工房が受け継ぐもの——勝川春章と勝川派
勝川春章の一派では、名前も描き方も代々受け継がれた。同じ役者を三人の絵師が描いた版画を並べ、何が同じで何が違うかを見る。相撲の絵や三枚続まで、工房という単位で浮世絵を八点でたどる。名前と絵と系統の関係を、記録に沿って確かめる。

同じ役者を、三人の絵師が描いている
一枚の版画から始めたい。

細長い縦の画面である。縦31.1センチ、横14.8センチ。
女性が一人、雪の中に立っている。
顔はやや下を向き、口が小さく結ばれている。眉は細く、目は伏せがちだ。
髪は高く結い上げ、櫛と簪が挿してある。
着物は三枚重ね。白地に格子模様、上に薄紫の羽織、裾に赤と青の重ねが見える。
裾は足元で大きく広がり、白い履物の先が覗く。
右に雪をのせた枝と、低い柵。左に水面らしい淡い面がある。
右下に署名がある。「春章画」と読める。
色の数を数えてみたい。
墨の線、白、薄紫、赤、青、そして淡い黄。おおよそ六色である。
これは多色摺の版画である。所蔵館の記録も「錦絵」と書いている。
色ごとに版木を彫り、順に摺り重ねている。
十年ほど前までは、色は筆で塗るしかなかった。
摺りで色を重ねる技術が入った直後の時期にあたる。
雪の白が紙の白であることにも注意しておきたい。
白い絵具を置いたのではなく、そこを摺り残している。
錦絵の成立については別のコラムで扱った。
立ち姿の型
姿勢にも決まりがある。
体はわずかに右へ捻られ、顔と足先が別の方向を向いている。
肩は落ち、首は前へ出る。腰から下は裾に隠れて見えない。
この形は、この時代の役者絵に繰り返し現れる。
足を見せず、裾を広げることで、着物の面積が大きくなる。
見せ場が衣装にあるからである。
体の構造よりも、布の量と模様が優先されている。
描かれているのは、男性である
ここで、ひとつ確かめておきたい。
この人物は男性である。
三代目瀬川菊之丞は、女性の役を専門に演じた歌舞伎の役者である。
女方(おんながた)と呼ばれる役柄で、当時の舞台に女性は上がれなかった。
つまりこの絵は、女性の絵ではない。女性を演じる男性の絵である。
顔を見ると、その事情が現れている。
輪郭は丸く、頬に丸みがある。しかし顎の線はしっかり出ている。
目の描き方も、当時の美人画とは少し違う。
役者の顔として、個人が分かる程度に特徴が残されている。
名前は、代々受け継がれる
もう一点、名前についても押さえておきたい。
「三代目」とあるのは、芸名を継いだ順番である。
歌舞伎では、名跡と呼ばれる名前が世代を越えて引き継がれる。
初代の名を二代目が継ぎ、二代目の名を三代目が継ぐ。
だから同じ「瀬川菊之丞」という名前の役者が、時代を隔てて複数いる。
版画に描かれた顔は、名前ではなく個人のものである。
しかし版画に刻まれる文字は、名前のほうである。
顔と名前がずれる仕組みが、最初から入っている。

