美術史・技法

文字を組んで、名の代わりにする——フランス・ハルスとトマス・サリーの組み合わせ署名

二つか三つの頭文字を、線を共有させて一つの形にまとめる。今回選んだ九点の署名は、いずれもその組み合わせ文字である。読むにはまず元の文字へほどかなければならない。二百年にわたって使われ続けた、この小さな図形の仕組みを読みたい。

若い男性の肖像
フランス・ハルス《若い男性の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

名を書かず、頭文字を組む

絵画を九点、銘記の欄で並べてみる。

九点とも、書かれているのは頭文字だけである。

しかも、ただ並べているのではない。

二文字か三文字を、一つの形に組んである。

館の記録は、そこを必ず書き添える。

組み合わせた形で、と入る。

つまり、並んだ文字と組んだ文字は別物だ。

記録する側は、その差を見て書き分けている。

九点の中身は、二文字が五点、三文字が三点。

もう一点は、二文字を二度重ねている。

組むとは、どういうことか

二つの文字を組むとき、線を共有させる。

縦の線が一本で足りるなら、一本にする。

すると、二文字が一つの図形になる。

読むには、元の文字に分けて考える必要がある。

分けられなければ、ただの模様に見える。

このやり方は、絵だけのものではない。

銀器の刻印にも、印章にも、紋章にもある。

要するに、狭い場所に名を入れる工夫である。

絵の署名で使えば、面積が小さくて済む。

小さければ、絵の邪魔をしない。

そして、真似がしにくい。

線の交わり方に癖が出るからである。

組んだ文字を、どうやって解くか

組み合わせ文字を読むには、線をほどく必要がある。

まず、いちばん太い縦線を探す。

その線を共有している文字を考える。

次に、はみ出した部分を見る。

丸い部分があれば、丸を含む文字だろう。

斜めの線があれば、斜めを含む文字だろう。

こうして候補を絞る。

最後に、作者の名の頭文字と照らす。

合えば、それで決まりである。

合わなければ、別の可能性を考える。

この手順は、記録する人が実際にやっていることだ。

欄に残るのは結果だけだが、途中は必ずある。

だから、断定できないときは疑問符が付く。

二文字を二度重ねた例

九点のうち一点は、少し変わっている。

二つの頭文字の組を、二度続けて置いている。

つまり、同じ組が横に二つ並ぶ。

館の記録は、二重の組み合わせ文字と書く。

なぜ二度なのかは、書かれていない。

一度では読みにくいと考えたのかもしれない。

あるいは、飾りとして繰り返したのかもしれない。

同じ画家の別の一点では、一度きりである。

そちらは左下に置かれる。

二重のほうは、画面の右、胸のあたりにある。

同じ人の署名でも、置き方が違う。

若い男性の肖像
フランス・ハルス《若い男性の肖像》1646年から1648年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦68センチ、横55.4センチ。銘記の欄には、中央右に二重の組み合わせ文字があるとある。番号は1937.1.71。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。フランス・ハルス《若い男性の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

若い男性が、椅子に腰かけて左を向く。

つばの広い黒い帽子を目深にかぶる。

髪は肩まで垂れ、ゆるく巻く。

口ひげをたくわえる。

黒い上着に、白い平たい襟をつける。

襟の縁に、細かい透かしが入る。

右腕を椅子の背に掛ける。

肘のあたりに、光る布が見える。

背景は灰緑で、平らである。

筆あとは太く、消されていない。

胸の右側、背景との境あたりに文字が置かれる。

同じ人が、二十年で位置を変える

同じ画家の二点を並べると、位置が違う。

一点は中央の右、もう一点は左下である。

年は、二年から四年ほど離れている。

短い間でも、置き方は変わる。

つまり、決まりごとではない。

その絵の構図に合わせて選んでいる。

明るい背景なら、暗い色で書ける。

暗い背景なら、少し明るい色にする。

どちらも、絵を壊さない場所を探している。

館の記録は、選んだ結果だけを残す。

選ぶまでの迷いは、残らない。

男性の肖像
フランス・ハルス《男性の肖像》1648年から1650年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦63.5センチ、横53.5センチ。銘記の欄には、左下に組み合わせ文字があるとある。番号は1942.9.28。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。フランス・ハルス《男性の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

