イタリアで、肖像の型をつくる——アンソニー・ヴァン・ダイク
一六二一年、若い画家が南へ発つ。以後六年、ジェノヴァを拠点に注文をこなすうちに、垂れる幕と黒い衣とずれた姿勢という型ができていく。九点で、その六年の変化をたどる。顔から入り、衣を見て、最後に背景を見る。その順で並べると変化がよく分かる。

黒い服の人が、赤い幕の前にいる
一枚の肖像から始めたい。

女性が椅子に腰かけ、こちらを見ている。
黒い上着に、金の織りが入った袖。
首元には、細かく畳んだ白い襞襟がある。
背後の左には、赤い幕が垂れている。
右には石造りの柱と、彫刻の入った壁が続く。
奥に空と緑が見える。
つまり、屋外に開けた回廊で撮ったような設定である。
実際にこういう場所に座ったわけではない。
赤い幕と柱は、肖像画の道具立てである。
人を大きく見せるための背景だと考えてよい。
この道具立てが、以後の彼の肖像に繰り返し出てくる。
一六二一年に、南へ行った
描いた人はアンソニー・ヴァン・ダイクである。
一五九九年にアントウェルペンで生まれた。
早くから腕を認められ、十代で工房を構えたと伝えられる。
同じ町には、当時すでにルーベンスがいた。
ヴァン・ダイクはその工房で働いた時期があるとされる。
そして一六二一年、イタリアへ向かう。
以後およそ六年、半島にとどまった。
ジェノヴァを拠点に、ローマ、ヴェネツィア、パレルモを回っている。
今回並べる九点のうち、七点はその六年に関わる。
若い画家が、外国で注文を取りながら型を作っていく過程が見える。
ルーベンスの周りの人たち
出発の前後に描かれた肖像が、二点残っている。
先の《イサベラ・ブラント》は、ルーベンスの最初の妻を描いたものとされる。
もう一点も、同じ輪の人物である。

母が椅子に座り、傍らに小さな娘が立つ。
母の衣は、赤と銀の縞である。
上半身には黒い外套がかかる。
娘は帽子をかぶり、母の手に自分の手を重ねている。
赤い幕と柱、という背景は先の一枚と同じである。
同じ年に、同じ道具立てで、続けて描かれたことになる。
これは若い画家にとって重要な仕事だった。
町の有力な画家の身内を描くのは、信用の証しになる。
幼い手の描き方
この二枚を並べると、手の扱いの違いが分かる。
イサベラの右手は、椅子の肘に軽く置かれている。
指は長く、爪の形まで描かれる。
スザンナの娘の手は、ふっくらと丸い。
関節に窪みがあり、指先が短い。
大人の手と子どもの手を、はっきり描き分けている。
ヴァン・ダイクは、この描き分けが上手い。
のちのジェノヴァの肖像でも、子どもの手がよく効いている。
顔だけでなく、手で年齢を示す。
肖像画の技として、覚えておいてよい。
ヴェネツィアで会った商人
イタリアでの一枚を先に見ておきたい。

