画家を知る

板の縁が、制作を語る——ハンス・メムリンク

館の記録には、寸法が二つ並ぶことがある。全体と、絵の具の載った面である。その差は、板を枠に嵌めてから描いた証拠になる。額と一体の丸い板、失われた中央の一枚。八点の板絵から、五百年前の作り方を読む。記録があるから、見えないものも知ることができる。

トンマーゾ・ディ・フォルコ・ポルティナーリとマリア・ポルティナーリ
ハンス・メムリンク《トンマーゾ・ディ・フォルコ・ポルティナーリとマリア・ポルティナーリ》メトロポリタン美術館蔵

二枚で、一組

一組の板絵から始めたい。

トンマーゾ・ディ・フォルコ・ポルティナーリとマリア・ポルティナーリ
ハンス・メムリンク《トンマーゾ・ディ・フォルコ・ポルティナーリとマリア・ポルティナーリ》1470年ごろ。館の記録では、男性は1428年生・1501年没、女性は1456年生とされる。油彩、樫板。各縦44.1センチ、横33.7センチと34センチ。メトロポリタン美術館蔵。ベンジャミン・オルトマン遺贈、1913年。ハンス・メムリンク《トンマーゾ・ディ・フォルコ・ポルティナーリとマリア・ポルティナーリ》メトロポリタン美術館蔵

画像には、二枚の板が並ぶ。

左は、男性の肖像である。

右は、女性の肖像である。

いずれも、上半身だけが描かれる。

背景は、暗い。

そして、二人とも手を合わせている。

祈る手

まず、手に注目したい。

男性は、両手の指を合わせる。

女性も、同じ形をとる。

つまり、祈りの姿勢である。

肖像でありながら、祈っている。

これは、当時の信心画の作法である。

背景を、暗くする

背景の扱いにも触れたい。

二枚とも、背後は暗い緑がかった黒である。

そして、右の一枚には黒い布が下がる。

つまり、奥行きをほとんど作らない。

顔と手だけを、明るく浮かせる。

余計なものを描かないという判断である。

三枚組の、両端

なぜ、二人が祈るのか。

もとは、中央にもう一枚あったと考えられている。

そこに、聖なる主題が描かれる。

そして、左右で寄進者が祈る。

つまり、三枚で一組の祭壇画である。

館の記録も、その形式を示している。

失われた中央

いま残るのは、両端の二枚だけである。

中央の板は、伝わっていない。

だから、何が描かれていたかは分からない。

聖母子か、あるいは十字架の場面か。

当サイトは、断定しない。

分かるのは、二人が誰かに向かって祈っていたということである。

二枚の寸法

館の記録では、二枚の寸法が微妙に違う。

一方が横33.7センチ、他方が34センチ。

つまり、三ミリの差がある。

板を切り出したときの誤差だろう。

対の作品でも、寸法は完全には揃わない。

手仕事の跡である。

名の分かる二人

この二枚には、名が記録されている。

男性は一四二八年生まれ、一五〇一年没。

女性は一四五六年生まれとされる。

つまり、生没年まで分かる人物である。

商人とその妻である。

肖像の多くは名が失われるが、この二人は残った。

年齢の計算

制作年は、一四七〇年ごろとされる。

女性の生年は、一四五六年である。

つまり、描かれたとき十四歳ほどになる。

若い。

もっとも、当時の婚姻の年齢を考えれば不自然ではない。

そして、制作年は推定である。

数年の幅を見ておきたい。

首飾りという記録

女性の首には、飾りがある。

金と、赤い石が並ぶ。

そして、その下に細い鎖が下がる。

つまり、高価な品である。

肖像は、装身具の記録にもなる。

当時どんな細工があったかが、絵から分かる。

顔の描き方

二人の顔を見比べたい。

男性の顔には、細かい線がある。

頬のたるみ、目の下の影。

一方、女性の顔は滑らかである。

年齢の差が、描き方に出ている。

そして、いずれも正面をわずかに外している。

老人の肖像
ハンス・メムリンク《老人の肖像》1475年ごろ。油彩、板。全体で縦26.4センチ、横19.4センチ。描かれた面は縦25.4センチ、横18.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。ベンジャミン・オルトマン遺贈、1913年。ハンス・メムリンク《老人の肖像》メトロポリタン美術館蔵

