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寸法の欄が、全部同じである——ヤーネ兄弟の小柄700点規模、1943年

長さ九・七センチ、幅一・四センチ。鞘の溝が決めた規格である。作り手が変えられるのは厚さと装飾と材料だけ。赤銅、四分一、宣徳。金属の色を絵具のように使い分けた二百年を、九枚の板から読みたい。厚さと重さだけが一点ずつ違っていることにも触れたい。

小柄
後藤廉乗《小柄》メトロポリタン美術館蔵

寸法の欄が、全部同じである

出所の行に、こう書かれた作品がある。

ハーマン・A・E・ヤーネおよびポール・C・ヤーネによる寄贈、一九四三年。

寄贈者が二人いる。

姓が同じなので、兄弟か親族だろう。

当サイトで公開している分だけで、四十一点ある。

番号は四三・一二〇で始まり、枝番は五六から七二八まで。

もとの寄贈は七百点を超えていた可能性がある。

種別は、三十七点が小柄で、四点が鍔である。

小柄というのは、刀の鞘に差し込む小刀の柄である。

そして、その寸法の欄が、ほとんど同じ数字で埋まっている。

四十一点のうち三十三点が、長さ九・七センチ、幅一・四センチ。

残る四点も、長さ九・五センチ、幅一・四センチである。

つまり、寸法が規格化されている。

今回選んだ九点も、すべて長さ九・七センチ、幅一・四センチである。

小柄
後藤廉乗《小柄》17世紀。館の記録では、赤銅・金・銀。長さ9.7センチ、幅1.4センチ、厚さ0.6センチ、重さ28.3グラム。番号は43.120.111。出所の行は「ハーマン・A・E・ヤーネおよびポール・C・ヤーネによる寄贈、1943年」。日本。メトロポリタン美術館蔵。後藤廉乗《小柄》メトロポリタン美術館蔵

