画家を知る

同じ名を、二人が継ぐ——勝川春章の役者絵

九枚の題に、市川團十郎の四代目と五代目が並ぶ。うち二枚では同じ人が海老蔵と記され、館は括弧で注を入れる。名が動けば記録も動く。細判の紙に十一年ぶんの名跡の移り変わりが残っている。顔見世の十一月が三度出てくる点にも触れる。

高位の武士に扮する四代目市川團十郎
勝川春章《高位の武士に扮する四代目市川團十郎》メトロポリタン美術館蔵

名前が、二人ぶんある

九点の題を並べると、同じ名が何度も出てくる。

市川團十郎の四代目が四点、五代目が五点である。合わせて九点。

ところが、そのうち二点の題には別の名が入る。市川海老蔵、という名である。

そして館は、その海老蔵に括弧を付けて注を入れる。四代目團十郎と同じ人物である、と書いている。

同じ人が、二つの名で記録されている。九点はその現場を見せている。

役者絵は、舞台の記録である。誰が、どの役を、どんな姿で演じたかを紙に残す。

その記録が、名の移り変わりまで抱え込むことになる。名が変われば、同じ人の絵が二つの見出しに分かれる。

美術館の目録は、それをどう扱うか。九点の題は、その処理の跡を見せている。

九点の顔ぶれ

先に、九点の中身を確かめておきたい。

すべて同じ絵師の役者絵で、すべて同じ判型である。

描かれているのは、市川家の二人だけである。ほかの役者は出てこない。

年は1770年ごろから1781年まで。十一年ほどの幅に収まる。

館はいずれも、木版で紙に墨と色、と記録する。技法の欄に差はない。

名跡というしくみ

歌舞伎の役者の名は、個人のものであると同時に、家のものでもある。

先代が名を退くと、次の者がその名を継ぐ。継いだ者は代数で区別される。

継ぐ前の名も決まっていることが多い。市川家では、海老蔵という名がその位置にある。

團十郎を名乗った者が、あとで海老蔵へ戻ることもある。名は上がるだけでなく、譲るために動く。

だから、記録には同じ人の複数の名が残る。年によって、呼び方が変わる。

これは屋号や俳名まで数えると、さらに増える。市川家では、三升という別号も使われた。

一人の役者に、複数の呼び名が同時に存在する。どれも本名ではない。

こうした重なりは、日本の芸能では珍しくない。名は個人を指すだけの記号ではない。

ここでは、四代目と五代目、そして海老蔵という三つの呼び名だけを追う。

記録は、どちらで書くか

館は、絵に摺られた名を優先しているように見える。

版画には、その時点での名が入る。摺られた年の名前である。

だから、1771年の絵には團十郎と入り、1774年の絵には海老蔵と入る。

もし人物で統一すれば、検索はしやすくなる。しかし、絵の上の情報とずれてしまう。

館は絵の名を採り、括弧で補足する形を選んでいる。両方を残す書き方である。

この方式には利点がある。題を読めば、絵に何と摺られているかが分かる。

同時に、括弧を読めば、人物としての同一性も分かる。二つの情報が一行に入る。

欠点もある。題が長くなり、機械で扱いにくくなる。括弧の中身を無視すると、同一人物が別人になる。

当サイトはこの題を日本語に訳して使っている。括弧も落とさずに移した。

高位の武士に扮する四代目市川團十郎
勝川春章《高位の武士に扮する四代目市川團十郎》1770年か。木版、紙に墨と色。館の記録では、縦31.4センチ、横14センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ジョゼフ・ピュリツァー遺贈基金による購入、1918年。勝川春章《高位の武士に扮する四代目市川團十郎》メトロポリタン美術館蔵