小さな板

二点目は、さらに小さい。

縦26.4センチ、横19.4センチである。

手のひら二つ分ほどである。

そこに、老人の顔が描かれる。

髪は白く、額は広い。

そして、暗い衣を着ている。

背景は、緑がかった黒である。

二つの寸法

館の記録には、寸法が二つある。

全体と、描かれた面である。

その差は、一センチほどになる。

なぜ、二つあるのか。

板の縁に、絵の具の載っていない部分があるからである。

板の厚み

板絵の厚みにも触れたい。

当時の板は、数ミリから一センチほどである。

そして、時間が経つと反る。

木は湿気で伸び縮みするからである。

反りを止めるため、裏に桟を付けることもある。

館の記録には、その情報はない。

縁が残る理由

当時の板絵は、枠に嵌めてから描かれた。

つまり、枠に隠れる部分には絵の具が届かない。

そして、後に枠を外すと、その帯が現れる。

つまり、寸法の差は制作の順序を示す。

板と枠が、もとは一体だったという証拠である。

手が、下端に見える

画面の下に、手の一部が見える。

指が組まれているようである。

しかし、途中で画面が切れる。

つまり、下を切り詰めた可能性がある。

板絵は、後の時代に切られることがある。

額に合わせるため、あるいは損傷を除くためである。

誰なのか

この老人の名は、記録にない。

題は《老人の肖像》である。

つまり、分からないということである。

かつては分かっていたのだろう。

しかし、代を経るうちに失われた。

名の残る肖像と、残らない肖像がある。

矢を持つ男の肖像
ハンス・メムリンク《矢を持つ男の肖像》1470〜75年ごろ。油彩、板。描かれた面は縦31.3センチ、横25.1センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ハンス・メムリンク《矢を持つ男の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

青い背景

三点目は、背景が青い。

濃い、深みのある青である。

そして、その前に若い男性が立つ。

黒い帽子をかぶる。

髪は肩まで伸びる。

衣は、暗い赤である。

襟元に、縞の入った布が見える。

縞の布

首元に、縞の布が見える。

白と黒の細い縞である。

つまり、下に着た衣の襟だろう。

上着は暗い赤で、無地である。

その対比で、顔の下に線ができる。

視線を顔へ導く効果がある。

手にした矢

この人物は、右手に矢を持つ。

矢は、画面の下から斜めに立つ。

そして、羽の部分が見える。

つまり、意図して持たされている。

矢が示すもの

矢には、いくつかの意味がありうる。

弓術の競技で勝った印。

あるいは、守護聖人に関わる持ち物。

または、その人の職や役職の象徴。

館の記録は、断定していない。

だから、当サイトも可能性を並べるにとどめる。

持ち物という手がかり

肖像で人物が何かを持つとき、それは説明である。

本を持てば、学識。

手袋を持てば、身分。

そして、道具を持てば、職業。

矢もまた、何かを語っている。

ただ、語る相手は当時の人である。

いまの私たちには、届きにくい。

三枚の共通点

ここまでの三枚を、並べてみたい。

いずれも、上半身の肖像である。

背景は、暗いか、一色である。

そして、寸法は三十センチ前後。

つまり、手に取れる大きさである。

壁に掛けるより、身近に置く絵だろう。

大きな一枚

四点目は、寸法が違う。

アレクサンドリアの聖カタリナと聖バルバラのいる聖母子
ハンス・メムリンク《アレクサンドリアの聖カタリナと聖バルバラのいる聖母子》1480年代前半。油彩、板。全体で縦68.3センチ、横73.3センチ。メトロポリタン美術館蔵。ベンジャミン・オルトマン遺贈、1913年。ハンス・メムリンク《アレクサンドリアの聖カタリナと聖バルバラのいる聖母子》メトロポリタン美術館蔵

