板に描くということ——メムリンクとヘラルト・ダヴィト
初期ネーデルラントの絵は木の板に描かれた。両面に絵があり、翼は切り離され、縁には枠の痕が残る。メムリンクとヘラルト・ダヴィトの小さな板絵八点から、材料と形が決めていたことを読む。翼を失った断片が何を語れなくなるのかも見ておきたい。

布に、顔が写っている
一枚の板絵から始めたい。

小さな絵である。縦30センチ、横23センチ。文庫本を二冊並べたほどの大きさだ。
女性が草の上に座っている。
白い頭巾を被り、青い外套を広げている。裏地は赤い。
その手に、白い布を掲げている。
布の中央に、髭のある男の顔が写っている。
目を大きく開き、正面を向いている。
これは聖ヴェロニカの伝説を描いたものである。
刑場へ向かうキリストの汗を布で拭ったところ、顔が布に残ったという話だ。
背景は広い風景である。
左に岩と細い木立、その奥に城の塔が並ぶ。右には丘と道が続く。
空は上のほうだけ青く、地平線に近づくと白く霞んでいる。
描き方を見ておきたい。
布の白は、灰色と黄土を薄く重ねて作られている。純白は使われていない。
顔は褐色の細い線で描かれ、影がほとんど無い。
布に写った像という設定だから、立体感を抑えているのだろう。
一方、青い外套には濃い影が入っている。襞の奥は黒に近い。
同じ画面で、布の顔は平面的に、衣は立体的に描かれている。
描き分けが意識的であることは、この対比から読める。
風景の遠景も見ておきたい。
遠くの丘は青灰色に沈み、輪郭が曖昧になっている。
空気の層で色が変わることを、絵具の混色で再現している。
15世紀のネーデルラントの絵が、遠景の扱いで知られるのはこの技術による。
この絵には、裏がある
さて、この板には裏面がある。

同じ板の反対側である。
灰色の壁に、半円形の窪みが彫られている。
その中に、金の杯が一つ置かれている。
脚は段を重ねた形で、上部の椀は浅い。
杯の縁から、黒い蛇が身を起こしている。
福音書記者ヨハネの持ち物である。毒を入れられた杯から毒が蛇の姿で出た、という伝説による。
背景は壁だけ。人も風景もない。
寸法を比べてほしい。表が30.3×22.8センチ、裏が30.2×23センチ。
わずかな差は、板の縁の削れ方による。同じ一枚の板である。
板は、どう作られたか
板絵の作り方も押さえておきたい。
まず樫の板を用意する。丸太から放射状に切ると、反りにくい板が取れる。
その板を枠に嵌め、膠と白亜を混ぜた下地を何層も塗る。
乾いたら磨き、金箔を貼る部分は先に処理する。
輪郭を下描きし、油で溶いた絵具を薄く重ねていく。
一層ごとに乾かすため、完成までに数か月かかることもある。
薄い層を重ねる方法だと、下の色が透けて深みが出る。
初期ネーデルラントの絵が、独特の澄んだ色を持つのはこのためである。
材料と工程が、そのまま画面の質を決めている。
板だから、両面に描ける
ここが板絵の特徴である。
画布は木枠に張るため、裏面には描けない。
板は違う。両面が使える。
だから中世から16世紀の絵には、両面に描かれたものが多い。
祭壇画の翼がその代表である。
扉を開けば内側の絵が見え、閉じれば外側の絵が見える。
聖堂では、祭日だけ扉を開く決まりがあった。
つまり絵は、常に見えていたわけではない。
普段は閉じた状態の外面が見え、特別な日に内側が現れる。
この一点も、そうした開閉の仕組みの一部だったと考えられる。
もっとも、開閉のためだけではない。
小さな板絵は、旅に携える祈りの道具にもなった。
二枚を蝶番でつなぎ、本のように閉じる形式もある。
閉じれば絵が保護され、開けば祈りの場になる。
板の両面を使う設計は、持ち運びと保護の要求から来ている面もある。
この一点がどう使われたかは、公開記録からは判断できない。
表に人物、裏に持ち物を置く構成は、扉の内外に対応している。
小さいことの意味
大きさについても考えておきたい。
縦30センチという寸法は、手に持てる大きさである。
壁に掛けるためだけでなく、机に置いて見ることもできる。
祈りの対象としては、この距離が重要だった。
顔の細部が近くで見えるほど、対象との距離が縮まる。
聖堂の大きな祭壇画とは、使い方が違う絵である。
個人が家で祈るための絵が増えたのは、15世紀の特徴でもある。
信仰の形が変わり、絵の寸法が変わったことになる。
問い——板に描くとは、どういうことか
ここから本稿の問いに入りたい。
初期ネーデルラントの絵は、ほとんどが板に描かれている。
当サイトが公開するメムリンクの作品は12点、ヘラルト・ダヴィトは11点。
いずれも所蔵館の記録は「板に油彩」と書いている。
板という支持体は、絵にどんな条件を課したのか。
そして、その条件は絵の見え方にどう残っているのか。
寸法の記録から読めることを、順に追いかけたい。
先に結論を書いておく。
板は、絵を「組み立てられる物」にした。
枠と一体になり、翼として開き、必要に応じて切り離される。
そのため多くの作品が、本来の構成を失った断片として残っている。
寸法欄の細かい数字は、その履歴の手がかりになる。
描かれていない縁がある
まず、寸法の書き方に注目したい。