縦長の細い紙である。細判と呼ばれる規格にあたる。

画面の中央に、一人が立つ。上半身をわずかに右へひねっている。

衣は緑と橙で、大きな渦の模様が入る。裾は床につくほど長い。

背後には、格子と手すりが斜めに走る。上部から桜の枝が垂れる。

左には、細長い紙が何枚も掛かる。文字が摺られているが、画像では読めない。

足元は板張りで、緑の地が敷かれる。人物の輪郭は太い線で囲まれる。

顔は正面をわずかに外し、眉を寄せている。表情の型が決まっている。

館の年の欄には、たぶん、という意味の語が入る。1770年と断定されていない。

九点のなかで、年に留保が付くのはこの一点と、もう一点である。

摺られた紙には、ふつう年が入らない。だから年は、演目や座組から推定される。

推定が外れることもある。館はその可能性を、語ひとつで示している。

一人を、何度も摺る

九点はすべて同じ絵師の仕事である。

同じ役者を何度も描くのは、需要があったからである。役者絵は、いまの舞台写真に近い商品だった。

芝居がかかるたびに、新しい絵が出る。役が変われば、衣装も見得も変わる。

だから同じ人物の絵が、年ごとに積み重なる。九点は十一年ぶんにあたる。

その積み重ねが、名の変化まで含んでしまう。商品として作られた紙が、結果として名跡の記録になった。

紙は安い。細判は大判より小さく、一枚の値も低かったと考えられる。

安いから、たくさん摺れる。たくさん摺れば、残る確率も上がる。

九点が二百年以上のちに海の向こうの館にある。その事情の出発点は、値段の安さである。

歌舞伎役者、四代目市川團十郎
勝川春章《歌舞伎役者、四代目市川團十郎》1771年十二月。木版、紙に墨と色。館の記録では、縦33センチ、横14.8センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ジョゼフ・ピュリツァー遺贈基金による購入、1918年。勝川春章《歌舞伎役者、四代目市川團十郎》メトロポリタン美術館蔵

白地の衣に、大きな丸い模様が並ぶ。緑と赤で描かれた飾りの紋である。

胸のあたりに、獣の顔のようなものが下がる。面か、飾りかは判別できない。

右手に長い柄のものを持ち、斜めに立てている。柄には赤い帯が巻かれる。

腰には刀が差される。柄頭が背後に高く出る。

上部には、緑と黄の横縞がある。舞台の上部の装飾であろう。

足元には、細い縞の帯が横に走る。舞台の縁だと思われる。

館の題には、月まで書かれている。十二月である。

月まで分かるのは、演目の初日が記録に残っているからである。

芝居の番付や日記が残り、それと絵を突き合わせる。年月は、そうして決まる。

絵そのものには、年も月も摺られていない。外の資料が支えている。

細判という規格

九点の紙は、どれも縦31センチから33センチ、横14センチから15.6センチに収まる。

この細長い形を、細判と呼ぶ。大判のおよそ三分の一の幅である。

館の記録で細判と明記されているのは、九点のうち二点だけである。残りは数字だけが並ぶ。

数字を見れば同じ規格だと分かる。ただし、呼び名は書かれていない。

規格の名は、絵の外にある知識である。記録の欄には入らないことが多い。

月が書かれる意味

九点のうち六点には、月が記録されている。

十二月が二点、二月が一点、十一月が三点である。

十一月が多いのには理由がある。江戸の芝居では、十一月に一年の顔ぶれを披露する興行があった。

顔見世と呼ばれる。役者が新しい座組で舞台に立つ、区切りの月である。

その月の絵が残っているのは、需要が集中していたからだと考えられる。

十二月の二点も、顔見世の続きの興行にあたる可能性がある。ただし館は何も書いていない。

二月の一点は、春の興行である。年に何度か、大きな区切りがあった。

月の欄が埋まっている絵と、年しか分からない絵がある。九点のなかでも精度に差がある。

精度の差は、資料の残り方の差である。絵の質とは関係がない。

歌舞伎役者、三代目市川海老蔵(四代目市川團十郎)
勝川春章《歌舞伎役者、三代目市川海老蔵(四代目市川團十郎)》1774年二月。木版、紙に墨と色。館の記録では、縦32.4センチ、横14.6センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ジョゼフ・ピュリツァー遺贈基金による購入、1918年。勝川春章《歌舞伎役者、三代目市川海老蔵(四代目市川團十郎)》メトロポリタン美術館蔵

ここで名前が変わる。三年前は團十郎だった人が、海老蔵として記録される。

姿も変わる。武具をまとい、右手に大きな弓を持つ。

顔には赤い隈取りが入る。目の周りと頬に、太い線が走る。

足元は岩場で、白い石が点々と並ぶ。上部には緑の帯があり、空を示す。

衣は赤と白で、細かい模様が詰まる。腰から下に鎧の草摺が下がる。

弓は画面の上端まで届く。細い紙の中で、縦の線が強調される。

前の一枚と比べると、役の性格がまるで違う。静かな立ち姿から、荒々しい型へ移っている。

隈取りは、顔に描く化粧である。線の色と形で、役の性格を示す。

赤は、勇ましさや正しさを表すと言われる。青や茶が使われる役もある。

顔を写実に描くのではなく、記号を顔に乗せる。遠くの席からでも役が分かる仕掛けである。

武士に扮する市川海老蔵(四代目市川團十郎)
勝川春章《武士に扮する市川海老蔵(四代目市川團十郎)》1773年か1774年。木版、紙に墨と色。館の記録では、縦32.5センチ、横14.9センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ジョゼフ・ピュリツァー遺贈基金による購入、1918年。勝川春章《武士に扮する市川海老蔵(四代目市川團十郎)》メトロポリタン美術館蔵

