくる品である。

たとえば《手紙を書く女》の右手前にも、同じ獅子の頭が見えている。

手紙を書く女
黄色い上着、青い卓布、机の上の真珠。右端の椅子の飾りは、《赤い帽子の娘》のものと同じ形をしている。ヨハネス・フェルメール《手紙を書く女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

これらは想像で描ける品ではない。実物を前に置ける者でなければ難しい、という理屈になる。

もっとも、真作を横に置いて写した可能性が消えるわけではない。決定的な一発ではなく、状況証拠を積み上げた判断だと理解しておきたい。

逆に言えば、この絵が長くフェルメール本人の作とされてきたのにも理由がある。大きさも、板という支持体も、道具立ても、隣の《赤い帽子の娘》とそっくりなのである。

対になる小品として扱うのが自然だった。目で見るかぎり、それを疑う手がかりは乏しい。

そしてここには小さくない含みがある。フェルメールが弟子や助手を抱えていたことを示す当時の文書は、いまのところ見つかっていない。

つまりこの再帰属は、「工房があったはずだ」という新しい像を、絵の側から引き出したことになる。館がこれを重い発見として扱ったのも、そのためだろう。

1925年ごろの「フェルメール」

六点のうち二点は、もっと極端な位置にいる。《微笑む娘》と《レースを編む女》。制作年は、どちらも1925年ごろと記録されている。

微笑む娘
微笑みが、17世紀の絵にしては愛想がよすぎる。目もとの動きが、人前で表情をつくり慣れた人のものに見える。ヨハネス・フェルメールの模倣者《微笑む娘》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

十七世紀の画家の作品として館に入り、いまは模倣者の作として記録されている。四百年の隔たりを、記録が一行で埋めている。

1920年代に、この二点が市場に現れた。当時としては大発見である。実業家アンドルー・メロンが手に入れ、1937年に館の所蔵となった。当然、フェルメールとして。

前の節で見たとおり、この時期は「新しいフェルメール」が期待されていた。期待のあるところに、供給が生まれる。

絵具は年代を語る

決め手になったのは、絵具だった。合成ウルトラマリンと、クロム酸鉛。

前者は十九世紀に工業的に作られるようになった青であり、後者は1811年以降に登場した黄である。

十七世紀のデルフトには、どちらも存在しない。様式の議論をいくら重ねても、この一点で決着がつく。

描いたのは、オランダの修復家テオ・ファン・ワインハールデンだったと考えられている。古い絵を直す仕事は、古い絵の作り方を内側から知る仕事でもある。

同じ時代のオランダには、もっと有名な例がある。ハン・ファン・メーヘレンである。

彼が描いた《エマオの晩餐》は、1937年に「新発見のフェルメール」として世に出て、翌年ロッテルダムの美術館が巨額で購入した。当時の一流の目が、そろって本物と認めている。

