画家を知る

肖像画は、二十日で仕上がった——トマス・サリーの帳簿

2メートルを超える全身像が、三週間で仕上がっている。トマス・サリーは着手日と完成日と値段を帳簿に書き残した。胸像は50ドル、頭部は30ドル。ヴィクトリア女王の一件を含め、19世紀の肖像画がどんな商売だったのかを記録から読む。

ハープを持つ婦人——イライザ・リジリー
トマス・サリー《ハープを持つ婦人——イライザ・リジリー》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

三週間で仕上がった

一枚の全身像から始めたい。

ハープを持つ婦人——イライザ・リジリー
トマス・サリー《ハープを持つ婦人——イライザ・リジリー》1818年。油彩・画布。縦214.5センチ、横142.5センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ハープ台座の左下に「TS 1818」の組み合わせ文字が入る。トマス・サリー《ハープを持つ婦人——イライザ・リジリー》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

若い女性が、白い絹の服で立っている。

腰の切り替えが胸のすぐ下にあり、裾は床まで長い。袖は短く、肩が出ている。

左手はハープの上枠を握り、右手は弦のあたりに添えられている。

水色の肩掛けが左肩から腰の後ろへ回り、床の絨毯まで垂れている。

足元は白い室内履き。絨毯は薄い桃色で、縁に花模様の帯がある。

画面の左奥には低い石の欄干。その向こうに夕暮れの平野が広がる。

右には太い柱が立ち、赤い腰掛けが置かれている。

縦は2メートルを超える。人物はほぼ等身大である。

近づいて見ると、白い服はほとんど灰色で描かれている。純白は数か所の照りだけである。

その灰色の面積が広いために、絹の重さと冷たさが出る。

この大きさの絵に、どれだけの日数がかかったと思われるだろうか。

答えは記録に残っている。1818年5月1日に始め、5月21日に仕上げている。

三週間である。

値段も分かっている。500ドルと記入されている。

描かれた女性は、当時まだ十代半ばだった。

注文したのは本人ではなく、父である。所蔵館の記録では、父はこの絵を同じ年の初秋に受け取っている。

絵はその後、一家の屋敷に長く掛かり、孫の代を経て1945年に美術館へ入った。

つまりこの全身像は、娘を持つ家の道具として注文され、家の中で世代を越えた。

飾るための絵であり、同時に家の格を示すための絵である。

画家が自分で付けていた帳簿

なぜ日付と値段が分かるのか。

画家自身が帳簿を付けていたからである。

トマス・サリー(1783〜1872)は、生涯にわたって仕事の記録を残した。

本人はそれを「登録簿」ではなく「絵の勘定(Account of Pictures)」と呼んでいる。

最初の記入は1801年5月10日。兄チェスターを描いた細密画だった。

帳簿には罫が引かれ、列の順序が決まっている。

着手日、絵の寸法、依頼主の名、値段または見積り、そして完成日。

つまり、この帳簿は作品目録であると同時に、受注台帳である。

これは、絵を語るうえでかなり珍しい条件である。

多くの画家について、私たちは制作の順序も報酬も推測でしか語れない。

サリーについては、着手日と完成日と値段が本人の筆で残っている。

だから本稿では「たぶん」を使う場面が少ない。数字はすべて帳簿とその目録に由来する。

ただし一点だけ先に断っておきたい。値段欄は「請求」ではなく「見積り」でもある。

実際に入金があったかどうかは、この帳簿では分からない。後半でその話をする。

1921年に刊行された作品目録は、この帳簿にもとづいて編まれた。

収録は約2,600点。画家として働いた年数で割ると、年平均37点になる。

年ごとの数字も残っている。

1801年は10点で180ドル。1805年は30点で680ドル。

1806年は18点に落ち、527ドル。

そして1807年、24歳の年に70点、3,203ドルまで伸びる。

前年の6倍である。この年、ニューヨークで舞台関係者の肖像を大量に引き受けた。

役者の一人が若い画家を仲間に紹介し、注文が連鎖した。

帳簿には「クーパーのために」と付記された記入が並ぶ。人の縁がそのまま売上になっている。

最初の値段は50ドルだった

初期の値段も記録から分かる。

胸から上の肖像が50ドル。少し大きく、半身に近づくと80ドル。

24歳前後の相場である。

1807年末、アメリカは通商禁止法(エンバーゴ法)を施行した。

貿易港フィラデルフィアの景気は冷え込み、肖像画の注文も減った。

サリーは翌1808年、値段を30ドルに下げた予約制の仕事を引き受けている。

帳簿から確認できる範囲で、少なくとも26人がこの条件で座った。

不況期に単価を下げて数を確保する。画家の判断は、商人の判断とよく似ている。

値段を下げても、仕事の質は落としていない。この時期の肖像は、今も評価が高い。

安く受けた仕事を手抜きで済ませなかったことは、残った絵の側から言える。

画家自身の肖像
トマス・サリー《画家自身の肖像》1821年。油彩・画布。縦43.5センチ、横35.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。右手に絵筆を持ち、こちらを振り向いている。トマス・サリー《画家自身の肖像》メトロポリタン美術館蔵

38歳の自画像である。

巻いた黒髪、白い襟布、茶色の上着。頬から鼻筋にかけて明るい光が当たっている。

右手には細い絵筆。画面の下辺で切れているため、指の形だけが見える。

顔の造りは丁寧に仕上げられ、上着は大きな筆で置かれている。

この仕上げ方の差は、以後の作品にも繰り返し現れる。

顔に時間をかけ、それ以外を素早く済ませる。速さの秘密の半分はここにある。

残りの半分は、次のページで見る「寸法」の話につながっていく。

寸法が値段を決めていた

帳簿の列を、もう一度見てほしい。

寸法が、依頼主の名より前に来る。

当時の肖像画は、大きさで値段の段が決まっていた。

頭部だけ、胸像、半身、そして全身。段が上がるほど画布も画料も上がる。

依頼主は「誰を描くか」と同時に「どの段を買うか」を決めていた。

当時のアメリカに、宮廷や大聖堂のような大口の注文主は無かった。

歴史画や祭壇画をまとめて注文する相手がいない。

だから画家の生活を支えたのは、個人の肖像だった——そう説明されることが多い。

サリーの帳簿は、その説明を数字の側から裏づけている。

2,600点の大半が、名前の分かる個人の顔である。

この仕組みが最もよく見えるのは、1838年のヴィクトリア女王の仕事である。