筆あとを、消さない——フランス・ハルスの肖像
フランス・ハルスは筆の跡を残したまま肖像を仕上げた。白い襟は数回の筆で置かれ、黒は一色ではない。書き換えられた年齢の数字まで含めて、速い仕上げが何を得たのかを十点で読む。速さが値段に関わっていた事情にも触れる。

筆の跡が、消されていない
一枚の肖像から始めたい。

男性が半身で立っている。
黒い山高の帽子。黒い外套。その下も黒い上衣である。
首元に白い襟。四角い形で、肩の上に平らに広がっている。
右手を腰に当て、左手は下に垂らしている。
指のあいだに、白い紙のような物が挟まれている。
背景は暗い灰褐色。何も描かれていない。
顔は左を向き、口元にわずかな笑みがある。髭は細く整っている。
ここで、白い襟に注目してほしい。
白は、数回の筆で置かれている
襟の白を近くで見ると、筆の跡が残っている。
一枚の布として塗り込めていない。
太い筆で白を置き、その上に灰色の影を数本引いただけである。
縁のレースも、細い線を並べて示している。一つずつ編み目を描いてはいない。
袖口の白も同じである。三、四回の筆で形が決まっている。
つまりこの画家は、筆の跡を消していない。
同じ時代の肖像画の多くは、筆の跡を丁寧に均している。
絵具の面を滑らかにし、布や肌を実物のように見せる。
この画家はその工程を省いた。
省いたのに、離れて見ると布に見える。
これは目の性質を利用した技術である。
人の目は、細部を全部読み取っているわけではない。
明暗の配置と縁の走り方から、材質を推定している。
だから、白の面積と影の位置さえ正しければ、布に見える。
編み目を一つずつ描く必要はない。
言い換えれば、この画家は「見る側の補完」に仕事の一部を任せている。
早く描くための省略ではなく、成立の仕組みを組み替えた描き方である。
近づけば筆、離れれば布。この二重性が作品の見どころになる。
黒の中に、差がある
もう一点、この一枚で確かめておきたいことがある。
黒である。
帽子、外套、上衣。三つとも黒だが、同じ黒ではない。
帽子は青みの強い黒で、縁の上面がわずかに明るい。
外套は褐色を含む黒で、光の当たる肩の線が灰色に浮く。
上衣は最も暗く、ほとんど輪郭が読めない。
黒を三段に使い分けて、重なりを示している。
そして白い襟が、その三つの黒の上に置かれる。
画面の中で最も明るい面が、顔のすぐ下にある。
だから視線は自然に顔へ上がっていく。
明暗の設計が、視線の順序を決めている。

もう一点、中期の肖像を見ておきたい。
縦80.6センチ、横66センチ。半身の肖像である。
つばの広い黒い帽子を斜めにかぶり、栗色の巻き毛が肩まで垂れている。
顔は赤みが強く、口髭が横に張る。目は細く、口元がゆるんでいる。
襟は大きく、縁に白いレースが並ぶ。肩を覆う幅である。
上衣は黒ではない。銀灰色の光沢のある布で、襞に沿って白い照りが走る。
胸には黒い紐の飾りが並び、金の小さな留め具が見える。
腕を曲げて腰に当て、袖口から白い折り返しが出ている。
背景は暗い緑褐色で、頭のまわりだけ明るく抜けている。
題名に「推定」と入っていることに注意したい。
所蔵館は、描かれた人物を断定していない。
肖像画でありながら、誰の顔かが確定していない例である。
顔と名前の対応は、記録が失われれば切れてしまう。
問い——筆あとを残すと、何が起きるのか
ここから本稿の問いに入りたい。
筆の跡を残す描き方は、当時としては珍しい。
なぜそれが許されたのか。そして、何が得られたのか。
当サイトが公開するこの画家の作品は17点ある。
1616年ごろから1650年代まで、四十年近い幅がある。
制作年の順に並べると、筆の扱いの変化が追える。
以下、年代を追って確かめていきたい。
先に結論を書いておく。
初期の作品は、細部を積み上げている。
晩年の作品は、筆の跡をそのまま残している。
つまり速さは後から選ばれたもので、生まれつきの癖ではない。
そして選んだ理由には、市場の事情と、顔以外を省く判断がある。
描いたのは、ハールレムの肖像画家
フランス・ハルスは1582年か83年に生まれ、1666年に没した。
活動したのはオランダのハールレム。アムステルダムの西にある都市である。
生涯の大半を肖像画に費やした。
市民の集団肖像も手がけ、市の民兵隊の隊員たちを描いた大画面も残している。
当サイトにも、民兵隊の隊員を描いた一点が公開されている。
17世紀のオランダは、市民が絵の注文主になった時代である。
宮廷や教会ではなく、商人や職人や医師が自分の肖像を注文した。
その市場の中で、この画家は速さと生々しさを売りにしたことになる。
数の話も添えておきたい。
当サイトの公開分17点のうち、15点が肖像である。
風俗の主題は2点しかない。
一人の画家の仕事が、ほぼ一つの分野に集中していたことになる。
同じ町で四十年、市民の顔を描き続けた画家である。
その集中が、描き方の洗練と単調化の両方をもたらしたと考えられる。
この時代のオランダで、肖像は何だったか
市場の話を先にしておきたい。
17世紀のオランダは、共和国であり、貿易で栄えた。
宮廷が絵の主要な注文主ではなく、市民が買い手になった。
商人は自分と妻の肖像を注文し、家の壁に並べて掛けた。
団体は集団肖像を注文し、集会所に掛けた。
つまり肖像は、家と組織の記録として作られた。
内容には要求がある。顔が分かること、身分が分かること、そして品位を保つこと。
その枠の中で、筆の速さという個性を通した画家である。