画家を知る

工房が受け継ぐもの——勝川春章と勝川派

勝川春章の一派では、名前も描き方も代々受け継がれた。同じ役者を三人の絵師が描いた版画を並べ、何が同じで何が違うかを見る。相撲の絵や三枚続まで、工房という単位で浮世絵を八点でたどる。名前と絵と系統の関係を、記録に沿って確かめる。

雪中に立つ遊女姿の三代目瀬川菊之丞
勝川春章《雪中に立つ遊女姿の三代目瀬川菊之丞》メトロポリタン美術館蔵

同じ役者を、三人の絵師が描いている

一枚の版画から始めたい。

雪中に立つ遊女姿の三代目瀬川菊之丞
勝川春章《雪中に立つ遊女姿の三代目瀬川菊之丞》おそらく1775年。木版摺(錦絵)、紙に墨と色。縦31.1センチ、横14.8センチ。メトロポリタン美術館蔵。勝川春章《雪中に立つ遊女姿の三代目瀬川菊之丞》メトロポリタン美術館蔵

細長い縦の画面である。縦31.1センチ、横14.8センチ。

女性が一人、雪の中に立っている。

顔はやや下を向き、口が小さく結ばれている。眉は細く、目は伏せがちだ。

髪は高く結い上げ、櫛と簪が挿してある。

着物は三枚重ね。白地に格子模様、上に薄紫の羽織、裾に赤と青の重ねが見える。

裾は足元で大きく広がり、白い履物の先が覗く。

右に雪をのせた枝と、低い柵。左に水面らしい淡い面がある。

右下に署名がある。「春章画」と読める。

色の数を数えてみたい。

墨の線、白、薄紫、赤、青、そして淡い黄。おおよそ六色である。

これは多色摺の版画である。所蔵館の記録も「錦絵」と書いている。

色ごとに版木を彫り、順に摺り重ねている。

十年ほど前までは、色は筆で塗るしかなかった。

摺りで色を重ねる技術が入った直後の時期にあたる。

雪の白が紙の白であることにも注意しておきたい。

白い絵具を置いたのではなく、そこを摺り残している。

錦絵の成立については別のコラムで扱った。

立ち姿の型

姿勢にも決まりがある。

体はわずかに右へ捻られ、顔と足先が別の方向を向いている。

肩は落ち、首は前へ出る。腰から下は裾に隠れて見えない。

この形は、この時代の役者絵に繰り返し現れる。

足を見せず、裾を広げることで、着物の面積が大きくなる。

見せ場が衣装にあるからである。

体の構造よりも、布の量と模様が優先されている。

描かれているのは、男性である

ここで、ひとつ確かめておきたい。

この人物は男性である。

三代目瀬川菊之丞は、女性の役を専門に演じた歌舞伎の役者である。

女方(おんながた)と呼ばれる役柄で、当時の舞台に女性は上がれなかった。

つまりこの絵は、女性の絵ではない。女性を演じる男性の絵である。

顔を見ると、その事情が現れている。

輪郭は丸く、頬に丸みがある。しかし顎の線はしっかり出ている。

目の描き方も、当時の美人画とは少し違う。

役者の顔として、個人が分かる程度に特徴が残されている。

名前は、代々受け継がれる

もう一点、名前についても押さえておきたい。

「三代目」とあるのは、芸名を継いだ順番である。

歌舞伎では、名跡と呼ばれる名前が世代を越えて引き継がれる。

初代の名を二代目が継ぎ、二代目の名を三代目が継ぐ。

だから同じ「瀬川菊之丞」という名前の役者が、時代を隔てて複数いる。

版画に描かれた顔は、名前ではなく個人のものである。

しかし版画に刻まれる文字は、名前のほうである。

顔と名前がずれる仕組みが、最初から入っている。

赤い衣の女
勝川春章《赤い衣の女》18世紀後半。木版摺(錦絵)、紙に墨と色。縦70.8センチ、横16.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。勝川春章《赤い衣の女》メトロポリタン美術館蔵

同じ絵師の、別の判型も見ておきたい。

縦70.8センチ、横16.5センチ。細長い柱絵である。

女性が一人、体を斜めに通して立っている。

紅色の一枚の衣。帯は見えず、布が体を包んでいる。

顔は右を向き、口元がわずかに笑う。右手を胸の前で握っている。

裾は足元でひとつの塊になり、床に届く。

背景は無地である。何も描かれていない。

先の雪の一枚と比べると、情報量が極端に少ない。

幅16センチの画面では、背景を描く余地がないからである。

判型が変わると、同じ絵師でも見せ方を変える。

細長い判型の話は別のコラムで扱った。

問い——工房では、何が受け継がれるのか

さて、本稿の問いである。

この役者を、勝川派の絵師が三人、それぞれ描いている。

師の春章、弟子の春好、弟子の春英である。

同じ人物を、同じ流派の三人が描いた版画が、当サイトに揃っている。

そこで問いたい。工房では何が受け継がれ、何が受け継がれないのか。

技術か、主題か、それとも顔の型か。

三人の版画を並べて、確かめていきたい。

勝川派という集まり

先に、この一派の輪郭を書いておく。

勝川春章は18世紀の江戸で活動した絵師である。生年には諸説がある。

役者の顔を、個人が分かるように描く方法を広めた人物とされる。

それまでの役者絵は、紋や役名で人を示していた。顔は型だった。

顔で人を示す描き方については別のコラムで扱った。

弟子には、春好、春英、そして春朗がいる。

春朗はのちに名を変え、葛飾北斎として知られるようになる。

弟子の名は、いずれも師の名から一字を受け取っている。

「春」の字が共通しているのは、そういう仕組みである。

名前を分け与えることで、系統が目に見える形になる。

一派の仕事の量も確かめておく。

当サイトでは、春章の作品を162点、春英を43点、春好を42点公開している。

三人あわせて247点になる。

同じ流派の作品がこれだけ揃うと、比較ができる。

一人の画家の変化ではなく、集団の中の差を見られるということである。

これは版画という分野の特徴でもある。

肉筆画では、同じ主題を複数の絵師が描いた例はそう多くない。

版画では、売れる主題を各絵師が繰り返し描く。だから比較の材料が残る。

もう一つ、工房の実務も想像しておきたい。

版画の絵師は、版下絵を描くところまでを担う。

彫りと摺りは別の職人の仕事である。

だから弟子が学ぶのは、彫れる線で描く技術と、売れる構図の型になる。

筆の勢いや絵具の扱いは、肉筆画ほど重要ではない。

工房で継がれる技術の中身も、分野によって違うということである。