細長い金属の板である。

横に長く、上下の縁がわずかに丸みを帯びる。

地は黒に近い。

その黒の上に、獣が一頭浮き彫りにされている。

牛である。

体を横たえ、脚を折りたたむ。

首をひねり、顔を体のほうへ向ける。

角は短く、前を向く。

背の線が、なだらかに盛り上がる。

尾は後方へ長く伸び、先が細くなる。

尾の先だけが、地の面から少し浮いている。

そして、板の縁に沿って、金の細い線が回っている。

黒い地に、金の枠。

その中に、黒い牛が一頭いる。

小柄という道具

小柄について、もう少し説明しておきたい。

日本の刀の鞘には、小さな溝が彫られていることがある。

そこに、小刀を差し込む。

その小刀の柄が、小柄である。

刃は薄く、短い。

戦うための刃ではない。

紙を切る、竹を削る、といった日常の用途に使われた。

つまり、刀に付属する小道具である。

そして、その柄の表側が、装飾の場になった。

腰に差した刀を横から見ると、この面が見える。

だから、目立つ。

一方、裏側は鞘に隠れて見えない。

九点の画像は、いずれも表側だけを写している。

裏がどうなっているかは、公開されている画像からは分からない。

館の記録も、裏面には触れていない。

三十七点と、四点

四十一点の内訳を、もう一度見たい。

小柄が三十七点、鍔が四点である。

九割が小柄に偏っている。

これは、集めた人の関心がはっきりしていたことを示す。

刀装具には、ほかにも種類がある。

目貫、笄、縁頭、鐺。

いずれも小さな金工品である。

そのなかで、小柄だけを集めた。

理由は推測するほかない。

寸法がそろっているので、並べやすい。

表面が平らなので、絵として見やすい。

そして、数が多く出回っていた。

明治の初めに、刀を帯びることが禁じられた。

刀装具の需要が消え、大量の金具が市場に出た。

その多くが海外へ渡っている。

九点の作者に十九世紀の人が多いのも、それと無関係ではないだろう。

作られてまもない金具が、使われないまま流出した。

赤銅という材料

材料の欄に、赤銅とある。

銅に、わずかな金を混ぜた合金である。

そのままでは、赤みのある銅の色をしている。

特殊な薬品で煮ると、表面が黒くなる。

その黒は、塗ったものではない。

金属そのものが変色したものである。

だから、削れば下から銅の色が出る。

日本の金工では、この合金が長く使われてきた。

黒い地を作るための、標準的な材料である。

館の記録は、この材料を日本語の読みのまま記載している。

翻訳せず、そのまま音を写している。

材料に対応する語が、英語にないからである。

四分一と、宣徳

同じ寄贈のなかに、別の合金も出てくる。

九点の材料の欄を並べたい。

赤銅、金、銀。

金、赤銅、銀。

四分一、銀、金。

四分一、金、銀。

四分一、金、赤銅。

銅、金、宣徳、銀。

銅、銀、金、赤銅。

四分一、金、赤銅。

四分一、金、銅、銀、赤銅。

四分一という語が、五回出てくる。

銅と銀の合金である。

銀の割合によって、色が変わる。

多ければ白く、少なければ灰色に近づく。

薬品で処理すると、落ち着いた灰色になる。

宣徳という語も一度出てくる。

こちらも銅の合金で、黄色みを帯びる。

いずれも、館の記録は日本語の読みをそのまま書いている。

そして、その隣に括弧で成分を添えている。

銅と金の合金、銅と銀の合金、というふうに。

読む人に、材料の中身が分かるようにしてある。

月と、蛙

小柄
後藤栄乗《小柄》17世紀。館の記録では、金・赤銅・銀。長さ9.7センチ、幅1.4センチ、厚さ0.6センチ、重さ39.7グラム。番号は43.120.178。日本。メトロポリタン美術館蔵。後藤栄乗《小柄》メトロポリタン美術館蔵

黒い地の板である。

縁に、金の枠が回る。

前の一点より、枠が太い。

板の左寄りに、人の姿がある。

身をかがめ、何かをしている。

その右に、金色の草花。

葉が広がり、小さな花が付く。

さらに右にも、別の草。

金と銀を使い分けて、植物の種類を描き分けている。

浮き彫りの高さは低い。

しかし、細部は細かい。

葉脈らしい線まで入っている。

重さは三十九・七グラム。

九点のなかで、いちばん重い。

小柄
岩間信良《小柄》19世紀。館の記録では、四分一・銀・金。長さ9.7センチ、幅1.4センチ、厚さ0.6センチ、重さ34グラム。番号は43.120.182。日本。メトロポリタン美術館蔵。岩間信良《小柄》メトロポリタン美術館蔵

灰色の地である。

四分一の色である。

その中央に、細い三日月が銀で描かれる。

輪郭がはっきりした、鋭い形である。

月の下に、うっすらと雲のような線。

そして、右端に、小さな蛙が一匹。

金でできている。

体を低くし、前脚をそろえている。

その足もとに、細い草が数本。

月と、蛙と、草。

三つだけである。

板の左半分は、何もない。

灰色の面が、そのまま残る。

余白の取り方が、掛軸のようである。

九・七センチの中の構図

ここで、この形式の制約を考えたい。

縦一・四センチ、横九・七センチ。

きわめて細長い。

縦横の比は、七対一である。

この面に、絵を収める。

使える構図は限られる。

一つは、端に寄せる方法。

牛の一点、月と蛙の一点が、これにあたる。

もう一つは、全面に広げる方法。

波の一点が、これである。

もう一つは、左右に要素を分ける方法。

そして、いずれの場合も、余白の扱いが決め手になる。

九・七センチのうち、どこを空けるか。

小さな画面ほど、余白の判断が効いてくる。

小柄
一葉斎広直《小柄》19世紀。館の記録では、四分一・金・銀。長さ9.7センチ、幅1.4センチ、厚さ0.6センチ、重さ34グラム。番号は43.120.214。日本。メトロポリタン美術館蔵。一葉斎広直《小柄》メトロポリタン美術館蔵

濃い灰色の地である。

板の全面に、風景が彫られている。

左に、岩と木立。

枝が細かく分かれ、葉が茂る。

その下に、人の姿が小さく見える。

中央から右にかけて、地面と草。

金の点が、草の花として散らされる。

右端にも、小さな金の形。

浮き彫りの高さは、部分によって変わる。

手前の岩は高く、奥の木は低い。

高さの差で、遠近を出している。

九・七センチの中に、風景が一つ入っている。

小柄
浜野春親《小柄》19世紀。館の記録では、四分一・金・赤銅。長さ9.7センチ、幅1.4センチ、厚さ0.5センチ、重さ28.3グラム。番号は43.120.240。日本。メトロポリタン美術館蔵。浜野春親《小柄》メトロポリタン美術館蔵

明るい灰色の地である。

前の一点より、色が白い。

四分一の銀の割合が高いのだろう。

板の右寄りに、細い線が数本。

草の茎のようである。

その先に、金の小さな形がいくつか。

花か、実か。

そして、その下に、細い脚のようなものが伸びる。

虫かもしれない。

装飾はそれだけである。

板の左三分の二は、完全な無地である。

九点のなかで、最も装飾の少ない一点である。

厚さは〇・五センチ。

重さは二十八・三グラム。

いちばん軽い。

銅の地に、線を刻む

小柄
浜野政随《小柄》18世紀の前半から半ば。館の記録では、銅・金・宣徳・銀。長さ9.7センチ、幅1.4センチ、厚さ0.8センチ、重さ36.9グラム。番号は43.120.293。日本。メトロポリタン美術館蔵。浜野政随《小柄》メトロポリタン美術館蔵