同じ絵師の、別の判型も見ておきたい。
縦70.8センチ、横16.5センチ。細長い柱絵である。
女性が一人、体を斜めに通して立っている。
紅色の一枚の衣。帯は見えず、布が体を包んでいる。
顔は右を向き、口元がわずかに笑う。右手を胸の前で握っている。
裾は足元でひとつの塊になり、床に届く。
背景は無地である。何も描かれていない。
先の雪の一枚と比べると、情報量が極端に少ない。
幅16センチの画面では、背景を描く余地がないからである。
判型が変わると、同じ絵師でも見せ方を変える。
細長い判型の話は別のコラムで扱った。
問い——工房では、何が受け継がれるのか
さて、本稿の問いである。
この役者を、勝川派の絵師が三人、それぞれ描いている。
師の春章、弟子の春好、弟子の春英である。
同じ人物を、同じ流派の三人が描いた版画が、当サイトに揃っている。
そこで問いたい。工房では何が受け継がれ、何が受け継がれないのか。
技術か、主題か、それとも顔の型か。
三人の版画を並べて、確かめていきたい。
勝川派という集まり
先に、この一派の輪郭を書いておく。
勝川春章は18世紀の江戸で活動した絵師である。生年には諸説がある。
役者の顔を、個人が分かるように描く方法を広めた人物とされる。
それまでの役者絵は、紋や役名で人を示していた。顔は型だった。
顔で人を示す描き方については別のコラムで扱った。
弟子には、春好、春英、そして春朗がいる。
春朗はのちに名を変え、葛飾北斎として知られるようになる。
弟子の名は、いずれも師の名から一字を受け取っている。
「春」の字が共通しているのは、そういう仕組みである。
名前を分け与えることで、系統が目に見える形になる。
一派の仕事の量も確かめておく。
当サイトでは、春章の作品を162点、春英を43点、春好を42点公開している。
三人あわせて247点になる。
同じ流派の作品がこれだけ揃うと、比較ができる。
一人の画家の変化ではなく、集団の中の差を見られるということである。
これは版画という分野の特徴でもある。
肉筆画では、同じ主題を複数の絵師が描いた例はそう多くない。
版画では、売れる主題を各絵師が繰り返し描く。だから比較の材料が残る。
もう一つ、工房の実務も想像しておきたい。
版画の絵師は、版下絵を描くところまでを担う。
彫りと摺りは別の職人の仕事である。
だから弟子が学ぶのは、彫れる線で描く技術と、売れる構図の型になる。
筆の勢いや絵具の扱いは、肉筆画ほど重要ではない。
工房で継がれる技術の中身も、分野によって違うということである。
師の描き方——顔を描き分け、体を重ねる
まず師の作品をもう一枚見たい。

先の一枚より幅が広い。二人が入っている。
上に立つのは女方である。紅と金の重ね着で、両手を左右に開いている。
その下に、男の役の役者が身を低く構えている。
眉を寄せ、口を大きく開き、右手に刀を握っている。
顔の描き方が、上下でまったく違う。
上の顔は輪郭が丸く、線が細い。下の顔は太い線で、眉と口が誇張されている。
同じ絵師が、役柄に応じて顔の作り方を変えている。
背景には楓の枝が上と左から差し込み、赤い葉が散る。
右に太い幹。地面は薄い緑で、輪郭線だけで示されている。
二人の体は重なっている。上の人物の裾が、下の人物の背に掛かる。
重ねることで、狭い画面に二人を収めている。
もう一つ、劇の場面としての読み方も可能である。
刀を構えた男が下から迫り、女方が両手を広げて立つ。
争いの直前か、あるいは止めようとしているのか。
版画は場面の一瞬を切り取るため、前後が分からない。
芝居を見た人には筋が通じ、見ていない人には姿だけが残る。
宣伝物としては、それで足りていたのだろう。
役柄の名を文字で入れる版画が多いのは、この不足を補うためでもある。
背景の使い方にも注目したい。
楓の枝は、季節を示す記号である。秋の演目だと分かる。
雪、桜、菊、紅葉。背景の植物が上演の時期を伝える。
芝居は季節ごとに演目が変わったため、この記号が有効だった。
版画の背景は風景ではなく、日付に近い働きをしている。
だから背景を読めば、いつの興行かの手がかりになる。
役者の名、演目の名、季節の草木。三つが揃えば年代を絞れる。
美術館の記録が制作年を「1778年ごろ」と書けるのは、この積み上げによる。
版画の年代推定は、絵の様式より文字と記号に頼る部分が大きい。
用途で、形が変わる
同じ役者の、別の形の版画も残っている。

紙は長方形だが、絵は扇の形に収まっている。
上辺が弧を描き、左右が下へ集まる。団扇の形である。
中に半身の人物が描かれている。櫛を並べた髪、白い顔、大きな襟。
左下には長い文がびっしり印刷されている。
そして重要なのは、この紙が切り抜かれていないことである。
団扇絵は、竹の骨に貼って使う実用品だった。
貼ってしまえば、絵は数か月で傷む。夏の消耗品である。
切り抜かれずに残ったこの一枚は、使われなかったから残った。
売り物の版画には、こうした用途別の形がいくつもあった。
文の内容にも触れておきたい。
判読は避けるが、行数と配置から、宣伝文か口上の類と考えられる。
団扇は人の手にあり、動く。だから遠くからでも分かる大きな顔が置かれている。
半身に切り取った構図は、この用途に合っている。
用途が構図を決める例として、覚えておきたい一枚である。
判型と用途の関係は別のコラムで扱っている。
弟子の描き方——舞台の外を描く
次に、弟子の作品である。