細長い縦の板である。幅は18.7センチしかない。
女性が半身で描かれている。
黒い薄布を頭からかけ、赤い上衣を着ている。胸元に金の鎖。
右手に赤いカーネーションを持ち、左手を腹の前で組んでいる。
背後に窓のような開口があり、緑の木立が見える。上部は石のアーチである。
さて、所蔵館の記録には寸法が二つ書かれている。
板の全体が横18.7センチ、描画面が横17.5センチ。
差は1.2センチ。片側で6ミリほど、絵具の載っていない縁がある。
これは偶然ではない。
板をあらかじめ枠に嵌め、枠ごと下地を塗って描いたためである。
枠が当たっていた部分には絵具が届かない。だから縁が残る。
つまりこの絵は、額と一体で作られていた。
額の話は別のコラムで扱ったが、
この時代の額は「あとから選ぶもの」ではなかった。
板と枠が一続きの、一つの物だったのである。
この作り方には利点がある。
枠が板の縁を押さえるため、反りが抑えられる。
下地も枠まで続いているので、隙間から湿気が入りにくい。
つまり額は、装飾ではなく構造の一部だった。
後の時代に枠を外して別の額に入れると、この構造が失われる。
現在の板絵が割れやすいのは、そのためでもある。
枠の痕跡は、どこまで読めるか
縁の痕跡には、もう少し読めることがある。
絵具が枠に当たって盛り上がった線を、専門的には「バルブ」と呼ぶ。
下地を塗るときに、枠との境目で溜まった膨らみである。
この線が残っていれば、いまの額が当初の枠と同じ位置にあると分かる。
逆に、板の四辺が切り詰められていると、この線は消える。
売買のために画面を切った例は多い。
寸法が不自然に小さい板絵は、切られた可能性を考える必要がある。
所蔵館が「当初の描画面」と書き分けるのは、この判断を残すためである。
翼は、切り離される
同じ構造は、より小さな板にも現れる。

細長い板が二枚、並んでいる。
左の板には、赤い外套の男が立っている。手に小さな羊を抱えている。洗礼者ヨハネである。
右の板には、褐色の修道服の男が跪いている。両手を上げ、空を見上げる。
その視線の先に、光を放つ小さな姿が飛んでいる。聖痕を受ける場面である。
背景はどちらも風景で、木立と建物、遠くの丘が描かれている。
ここでも記録に「当初の描画面」という表現が出てくる。
板全体より描画面が小さい。枠に嵌まっていた痕跡である。
そして、この二枚はもともと祭壇画の翼だった。
中央の板があり、その左右に付いていたと考えられる。
中央の板は失われているか、別の場所にある。
分解された祭壇画の一部が、二枚だけで美術館に入っている。
分解されると、意味が読めなくなる
分解の影響は大きい。
祭壇画は、中央と翼が一つの主題を構成していた。
翼だけを見ると、聖人が誰であるかは分かっても、
なぜその聖人が選ばれたのかは分からない。
注文主の家の守護聖人だったのか、教会の由来に関わるのか。
その情報は、失われた中央の板と、置かれた場所にあった。
分解の理由は、たいてい売買である。
祭壇画は大きく、運ぶのも掛けるのも難しい。
翼だけなら小さく、額に入れて家に飾れる。
19世紀の美術市場では、この分割が広く行われた。
いま美術館にある小さな板絵の多くが、その結果である。
作品の価値が上がるほど、分けて売る動機も強くなる。
この事情は、日本の絵巻や図譜が一枚ずつ売られたのと似ている。