男が椅子に腰かけ、体をひねってこちらを見る。
黒い衣に、白い襟。
机の上に、地球儀と彫刻の頭部が置かれている。
コンパスと紙もある。
奥には弦楽器の棹が見える。
これは、学問と音楽に通じた人物という表明である。
商人であっても、教養で身を立てる。
そういう自己像を、道具で示している。
先の二枚と比べると、姿勢がはるかに動いている。
椅子の背に腕をかけ、上体をねじる。
肖像を、静止した記録から、動きのある一場面に寄せている。
動きを入れる、という発見
なぜ、ねじらせるのか。
正面を向いた人物は、落ち着くが、退屈になりやすい。
体をひねると、肩と腰の向きがずれる。
そのずれが、絵の中に軸を作る。
見る側の目は、その軸に沿って動く。
イタリアの画家たちは、これを使っていた。
ヴァン・ダイクは、それを肖像に持ち込んだ。
以後の彼の作品では、正面向きの静止した姿勢が減る。
必ずどこかが、ずれている。
襞襟という時間のかかる部分
もう少し細かい話をしたい。
三枚に共通して、白い襞襟が描かれている。
麻を糊で固め、蛇腹に折った襟である。
畳んだ山と谷が、規則正しく並ぶ。
これを描くには、白の階調を細かく分ける必要がある。
山の頂は明るく、谷は灰色に沈む。
その差が小さすぎると、平らな輪に見える。
差が大きすぎると、金属のようになってしまう。
ヴァン・ダイクの襞襟は、ちょうどよい厚みで見える。
布であり、硬く、しかし軽い。
三つの性質が同時に描かれている。
肖像画の腕は、こういう部分に出る。
顔は、どのくらいの速さで描かれたか
大きな肖像は、時間がかかる。
ただし、部分ごとに手間の配分が違う。
衣や背景は、助手が担うこともあった。
顔と手だけを画家が描く、という分担である。
ヴァン・ダイクの工房でも、そうした分担があったと考えられている。
画面をよく見ると、顔の筆致は速い。
一度置いた色を、あまりいじっていない。
対して衣の刺繍は、細かく重ねられている。
速い部分と遅い部分が、同居している。
この差が、絵に呼吸を作っている。
すべてを均一に描いた絵は、かえって息苦しい。
六年の意味
イタリアでの六年を、修業期間と呼ぶのは正しくない。
彼はすでに一人前で、注文を受けて稼いでいた。
学んだのは技術というより、規模である。
ジェノヴァの富裕層は、大きな絵を欲しがった。
天井の高い広間に掛ける、等身大の肖像である。
その注文に応じるうちに、型ができていく。
型ができれば、あとは早い。
のちにイングランドで大量の肖像を残せたのは、この六年があったからだと考えられている。
立ったまま、天井まで届く
ジェノヴァで描かれた大きな肖像を見たい。

縦が二メートル近い。
女性が立ち、こちらを見ている。
黒い衣に、金の刺繍が全面に入る。
裾は床いっぱいに広がり、絨毯を覆う。
首の白い襞襟だけが、明るく浮く。
背景は暗く、右上に幕が垂れている。
この絵の主題は、顔ではない。
衣である。
黒と金の面積が、画面の大半を占めている。
顔は、その上に小さく載っている。
黒を、どう塗るか
黒い衣を描くのは、難しい。
平らに塗れば、穴が空いたように見える。
ヴァン・ダイクは、黒の中に模様を通す。
金糸の刺繍が、光を受けた場所だけ浮かぶ。
袖の内側、腰の張り出し、裾の折り返し。
そこに細い金の線が入り、形が読めるようになる。
黒の扱いについては、当サイトの
黒という色でも触れた。
黒を面ではなく、光の当たり方の集まりとして描く。
この考え方は、後の画家にも引き継がれていく。
子どもを、一人で立たせる
同じジェノヴァで、小さな子の肖像も残る。

白い衣の子どもが、一人で立っている。
背丈は画面の下半分に収まる。
手には小鳥のようなものを持っている。
背景は暗く、左に赤い布が垂れる。
子ども一人を等身大に近い大きさで描く。
これは、当時としては珍しくない扱いである。
家の跡取りや娘の成長は、記録に値したからである。
ただし、描き方には差が出る。
この子は、小さな大人として描かれていない。
頭が体に対して大きく、手足が短い。
子どもの比率のまま、堂々と立っている。
母と子を、一枚に
母子を一枚に収めた例もある。