場面が変わっていることに気づいてほしい。
舞台ではない。楽屋である。
役者は鏡の前に座り、右手に道具を持って顔を作っている。
鏡台の上に紅皿と刷毛が並ぶ。手前には紋の付いた化粧箱。
背後に立つ人物が、衣装を腕に掛けて待っている。
左上に名前の札。「瀬川菊之丞」と読める。右下に「春好画」の署名。
師の春章は、舞台の姿を描いた。弟子の春好は、その支度を描いた。
主題の選び方が変わっている。
顔の作りも少し違う。頬がより丸く、目尻が下がって描かれている。
見比べると、同じ役者でありながら印象が変わる。ここは私たちの見立てである。
楽屋の絵が売れた理由も考えてみたい。
見る側は、舞台を見たあとにその裏側を知りたくなる。
化粧の道具、鏡の位置、衣装を持って控える人。
現在の舞台裏の写真と、需要の形は同じである。
版画は、興行の周辺にある関心を商品にしていた。
役者の日常を売る商売は、この時代から成立していたことになる。
何が同じで、何が違うのか
三人に共通しているものを挙げてみる。
細長い縦の判型。全身を一人だけ入れる構図。裾を大きく広げる形。
そして、顔で個人を示すという原則である。
一方で、違うものもある。
主題の場面、顔の作りの癖、そして色の組み方である。
つまり工房が受け継いだのは、様式の骨格と原則だった。
細部の癖と主題の選択は、弟子ごとに分かれている。
もう一つ、署名の位置も一致している。
三人とも、画面の下の隅に縦書きで名を入れている。
大きさも控えめで、絵の邪魔をしない。
署名の作法まで揃っているのは、工房の決めごとだったのだろう。
版元の意向も入っていたと考えられる。ここは推測である。
次の世代——三枚続という形
弟子の春英になると、また形が変わる。

背後に青竹の垣が斜めに組まれている。
人物は薄い橙の着物、黒い帯。右手に刀を下げている。
顔はやや上を向き、視線は右へ。眉が細く、口が小さい。
地面は緑と黄土の帯で、点で草を示している。
左下に「春英画」の署名。
所蔵館の記録に、重要な一文がある。これは三枚続の一枚だという。
つまり左右にもう二枚あり、三枚並べて一つの場面になる。
竹垣の斜線は、隣の紙へ続いていたはずである。
三枚続は、一枚でも売れるように作られていた。
一枚だけ買えば人物一人の絵になり、三枚揃えれば群像になる。
だから背景は、切れても成立する模様が選ばれる。
竹垣、塀、波、雪。反復する形が好まれるのは、この事情による。
続き物の作りについては別のコラムで詳しく扱った。

こちらも三枚続の一枚である。制作は五年後になる。
黒い被り物、桃色と黒の重ね着。裾に大きな渦の模様。
右手に紙を持っている。その紙には、小さな人物の絵が描かれている。
絵の中に絵がある構成で、劇中で見せる小道具なのだろう。
背後は障子と壁。右下に黒い箱のような家具が置かれている。
十八年前の師の一枚と比べると、色の数が増え、模様が細かくなっている。
技術が進み、摺りの手間をかけられるようになったからである。
色の数を比べると、時代の差が数字で出る。
1775年の一枚はおおよそ六色。1793年の一枚は十色前後に見える。
摺りの回数が増えれば、値段も上がる。
版画の色数は、技術の指標であり、同時に価格帯の指標でもある。
華やかになっていく過程は、購買力の変化とも重なっている。
役者だけではない——相撲の絵
主題の幅も見ておきたい。