発覚のきっかけは絵の出来ではなかった。戦後の1945年、ナチス高官へ絵を売った罪で捕らえられた彼が、あれは自分が描いたものだと主張したのである。

裁判では、実際に同じ手口で一枚描かせて確かめた。1947年に有罪となり、その年の暮れに彼は世を去っている。

この一件が示すのは、目利きの限界というより、期待の強さである。「あるはずのフェルメール」を求める空気が、判断を引き寄せていた。

いま見ると、ファン・メーヘレンの絵はフェルメールにあまり似ていない。人物の顔立ちが、どうしても1930年代のものに見える。

しかし当時の専門家には見えなかった。同じ時代の空気のなかにいる者は、その時代の癖に気づけない。

これは今日の私たちにも当てはまる。いま「本物らしい」と感じている感覚も、百年後には時代の産物として見えるだろう。

贋作は、どこで手間をかけるか

ファン・メーヘレンの手口は、贋作という仕事の性格をよく示している。

彼が力を注いだのは、絵の出来ばえよりも「四百年ぶんの時間」の再現だった。

古い絵を安く買い、表面を削って地の層だけを残す。そこに描けば、支持体と下地は本物の年代になる。

絵具には樹脂を混ぜ、加熱して硬化させた。油絵具は数十年かけて固まるが、そのままでは溶剤で簡単に溶けてしまい、若い絵だとすぐ露見する。

さらに、乾いた画面を巻いてひび割れを作り、その割れ目にインクや埃を刷り込む。古い絵の亀裂には汚れが溜まっている——その見え方まで作り込んでいる。

主題の選び方も計算されていた。彼が描いたのは、記録に名前だけが残る「失われたフェルメール」に対応しそうな宗教画である。

つまり、専門家が期待していた空白に、ちょうど収まる形の絵を用意した。「本物らしさ」ではなく「あるはずの一枚らしさ」を狙ったわけである。

こうして並べると、贋作とは絵を作る仕事ではなく、物語と物証を作る仕事だと分かる。

見抜く側が絵の様式だけを見ていたら、勝負にならない。科学調査が判断の中心に入ってきた理由が、ここにもある。

隣にいた画家たち

もうひとつ、忘れてはいけない事情がある。当時のデルフトには、似た絵を描く画家が現に大勢いたということだ。

オランダの中庭
ピーテル・デ・ホーホ《オランダの中庭》。煉瓦の壁、通り抜けの戸口、光の当たった床。フェルメールと同じ材料でできている。ピーテル・デ・ホーホ《オランダの中庭》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

デ・ホーホはフェルメールと同時代にデルフトで活動した画家である。室内と中庭、静かな人物、遠くまで抜ける戸口。主題も構図もよく似ている。

十九世紀から二十世紀にかけて、デ・ホーホの作品がフェルメールとして売られた例は少なくない。署名を書き換えられたものもある。

彼らは互いに影響しあっていたはずで、どちらが先かも簡単には決められない。同じ街の空気を吸っていた画家たちである。

だから帰属の問題は、「本物か偽物か」より「誰の手か」という問題であることのほうが多い。そして後者は、ずっと難しい。

デ・ホーホの絵を見ていると、そのことがよく分かる。床の敷石は正確な遠近法で奥へ走り、戸口の向こうにもう一つの明るさがある。

フェルメールの室内が「一室の空気」を描くのに対し、こちらは「家の奥行き」を描いている。目的が少し違う。

この違いは、並べて初めて見えてくる程度のものである。一枚だけ壁に掛かっていたら、多くの人は区別しないだろう。

帰属を判断する人たちは、その「並べて初めて見える差」を、日々の仕事として蓄積している。

では、確かな一枚は何をしているのか

比較のために、疑いの出ていない作品を見ておきたい。《天秤を持つ女》。1664年ごろの作である。

天秤を持つ女
左の窓から入った光が、額と手、そして机の上の真珠にだけ届いている。天秤の皿は空である。ヨハネス・フェルメール《天秤を持つ女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

まず、光の管理が違う。窓は画面の左端で切られ、光は壁の一部を明るく残したあと、緩やかに落ちていく。

人物は青い上着に白い頭巾。輪郭はやわらかいが、手の位置は正確である。天秤を支える指先に、力みがない。

背後の壁には、最後の審判を描いた大きな絵が掛かっている。天秤で量るという動作と、魂を量るという主題が、画面の中で静かに重なる。

しかも皿には何も載っていない。真珠も金の鎖も机の上にあり、天秤は空のまま釣り合いを待っている。

意味を押しつけず、道具立てだけを置いて立ち去る。この匙加減こそ、模倣のいちばん難しいところなのだと考えたい。

もうひとつ、構図に注目したい。人物の頭は画面のほぼ中央にあり、その真上に画中画の枠の角が来ている。

計算された配置である。しかし見ている側は、計算されていることに気づかない。ここが上手いのだと思う。

同じ画家のなかにも幅がある

「フェルメールらしさ」を一枚に固定してしまうと、かえって判断を誤る。本人の中にも、時期による幅があるからだ。

眠る女
《眠る女》。1656年から57年ごろ。全体に暗く、赤い絨毯と白い水差しが手前を塞いでいる。窓からの光は、まだ主役になっていない。ヨハネス・フェルメール《眠る女》メトロポリタン美術館蔵

これは初期の作品である。のちの静かな室内画とは、ずいぶん印象が違う。

面白いのは、この絵にも消された部分があることだ。技術調査によって、奥の部屋に人物が、戸口に犬が描かれていたことが分かっている。

彼はそれを塗り消した。物語を説明する要素を減らし、部屋と人だけを残したのである。

こうして見ると、フェルメールらしさは最初からあったものではない。消していく過程で作られたものだと分かる。

水差しを持つ女
《水差しを持つ女》。1662年ごろ。窓、地図、青い布、真鍮。要素は減り、光の扱いだけが緻密になっていく。ヨハネス・フェルメール《水差しを持つ女》メトロポリタン美術館蔵