縦68.3センチ、横73.3センチである。

つまり、横のほうが長い。

そこに、五人ほどの人物が並ぶ。

中央に、赤い衣の女性が座る。

膝の上に、裸の子どもがいる。

左右には、翼のある人物と、女性が二人。

そして、背後に風景が広がる。

屋外の室内

この画面は、不思議な構造である。

中央には、柱と天蓋がある。

つまり、室内の設えである。

一方、左右には木立と建物が見える。

つまり、屋外である。

室内と屋外が、同じ画面に同居する。

天蓋という装置

中央の天蓋を見たい。

赤い布が、上から垂れる。

そして、その下に人物が座る。

天蓋は、重要な人物の上に掛けるものである。

つまり、地位を示す装置である。

絵の中で、それが記号として働く。

現実ではない場所

なぜ、こうなるのか。

この絵は、実際の場所を描いていない。

聖なる主題を、見やすく並べた画面である。

だから、空間の整合よりも配置が優先される。

天蓋は、中心の人物を示す装置である。

そして、風景は世界の広がりを示す。

左端の男性

画面の左端に、黒い衣の男性がいる。

そして、こちらを見ている。

他の人物は、内側を向いている。

つまり、この一人だけが違う。

こちらを見る目

寄進者は、鑑賞者を見る。

つまり、絵の外の世界とつながる。

他の人物は、絵の中の世界にいる。

一人だけが、境界をまたぐ。

見る人は、その視線に迎えられる。

そして、場面へ引き込まれる。

寄進者を、入れる

黒い衣の男性は、寄進者だろう。

絵の費用を出した人物である。

そして、画面の隅に自分を入れさせた。

当時、よく行われたことである。

聖なる場面に、生きた人が同席する。

その位置は、たいてい端である。

二人の聖女

中央の左右にいる女性を見たい。

一人は、白と赤の衣。

もう一人は、緑の衣。

そして、それぞれ持ち物がある。

題によれば、二人の聖女である。

持ち物が、誰かを示す記号になる。

緑と赤の配分

色の配分を見たい。

中央の衣は赤である。

そして、左右に緑と青が置かれる。

さらに、背景は緑の風景。

つまり、赤が一点だけ強い。

視線は、まず赤へ行く。

配色が、構図の役割を担っている。

床の模様

足元に注目したい。

床に、細かい模様が見える。

そして、草が描かれている。

つまり、床でありながら地面でもある。

ここでも、室内と屋外が混ざっている。

細部まで、同じ原理で作られている。

聖母子
ハンス・メムリンク《聖母子》1490〜94年ごろ。油彩、板。全体で縦35.9センチ、横26センチ。描かれた面は縦34センチ、横24.1センチ。メトロポリタン美術館蔵。フリードサム・コレクション、マイケル・フリードサム遺贈、1931年。ハンス・メムリンク《聖母子》メトロポリタン美術館蔵

額ごと、撮る

五点目の画像には、額が写っている。

金色で、細かい彫りがある。

上部には、透かし彫りの飾り。

そして、下部に小さな札がある。

つまり、額を含めて撮影されている。

下部の札

額の下に、小さな札がある。

文字が刻まれているようである。

作者名か、主題名だろう。

もっとも、画像からは読み取れない。

館の記録にも、記載はない。

だから、あるとだけ書いておく。

額は、後のものか

この額が制作当時のものかは分からない。

館の記録に、額の説明はない。

古い板絵の額は、後の時代に付け替えられることが多い。

だから、断定はしない。

見えているのは、いま額に入った状態である。

窓の外

画面の右奥に、窓がある。

そして、その外に緑の風景が見える。

暗い室内と、明るい戸外。

その対比が、奥行きを作る。

小さな窓一つで、画面の外へ空間が伸びる。

本を持つ

女性は、左手に本を持つ。

そして、右手で子どもを支える。

本は開かれ、文字らしきものが見える。

つまり、読んでいる途中である。

信心の道具としての本である。

赤い衣という約束

聖母の衣は、赤と青で描かれることが多い。

内側が赤、外側が青である。

五点目でも、赤の衣に暗い色が重なる。

つまり、決まりに従っている。

色そのものが、誰かを示す記号になる。

見る人は、色で人物を判断できる。

制作の時期

制作年は、一四九〇年から九四年ごろとされる。

館の記録では、作者の没年が一四九四年である。

つまり、最晩年の作にあたる。

もっとも、年代は推定である。

四年の幅がある。

聖母子
ハンス・メムリンク《聖母子》1480〜85年。油彩、板。額と一体で直径24.8センチ。描かれた面の直径は17.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。フリードサム・コレクション、マイケル・フリードサム遺贈、1931年。ハンス・メムリンク《聖母子》メトロポリタン美術館蔵

