Open Access・画像活用

Open Access が配ったのは、画像ではなく確実性だった

法律は、実は決着していない

ここからが、この話のいちばん面白いところである。

そもそも、四百年前に描かれた絵の著作権は、とうに切れている。ではその絵を撮影した写真はどうか。撮影者に新しい権利が生じるのだろうか。

この問いに、各国の司法は違う答えを出してきた。

アメリカでは1999年、ニューヨーク州南部地区の連邦地方裁判所が一つの判断を示した。平面作品を忠実に複製した写真に、著作権は認められないという結論である。

可能なかぎり原作そのままに写すことを目的としている以上、そこに独創性はない。技術も労力も要るが、著作権の判断基準はあくまで独創性だ、という理屈だった。

一方ドイツでは2018年12月、連邦通常裁判所が逆の判断を示した。平面作品の撮影であっても、角度や照明や距離といった選択が働いている。原作そっくりに見えることを目指したからといって、撮影者の関与が消えるわけではない、という理屈である。

著作権法上の関連する権利による保護を認める、というのがその結論だった。

同じ「絵を忠実に撮った写真」について、正反対の判断が並んでいることになる。どちらの言い分にも、それなりの筋は通っている。

複製に徹した仕事に独創性を認めないのも分かるし、実際に撮影の現場で無数の判断が働いていることも確かだからだ。

だから、宣言が効く

法解釈が割れているということは、利用する側から見れば厄介である。

ある国の基準では自由に使えるものが、別の国では権利者の許諾を要する。国境をまたいで流通するインターネット上の画像にとって、これは深刻な不確実性だ。

ここで効いてくるのが、館による CC0 の宣言である。

権利があるかないかを論じるかわりに、「あろうがなかろうが、放棄する」と表明してしまう。すると利用者は、法解釈の当否を自分で判断する必要がなくなる。

つまり Open Access が配ったのは、画像そのものというより確実性なのだと思う。安心して使ってよい、という保証が付いたことが、この動きの本質だったのではないか。

画像だけなら、それ以前から画集にも図録にも載っていた。足りなかったのは、それを使ってよいかどうかの判断材料のほうである。

宣言は、法律を変えるものではない。だが実務の上では、法律の不確かさを迂回する効果を持つ。

この構造は、他の分野でも見られるものだ。権利の有無を争うかわりに、権利者が先に手放してしまう。オープンソースのソフトウェアが広まった経緯にも、似たところがある。

争点をなくすことで前へ進める。Open Access は、その手法を文化財の画像に持ち込んだ試みだと言える。

CC0 が放棄していないもの

ここで、宣言の範囲をはっきりさせておきたい。CC0 で放棄されるのは、その画像に関する著作権とそれに準ずる権利である。

つまり、画像を複製し、加工し、配布し、商売に使うことが自由になる。ここまでは強い。

しかし、世の中の権利は著作権だけではない。CC0 で消えないものがいくつもある。

まず商標である。館の名称やロゴは別の制度で守られており、勝手に使えば問題になる。作品画像が自由でも、館の看板は自由ではない。

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏
北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》。作品の画像は自由に使えるが、それを所蔵する館の名前やロゴを商品に付けてよいわけではない。葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》メトロポリタン美術館蔵(CC0)

次に、写っている人の権利である。近代以降の写真や肖像には、被写体の肖像権やプライバシーが関わる。作品が古くても、被写体が現代の人であれば話は別になる。

そして日本の法律でいえば、著作者人格権は放棄できない性質のものとされる。もっとも、対象が数百年前の作品であれば、実務上ここが問題になることはまずない。

さらに、館ごとの利用条件がある。CC0 の宣言とは別に、「館内での撮影」「高解像度データの取得」などに条件を付けている場合がある。

だから当サイトでは、作品の権利表示とは別に、提供元の利用条件も確認したうえで取り込みを行っている。宣言があるから何でもよい、とはならない。

それでも、作品ごとに確かめる

ただし、注意すべきことがひとつある。

「あの館は Open Access だから、所蔵品はすべて自由に使える」とは限らない、ということだ。

同じ館の中でも、作品によって扱いは違う。保護期間が残っている近現代の作品もあれば、寄託品で権利関係が別にあるものもある。館の公開方針は、あくまで作品単位で適用されている。

ブリサック伯シャルル・ド・コッセの肖像
この作品も、館の方針ではなく作品ごとの表示を確認したうえで扱っている。ジャン・クルーエ《ブリサック伯シャルル・ド・コッセの肖像》メトロポリタン美術館蔵(CC0)

だから当サイトでは、取り込みのたびに作品一点ずつで表示を確認し、そのときの提供元の記載と確認日を記録として残している。館の名前ではなく、作品レコードの表示を根拠にする、という方針である。

手間はかかる。取り込みの一件ごとに、提供元の応答をそのまま保存し、確認した日付を残していく作業である。

しかし、館が引き受けてくれた確実性を、そのまま利用者へ渡すには、この段階を省くわけにいかない。宣言の効力は、正しく引き継がれてはじめて意味を持つ。

逆に言えば、確認できなかったものは扱わない。判断がつかない画像を並べることは、この仕組み全体を薄めることになる。