男性が、上半身で描かれる。

黒い高い帽子をかぶる。

髪は耳の下まで伸びる。

口の上に、細い髭がある。

黒い上着の胸を、右手で押さえる。

指が四本、はっきり見える。

袖口から白い布がのぞく。

肩から胸へ、白い平たい襟が広がる。

背景は褐色で、右上がやや明るい。

輪郭の線は引かれていない。

左下の暗がりに、小さな文字がある。

絵の外でも、文字は組まれる

組み合わせ文字は、絵に限った習慣ではない。

銀の器には、持ち主の頭文字が彫られる。

手紙の封蝋にも、印章の文字が押される。

家具の金具にも、織物の隅にも入る。

つまり、物に名を入れる方法として広く使われた。

なかでも銀器は、盗まれたときの目印になる。

小さな文字が、所有を示す。

絵の署名も、その延長で考えることができる。

これは誰の手によるものか。

その一点を、狭い場所で言い切る方法である。

長い名を書けば、場所を取る。

組めば、指の先ほどで足りる。

三点続けて、同じ形が出る

九点のうち三点は、同じ画家のものだ。

いずれも肖像画で、いずれも左下に署名がある。

二つの頭文字を組み、そのあとに年が入る。

年は、1826年、1830年、1834年。

八年の間に描かれた三点である。

三点とも、組み方が同じである。

位置も同じ、順序も同じ。

つまり、この画家は署名を型にしていた。

型があると、比べるのが楽になる。

型から外れた一点が出れば、目につく。

帳簿をつけていたことでも知られる画家だ。

仕事を数え、値をつけ、日数を書いた。

署名の型も、その几帳面さの一部だろう。

ただし、館の記録はそこまで言わない。

書かれるのは、位置と組み方と年である。

十九センチの顔と、几帳面な文字

三点のうち一点は、小さな画面である。

縦51センチ、横43.5センチ。

胸から上だけを描く。

このくらいの大きさが、注文の中心だった。

大きな全身像は高く、時間もかかる。

小さな胸像なら、短い日数で仕上がる。

数をこなすには、寸法を揃えるのが早い。

三点のうち二点は、縦76センチ台で揃う。

横も63センチ台で揃う。

同じ寸法の布を、まとめて張っていたのだろう。

署名の型と、画面の型が並んでいる。

フランシス・ホプキンソン
トマス・サリー《フランシス・ホプキンソン》1834年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦51センチ、横43.5センチ。銘記の欄には、左下に組み合わせ文字と年があるとある。番号は1942.8.33。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。トマス・サリー《フランシス・ホプキンソン》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

男性が、胸から上で描かれる。

顔はやや右を向き、目はこちらを見る。

濃い巻き毛が、額の左右に膨らむ。

頬にわずかな赤みがある。

黒い上着に、高い黒の襟。

首元に白い襟が立ち上がる。

背景は褐色で、右が明るく左が暗い。

輪郭は、背景に溶けている。

肩の線だけが、はっきり出る。

画面は小さく、顔が大きく占める。

左下の暗い部分に、小さな文字と数字がある。

ウィリアム・グリフィン夫人
トマス・サリー《ウィリアム・グリフィン夫人》1830年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦76.3センチ、横63.8センチ。銘記の欄には、左下に組み合わせ文字と年があるとある。番号は1943.1.8。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。トマス・サリー《ウィリアム・グリフィン夫人》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

女性が、椅子に座って左を向く。

右手を頬に当て、肘を掛ける。

髪は黒く、額の両側で巻かれる。

肩の出た薄灰色の服を着る。

袖はふくらみ、袖口に白い飾りが付く。

胸元に、小さな金の留め具がある。

背後は淡い黄褐色の壁である。

左に、赤い布のようなものが見える。

顔は白く塗られ、影が少ない。

目は大きく、まっすぐ描かれる。

画面の左下、赤い布の下に文字が入る。

年を添える三点と、添えない六点

九点のうち、年が添えられているのは三点である。

いずれも同じ画家の肖像画だ。

残りの六点には、年がない。

頭文字だけが置かれている。

年がなければ、いつ描かれたか分からない。

館は、様式や来歴から推し量る。

だから年の欄に「ごろ」が付く。

九点のうち四点が「ごろ」である。

年を書いた三点は、いずれも「ごろ」がない。

つまり、絵に書かれた年がそのまま採られている。

一文字か二文字の差が、記録の確かさを変える。

書き添えるかどうかは、そのときの判断だった。

その判断が、百五十年後の欄の形を決めている。

三文字を組む

九点のうち三点は、三つの頭文字を組む。

名、中間の名、姓の頭文字である。

三つになると、形が複雑になる。

真ん中の文字を大きくして、左右に添える形が多い。

読む側は、まず大きい文字を見る。

それが姓の頭文字であることが多い。

三文字の組は、十九世紀のアメリカの絵に目立つ。

小さな風景や、小さな場面の絵である。

大きな展覧会に出す絵ではない。

売るための絵、贈るための絵だ。

そういう絵ほど、署名は小さい。

トマス・オールストン
トマス・サリー《トマス・オールストン》1826年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦76.7センチ、横63.7センチ。銘記の欄には、左下に組み合わせ文字と年があるとある。番号は1947.17.108。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。トマス・サリー《トマス・オールストン》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

