窓は、絵のなかの絵である——欧米の室内画・版画ほか九点
窓を描くと、その四角のなかに別の景色が入る。室内の暗さと、外の明るさが同居する。九点で、窓の形と位置を読みたい。窓の外を描かず、白く飛ばす方法もある。窓の桟が、外の景色を分割する働きも持つ。九点で、その形を数えたい。

窓は、画面のなかの画面である
前の回で、室内に光がどこから入るかを見た。
今回は、窓そのものを見たい。
窓には、二つの働きがある。
一つは、光を入れることである。
もう一つは、外を見せることである。
そして、外を見せるとき、窓枠は額縁になる。
画面のなかに、もう一つの画面ができる。
九点を並べて、その二重の構造を読みたい。

小さな板絵である。
二十七・六掛ける二十二・五センチ。
画面のほとんどが、石の窓枠である。
上部が半円に丸まっている。
その枠の中に、女性が一人。
黒い上着と、白い襟。
頭に、白い布をかぶる。
右手に、赤い果実を持ち、胸の高さに上げている。
左手は、窓の下の石の台に置かれる。
台の上に、赤い表紙の本。
その右に、白い布と、果実が数個。
窓の左側に、蔓が垂れている。
葉が青みを帯びる。
窓の内側は、暗い。
奥は見えない。
窓が、額縁になる
この絵では、窓枠が画面の縁とほぼ一致している。
上が丸く、左右が垂直。
つまり、絵の額縁と、描かれた窓枠が二重になっている。
そして、見る人は窓の外に立っていることになる。
室内にいるのではない。
第五回で、視点の位置を構図から読んだ。
ここでは、窓枠の位置が決めている。
枠が手前にあるなら、見る人はその手前にいる。
そして、窓の中は暗い。
外から中を覗く形なので、当然である。
第十三回で、暗い部屋から明るい外を見る絵を読んだ。
こちらは、その逆である。
明るい外から、暗い中を見ている。
窓の形
九点の窓の形を並べたい。
上が半円のものが一点。
メツーの石の窓である。
四角い木枠のものが三点。
マドラソの鎧戸付き、宝くじ売場の格子窓、窓辺の花。
そして、形が描かれていないものが五点。
二つの眺めと、写生帖の三点である。
窓の形は、建物の作りで決まる。
石造りなら、上を丸くできる。
木造りなら、四角になる。
そして、その形が画面のなかで働く。
半円の窓は、上部に丸みを与える。
四角い窓は、画面の縁と平行な線を作る。
第五回で読んだ丸窓の版画では、円が画面の大半を占めていた。
窓の形が、そのまま構図になっていた。
つまり、窓を描くとは、建築の形を画面に持ち込むことである。
そして、建築の形は選べない。
その土地の作り方に従うしかない。
九点の窓を見比べると、地域と時代の差がそこに出ている。
台の上に、ものを置く
窓の下の石の台には、本と布と果実が置かれている。
これは、偶然ではない。
窓辺は、ものを置く場所である。
そして、絵のなかでは、置かれたものが意味を持つ。
本、果実、布。
いずれも、この人物について何かを語っている。
第十二回で、慈愛の炎が属性だと書いた。
窓辺のものも、同じ働きをすることがある。
そして、構図の上でも役に立つ。
窓の下端に、水平の面ができる。
そこにものを置くと、画面の下部が締まる。

前の一点と、構図が似ている。
しかし、状況が違う。
画面の中央に、窓がある。
木の枠と、緑の鎧戸。
その窓辺に、二人の女性がいる。
手前の一人は、座っている。
白い衣に、桃色の裾。
胸元に、赤い花の飾り。
窓の桟に、腕をかけている。
その後ろに、もう一人。
黒い衣で、立っている。
頭に、青い飾り。
手を頬に当てている。
窓の外側は、暗い。
そして、窓の下に、鉢植えの花。
赤い花が咲く。
窓辺は、内と外の境である
この二点に共通するのは、人が窓辺にいることである。
室内でも、屋外でもない。
その境目にいる。
窓辺は、内と外が接する場所である。
だから、そこにいる人は両方に属している。
外を見ながら、中にいる。
そして、外から見られる場所でもある。
この二点は、いずれも外から見た構図である。
つまり、見る人は外にいて、窓辺の人を見ている。
その視線に、窓辺の人が気づいている。
前の一点では、女性がこちらを見ている。
この一点でも、後ろの一人がこちらを見る。
窓辺の絵では、視線が交わりやすい。
窓から外を見る