こちらは二枚の板が対になっている。
左の板に天使。青い衣に赤と緑の翼を広げ、右手を上げている。
右の板に聖母。青い衣で身を包み、机の前に跪いている。
机には開いた本と、白い花を挿した水差しが置かれている。
床は緑と白の市松模様。上部には青い垂れ布が下がる。
天使が語りかけ、聖母が受け取る。二枚で一つの場面である。
寸法もほぼ同じで、対として作られたことが分かる。
しかし現在は、二枚の板として別々に扱われている。
もとは大きな祭壇画の一部だった可能性もある。
こうした構成の復元は、寸法と木目の一致から推定される。
木目は、板の履歴を語る。
同じ丸太から切り出した板は、木目の並びが連続する。
だから離れた美術館にある板が、もとは一枚だったと分かる場合がある。
年輪の幅を測って伐採年を推定する方法もある。
板絵の研究では、絵の様式より木材の情報が決め手になることがある。
支持体そのものが資料であるという点は、板絵の大きな特徴である。
二人の画家の関係
ここで、二人の画家の関係にも触れておきたい。
メムリンクは15世紀後半、ブリュッヘで工房を構えた。
ヘラルト・ダヴィトは、その次の世代の同じ都市の画家である。
二人の作品を並べると、主題も構図もよく似ている。
聖母子、受胎告知、風景の中の休息。
需要が固定していたため、型が受け継がれたのだろう。
工房の継承については別のコラムでも扱った。
洋の東西で事情は違うが、型を渡す仕組みは共通している。
同じ構図を、もう一度描く
板絵の商売についても書いておきたい。

森の中である。
中央に聖母が座り、膝に幼子を抱いている。青い外套が地面に広がる。
背後は濃い緑の樹林。左奥に町の建物、右奥に小さな人影が見える。
手前の地面には草と小さな植物が描かれている。

同じ画家による、同じ主題の別の一点である。
こちらはほぼ正方形の画面である。
聖母は岩の上に座り、幼子は葡萄の房を手にしている。
左に驢馬の頭が覗く。右奥では男が棒で木を叩いている。
背後の風景は明るく、湖と丘が青く霞んでいる。
構図の骨格は共通している。座る聖母、膝の幼子、森と遠景。
しかし縦横比が違い、人物の配置も動いている。
同じ工房で、売れる構図を寸法に合わせて作り直していたと考えられる。
板は注文に応じて切れる。だから寸法の自由度が高い。
その自由度が、構図の再利用と結びついている。
需要の側から見ても、反復には理由がある。
家庭で祈るための小さな絵が求められた時代である。
主題は限られている。聖母子、受胎告知、逃避途上の休息、磔刑。
同じ主題を、寸法と値段の違いで揃えて売る。
現代の商品でいえば、同じ意匠の大小の展開に近い。
工房は注文表のような構図の在庫を持っていたと考えられる。
帰属が難しくなるのは、こうした反復があるためでもある。
工房と帰属の問題は別のコラムで扱った。
大きな板もある
小さな板ばかりではない。