若い男性が、机に肘をついて座る。

右手を頭の横に当てる。

顔はやや傾き、目はこちらを見る。

黒い髪が、額に落ちる。

濃い緑がかった黒の上着。

首元に、白い襟と白い布を高く巻く。

机の上に、書物が数冊重なる。

背表紙は青と緑と赤である。

背景は暗い赤で、上が明るい。

左下の机の縁のあたりが、いちばん暗い。

そこに小さな文字と年が置かれる。

花束を持つ白い服の若い女性
アルフレッド・ステヴァンス《花束を持つ白い服の若い女性》1865年から1875年ごろ。館の記録では、板に油彩。縦28.8センチ、横21.5センチ。銘記の欄には、右下に組み合わせ文字があるとある。番号は1963.10.65。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アルフレッド・ステヴァンス《花束を持つ白い服の若い女性》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

小さな板に描かれた縦長の絵である。

若い女性が、戸口に立つ。

白い服に、細かい襞と縁飾りが並ぶ。

髪は明るい茶で、頭の上でまとめる。

赤い花の飾りを挿す。

両手で、赤と白の花束を持つ。

背後に、緑の葉が密に茂る。

左側に、木の枠が縦に走る。

右側は、煉瓦の壁である。

板の地の色が、ところどころ残る。

右下の壁の際に、小さな文字がある。

画面が小さいほど、文字も小さい

九点の寸法を並べてみる。

いちばん小さいのは、縦28.8センチ、横21.5センチ。

板に描かれた立ち姿である。

いちばん大きいのは、縦76.7センチ、横63.7センチ。

椅子に座る男性の肖像だ。

面積では、七倍近い開きがある。

そして、署名の大きさもおおよそ比例する。

小さな板の文字は、指の爪より小さい。

大きな画面の文字も、けっして大きくはない。

どちらも、絵の中では点にしか見えない。

比べて分かるのは、絶対の大きさではなく割合である。

画家は、画面に対する割合で決めていたらしい。

そう考えると、署名も構図の一部である。

風景の中の、三文字

三文字の組は、風景画にも入る。

湖を描いた一点は、右下に置く。

水面のすぐ上、砂の色の中である。

背景が明るいので、文字は暗い色になる。

もう一点は、群衆を描いた小さな板絵だ。

こちらも右下、暗い地面の色の中にある。

どちらも、遠目には見えない。

近づいて、探して、やっと分かる。

そのくらいの大きさである。

館の記録がなければ、見落としていただろう。

公園で遊ぶ子供たち
ユーグ・メルル《公園で遊ぶ子供たち》1860年ごろ。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦32.6センチ、横40.9センチ。銘記の欄には、左下に組み合わせ文字があるとある。番号は1970.17.101。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ユーグ・メルル《公園で遊ぶ子供たち》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の小さな画面である。

子供が六人、手をつないで輪をつくる。

中央の子は、桃色の服を着る。

その左の子は、赤い上着。

右端の子は、白い服で身をよじる。

左端の子は、腕を上げる。

足もとは草地で、褐色が混じる。

背後は暗い木立である。

上のほうに、明るい葉がのぞく。

人物は小さく、顔の描き込みは少ない。

左下の草の色の中に、文字がある。

トム山
トーマス・チャールズ・ファラー《トム山》1865年。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦40.6センチ、横61.6センチ。銘記の欄には、右下に組み合わせ文字があるとある。番号は2025.89.5。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。トーマス・チャールズ・ファラー《トム山》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面に、静かな水面が広がる。

正面奥に、なだらかな山が横たわる。

山の稜線は、二つの峰に分かれる。

斜面は黄と褐色で、秋の色である。

水面に、山と空がそのまま映る。

映り込みは、ほとんど乱れない。

右手前に、濃い緑の木が立つ。

その下に、明るい砂地が伸びる。

砂地の際に、小さな人影が座る。

空は青く、細い雲が横に走る。

右下の砂の色の中に、文字が入る。

選挙の日、ボルティモア郡カトンズヴィル
アルフレッド・ジェイコブ・ミラー《選挙の日、ボルティモア郡カトンズヴィル》1860年ごろ。館の記録では、画板に油彩。縦28.7センチ、横39.4センチ。銘記の欄には、右下に組み合わせ文字があるとある。番号は2014.79.26。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アルフレッド・ジェイコブ・ミラー《選挙の日、ボルティモア郡カトンズヴィル》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の小さな画面に、人が集まる。

