画家を知る

他人の絵を、写して覚える——トマス・サリーの写生帖

一冊の帖から出た九枚は、どれも他人の絵の写しである。レンブラント、ダヴィッド、レノルズ。名は題に書かれ、疑問符が付くものもある。線だけの速い写しと、淡彩を重ねた写しが同じ帖に同居する。受入の年が一年ずれる記録の癖にも触れる。

病者を癒すキリスト、レンブラントにもとづく(写生帖より)
トマス・サリー《病者を癒すキリスト、レンブラントにもとづく(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

一冊の帖から、九枚

九点はすべて同じ一冊から出ている。

紙の大きさは、九点とも縦22.9センチ、横29.2センチである。帖を開いたときの片面にあたる。

技法の欄も揃っている。紙に、インクと淡彩、とある。

制作年は1810年から1820年。十年の幅で書かれ、それ以上は絞られていない。

九点に共通することがもう一つある。どれも、誰かの絵を写している。

写生帖という言葉

日本語で写生帖と言えば、外へ持ち出して目の前のものを描く帖を指すことが多い。

英語の記録では、素描の帖という程度の意味になる。中身が写生とは限らない。

この帖の場合、外の景色を描いた頁はごく少ない。九点のうち風景は一点だけである。

残りはすべて室内の仕事である。手本を前に置き、机の上で描いている。

だから、この帖を旅の記録として読むと外れる。学習の記録として読むほうが合う。

題に、写した相手の名が入る

題を並べてみる。レンブラント、ダヴィッド、レノルズ、ミケランジェロ、ティツィアーノ、ヴァン・ダイク。

さらに、オランダの風景画家の名が二つ挙がる。ファン・ホイエンか、ファン・ロイスダールか、と館は書く。

写生帖という言葉から思い浮かぶのは、目の前のものを写す帖である。しかしこの帖は違う。

写されているのは、他人が描いた絵である。しかもその多くは、当時のアメリカにはなかった絵である。

手本は、どこから来たか

写した相手の顔ぶれを見ると、時代も国もばらばらである。

十六世紀のイタリア、十七世紀のオランダ、十八世紀のイギリス、そして同時代のフランス。

一人の画家の周りに、これだけの手本が集まっていたことになる。

集まった経路は、多くが複製である。版画、書物の挿絵、模写。原画に会う機会はまれである。

その意味で、この帖はいまの画像公開と地続きである。遠くの絵に触れる手段が、複製であるという点で変わらない。

番号が、頁を示す

館の受入番号を見ると、一冊の帖であったことがよく分かる。

九点の番号は、同じ大きな番号の下に枝番で並ぶ。枝番は1から68まで散らばっている。

つまり、少なくとも68枚の紙があったことになる。九点はその一部である。

番号には、表と裏の別も書かれる。同じ紙の裏に描かれた絵は、裏、と明記される。

九点のうち二点は裏である。帖は両面が使われていた。

表と裏の両方に描くのは、紙を節約するためだけではない。続きの主題を隣に置くこともある。

ただし、この帖では裏表の関係はよく分からない。九点だけでは判断できない。

一冊の帖を分けて記録するとき、面が単位になる。紙一枚が二点として数えられる。

その数え方は館によって違う。一枚を一点とする館もある。

このことは、点数を比べるときに効いてくる。同じ量の紙が、館によって別の数になる。

病者を癒すキリスト、レンブラントにもとづく(写生帖より)
トマス・サリー《病者を癒すキリスト、レンブラントにもとづく(写生帖より)》1810年から1820年。紙にインクと淡彩。館の記録では、縦22.9センチ、横29.2センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1953年。トマス・サリー《病者を癒すキリスト、レンブラントにもとづく(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