第十六回で読んだニューヨークの図画の収集の、一点である。
白黒の画像である。
横長の画面。
左手前に、板張りの建物の側面。
窓が二つ、規則正しく並ぶ。
壁の板の線が、細かく描かれる。
その右に、低い塀と、屋根が広がる。
さらに右に、円形の柵で囲まれた場所。
その向こうに、木が一本立つ。
奥は、平らな土地と、遠い建物の列。
空は白く、雲が薄い。
そして、窓枠は描かれていない。
窓枠を描かない、窓の絵
題に、窓からの眺めとある。
しかし、画面に窓枠がない。
これは、窓辺に立って外だけを描いたからである。
つまり、窓は見る位置を示すだけで、画面には現れない。
第五回で、見ている人は画面に描かれないと書いた。
窓も、同じ扱いになることがある。
そして、そのほうが外の景色は広く描ける。
枠を描けば、その分だけ外が狭くなる。
一方、枠を描かないと、室内にいることが分からない。
題だけが、それを伝える。
第十一回で読んだ夕涼みの版画も、題だけが時刻を伝えていた。
同じ構造である。

こちらも、題に窓からの眺めとある。
そして、やはり窓枠が描かれていない。
縦長の画面である。
中央に、大きな木が一本。
葉が黄緑と橙で、点の集まりとして描かれる。
密で、その向こうがほとんど見えない。
わずかな隙間から、建物の壁が覗く。
赤い部分と、青い部分。
窓らしい四角も見える。
下のほうに、細い柵。
その手前に、低い茂み。
輪郭がほとんどない。
色の点だけで作られている。
見える範囲が、窓の大きさである
窓枠が描かれていなくても、見える範囲は窓が決めている。
窓が小さければ、狭い範囲しか見えない。
大きければ、広く見える。
この一点では、画面のほとんどが一本の木で埋まっている。
つまり、窓のすぐ外に木があった。
そして、その木が視界を塞いでいる。
前の一点では、遠くまで見えていた。
窓の外が開けていたからである。
同じ「窓からの眺め」でも、内容がまるで違う。
そして、その差は窓の位置が決めている。
第五回で、視点の高さについて書いた。
窓の絵では、窓の位置がそのまま視点になる。

第十八回で読んだコーコラン移管の、一点である。
縦長の画面である。
右半分に、白いカーテンが垂れる。
薄い布で、光を通す。
襞が縦に走る。
その左に、窓が開いている。
外は、緑の草地と、遠い木立。
空は桃色がかっている。
夕暮れらしい。
そして、窓の下の台に、器が置かれている。
浅い鉢である。
そこに、花が盛られている。
赤、桃色、白。
葉が数枚、外へ広がる。
台の上には、白い布が掛かる。
逆光の花
この花は、逆光で見られている。
外が明るく、内が暗いからである。
だから、花の色が沈む。
明るい部分は、外の景色である。
そして、カーテンが半透明なので、そこも明るい。
つまり、いちばん暗いのが、手前の花と器である。
第十一回で、逆光ではすべてが影になると書いた。
ここでは、花だけがその状態にある。
そして、それでも花の色は読める。
完全な影にはなっていない。
室内にも、わずかな光が回り込んでいるからである。
窓の光で、部屋を照らす

縦長の室内画である。
奥に、大きな窓がある。
格子で細かく区切られている。
そこから、光が入る。
窓の下半分は、黄色みを帯びる。
日が差しているらしい。
窓の手前に、長い机が横に置かれる。
左右の壁には、棚が並ぶ。
紙束が積まれている。
左の壁には、紙が貼られている。
告知だろう。
その上に、黒い物体が突き出す。
床は板張りで、手前へ広がる。
中央に、丸い椅子が一脚。
人はいない。
人のいない室内
この一点には、人がいない。
第十三回で、室内には人がいることが多いと書いた。
九点のうち、人がいなかったのは二点だけだった。
こちらも、その一つに近い。
そして、人がいないと、部屋そのものが主題になる。
机の高さ、棚の数、窓の大きさ。
いずれも、この場所の仕事を語っている。
紙を扱う仕事である。
そして、光が奥から来ている。
つまり、机に向かう人は、窓を背にすることになる。
手もとが影になる。
実際には、そう使われていなかっただろう。
絵として、奥に窓を置いたほうが構図が締まる。
写生帖の窓
残る三点は、同じ写生帖の頁である。