中央に、白い馬が立つ。

馬の背に、赤い上着の人物が乗る。

その右で、腕を高く上げる人物がいる。

手前に、十人ほどが群れる。

黄や赤や青の上着が混じる。

左端に、馬に乗った人物がもう一人。

杖を持つ人、帽子を振る人がいる。

奥は木立で、右に白い建物が見える。

空は褐色に沈み、上に雲が渦を巻く。

右下の地面の色の中に、文字がある。

作者の欄が、頭文字だけになるとき

署名が頭文字だけのとき、困ることがある。

誰の手か分からない場合だ。

そういうとき、館は作者の欄に頭文字を入れる。

人名の代わりに、二文字が並ぶ。

同じ提供元の別の絵には、そういう例がある。

作者の欄に、点で区切った二文字だけが入る。

生没年もない。

出身地もない。

分かっているのは、その二文字だけである。

九点は、いずれもそうではない。

作者が特定されている。

しかし、一歩間違えば同じ扱いになっていた。

署名と作者を結ぶ線は、思ったより細い。

頭文字は、名の代わりになるか

九点を並べて、一つ気づくことがある。

頭文字だけでは、誰か分からない。

同じ二文字を持つ画家は、いくらでもいる。

それでも、館は作者を特定している。

根拠は、署名だけではないからだ。

来歴、様式、記録、それらを合わせて決める。

署名は、そのうちの一つにすぎない。

むしろ、署名だけを根拠にすると危ない。

頭文字は真似がしやすい。

後から書き足すこともできる。

だから記録は、位置と形を細かく書く。

組み合わせ文字である、と書く。

二重である、と書く。

その細かさが、あとで効いてくる。

記録が、組み合わせ文字と書かないとき

銘記の欄には、二通りの書き方がある。

一つは、組み合わせ文字である、と書く。

もう一つは、ただ文字を写す。

九点は全部、前者である。

しかし、同じ提供元の他の絵では後者もある。

その差は、記録した人が形を見て決めている。

線が共有されていれば、組んでいると書く。

ただ並んでいれば、そう書かない。

判断が入る余地は、そこにある。

見る角度によっては、どちらとも取れる形もあるだろう。

だから、絶対の分類ではない。

それでも書き分けるのは、あとで比べるためだ。

比べる材料は、細かいほうがよい。

九点の年を、並べておく

九点の年の欄を、順に書き出してみる。

1646年から1648年。1648年から1650年。

1826年。1830年。1834年。

1860年ごろ。1865年。

1865年から1875年ごろ。1860年ごろ。

十七世紀が二点、十九世紀が七点である。

二百年の開きがある。

その二百年のあいだ、同じやり方が続いた。

頭文字を組み、隅に置く。

道具も、絵具も、注文の仕方も変わった。

それでも、この一点だけは変わらない。

理由は、たぶん便利だからである。

便利なやり方は、長く残る。

真似のしやすさと、しにくさ

署名は、真似される。

名を続けて書いた署名は、写しやすい。

形をなぞればよいからだ。

組み合わせ文字は、それより難しい。

線の交わる角度が、一つずつ違う。

太さの変わる場所も違う。

真似ようとすると、どこかが崩れる。

ただし、難しいだけで不可能ではない。

実際、後の手が組み合わせ文字を書き足した例がある。

有名な画家の頭文字を、別の絵に入れる。

そうすれば、値が上がる。

館は、そういう例を偽って書かれたと記す。

九点には、その注記がない。

つまり、当時のままと判断されている。

見ることと、読むこと

九点を並べて、最後に一つ思うことがある。

絵を見ることと、文字を読むことは違う。

絵は、離れて見る。

文字は、近づいて読む。

署名は、その二つを一つの画面に同居させる。

だから見る人は、途中で距離を変えることになる。

全体を見て、それから寄る。

寄って、小さな文字を探す。

見つけて、また離れる。

この往復を、絵の側が仕込んでいる。

館の記録は、その往復の道しるべである。

右下、と書いてある。

その三文字が、体を動かす。

短い署名が、長く残る

頭文字を組む署名は、絵の隅で小さく縮んでいる。

読むには、近づかなければならない。

読めても、名は分からない。

一見、役に立たない文字である。

けれども、四百年たっても残っている。

大きく書かれた文字より、剥がれにくい。

面積が小さいぶん、傷みにくいのだろう。

そして、記録に写された。

写されたものは、絵から離れて残る。

いま九点の欄を並べて読めるのは、そのおかげである。

組んだ二文字が、四百年ぶんの距離を渡ってきた。

組んだ二文字は、名の省略ではない。

省略なら、点を打って済ませればよい。

わざわざ線を重ね、一つの形にしている。

そこには、形をつくる意志がある。

絵を描く手が、最後にもう一つ小さな形を描く。

その形だけが、絵の中で意味を持つ文字である。

九点とも、そういう小さな形を隅に抱えている。

見つけたときの手応えは、絵を見る楽しみの一部だ。

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