九点のなかで、最も描き込まれた一枚である。

画面の中央に、光を放つ人物が立つ。背後の壁は暗く、上に向かって高い空間が開く。

その周りに、二十人以上が群れる。座る者、横たわる者、身を乗り出す者がいる。

明暗の差が大きい。淡彩を何度も重ねて、暗い部分を作っている。

四辺には枠線が引かれる。帖の紙の上に、一枚の絵として区切っている。

右上に、細い文字の書き込みがある。画像では読み取れないが、写した相手の名を記したものと思われる。

人物の顔はほとんど描き分けられていない。輪郭と影だけで、群れとして扱われている。

それでも、光の中心がどこにあるかははっきりする。写しの目的が明暗の配置にあったことが分かる。

紙の下辺近くに、横たわる人物が数人いる。病者として描かれているのだろう。

もとの絵は、はるかに細かい。ここでは細部が落とされ、骨組みだけが残っている。

もとの絵は、版画だった

写した相手はレンブラントである。ただし、油彩の絵を見たわけではないと考えられる。

この主題は、レンブラントの銅版画としてよく知られている。百グルデン版画という通称がある。

版画なら、刷り物として各地に出回る。海の向こうでも手に入る。

つまり、写した対象は原画ではなく複製である。複製をさらに写す、という二段の関係になる。

写しの連鎖は、当時の学び方の中心だった。今日の画像公開とは仕組みが違うが、狙いは似ている。

学者アブラハム・フランセン(写生帖より)
トマス・サリー《学者アブラハム・フランセン(写生帖より)》1810年から1820年。紙にインクと淡彩。館の記録では、縦22.9センチ、横29.2センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1953年。トマス・サリー《学者アブラハム・フランセン(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

この一枚だけ、紙を縦に使っている。

上半分に、机に向かう人物が座る。手に紙を持ち、光のほうへかざしている。

背後の棚には、額に入った絵や壺のようなものが並ぶ。奥に高い窓がある。

下半分には、別の場面が描かれる。階段の下に人がいて、暗い部屋の中に道具が置かれる。

一枚の紙に、二つの場面が上下に並ぶ。帖の紙を二つに分けて使っている。

これもレンブラントの版画にもとづく画題である。館の題は人物の名だけを書き、もとの絵の作者を書いていない。

記録が書かないこと

九点の題を見ると、写した相手が書かれているものと、書かれていないものがある。

いま見た一枚は、人物の名だけである。写しであることは題からは分からない。

一方で、レンブラントにもとづく、と明記された題もある。書き方が揃っていない。

これは、記録が作られた時期や担当者の違いによると思われる。館は一度に全部を調べたわけではない。

だから、題だけを機械で数えても、写しが何枚あるかは分からない。画像を見て初めて分かる。

ダヴィッドにもとづく素描ほか(写生帖より)
トマス・サリー《ダヴィッドにもとづく素描ほか(写生帖より)》1810年から1820年。紙にインクと淡彩。館の記録では、縦22.9センチ、横29.2センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1953年。トマス・サリー《ダヴィッドにもとづく素描ほか(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

先の二枚とは、描き方がまるで違う。

線だけで描かれている。淡彩はほとんど使われていない。

中央に、後ろ足で立ち上がる馬がいる。その上に、外套をひるがえした人物が乗る。

左上に、横たわる裸体の人物が描かれる。右には、衣をまとった女性が立つ。

三つの図が、一枚の紙に散っている。互いに関係はない。

背景は描かれていない。馬の下の地面すら省かれている。

二つの速さ

九点は、はっきり二つに分かれる。

一つは、いま見たような線だけの素描である。一枚に複数の図が入り、短時間で描かれたと考えられる。

もう一つは、淡彩を重ねた一枚絵である。枠線が引かれ、一つの構図として仕上げられている。

前者は、覚えるための写しである。形を取ることが目的で、仕上げは要らない。

後者は、絵として作り直す写しである。明暗の配分まで真似ようとしている。

同じ帖の中に、二つの目的が同居している。

レノルズにもとづく母と子どもほか(写生帖より)
トマス・サリー《レノルズにもとづく母と子どもほか(写生帖より)》1810年から1820年。紙にインクと淡彩。館の記録では、縦22.9センチ、横29.2センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1954年。トマス・サリー《レノルズにもとづく母と子どもほか(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

淡彩を使ったほうの一枚である。

右に、大きな人物が身をかがめる。左に、子どもの顔が三つ寄り集まる。

上部に半円の形があり、その中に暗い塊が置かれる。木の茂みか、装飾かは判別できない。

背景は薄く塗られ、人物の輪郭が浮き上がる。輪郭線はところどころ強い。

下の余白に、書き込みがある。レノルズにもとづく、という意味の文字と読める。

この書き込みが、館の題の根拠になっている。写した本人が紙に残した情報である。

書き込みが、根拠になる

写しかどうかは、絵を見ただけでは決まらない。

似た構図はいくらでもある。偶然に似ることもある。

だから、紙の上の書き込みが重要になる。写した本人が名を書いていれば、それが最も強い根拠になる。

九点のうち、書き込みが見える一枚は限られる。ほかは、構図の一致から判断されている。

判断には幅がある。館が疑問符を付けているのは、そのためである。

アダムの創造ほか、ミケランジェロにもとづく(写生帖より)
トマス・サリー《アダムの創造ほか、ミケランジェロにもとづく(写生帖より)》1810年から1820年。紙にインクと淡彩。館の記録では、縦22.9センチ、横29.2センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1953年。トマス・サリー《アダムの創造ほか、ミケランジェロにもとづく(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