丸い板

六点目は、円形である。

直径24.8センチ。

そして、描かれた面は直径17.5センチしかない。

つまり、周囲の四センチほどは額である。

額と、一体の板

館の記録に、重要な記載がある。

額が板と一体である、とされる。

つまり、一枚の板を彫り出して額の形にしている。

別に作った枠を嵌めたのではない。

このため、板の縁が丸く盛り上がる。

縁の四センチ

数字を確かめておきたい。

外径24.8センチ、描かれた面17.5センチ。

差は7.3センチ、半分にして3.6センチである。

つまり、縁の幅は三センチ半ほどになる。

絵に対して、額がかなり太い。

小さな絵を、厚い縁で囲んでいる。

一体の額が示すこと

額が一体なら、制作当時のものである。

つまり、後で付け替えられていない。

これは、古い板絵では貴重である。

そして、もとの見え方が分かる。

金色の縁の内側に、絵が沈んで見える。

窓から覗くような効果である。

授乳の場面

画面の中身を見たい。

女性が、赤い衣をまとう。

そして、裸の子どもを抱く。

子どもは、乳を含んでいる。

背景には、緑の丘と青い空。

つまり、屋外である。

白い布

女性の頭には、白い布がある。

薄く、透けている。

そして、肩まで垂れる。

その白が、赤い衣と対比される。

小さな画面の中で、明暗の差を作る。

顔を囲む枠の役目もしている。

小さな画面に、遠景を

直径17.5センチの中に、風景がある。

木立、丘、そして遠くの水面。

奥へ行くほど、色が青くなる。

つまり、空気の層を色で示している。

小さな画面でも、遠近は作れる。

建築の中の聖母

七点目は、縦長の板である。

天使のいる聖母子
ハンス・メムリンク《天使のいる聖母子》1479年以後。油彩、板。描かれた面は縦57.6センチ、横46.4センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ハンス・メムリンク《天使のいる聖母子》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

画面の上部に、石の門がある。

そして、その内側に人物が並ぶ。

中央に、赤い衣の女性が座る。

膝には、裸の子どもがいる。

左右に、翼のある人物が一人ずつ。

いずれも、跪いている。

床には、模様のある敷物がある。

門という枠

石の門に注目したい。

左右に柱があり、上部が弧を描く。

そして、柱には小さな像が彫られる。

つまり、画面の中にもう一つの枠がある。

その枠が、中心の人物を囲む。

視線を集める仕掛けである。

柱の小さな像

門の柱には、小さな人物像が彫られている。

上部にも、像が見える。

つまり、石の建築として描かれている。

そして、その像は白い。

石の色である。

周囲の色鮮やかな衣と、対照をなす。

門の外の風景

門の左右には、隙間がある。

そこから、外の風景が見える。

左には、建物と水面。

右には、木と草地。

つまり、門の奥は屋外である。

室内と屋外の混在は、四点目と同じである。

楽器を持つ天使

右側の人物は、楽器を持つ。

弦を張った、竪琴のような形である。

そして、指を弦に置いている。

つまり、演奏している。

音楽は、聖なる場面によく描かれる。

見えない音を、姿勢で示す。

敷物の模様

床の敷物を見たい。

赤と黒の幾何学的な模様である。

そして、手前に向かって広がる。

模様の間隔が、奥ほど詰まる。

つまり、遠近が意識されている。

床は、奥行きを示すのに便利な面である。

一四七九年以後

制作年は、一四七九年以後とされる。

つまり、下限だけが分かっている。

上限は示されていない。

何かの記録が、その年を境にすることを示すのだろう。

館の記録は、根拠までは記していない。

だから、当サイトも年の表記をそのまま伝える。

世界の救い主
ハンス・メムリンク《世界の救い主》1480〜85年。油彩、板。額と一体で直径27.3センチ。描かれた面の直径は20.3センチ。メトロポリタン美術館蔵。フリードサム・コレクション、マイケル・フリードサム遺贈、1931年。ハンス・メムリンク《世界の救い主》メトロポリタン美術館蔵