高さ186センチ。人の背丈を超える大きさである。
室内が描かれている。
左に天使が立ち、金糸の刺繍された重い祭服をまとっている。
中央に聖母。赤い上衣に濃紺の外套で、開いた本の前に立つ。
背後には赤い天蓋の寝台。窓の外に町並みが見える。
床は市松で、手前に脱がれた履物が置かれている。
この寸法になると、板は一枚では足りない。
複数の板を接いで、大きな面を作る。
接ぎ目は経年で開くことがあり、そこから割れが進む。
だから大きな板絵は、後の時代に画布へ移されることがある。
この一点も、所蔵館の記録に画布へ移されたことが記されている。
板から布へ、支持体が変わっているのである。
移し替えの作業は、19世紀に盛んに行われた。
板の裏を削り、絵具の層だけを残して新しい布に貼る。
割れの進行は止まるが、絵具にとっては大きな負担になる。
現在は、できるだけ板のまま保存する方針が主流である。
板を移された作品には、その時代の判断が残っている。
修復の判断が作品の一部になっていく点は、家具の張り替えと似ている。
その話は別のコラムで扱った。
注文主は、誰だったのか
注文主についても押さえておきたい。
15世紀のブリュッヘは、国際的な商業都市だった。
イタリアの銀行家や商人が支店を置き、教会に寄進していた。
だから板絵の注文主には、外国の商人が含まれる。
祭壇画を注文し、自分と妻の肖像を翼に描かせる例もある。
つまり信仰と商売が、同じ絵の中に同居している。
そして完成した絵は、故郷へ送られることもあった。
板絵が持ち運びやすい寸法で作られた理由の一つである。
作品の移動は、商人の移動とともに起きていた。
板は、木材である
まとめておきたい。
板絵の条件は、ほとんどが木材の性質から来ている。
両面に描ける。だから開閉する仕掛けが作れる。
枠と一体にできる。だから絵と額の境目がない。
切れる。だから寸法を注文に合わせられる。
そして、反り、割れ、虫害がある。だから移されたり、分けられたりする。
私たちが美術館で見る板絵の多くは、
本来の構成から切り離された断片である。
寸法欄に二つの数字が並んでいたら、そこに枠の痕跡がある。
「全体」と「描画面」の差は、失われた枠の幅を示している。
形を変えられてきたという点は、日本の絵と同じ
同じことは、日本の絵にも起きていた。
扇が掛軸になり、下絵が屏風になり、掛軸が台紙に収まる。
その経緯は別のコラムで扱った。
洋の東西で材料も形式も違うが、扱われ方はよく似ている。
作品は、使う人の都合で形を変えられてきた。
いま見ている姿は、その積み重ねの結果である。
二人の画家の公開分
最後に数を確かめておきたい。
当サイトの公開分は、メムリンクが12点、ヘラルト・ダヴィトが11点である。
いずれも小ぶりな板絵が中心で、祭壇画の断片も含まれる。
主題は聖母子、受胎告知、聖人、逃避途上の休息に集中している。
家庭で祈るための絵が多く残ったことの反映である。
暮らしへ——木の板を、光に当てて見る
最後に、日常に持ち帰れる話をひとつ。
家にある木の板を、斜めから光に当てて見てほしい。
まな板でも、棚板でも、家具の側面でもよい。
木目の流れと、わずかな反りが見える。
板は湿気を吸って膨らみ、乾いて縮む。だから必ず動く。
五百年前の板絵は、その動きに耐えてきたものである。
割れなかった板、剥がれなかった下地、褪せなかった絵具。
美術館で板絵を見るときは、絵の裏側を想像してみてほしい。
そこには木があり、木目があり、接ぎ目がある。
絵は、物として残ってきたのである。
木の反りは、いまも進んでいる。
だから美術館は温度と湿度を一定に保つ。
板絵の展示室が乾きすぎないように管理されているのは、そのためである。
見る側には分からないが、絵の裏側では常に木が動いている。
そして、残るために形を変えられてきた。
翼は切り離され、板は薄く削られ、絵具は布に移された。
いま一枚の絵として額に収まっているものが、
もとは扉であり、家具であり、道具だった。
美術館の壁の上で、それらは同じ「絵画」に見える。
しかし裏側の履歴は、一点ごとに違う。
寸法欄の二つの数字は、その違いを教えてくれる小さな窓である。