上部に、身を起こしかけた裸体の男が横たわる。腕を斜めに伸ばしている。

下部にも、似た姿勢の人物がいる。同じ形を二度取ったように見える。

右側には、小さな頭部の習作がいくつか並ぶ。輪郭だけの顔が四つほど数えられる。

右端には、暗い四角形が置かれる。淡彩を濃く塗った部分である。試し塗りかもしれない。

紙の余白が広い。写すべきところだけを取り、残りは空けている。

綴りが、揺れる

題を細かく読むと、名前の綴りが標準の形と違うものがある。

ミケランジェロの綴りには、余分な文字が入っている。ヴァン・ダイクの綴りも、一般的な形とは違う。

こうした揺れは、古い記録によくある。手書きの目録を写す過程で生じる。

館はこれを直していない。直せば読みやすくなるが、記録が作られた時期の跡は消える。

当サイトはこの記録をそのまま取り込んでいる。日本語では慣用の表記に直して書いているが、もとの綴りには揺れがある。

ペルセウスとアンドロメダほか(写生帖より)
トマス・サリー《ペルセウスとアンドロメダほか(写生帖より)》1810年から1820年。紙にインクと淡彩。館の記録では、縦22.9センチ、横29.2センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1953年。トマス・サリー《ペルセウスとアンドロメダほか(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

線だけの一枚である。図が四つ以上、紙の上に散る。

左上に、腕を上げた人物がいる。中央には、絡み合う人と獣がいる。

右上には、立つ人物が二人。右下には、身をよじる形が重なる。

どの図も未完である。輪郭を追っただけで、量感は与えられていない。

館の題には疑問符が付く。ティツィアーノにもとづくかどうか、確定していないという印である。

淡彩の置き方

淡彩を使った三点には、共通する手つきがある。

まず薄い層を広く置き、乾いてから濃い層を重ねる。重ねた回数だけ暗くなる。

明るい部分は塗り残しである。紙の白がそのまま光になる。

線だけの頁とは、まったく違う作業になる。時間も、集中の度合いも違う。

同じ帖に両方が入るのは、目的が違うからである。急いで形を取る日と、じっくり明暗を追う日があった。

疑問符を、消さない

記録には、たびたび疑問符が現れる。

九点のうち三点の題に、括弧付きの疑問符が入る。ある画題の同定に自信がない、という意味である。

これは弱点ではない。分かっていることと分かっていないことを、分けて書いているだけである。

もし疑問符を消せば、記録は読みやすくなる。同時に、間違いが確定した事実に変わってしまう。

九点を通して、館は慎重な書き方を続けている。ここでもその慎重さを訳し落とさないようにした。

一枚に、四つ

線だけの頁には、複数の図が同居する。

紙は貴重ではないが、帖の頁数は決まっている。空いた場所に次を描くのは自然である。

その結果、無関係な図が隣り合う。神話の場面の横に、母と子が並ぶ。

見る側は、その並びから何かを読み取りたくなる。だが、そこに意味はないことのほうが多い。

ヴァン・ダイクにもとづく枢機卿ほか(写生帖より)
トマス・サリー《ヴァン・ダイクにもとづく枢機卿ほか(写生帖より)》1810年から1820年。紙にインクと淡彩。館の記録では、縦22.9センチ、横29.2センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1953年。トマス・サリー《ヴァン・ダイクにもとづく枢機卿ほか(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

左に、立つ裸体の男がいる。膝から下が描かれていない。

中央には、椅子に座る人物の上半身がある。手を前に差し出している。

右上には、子どもを抱いた人物が座る。右下には、小さな馬と騎手がいる。

一枚に四つの図が入る。出どころも時代もばらばらである。

紙の上では、それらが並列に置かれる。帖は、写しの寄せ集めとして働いている。

手紙を持つ女ほか(写生帖より)
トマス・サリー《手紙を持つ女ほか(写生帖より)》1810年から1820年。紙にインクと淡彩。館の記録では、縦22.9センチ、横29.2センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1953年。トマス・サリー《手紙を持つ女ほか(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