もう一枚の丸い板

八点目も、円形である。

直径27.3センチ。

そして、額が板と一体である。

つまり、六点目と同じ作りである。

中央に、赤い衣の人物が正面を向く。

右手を上げ、指を立てる。

左手に、球と十字を持つ。

正面という姿勢

八点目の人物は、正面を向く。

他の七点は、いずれも斜めである。

つまり、この一枚だけが違う。

正面は、見る人と真っ直ぐ向き合う姿勢である。

祈りの対象として描かれるとき、よく選ばれる。

姿勢そのものが、絵の役割を示している。

二枚は、対か

六点目と八点目を、並べたい。

いずれも円形で、額が一体。

制作年も、一四八〇年から八五年で同じ。

そして、館への入り方も同じである。

つまり、対の作品だった可能性が高い。

直径が、違う

もっとも、直径は同じではない。

六点目が24.8センチ、八点目が27.3センチ。

二センチ半の差がある。

対であれば、揃うのが普通である。

だから、断定はできない。

館の記録も、対とは書いていない。

円という形

円形の絵についても触れたい。

四角い画面と違い、角がない。

そのため、視線が中心へ集まる。

そして、周囲が自然に切り落とされる。

小さな主題を強く見せるのに向く。

信心のための絵に、円は多い。

二枚を、どう置くか

もし対なら、どう使われたのか。

一つの考えは、蝶番でつなぐ形である。

つまり、開閉する二面の絵である。

閉じれば、絵が保護される。

そして、開いて祈る。

持ち運べる信心の道具である。

球と、十字

八点目の左手を見たい。

球を持ち、その上に十字が立つ。

球は、世界を示す。

そして、十字がその上にある。

つまり、世界を統べる姿である。

題も、それを示している。

背景の風景

人物の背後には、風景がある。

丘、木立、そして遠くの建物。

つまり、屋外に立っている。

六点目と同じ構造である。

二枚に、共通の作りがある。

手の形

右手の指を見たい。

二本を立て、残りを曲げる。

これは、祝福を示す形である。

つまり、身振りが意味を持つ。

言葉のない絵で、手が語る。

遺贈という入り方

八点の来歴を、まとめておきたい。

四点は、一九一三年の遺贈である。

三点は、一九三一年の遺贈である。

そして、二点はワシントンの館にある。

つまり、二つの大きな個人収集から館へ渡っている。

受け入れの年の、ずれ

館の記録には、細かいずれがある。

遺贈は一九一三年、受け入れは一九一四年。

もう一方は、遺贈が一九三一年、受け入れが一九三二年。

つまり、一年の差がある。

遺言の執行に時間がかかるためだろう。

記録は、その手続きの跡を残している。

収集家という存在

十九世紀から二十世紀の初め、米国で古い絵が集められた。

そして、その多くが遺贈で美術館へ渡った。

八点のうち七点も、その流れの中にある。

個人の収集が、公共の収蔵になる。

美術館の中身は、そうして形づくられた。

板という支持体

八点とも、支持体は板である。

樫の板と記録されるものもある。

布ではなく、板に描く。

これは、この時代のこの地域の作法である。

板は重く、割れやすい。

しかし、表面が硬く、細かい描写に向く。

細部が、残る理由

八点の画像を見ると、細部が鮮明である。

髪の一本、布の縫い目、床の模様。

板の硬い面が、それを可能にした。

そして、油を使う絵の具が乾く速度も関わる。

ゆっくり乾くから、重ねて描ける。

表面の状態

古い板絵は、表面が変化する。

仕上げの層が黄ばみ、色が沈む。

そして、細かい割れが入る。

八点の画像でも、面によって艶が違う。

修復の履歴は、館の記録には示されていない。

だから、いま見えている状態を書くにとどめる。

名の分かる作者

作者について、記録を確認したい。

館の記録では、ゼーリゲンシュタットの生まれ。

一四六五年までには活動しており、一四九四年にブルッヘで没した。

つまり、生年は記録されていない。

活動の始まりと、死んだ年だけが分かる。

分からないことの多さ

十五世紀の画家には、記録が少ない。

生年、修業、注文の経緯。

いずれも、断片しか残らない。

だから、作品から逆に読むことになる。

八点の板は、その数少ない手がかりである。

そして、いまも私たちの前にある。

五百年以上、割れずに残ったということである。

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