母は右で椅子に座り、黒い衣を広げている。
左に立つ息子は、赤い衣を着ている。
二人の色が、正反対に置かれている。
黒と赤。
大人と子ども。
座る姿勢と立つ姿勢。
対比が三重に重なっている。
そのうえで、母の左手が子の肩に触れている。
対比だけでは、二人が離れてしまう。
触れている手が、一枚につないでいる。
背景の柱と、床の絨毯
ジェノヴァの肖像には、共通の道具がある。
太い柱、垂れる幕、そして床の絨毯である。
絨毯は、模様が細かいほど手間がかかる。
ここでは、裾に隠れて一部しか見えない。
見えない部分まで描く必要はない。
しかし、見える範囲は精密に描かれている。
この配分が上手い。
全体をぼかし、要所だけを細かくする。
近くで見ると粗いのに、離れると精密に見える。
大きな絵ならではの塗り方である。
大きな画布を、どう扱うか
縦二メートルの絵を描くには、支度が要る。
画布は織って継ぎ、木枠に張る。
継ぎ目は、光の加減で見えることがある。
その上に下地を塗り、乾かす。
下地の色は、白とは限らない。
灰色や薄い茶を敷くことが多かった。
暗い下地の上なら、明るい色が少ない絵具で立つ。
黒い衣の絵では、これが効く。
下地の色をそのまま影として使えるからである。
塗り残しが、影になる。
手数を減らしつつ、深さを出す方法である。
大画面の仕事は、こういう段取りの積み重ねでもある。
立ち姿の高さを、どう決めるか
等身大の肖像には、視点の問題がある。
人物の目の高さを、画面のどこに置くか。
高く置けば、見る側は見上げることになる。
低く置けば、対等か、見下ろす形になる。
ジェノヴァの肖像では、目がやや高い。
つまり、見る側は少しだけ見上げる。
床の絨毯が手前に広がるのも、その効果を助ける。
絵の中の床と、部屋の床がつながって見えるからである。
人物が、部屋の奥に立っているように見えてくる。
大きな絵を掛ける広間では、この錯覚が働く。
飾る場所まで含めて、絵が設計されている。
注文主が、何を求めたか
ジェノヴァは当時、金融で栄えた都市である。
貴族の家は、貸付と海運で財を成していた。
その人たちが、自分の家の広間を飾る絵を求めた。
求められたのは、家の格を示す絵である。
だから衣が大きく、背景が壮麗になる。
画家の側は、その要求に応じつつ、自分の型を作る。
黒と金、幕と柱、ずれた姿勢。
要求と工夫の折り合いが、この型だと言ってよい。
手袋、花、小鳥という小道具
肖像には、しばしば小さな持ち物が描かれる。
手袋、扇、花、小さな動物。
これらは飾りであると同時に、意味を持つことがある。
花は季節や徳を、小鳥は無邪気さを示すとされる。
ただし、読み解きには注意が要る。
すべての持ち物に意味があるわけではない。
単に手を遊ばせないために置かれることも多い。
人の手は、何も持たないと据わりが悪い。
だから何かを持たせる。
意味を探る前に、まず構図の必要を疑うほうがよい。
館の記録も、断定を避けている場合が多い。
誰を描いたのか、分からないこともある
ジェノヴァの肖像には、人物の同定が定まらないものがある。
家の記録が途切れたり、複数の候補が残ったりするためである。
今回の九点でも、館の題に「ジェノヴァの貴婦人」とだけあるものがある。
名前が分からないまま、絵だけが残っている。
当サイトでは、館の記録の題をそのまま使う。
推測で名を補うことはしない。
分からないことは、分からないままにしておく。
そのほうが、絵の見え方は変わらない。
甲冑を着た人
イタリア期には、軍装の肖像もある。

男が甲冑を着け、腰に赤い帯を巻いている。
顔は左を向き、目だけがこちらへ寄る。
胸当ての金属が、鈍く光っている。
背後は暗い空で、右上に文字が書き込まれている。
甲冑の描き方に注目したい。
金属は、白い筆致を短く置いて表す。
面ではなく、光の点で示している。
離れて見ると、確かに鋼に見える。
近づくと、白い絵具の粒である。
甲冑そのものについては、当サイトでも
皇帝の甲冑師で扱っている。
赤い帯が、なぜ要るのか
この絵で目を引くのは、赤い帯である。
肩から腰へ、大きく巻かれている。
甲冑が灰色と茶色ばかりなので、色が足りない。
そこへ赤を入れると、画面が締まる。
しかも布は柔らかいから、金属との対比になる。
硬いものと柔らかいもの。
冷たい色と暖かい色。
この対比が、絵を単調から救っている。
赤い布は、実際に軍の徴だったとも言われる。
装飾であり、記号でもある。
座って、こちらを見る人
もう一枚、座像を見たい。