上部には、横たわる人物を囲む群像が二組ある。輪郭は速く、細部はない。

下部の左に、灯りらしいものの前で身をかがめる人物がいる。

下部の右には、椅子に座る女性がいる。手に何かを持ち、うつむいている。

館の題は、この女性をレンブラントの画題と結びつける。手紙を持つ女、という指定が入る。

一枚の紙に五つの主題が入る。館の題は、それを全部書き並べている。だから題が長い。

何のために写したか

写しは、絵を学ぶ人の基本的な仕事だった。

構図の作り方、明暗の置き方、衣の畳み方。それらは、見て真似ることで身につく。

サリーは肖像画で生計を立てた画家である。仕事の帳簿については、肖像画は、二十日で仕上がった——トマス・サリーの帳簿に書いた。

その仕事の裏に、この帖がある。注文の絵とは関係のない主題が並ぶ。

宗教画、神話、歴史。いずれも当時のアメリカでは注文の少ない領域である。

風車のある街の眺め(写生帖より)
トマス・サリー《風車のある街の眺め(写生帖より)》1810年から1820年。紙にインクと淡彩。館の記録では、縦22.9センチ、横29.2センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1953年。トマス・サリー《風車のある街の眺め(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

九点で唯一の風景である。

画面の上半分を、雲が占める。淡彩を濃く置き、下端をぼかしている。

水面が横に広がり、右に帆をあげた舟がいる。左には風車が立つ。

奥には低い街並みが並ぶ。塔らしい形が二つ見える。

紙の縁が不揃いで、右端が波打つ。帖から外したときの跡と思われる。

館の題は、二人の画家の名を挙げ、疑問符を付ける。どちらとも決めていない。

受入の年が、揃わない

最後に、記録の小さな食い違いに触れておきたい。

九点の受入は、同じ基金による購入である。番号も同じ大きな番号の下にある。

ところが、年の欄は八点が1953年で、一点だけ1954年になっている。

同じ帖から出た紙が、一年ずれて記録されている。事務の都合か、記入の誤りかは分からない。

こうした小さなずれは、大きな所蔵ではよく起こる。当サイトは記録をそのまま扱うので、ずれもそのまま残る。

白黒でしか見られない

九点の公開画像は、いずれも白黒である。

記録の技法欄には、インクの色を書くものもある。褐色のインク、と書かれた頁が同じ帖に存在する。

しかし画像からは、その色を確かめられない。灰色の濃淡しか見えない。

だから本文では、色について書かないことにした。書けば、見ていないことを書くことになる。

見えないものを見えないと書くのは、記録の扱いとして必要な手続きである。

学ぶ場所がなかったころ

十九世紀初めのアメリカに、美術を学ぶ大きな学校はまだ少なかった。

古い名画も、まとまっては見られない。彫刻の石膏像や版画の複製が手本になった。

だから画家は、写しを通して西洋の絵の歴史に触れた。実物を見ずに、形だけを受け取る。

サリーはのちにイギリスへ渡り、実物に接している。この帖の年代は、その前後にまたがる。

十年という制作年の幅は、その事情も含んでいるのかもしれない。ただし記録は何も書いていない。

主題の偏り

九点の主題を数えてみる。

宗教の場面が三つ、神話が一つ、歴史が一つ、風景が一つ、残りは人物の習作である。

注文で描く肖像は一つもない。仕事とは別の領域が選ばれている。

これは、肖像だけでは学べないものを補おうとした跡と読める。群像の組み方や物語の運びである。

もっとも、本人がそう書き残しているわけではない。九点の並びから推し量れることにすぎない。

写しは、誰のものか

写しは、作品として扱いにくい。

構図は他人のもので、主題も他人のものである。残るのは手の動きだけである。

それでも、写しには写した人の癖が出る。何を省き、何を残すかに選択がある。

九点を見比べると、その選択が読める。顔は省き、姿勢は残す。装飾は省き、明暗は残す。

つまり、この帖は他人の絵の記録であると同時に、写した人の関心の記録でもある。

未完のまま残る

九点のうち、仕上がっていると言えるのは三点だけである。

残りは線の段階で止まっている。手が離れた場所が、そのまま見える。

未完であることは、学習の記録としてはむしろ都合がよい。どこまでが必要だったかが分かる。

完成させる必要がないから、必要な情報だけを取って次へ移る。帖の頁がどんどん進む。

68という枝番の大きさは、その速さの結果でもある。

帖という単位

一枚ずつ見れば、九点は断片である。

未完の線が並び、主題はつながらない。作品として鑑賞するには物足りない。

しかし帖として見ると、一人の画家の学び方が現れる。何を写し、どの速さで写したかが残っている。

同じ帖の題の書き方については、題が、括弧だけで終わる——トマス・サリーの写生帖でも扱った。

写しは、名を残すための仕事ではない。だからこそ、正直な跡が残る。

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