技法の欄に、鉱物の名がある——東洲斎写楽の雲母摺
九点の技法欄には雲母の語が入る。粉を地に置いて光らせる高価な処理である。ただし光は写真に写らず、画像では灰色の面にしか見えない。記録の一語が示す、見えない仕上げを追いたい。同じ技法が二通りに書かれる点にも触れる。

技法の欄に、鉱物の名がある
九点の技法の欄には、ふつうの版画にない語が入っている。
雲母である。薄く剥がれる性質をもつ鉱物で、細かく砕くと光る粉になる。
その粉を紙の地に置くと、面がきらきらと光る。
九点はいずれも、その処理を受けた版画である。
館の記録は、それを技法の欄に明記している。
ふつうの版画の技法欄は、木版、紙に墨と色、で終わる。
そこに一語加わるだけで、紙の性格がまったく変わる。
短い一語が、実物の見え方を左右している。
書き方が、二通りある
九点の技法の欄をよく読むと、二つの書き方がある。
七点は、墨、色、白い雲母を紙に、という順で書かれる。
二点は、墨と色を紙に、雲母の地とともに、という書き方になる。
同じことを指しているが、語の並びが違う。
同じ館の同じ絵師の作でも、記述はそろっていない。
白い雲母、と書くものと、雲母の地、と書くもの。
前者は材料を、後者は仕上げを指している。着眼点が違う。
どちらも間違いではない。ただ、機械で数えると別の技法として扱われる。
当サイトの記録にも、この二つの書き方がそのまま入っている。
九点の内訳
先に、九点の中身を確かめておく。
大首絵が八点、全身を描いた細判が一点である。
年は1794年に集中し、一点だけ1795年にまたがる。
描かれた役者は八人で、女の役が二点、男の役が七点である。
技法は九点とも雲母摺である。そこに例外はない。
雲母摺という技法
日本語では、この処理を雲母摺と呼ぶ。
膠などで粉を紙に留め、面として光らせる。
背景全体に置くこともあれば、部分に置くこともある。
背景に使えば、人物の輪郭が浮き上がる。地が均一に光るからである。
高価な処理だったと伝えられる。誰の版画にも使えるわけではない。
粉そのものの値もあるが、手間も大きい。摺ったあとに、もう一工程が必要になる。
版元がその費用を負担する。売れる見込みがなければ、選ばれない。
つまり、雲母摺の版画は、期待をかけて売り出された商品である。
九点がそろって雲母摺なのは、そういう売り方をされたからだと考えられる。
誰が思いついたか
雲母摺は、この絵師の発明ではない。
同じころ、ほかの絵師の版画にも使われている。
版元が決める要素でもある。どの絵にどの仕上げをするかは、出す側の判断になる。
九点の版元は同じだったと伝えられる。まとめて売り出された可能性が高い。
もっとも、館の記録には版元の名が書かれていない。
光は、写真に写らない
雲母の効果は、見る角度によって変わる。
正面から見れば白く、斜めから見れば強く光る。
写真は、一つの角度しか写せない。だから、光の変化は写らない。
九点の画像を見ても、地は灰色か褐色の面にしか見えない。
技法の欄に書かれた光は、画像からは確かめられない。
さらに、雲母は落ちやすい。触れれば剥がれ、擦れれば薄くなる。
二百年以上たてば、当初の光は残っていないかもしれない。
館の記録は、いまの状態については書いていない。
だから、どの程度光るのかも、実物を見なければ分からない。

胸から上を大きく描いた画面である。
顔が画面の三分の一ほどを占める。
眉は太く、中央へ寄る。目は細く、下瞼が持ち上がる。
口は真一文字に結ばれ、下唇が突き出る。
髪は黒く、額の生え際が鋭く切れる。後頭部で束ねられる。
衣は灰緑で、細かい点が散る。襟は黒い。
右手を胸の前に上げる。指が伸びる。
背景は灰紫の面で、何も描かれない。
左に、絵師の名と印が縦に並ぶ。
眉と目の描き方に注意したい。線が太く、迷いがない。
版木を彫るとき、太い線は彫りやすい。細い線ほど難しい。
顔の造作を太い線でまとめるのは、版画に向いた描き方である。
背景を捨てるということ
背景を描かない絵は、場所を示せない。
舞台のどこにいるのか、どんな場面なのかが分からない。
そのかわり、顔と衣に注意が集まる。
芝居を見た人にとっては、場面は説明されなくても分かる。
絵は、覚えている場面を呼び起こす鍵として働く。
顔だけを、見せる
九点のうち八点は、胸から上だけを描く。
大首絵と呼ばれる形である。顔を大きく取る。
背景を無地にすれば、顔と衣だけが残る。
情報を削れば削るほど、顔の造作が目立つ。
雲母の地は、その削り方と組み合わせて使われている。
背景に何も描かないと、紙の面が広く残る。
その面を光らせれば、空白が空白でなくなる。
削ることと、足すことが同時に起きている。

正面をやや外した顔である。
額が広く、頭頂は剃られている。左右に髪が残る。
眉は下がり、目尻が垂れる。口はわずかに開く。
顎の下に、しわが二本描かれる。
衣は赤褐色で、細かい格子の模様が入る。
右手を胸に当てる。指が短く描かれる。
肩の位置に、丸い家紋が入る。
背景は灰色の面で、上部にむらがある。
このむらは、雲母の粉の付き方によるものかもしれない。
顎と、手
大首絵では、画面に入る体の部分が限られる。
顔、首、肩、そして手である。
九点のうち七点に、手が描かれる。胸の前か、口元に置かれる。
手を入れると、画面の下部が埋まる。顔だけでは間が持たない。
指の形も、役の性格を示す。握る、開く、つまむ。
むらが見える
九点の背景を見比べると、面の色が一様ではない。
刷毛の跡らしい筋が見えるものがある。
粉を膠で留めるので、塗り方によってむらが出る。
均一に見せるのは難しい。手の作業だからである。
そのむらも、いまでは紙の履歴の一部になっている。