黒は、面である——エドゥアール・マネ
マネの画面では黒が塊になっている。印象派が避けた色を、なぜ主役に置いたのか。仮面舞踏会の夜会服から舞台の黒まで、黒が絵の中で何をしているかを九点で確かめる。黒の絵具そのものの扱いにくさにも触れておきたい。

黒い塊が、画面を埋めている
一枚の絵から始めたい。

横長の画面である。縦59.1センチ、横72.5センチ。
画面の中央から右へ、人が密集している。
男たちは黒い夜会服を着ている。上着は黒、ズボンも黒。
頭には黒い山高帽。それが二十以上、横一列に並んでいる。
つまり画面の上半分に、黒い帽子の列がある。
その下に黒い肩と背中が続き、黒い塊になっている。
白いのは襟とシャツの前だけである。
画面の左には、色のある人物が数人いる。
緑と赤の縞の衣装を着た道化。青い靴の子ども。白い服の人物。
女性の姿も見える。黒い服に仮面をつけ、扇や花束を持っている。
上部には劇場の桟敷が見え、手すりの上に足が二本だけ覗く。
床は赤茶色で、小さな紙片や落とし物が散っている。
構図をもう少し見ておきたい。
画面は横に三つの帯で分かれている。
上は桟敷の建築。中央は人の群れ。下は床である。
上下の帯は静かで、中央だけが密集している。
人物は横一列に並び、奥行きがほとんどない。
つまり群衆を壁のように扱っている。
一人ずつの動作を追わせず、全体を面として見せる構成である。
そのため視線は左右に流れ、色のある人物に引っかかる。
黒い面と、少数の色。役割分担が明確である。
黒が、主題になっている
この絵の主題は仮面舞踏会である。
しかし画面を占めているのは、黒い服の群れである。
当時のパリの夜会服は黒だった。
つまり画家は、目の前にある黒をそのまま描いている。
問題は、黒をどう描くかである。
黒く塗るだけでは、平らな穴になってしまう。
そこで画家は、黒の中に差を作っている。
上着の肩は青みのある黒。袖の内側は褐色を帯びた黒。
帽子の面は灰色に近く、縁は最も濃い。
つまり黒は一色ではない。数種類の黒で組み立てられている。
黒の絵具にも種類がある。
骨を焼いた黒、植物を焼いた黒、鉄を含む黒。
それぞれ色味が違い、乾きも違う。
さらに白や青を少量混ぜれば、無数の黒が作れる。
つまり黒を扱うには、混色の知識が要る。
黒く塗るだけの仕事ではない。
この点は、17世紀のオランダの肖像画家も同じだった。
彼らも黒の中に何段もの差を作っていた。
描かれている場所
会場についても触れておきたい。
19世紀のパリのオペラ座では、仮面舞踏会が催されていた。
社交の場であり、同時に匿名の遊びの場でもあった。
仮面をつければ、身分を隠して振る舞える。
画面の中で、男たちは仮面をつけていない。女性の一部だけが仮面をつけている。
つまり顔を隠しているのは女性の側である。
この非対称は、当時の社交の作法を映していると考えられる。
絵は風俗の記録でもあり、都市の仕組みの記録でもある。
印象派は、黒を避けた
同時代の状況も押さえておきたい。
19世紀後半の印象派の画家たちは、黒の使用を減らしていった。
影を黒で描かず、青や紫で描く。そのほうが光が明るく見える。
つまり黒は「絵を暗くする色」として避けられた。
その流れの中で、この画家は黒を主役に据え続けた。
理由の一つは、対象そのものが黒かったからである。
夜会服、喪服、舞台衣装、帽子。都市の生活の色は黒だった。
もう一つの理由は、絵の作りにある。
黒い面は、輪郭を消す。隣の黒とつながり、大きな面になる。
その面が画面を支えると、人物の輪郭を追う必要がなくなる。
問い——黒は、絵の中で何をするのか
ここから本稿の問いに入りたい。
当サイトが公開するこの画家の作品は21点ある。
そのうち何点かは、黒が画面の主要な要素になっている。
黒は何をしているのか。そして黒でしかできないことは何か。
以下、作品を並べて確かめていきたい。
先に結論を書いておく。
この画家の黒は、影ではなく面である。
輪郭を消し、画面を締め、他の色を立てるために使われている。
横たわる黒——寸法が異様である

寸法を見てほしい。縦75.9センチ、横153.3センチ。
縦横比はおよそ一対二である。極端に横長である。
画面には人が一人、仰向けに横たわっている。
黒い上着と黒いズボン。白いシャツの前が開いている。
首は左へ倒れ、顔は上を向いている。目は閉じている。
右手は胸に置かれ、左手は下に垂れる。
足元には黒い靴。左に桃色の布が広がっている。
背景は褐色一色で、地面と壁の区別がない。
つまり空間が描かれていない。
黒い人体が、褐色の面の上に置かれているだけである。
主題についても書いておきたい。
闘牛で倒れた男を描いた絵である。
死者を主題にしながら、感情の表現は抑えられている。
顔は青白いが、苦悶の表情はない。
血も最小限で、下方に小さく描かれるだけである。
つまり出来事の説明ではなく、形として扱っている。
批評家からは冷淡だと批判されたと伝えられる。
ただし、その冷淡さが近代の絵の特徴として評価されることにもなった。
空間を描かないという選択
この画面には遠近法がない。
床の線もなく、影もほとんどない。
人物は上から見下ろされているが、背景は正面から見た面である。
視点が一致していない。
これは失敗ではなく、選択だと考えられる。
空間を描かなければ、黒い形が図として際立つ。
背景を平らにすると、人物が模様のように見える。
同じ効果は、浮世絵の平面的な構成にも見られる。
日本の版画が西洋の絵に何をもたらしたかは
別のコラムで扱った。