同じ海老蔵の名で、別の役である。

外側の衣は深い緑がかった茶で、無地に近い。内側に縞の衣が重なる。

胸元に白い襟が見え、手前に小さな道具を持つ。丸い器のように見える。

背後には竹の柵が横に並ぶ。柵の上に、赤と白の細かい形が散る。

足には白い足袋と草履。踏み出す構えではなく、静かに立っている。

顔は正面に近く、口を結んでいる。隈取りはない。

前の一枚と同じ人物、同じ名前だが、化粧も衣も別である。役ごとに姿が変わる。

この一点の年の欄には、1773年か1774年、と幅がある。

つまり、どの興行の絵か決まっていない。月も書かれない。

同じ名で二点あっても、記録の精度は揃わない。片方は月まで、片方は年も定まらない。

五代目が、現れる

九点の後半では、名の後ろの数が変わる。

五代目市川團十郎である。四代目の子であると伝えられる。

館の題は、五代目に括弧の注を付けていない。名の重複が起きないからである。

一方、四代目のほうには注が付く。海老蔵という別の名があるためである。

同じ家の中でも、記録の書き方が人によって変わる。名の履歴が違うからである。

五代目は、のちに自身も別の名を名乗ったと伝えられる。だが、九点の範囲には現れない。

九点が覆うのは1770年から1781年である。その十一年のあいだ、五代目は團十郎のままである。

だから、この九点の中では混乱が起きない。範囲を切ることで、記録は読みやすくなる。

葦毛の馬に乗る武者に扮する五代目市川團十郎
勝川春章《葦毛の馬に乗る武者に扮する五代目市川團十郎》1771年。木版、紙に墨と色。館の記録では、縦32.7センチ、横15.6センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。フランシス・ラスロップ・コレクション、フレデリック・C・ヒューイット基金による購入、1911年。勝川春章《葦毛の馬に乗る武者に扮する五代目市川團十郎》メトロポリタン美術館蔵

九点のうち、これだけが馬に乗っている。

馬は白に近い灰色で、体に丸い斑が散る。首を下げ、前脚を上げている。

騎手は鎧をつけ、背に旗のようなものを差す。頭には高く積み上がった飾りが載る。

背後に松の枝が広がり、右には赤い岩が立つ。緑の地面が下に敷かれる。

細判の幅に、馬と人を収めている。馬の胴は画面の左右に届き、余白がほとんどない。

構図としては窮屈である。しかし、動きの勢いは強く出る。

この一点だけ、館に入った経路が違う。別の蒐集から1911年に購入されている。

受入の年が、二つ

八点は、同じ年に同じ基金で購入されている。

年は1918年。受入番号も近い範囲にまとまる。

つまり、まとまった数の役者絵が一度に館へ入った。個別に集めたのではない。

残る一点は、1911年に別の個人蒐集から入った。番号の体系も違う。

同じ絵師の同じ判型の絵でも、館に届いた道筋は一つではない。

道筋が違えば、記録の詳しさも違うことがある。番号の体系が違えば、並びも変わる。

九点を並べて初めて、この差に気づく。一点ずつ見ていては分からない。

当サイトでは、館の記録をそのまま取り込んでいる。だから、この差もそのまま残る。

山姥に扮する五代目市川團十郎
勝川春章《山姥に扮する五代目市川團十郎》1775年十二月。木版、紙に墨と色。館の記録では、縦31.3センチ、横14センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ジョゼフ・ピュリツァー遺贈基金による購入、1918年。勝川春章《山姥に扮する五代目市川團十郎》メトロポリタン美術館蔵

九点のなかで、最も意外な姿である。

白い長い髪が、頭から肩へ広がる。顔には深い皺が描かれる。

衣は橙の葉を重ねたような形で、裾が細かく裂ける。山に住む者の装いである。

肩に太い枝をかつぐ。枝には葉が茂る。

足は素足で、地面には白い点が散る。雪か石かは分からない。

男の役者が、老いた女の役を演じている。歌舞伎ではふつうのことである。

前の武者姿と同じ人物とは、姿だけでは分からない。名がなければ結びつかない。

立ち姿の型

九点のうち八点は、立っている。座る姿は一点もない。

細長い紙には、立ち姿が収まりやすい。横になる姿勢は入らない。

判型が、描ける姿勢を決めている。紙の形が、絵の内容を縛る。

残る一点は馬に乗る。これも縦に高い形である。

つまり九点は、縦に伸びる姿勢だけで構成されている。

姿では、たどれない

九点を姿だけで並べると、誰が誰か分からなくなる。

隈取りが入れば顔は変わる。老女の役なら皺が描かれる。

役者絵は、似顔として描かれる面もある。だが、役の型のほうが強く出る。

だから記録の名が要る。名がなければ、同じ人の絵をまとめられない。

名跡の複雑さと、姿の変わりやすさが重なると、記録の負担は大きくなる。

もう一つ、絵師の側の事情もある。細判の紙は狭い。

狭い紙に一人を大きく置けば、背景はほとんど描けない。九点のうち数点は、背景がほぼ無地である。

背景が無いと、どの芝居かが読み取りにくい。だから題の情報が、いっそう重くなる。

暫の役、般若の五郎に扮する五代目市川團十郎
勝川春章《暫の役、般若の五郎に扮する五代目市川團十郎》1776年十一月。木版、紙に墨と色。館の記録では、細判で縦31.9センチ、横14.9センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ジョゼフ・ピュリツァー遺贈基金による購入、1918年。勝川春章《暫の役、般若の五郎に扮する五代目市川團十郎》メトロポリタン美術館蔵

