Open Access が配ったのは、画像ではなく確実性だった
Open Access が配ったのは画像ではなく確実性だった。保護期間と写真の権利、割れたままの司法判断、CC0 が放棄していないもの、そして当サイトが一点ごとに何を記録しているかまで。

2012年、アムステルダムで起きたこと
いまこの画面に表示されている名画の画像は、誰でも自由に使ってよいことになっている。複製しても、加工しても、商売に使ってもかまわない。
当たり前のように書いたが、これは十数年前には当たり前ではなかった。
いまでも、すべての美術館がそうしているわけではない。画像の使用に許諾と対価を求める館は、いまも世界中にある。
転機のひとつは2012年である。オランダのアムステルダム国立美術館が、所蔵品の画像を高解像度のまま無償で公開しはじめた。当初12万5千点。館としては世界で初めての規模だった。

それまでの常識は、むしろ逆だった。美術館は所蔵品の写真を管理し、出版社や企業に使用を許諾して対価を得る。画像は収入源であり、管理すべき資産だったのである。
その資産を手放す。しかも高解像度で、条件をつけずに。当時としては、かなり思い切った判断だったはずである。
高解像度である点も見逃せない。低い解像度で公開すれば、閲覧はできても印刷には使えない。使用許諾の商売を守りながら公開したという体裁を取ることもできた。
そうしなかったところに、この判断の性格が出ている。中途半端にすると、結局は問い合わせと交渉が残ってしまう。
数字が桁を上げていく
流れは続いた。
2017年2月、ニューヨークのメトロポリタン美術館が Open Access の方針を発表する。パブリックドメインの所蔵品について、画像を CC0 で公開するというものだった。対象は37万5千点以上。
2020年2月25日には、スミソニアン協会が280万点を超える画像とデータを CC0 で公開した。美術館だけでなく、自然史や航空宇宙まで含む分野横断の公開である。
十数万点から、数十万点、そして数百万点へ。八年ほどの間に、桁がふたつ上がったことになる。
桁が上がると、質も変わる。数万点なら人が選んで並べられるが、数百万点となるとそうはいかない。検索と分類が、鑑賞の前提として必要になってくる。
いま当サイトが扱っている画像も、この流れの上にある。ひとつひとつは、どこかの館が「使ってよい」と決めた結果としてここにある。
裏を返せば、館が決めなければ何も始まらなかったということでもある。作品の保護期間が切れているだけでは、画像は世に出てこない。
そもそも、いつ自由になるのか
ここで基礎的なところを確認しておきたい。作品が自由に使えるようになる条件の話である。
著作権には期限がある。日本の現行制度でいえば、原則として著作者の死後七十年で保護期間が終わる。
期間が過ぎた作品は、パブリックドメインと呼ばれる状態になる。誰の許諾もなく使ってよい、という状態である。
十六世紀の肖像画も、十七世紀の風景画も、当然ここに入る。四百年前の画家の権利が、いまも生きているわけがない。
ところが、それだけでは話が終わらない。作品が自由でも、その作品を写した写真がどうなるかは別問題だからである。
さらに現実的な壁もある。美術館の収蔵庫に入っている絵を、自分で撮影することはできない。
つまり、権利が切れていることと、画像が手に入ることは別である。この二つの隔たりが、長いあいだ埋まらなかった。
Open Access が埋めたのは、まさにこの隙間である。法的に自由なものを、実際に使える形で配る。それが新しかった。
なぜ手放せたのか
疑問が残る。収入源を、なぜ手放せたのか。
よく挙げられる説明はふたつある。ひとつは、画像使用料の収入が、館の予算全体から見れば大きくなかったこと。管理と請求にかかる手間を考えると、割に合わない面もあった。
もうひとつは、使われないことの損失である。手続きが面倒なら、出版社も教員も研究者も、別の画像で済ませてしまう。所蔵品が話題に上らなくなることのほうが、長い目で見れば痛い。
そしてもっとも大きいのは、おそらく目的との整合だろう。公共の美術館は、作品を保存し、公開し、伝えることを使命として掲げている。画像を囲い込むことは、その使命と正面から噛み合わない。
実際、公開に踏み切った館からは、利用や言及がむしろ増えたという報告が出ている。囲い込みをやめたほうが、館の存在感は上がるという理屈である。
とはいえ、これらは外から見た説明である。各館がどんな議論を経てその判断に至ったかは、それぞれ違うはずだ。
反対の立場もあった。無償で配れば作品の価値が軽く見られる、という懸念である。いまのところ、その懸念が現実になったという話はあまり聞かない。