黒い帽子と黒い衣の男が、椅子に深く腰かけている。
襞襟は大きく、車輪のように張り出す。
右手は椅子の肘に、左手は膝の上に置かれる。
背景の右上に、紋章と文字が入る。
年齢が記された銘文である。
肖像に年齢を書き込む習慣は、当時よくあった。
いつの姿かを、絵の中に残しておくためである。
黒い衣が画面の中央を占める。
その中で、白い襟と手だけが明るい。
顔と手だけを見せる、という配分である。
パレルモで描いた聖女
肖像以外の作も一点入れておきたい。

女性が雲の上で、天を仰いでいる。
その周りに、幼い天使が何人も浮かぶ。
下には、暗い雲と街の影が見える。
聖ロザリアは、パレルモの守護聖人とされる人物である。
一六二四年、この町で疫病が流行した。
同じ年に聖女の遺骨が見つかったと伝えられ、信仰が高まった。
ヴァン・ダイクは、この時期にパレルモに滞在していた。
つまり、流行の渦中で描かれた絵である。
疫病と、絵の役割
疫病の絵は、記録ではない。
病の様子は描かれていない。
描かれているのは、とりなす姿である。
人の側の願いが、絵の主題になっている。
こうした絵は、教会や個人の礼拝に使われた。
見て祈るための道具である。
美術館に置かれると、その用途は見えにくくなる。
額に入り、壁に掛かり、鑑賞の対象になる。
もとの場所と役割を思い出しておきたい。
六年のあとに、起きたこと
一六二七年ごろ、ヴァン・ダイクはアントウェルペンへ戻る。
その後、イングランドへ渡り、宮廷画家となった。
英国で描いた肖像は数が多く、後世の型になった。
立ち姿、垂れる幕、ずれた姿勢。
その型の部品は、今回の九点にほぼ揃っている。
英国での仕事については、当サイトの
肖像を商売にするということでも触れた。
需要のある型を持っている画家は、強い。
そして型は、若いうちに他所で作られることが多い。
銘文と紋章という補助線
いくつかの絵には、文字や紋章が書き込まれている。
絵の右上や左上の、目立たない位置である。
そこに人物の名、年齢、家の紋が入る。
現代の目には、余分に見えるかもしれない。
しかし当時は、必要な情報だった。
肖像は、家に残される記録でもある。
何代か後の子孫が見たとき、誰か分からなければ困る。
だから、絵の中に説明を残す。
いま美術館で人物が特定できるのも、この習慣のおかげである。
書き込みの有無が、後世の研究を左右する。
絵の隅は、意外に重要な場所である。
イタリアで見たもの
滞在中、ヴァン・ダイクは各地で絵を見ている。
とくにヴェネツィアの画家から学んだとされる。
色を厚く重ね、輪郭をぼかす描き方である。
彼が持ち歩いた写生帖が残っており、模写が含まれる。
そこには、先行する画家の構図が書き写されている。
学び方としては、直接的である。
よい絵を見て、写して、自分の注文に使う。
この時代の画家には、当たり前の手続きだった。
模写と学習の関係については、当サイトの
模倣と創造でも扱っている。
土地は違っても、考え方は通じるところがある。
九点を、順序で見る
最後に、九点の年を並べてみてほしい。
一六二一年が二点、一六二二年ごろが一点。
一六二三年が二点、一六二四年が一点。
一六二五年ごろが一点、一六二六年が二点。
六年間に、ほぼ均等に散っている。
つまり、この九点だけで滞在期をたどれる。
出発前の穏やかな肖像から、ジェノヴァの大画面へ。
さらに甲冑と座像、そして宗教画へ。
一人の画家が、注文に応じて幅を広げていく。
その広がりが、九枚の並びに残っている。
顔から入って、衣を見て、最後に背景を見る。
その順で見ると、六年の変化がよく分かる。
もう一つ、目の位置を見比べてほしい。
初期の二点では、人物の目がまっすぐこちらへ向く。
ジェノヴァ期になると、顔と視線がずれはじめる。
顔は横、目だけが正面。
この小さなずれが、人を生きているように見せる。
型を作るとは、こういう細部を決めることでもある。
九点はいずれも、いまは海の向こうの館にある。
描かれた場所からは遠い。
それでも、絵の中の広間の高さは変わらない。




