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写楽《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》の解説——手はなぜ大きく開いているのか

写楽《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》を解説します。メトロポリタン美術館にある1794年の大首絵で、顔より大きく開いた両手と、白い雲母を刷った背景が見どころです。どこで見られるか、画面に何が描かれているかを、館の記録から確かめます。

三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛
東洲斎写楽《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》メトロポリタン美術館蔵

《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》はどこで見られるか

東洲斎写楽の《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》は、メトロポリタン美術館にある。

館の記録では、紙に墨と色と白い雲母を刷った木版である。制作は1794年とされる。

紙は縦38.1センチ、横25.1センチ。大判と呼ばれる、錦絵の標準的な大きさである。

三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛
東洲斎写楽《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》1794年。館の記録では、紙に墨・色・白い雲母を刷った木版。38.1×25.1センチ。番号はJP2822。メトロポリタン美術館蔵。東洲斎写楽《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》メトロポリタン美術館蔵

版画なので、同じ図柄の刷りが各地の館に分かれて残る。当サイトが公開しているのは、そのうちの一枚である。

「本物が一枚だけどこかにある」という種類の作品ではない。刷りごとに色の濃さや紙の傷み方は違う。

画面には何が描かれているか

描かれているのは、歌舞伎役者の三代目大谷鬼次である。

館の記録に残る役名は「奴江戸兵衛」。奴とは、武家に仕えた下男を指す言葉である。

上半身だけを画面いっぱいに置くこの形を、大首絵と呼ぶ。

顔は正面からわずかに左を向く。眉は目尻の側で跳ね上がり、目のふちには紅が差してある。

鼻の脇から口の端へ、深い線が走る。口は真一文字に結ばれ、両端が下がる。

髪は額の上を剃り、後ろで髷を結う。ほつれた毛が数本、こめかみの上で跳ねている。

着ているのは黒い羽織である。襟と袖口には、茶と黄の縞がのぞく。

肩には丸い紋がひとつ置かれる。胸元からは赤い裏地が見えている。

そして画面の下半分を、開いた両手が占めている。

背景には何も描かれない。芝居の舞台も、道具も、他の役者もいない。

見る側に残されるのは、顔と手と衣の柄だけである。どこで何をしている場面かは、画面からは分からない。

右の端には、縦書きの署名が入る。その下には小さな印が押されている。

手はなぜ大きく開いているのか

両手は胸の前で、指を鉤のように曲げて広げられている。

顔と比べると、手は明らかに大きい。掌の幅は、顔の幅に近い。

つまりこれは、人体の比率どおりに描かれた手ではない。演技の一瞬を強めるために、寸法を動かした手だと読める。

指は開ききらず、掌は下を向く。何かをつかむ直前の形である。

指の関節には、太さの違う線が引き分けてある。親指の付け根だけが、ふくらみとして残る。

腕は袖に隠れ、肘から先は見えない。手は胴から生えているように置かれている。

顔は止まり、手だけが構えている。その差が、この一枚の緊張を作っている。

なお、この図がどの場面にあたるかは、館の記録には書かれていない。読み取れるのは、画面に残された形だけである。

恋女房染分手綱 四代目市川海老蔵の竹村定之進
東洲斎写楽《恋女房染分手綱 四代目市川海老蔵の竹村定之進》1794年。館の記録では、木版多色摺。36×23.6センチ。番号は1930.205。クリーヴランド美術館蔵。東洲斎写楽《恋女房染分手綱 四代目市川海老蔵の竹村定之進》クリーヴランド美術館蔵

同じ年の大首絵をもう一枚並べる。こちらは館の記録に芝居の名が残り、四代目市川海老蔵を描く。

口はわずかに開き、下の歯がのぞく。頬から顎にかけて、たるみの線が何本も引かれている。

役者を整えて美しく見せる描き方ではない。皺も顎の肉も、そのまま線にしている。

背景の灰色は何でできているか

《奴江戸兵衛》の背景には、模様も風景も無い。一様な地が人物を囲んでいる。

館の記録では、この地に白い雲母が使われている。雲母摺と呼ばれる技法である。

雲母は薄くはがれる鉱物で、砕いた粉が光を反射する。糊とともに紙へ刷ると、地が絹のように光る。

手元の画面や印刷では、この反射は再現されない。灰色の平らな面に見えるのはそのためである。

館で実物を見れば、立つ位置によって地の明るさが変わる。図版と実物がいちばん違うのは、この点である。

雲母を使うと、紙の白を残した顔がいっそう目立つ。地が光り、顔が沈まないからである。

黒い羽織と灰色の地は、明るさの差が小さい。そのぶん、白い顔と手が先に目へ入る。

二代目中村仲蔵の惟高親王
東洲斎写楽《二代目中村仲蔵の惟高親王》1794年。館の記録では、紙に墨・色・白い雲母を刷った木版。30.5×21.6センチ。番号はJP3129。メトロポリタン美術館蔵。東洲斎写楽《二代目中村仲蔵の惟高親王》メトロポリタン美術館蔵

この一枚も、館の記録では白い雲母を使っている。ただし地の大半は、赤い頭巾と太い縞の着物で埋まる。

顔の白さは、絵具を置いて作られたものではない。紙の色をそのまま残している。

写楽の役者絵は大首絵だけなのか

そうではない。全身を描いた図も残っている。

館の記録では、次の二枚はいずれも1794年から1795年の作とされる。どちらも足元まで画面に入る。

市川男女蔵の富田兵太郎と三代目大谷鬼次の浮世渡平
東洲斎写楽《市川男女蔵の富田兵太郎と三代目大谷鬼次の浮世渡平》1794年から1795年。館の記録では、木版多色摺、白い雲母の地。37.1×24.8センチ。番号はJP3017。メトロポリタン美術館蔵。東洲斎写楽《市川男女蔵の富田兵太郎と三代目大谷鬼次の浮世渡平》メトロポリタン美術館蔵

手前の人物は赤い格子の上着を着て、前かがみに構える。下は白い股引で、足は素足である。

背後の人物は淡い色の羽織をまとい、刀の柄へ手をかける。二人とも腰に刀を差している。

顔は小さく描かれ、体の向きと手足の構えが画面を作る。大首絵とは主役の置き方が違う。

二代目小佐川常世の髪結おろく
東洲斎写楽《二代目小佐川常世の髪結おろく》1794年から1795年。館の記録では、木版多色摺。画面は31.8×15.2センチ。番号はJP3126。メトロポリタン美術館蔵。東洲斎写楽《二代目小佐川常世の髪結おろく》メトロポリタン美術館蔵

細長い判型のこの一枚は、髪結のおろくという女の役を演じる姿である。

背景には障子の桟と板の床が描かれる。地を一色で埋める作りではない。

縞の着物の上に黒い羽織を掛け、裾は床へ長く伸びる。顔は画面の上の方に小さく収まる。

同じ絵師の役者絵でも、判型が変わると見せ場も変わる。大首絵は顔と手、全身像は姿勢と衣の線である。

《奴江戸兵衛》を探して当サイトへ来た人は、まずこの違いを見比べてほしい。手の誇張が特別なものだと分かる。

当サイトの画家の記録では、写楽の活動は1794年5月から翌年の初めごろまでとしている。10か月ほどの間の仕事である。

浮世絵がどう摺られるかは《神奈川沖浪裏》の解説で扱った。十か月という期間については写楽と十か月の記事がある。

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