第一回でも、同じ写生帖の頁を読んだ。
一枚の紙に、複数の絵が散らばっている。
いずれも、細いインクの線だけである。
左上に、人物が二人。
窓の桟らしい線に、腕をかけている。
その右に、また人物。
中央下に、座った人物と、子ども。
右端にも、立ち姿が一つ。
いずれも輪郭だけで、影がない。
大きさもまちまちである。
紙の大部分は、白いままである。
同じ姿勢を、何度も描く
この頁には、窓辺の人物が二回描かれている。
似た姿勢である。
腕を桟にかけ、外を見る。
つまり、同じ構図を試している。
角度を変え、腕の位置を変えて、二度描く。
第十七回で、本画のための頁について書いた。
完成した絵のために、姿勢を確かめる作業である。
そして、この頁には他の主題も混じっている。
座った人物、母と子、本を見る二人。
一枚の紙に、別々の思いつきが並ぶ。
第一回で、写生帖の頁には構図がないと書いた。
同じことが、ここでも起きている。

同じ写生帖の、別の頁である。
こちらは、描き込みが濃い。
中央左に、人物の群れがある。
女性が座り、子どもを抱く。
その左に、男性が身をかがめる。
さらに子どもが二人。
淡彩で、影が付けられている。
灰色の面が、衣の襞を作る。
その右に、立った女性が一人。
こちらは輪郭だけである。
右下にも、小さな人物が数人。
そして、下端に手書きの文字。
一枚の紙に、二つの仕上がり
この頁では、描き込みの量が場所によって違う。
左の群像は、影まで付いている。
右の人物は、線だけである。
つまり、同じ紙の上で、二つの段階が並んでいる。
思いついた線と、詰めた線。
第三回で読んだ素描でも、描き込みが偏っていた。
写生帖では、これがふつうである。
そして、館はこの頁を一点として登録している。
第十七回で扱った、頁ごとに数える方式である。
内容の多寡では選別しない。