同じ画家が六年でここまで変わる。だとすれば、一枚だけを見て「らしい/らしくない」を言うのは、そもそも無理がある。

帰属の判断が、複数の真作を並べて癖の一覧を作るところから始まるのは、このためである。

状態の違いも判断を難しくする。四百年のあいだに、絵は洗われ、補彩され、ニスを塗り替えられている。

修復の手が厚く入った絵は、細部の癖が読みにくい。逆に、汚れたまま放置された絵は暗く沈んで見える。

つまり私たちが比べているのは、描かれた当時の状態ではない。それぞれ違う歴史を通ってきた表面である。

科学調査が絵具の層まで潜るのは、この表面の履歴を剥がして、下にある元の判断を見るためでもある。

名前の欄は、日付つきの判断である

ここまで来ると、帰属というものの性格が見えてくる。それは作品に貼りつけられた不動のラベルではなく、その時点における知識の要約である。

科学調査が進めば変わる。文書が出てくれば変わる。実際《フルートを持つ女》は、2022年に変わった。

大事なのは、この変更が絵そのものを変えていないことだ。板の上の絵具は、三百年以上ずっと同じ配置のままである。変わったのは、私たちの側の説明にすぎない。

そして「フェルメールではない」ことは、「よくない絵」を意味しない。工房の一枚は、フェルメールの仕事場に誰かがいたことを示す、ほとんど唯一の物証になった。

模倣の二枚も同じである。1920年代の人々が「フェルメールらしさ」を何だと考えていたか。あの微笑みは、その時代が出した答えとして読める。

贋作は、だまされた側の趣味を映す鏡でもある。いま見て違和感があるのは、私たちが1920年代の目を共有していないからだ。

名前が動くと、何が動くのか

とはいえ、帰属が変わると現実には多くのことが動く。そこも見ておきたい。

第一に価格である。同じ絵が、名前ひとつで桁の違う値になる。市場にとって作者名は、ほとんど商品規格に近い。

第二に展示である。「フェルメール展」に貸し出せるかどうかが変わる。観客の集まり方も、保険の額も変わる。

第三に研究である。工房の作とされた瞬間、その絵は「フェルメールの周辺には誰かがいた」という主張の証拠になる。役割が変わるのである。

第四に、見る側の体験である。名前を知ってから絵を見ると、見え方は確実に変わる。

「工房」と書かれた札を読んだあとでは、ぎこちなさのほうに目が行く。同じ絵なのに、粗が見えはじめる。

逆に言えば、それまで本人の作として見ていた人は、同じぎこちなさを味わいとして受け取っていた可能性が高い。

この四つは、それぞれ別の力学で動く。市場は名前が動くことを嫌い、研究は動くことで前に進む。

美術館は、その真ん中に立っている。自館の看板作品を自分で格下げした今回の判断は、かなり勇気のいる仕事だったはずである。

そして、その判断の過程を展覧会として公開した点も見逃せない。結論だけでなく、迷いのある材料まで並べて見せている。

六枚を、横に並べてみる

当サイトの作者欄には、提供元の表記がそのまま入っている。判断しているのは館であり、当サイトはそれを日本語に置き換えて並べているだけである。

この方針は、権利の扱いと同じ考え方から来ている。出どころの記載を書き換えず、そのまま引き継ぐ。断定を足さない。

おかげで、読者は六枚を横に並べて見ることができる。真作とされる三枚、工房の一枚、二十世紀の二枚。すべて CC0 の画像として公開されているので、細部を拡大して見比べることもできる。

見比べたところで、専門家の結論が変わるわけではない。だが、名前の欄を「確定した事実」ではなく「日付つきの判断」として読めるようになる。

そう読めるようになると、作者不明の作品の見え方も変わってくる。名前がないのは情報の欠落ではなく、まだ判断がついていない、という状態の表示なのである。

当サイトには、作者名のない作品が大量にある。取り込みの都合ではなく、もとの記録がそうなっているからだ。

その空欄は、いつか誰かの調査で埋まるかもしれない。埋まらないかもしれない。どちらであっても、絵はそこにあり続ける。

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