横長の画面である。縦36.5センチ、横48.9センチ。
力士が二人、向かい合っている。
左の力士は前傾し、右の力士は腰を落として構える。
あいだに行司が立ち、軍配を掲げている。緑と赤の衣が鮮やかである。
背後に土俵の俵が並び、地面は灰色に摺られている。
画面の左右と右上に、名前らしい文字の枠がある。
役者絵と同じ絵師が、力士も描いていた。
どちらも、名のある人物を見に行く興行である。
版画は、その興行の宣伝物であり、記念品でもあった。
力士の体の描き方も見ておきたい。
輪郭は太い線で、腹と腿に淡い陰が置かれている。
筋肉の凹凸をほとんど描かず、量塊として示している。
役者絵の衣装と同じ扱い方である。面を大きく取り、線で囲む。
裸体を描く西洋の絵画とは、方法が根本的に違う。
同じ人体を、量として捉えるか、構造として捉えるかの差である。
行司の描き方も対照的である。
衣は細かい模様で埋められ、力士の肌は塗り残しに近い。
模様のある面と、無地の面。その対比で人物の身分が分かる。
色数を増やさずに区別を作る方法として、よくできている。
名前と、絵と、系統
まとめておきたい。
歌舞伎の役者は名跡を継ぎ、絵師は師の名から一字を継いだ。
どちらの世界も、名前で系統を示す仕組みを持っていた。
しかし絵の中身は、名前のようには継がれない。
春好は楽屋を描き、春英は三枚続を組み、春朗は名を変えて風景へ進んだ。
受け継がれたのは、顔で人を示すという原則と、判型の使い方だった。
そこから先は、それぞれが時代の需要に合わせて動いている。
工房は型を渡すが、型の使い道は渡さない。
同じ人物を三人が描いた版画を並べると、その差がはっきり見える。
この構造は、現代の制作にも当てはまる。
同じ工房やスタジオで学んだ人が、別々の分野へ散っていく。
共有されるのは基礎の作法で、選ぶ題材は各人の判断になる。
継承という言葉は、しばしば内容の継承と誤解される。
実際に渡されるのは、判断の土台のほうである。
そして、その土台は言葉で伝わるものではない。
版下絵を描く手つき、線の入り方、余白の残し方。
弟子は師の絵を写して覚える。写しながら、自分の癖が混ざる。
その混ざり方が、後から見ると個性として読まれる。
工房の絵を並べて比べる楽しみは、この混ざり方を探すところにある。
一派の名前は、どこまで続いたか
一派の行く末も書いておきたい。
勝川派の名は、19世紀に入ると版画の世界で目立たなくなる。
役者絵の主流は別の一派へ移り、風景版画が台頭する。
弟子の一人が名を変えて風景で名を成したことは、先に触れた。
つまり一派の終わりは、才能の枯渇ではなかった。
需要が別の主題へ動いたのである。
工房は主題とともに栄え、主題とともに退く。
版画が市場の商品だったことの、もう一つの現れである。
顔の描き分けが、どこまで届いたか
もう一点、留保を書いておきたい。
顔で個人を示す方法が、どこまで似ていたのかは分からない。
役者の実際の顔を写した記録が、ほとんど残っていないからである。
だから「よく似ている」とは書けない。
書けるのは、絵師が描き分けようとしていたこと、
そして買う側がその違いを求めていたことである。
顔だけを大きく描く方向へ進んだのは、次の世代である。
大首絵については別のコラムで扱った。
暮らしへ——同じ人を、二人に描いてもらう
最後に、日常に持ち帰れる話をひとつ。
同じ人の写真を、二人の違う人に撮ってもらってみてほしい。
同じ相手でも、写るものが変わる。
正面から撮る人、横から撮る人、笑った瞬間を待つ人。
撮る側の癖が、被写体より強く出ることがある。
三人の絵師が描いた菊之丞にも、同じことが起きている。
役者の姿を見ているつもりで、実は絵師の癖を見ていることが多い。
版画を飾るなら、同じ人物の別の絵師による作品を二枚並べると面白い。
比べるための並べ方は別のコラムにまとめた。
同じ役者の絵を集める楽しみは、当時の買い手にもあったはずである。
好きな役者の版画を、絵師を変えて何枚も買う。
いまの写真集や生写真の集め方と、そう遠くない。