同じ写生帖の、また別の頁である。
そして、人がいない。
家具だけが描かれている。
上に、長椅子が一脚。
背もたれが片側だけにあり、渦を巻く形で終わる。
脚は外へ反る。
その下に、椅子が二脚。
背が湾曲し、脚が細い。
さらに下に、また長椅子。
そして、右下に、低い腰掛。
窓辺に置くためのものである。
いずれも、細い線で描かれる。
寸法らしい数字と、文字が添えられている。
家具を写す頁
この頁は、家具の記録である。
肖像画の背景に置くための資料だろう。
人物を描くとき、椅子や長椅子が要る。
その形を、あらかじめ写しておく。
そして、窓辺の腰掛が含まれている。
窓辺に人を座らせる構図を、この画家は繰り返し使っている。
前に見た頁にも、窓辺の人物が二回描かれていた。
つまり、この三枚は同じ構図の準備である。
家具を写し、姿勢を試し、群像を組む。
三段階が、三枚に分かれている。
そして、記録の上では別々の番号を持つ。
第十七回で扱った、一冊が何点になるかという問題である。
同じ帖から、三枚
九点のうち三点が、同じ写生帖の頁である。
第一回でも、同じ帖の頁を一枚読んだ。
つまり、この一冊から四枚を選んだことになる。
一冊の帖に、それだけの頁があるということである。
番号を見ると、五三・一八二の九、一八、七三。
枝番が七十を超えている。
第十七回で扱った、一冊が何点になるかという問題である。
そして、この三枚には共通点がある。
いずれも、複数の絵が一枚に散らばっている。
そして、いずれも窓に関わる要素を含む。
窓辺の人物、窓辺の腰掛、窓辺に座る女性。
つまり、この画家は窓辺の構図を繰り返し考えていた。
一冊の帖を通して見れば、その関心が読める。
しかし、館の記録では一枚ずつ別の作品である。
まとめて見るには、番号を追うしかない。
第十八回で、出所の行を集計する方法について書いた。
写生帖の頁も、同じように集計できる。
一つの帖の番号をすべて集めれば、その画家の関心が浮かぶ。
九点を、窓の扱いで分ける
九点を、窓の扱いで分けたい。
窓枠が画面の縁と重なるものが二点。
メツーと、マドラソ。
いずれも、外から中を見ている。
窓枠が描かれず、外だけが見えるものが二点。
二つの「窓からの眺め」である。
窓と室内が両方見えるものが二点。
窓辺の花と、宝くじ売場。
そして、写生帖の頁が三点。
窓が線として描かれるだけである。
窓の外に、何が見えるか
九点のうち、窓の外が見えるものは五点である。
そして、見えているものが違う。
蔓の葉が一点。
暗い室内が一点。
草地と木立が一点。
町の屋根と遠景が一点。
一本の木が一点。
つまり、遠くまで見えるのは二点だけである。
残りは、すぐ近くのもので視界が塞がれている。
これは、実際の窓でもよくあることである。
隣の建物、庭の木、蔓。
窓を開けても、遠景が見えるとは限らない。
そして、絵としては、塞がれているほうが落ち着く。
遠くまで抜けると、画面の奥行が急に深くなる。
近くで止まると、平らな面として収まる。
第十三回で読んだ室内画では、戸口の向こうに緑が見えていた。
あれも、すぐ近くで視界が止まっていた。
窓や戸口の外に何を置くかは、奥行の設計そのものである。
窓は、位置を確定させる
最後に、窓の働きをまとめたい。
窓があると、見る人の位置が決まる。
内にいるか、外にいるか。
そのどちらかである。
窓枠が手前にあれば、その手前にいる。
窓の向こうが見えていれば、こちら側にいる。
第五回で、視点の高さを読む手がかりを三つ挙げた。
窓は、四つ目の、そして最も強い手がかりである。
そして、窓は光の入口でもある。
第十三回で書いたとおりである。
つまり、窓は位置と光を同時に決めてしまう。
一つ描くだけで、絵の骨格が決まる。
だから、室内画には必ずといってよいほど窓がある。
次の回では、戸口を見たい。
戸口は、窓と違って人が通る。
そして、通ることで、内と外がつながる。
窓辺に、誰がいるか
窓辺に人がいる絵は、九点のうち五点である。
そして、その全員が女性である。
これは、偶然ではないだろう。
十七世紀から十九世紀のヨーロッパとアメリカで、窓辺の女性は繰り返し描かれた主題である。
理由は、いくつか考えられる。
家の中にいる人が、外と接する場所だからである。
そして、外から見られる場所でもある。
つまり、窓辺は見る側と見られる側が入れ替わる場所になる。
この主題には、そういう含みが付きまとう。
九点のうち二点では、窓辺の人物がこちらを見返している。
見ていることに、気づいている。
館の記録は、そこまでは書かない。
題に、窓辺の女、とあるだけである。
読み方は、見る側に委ねられている。
そして、その読み方は時代によって変わる。
いま見るときと、描かれた当時とでは、同じには読めない。
戸口の絵では、人が出入りしている途中で描かれることが多い。
窓辺の絵とは、姿勢がまるで違う。
止まっている人と、動いている人。
その差が、画面の性格を分ける。
九点で、その差を確かめたい。
画面の大きさ
九点の寸法を並べたい。
いちばん小さいのが、メツーの板絵。
二十七・六掛ける二十二・五センチ。
写生帖の三点は、二十二・九掛ける二十九・二センチ。
窓辺の花が、六十一掛ける五十一センチ。
窓辺の少女たちが、七十二・七掛ける五十九・七センチ。
つまり、九点とも小さい。
いちばん大きいものでも、七十センチ台である。
窓辺の絵は、大きくならない。
理由は、主題の性質にある。
窓一つと、人一人か二人。
要素が少ないので、大きな画面が要らない。
そして、近くで見る絵である。
窓辺のものの質感、布の透け方、花の色。
いずれも、近づかないと分からない。
第一回で、絵の大きさが見る距離を決めると書いた。
窓辺の絵は、近くで見るために小さく作られている。