赤い衣が画面いっぱいに広がる。

袖は角ばって張り出し、白い山形の模様が入る。布というより板のように見える。

背には大きな刀を負う。柄が右上へ長く伸びる。

顔は赤い隈取りで、目を大きく見開く。口は真一文字に結ばれる。

足は開いて踏ん張り、体はやや前へ出る。見得の型である。

館の題には、暫、という語が入る。待て、と呼び止める場面を指す。

十一月の興行である。顔見世の月にあたる。

暫の役に扮する五代目市川團十郎
勝川春章《暫の役に扮する五代目市川團十郎》1779年十一月。木版、紙に墨と色。館の記録では、細判で縦31.8センチ、横14.9センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ジョゼフ・ピュリツァー遺贈基金による購入、1918年。勝川春章《暫の役に扮する五代目市川團十郎》メトロポリタン美術館蔵

三年後の、同じ型である。

衣の色は変わる。灰がかった地に、渦の模様が大きく入る。

前に垂れる部分には、白い山形が並ぶ。前の一枚と同じ形である。

腕を胸の前で組み、体を正面に向ける。刀の柄が腰の左右から突き出る。

足は素足で、床に強く置かれる。踏みしめる形である。

背景は無地で、上が薄い灰、下が黄土である。人物だけを見せる作りになっている。

同じ役者が、同じ型を、三年おいて演じている。絵もそれに応じて作られた。

坂田金時に扮する五代目市川團十郎
勝川春章《坂田金時に扮する五代目市川團十郎》1781年十一月。木版、紙に墨と色。館の記録では、縦31.3センチ、横14センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ジョゼフ・ピュリツァー遺贈基金による購入、1918年。勝川春章《坂田金時に扮する五代目市川團十郎》メトロポリタン美術館蔵

九点の最後も、十一月の興行である。

衣は黒で、白く大きな文字か紋が二つ抜かれる。細判の幅を、白い形が横切る。

顔は赤い隈取りで、髪は逆立つ。首を左へ強くひねる。

肩から斜めに、太い縄のようなものが掛かる。柄の長い道具を持っているように見える。

上部には黄色い幕が横に張られる。留め具らしい形が三つ並ぶ。

黒と白と赤の三色で画面が作られる。九点のなかで最も色数が少ない。

そのぶん、形の力が強い。遠くからでも何の場面か分かる。

色数と、見え方

九点の色の使い方を見ておきたい。

初期の数点は、緑と橙と白を中心にする。淡く、中間の調子が多い。

後期の数点は、赤と黒が強くなる。面で塗り、輪郭を太くする。

これは絵師の変化かもしれないし、役の性格の違いかもしれない。九点だけでは決められない。

ただ、並べたときに後半のほうが遠くから見えることは確かである。

十一年の並び

九点を年順に並べると、一つの家の十一年が見える。

四代目が團十郎として立ち、やがて海老蔵になる。その間に、五代目が團十郎として現れる。

同じ絵師が、その移り変わりをそのまま摺っている。狙って記録したわけではない。

商品として作られた紙が、あとから資料になる。役者絵の性格をよく示している。

同じ役者を二枚並べて背景がつながる作りもあった。その仕組みは二枚並べて、背景がつながる——勝川春章で見た。

九点はいずれも一枚で完結している。組みになる相手は、いまのところ見つかっていない。

一枚で成り立つ絵と、二枚で成り立つ絵。同じ判型でも、作りが違う。

勝川派という工房の仕組みについては、工房が受け継ぐもの——勝川春章と勝川派に書いた。

名は、誰のものか

名跡は、家の財産である。

同時に、それを名乗る人の仕事の記録でもある。名が動けば、記録も動く。

美術館の目録は、人物を一つの見出しにまとめたがる。そのほうが探しやすい。

しかし、名が変わる文化では、まとめること自体が判断になる。何をもって同一人物とするかを決めなければならない。

この九点の題は、その判断を括弧のなかに書き込んでいる。読みにくいが、正直な書き方である。

私たちが九点を並べられるのは、その括弧のおかげである。

括弧がなければ、四代目と海老蔵は別人として並ぶ。同じ十一年の話にならない。

小さな補足が、束を作る。記録の書き方は、見え方を決めている。

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