地の色が違う。

橙色に近い、明るい銅の色である。

そして、その面に細い斜めの線が密に刻まれている。

線の間隔は均一で、板の全体を覆う。

光の向きによって、面が縞に見える。

その上に、中央よりやや右に、植物の形が浮き彫りにされている。

太い茎が斜めに立ち、先に蕾が付く。

蕾は金色である。

茎の途中から、葉が二枚。

葉も金で、縁がめくれている。

根もとの部分は、暗い色の金属である。

厚さ〇・八センチ。

九点のなかで、いちばん厚い。

浮き彫りが高いぶん、板も厚くなっている。

小柄
岩間政良《小柄》18世紀の後半から19世紀の半ば。館の記録では、銅・銀・金・赤銅。長さ9.7センチ、幅1.4センチ、厚さ0.5センチ、重さ31.2グラム。番号は43.120.300。日本。メトロポリタン美術館蔵。岩間政良《小柄》メトロポリタン美術館蔵

こちらも銅の地である。

橙色の面に、細い縦の線が刻まれている。

前の一点の斜め線と、方向が違う。

その面を横切って、銀の線が走る。

うねりながら、左から右へ流れる。

波である。

線は太いところと細いところがあり、白く光る。

波頭のあたりに、金の小さな粒が散る。

飛沫だろう。

そして、右端に、金の粒がまとまって集まる。

板の全面が、一つの動きで覆われている。

余白がない。

前の数点とは、正反対の構成である。

板の厚さと、重さ

九点の厚さと重さを並べたい。

〇・六センチ、二十八・三グラム。

〇・六センチ、三十九・七グラム。

〇・六センチ、三十四グラム。

〇・六センチ、三十四グラム。

〇・五センチ、二十八・三グラム。

〇・八センチ、三十六・九グラム。

〇・五センチ、三十一・二グラム。

〇・六センチ、三十六・九グラム。

〇・六センチ、三十四グラム。

長さと幅は同じなのに、厚さと重さは違う。

厚さは〇・五から〇・八センチ。

重さは二十八・三から三十九・七グラム。

一・四倍の開きがある。

理由は二つある。

一つは、浮き彫りの高さ。

もう一つは、使った金属の比重である。

金は重い。

銀も、銅より重い。

金を多く使えば、その分だけ重くなる。

つまり、重さの欄は、装飾の量をおおまかに示している。

小柄
田中清寿《小柄》19世紀。館の記録では、四分一・金・赤銅。長さ9.7センチ、幅1.4センチ、厚さ0.6センチ、重さ36.9グラム。番号は43.120.318。日本。メトロポリタン美術館蔵。田中清寿《小柄》メトロポリタン美術館蔵

暗い灰色の地である。

その面に、渦を巻く線が刻まれている。

雲か、水の流れだろう。

線は深く彫られ、影が濃い。

その上に、人の姿が浮かぶ。

体をひねり、腕を前へ出している。

衣が翻り、裾が後ろへ流れる。

衣の一部が金で、光る。

顔は小さいが、目と口が刻まれている。

背景の渦と、人物の動きが同じ方向を向く。

画面全体が、一つの流れになっている。

小柄
一葉斎広直《小柄》19世紀。館の記録では、四分一・金・銅・銀・赤銅。長さ9.7センチ、幅1.4センチ、厚さ0.6センチ、重さ34グラム。番号は43.120.337。日本。メトロポリタン美術館蔵。一葉斎広直《小柄》メトロポリタン美術館蔵

暗い灰色の地である。

中央より右に、人が二人いる。

いずれも小さい。

一人は正面を向き、金の衣を着る。

もう一人は、その右で身をかがめる。

背中に、何かを背負っているように見える。

さらに右に、小さな道具のような形。

左のほうには、細い草が数本。

材料の欄に、五つの金属が並ぶ。

四分一、金、銅、銀、赤銅。

九点のなかで、いちばん多い。

人物の衣、肌、持ち物。

部分ごとに金属を変えている。

小さいものほど、細かく測る

寸法の欄に、厚さが書かれている。

〇・五センチ、〇・六センチ、〇・八センチ。

一ミリ単位である。

そして、重さも書かれている。

二十八・三グラム、三十四グラム、三十六・九グラム。

〇・一グラム単位である。

これは、他の分野の記録より細かい。

第十一回で読んだ銀器も重さを書いていたが、単位はグラムだった。

第一回で読んだ絵画には、厚さも重さも書かれていない。

なぜ小さいものほど細かく測るのか。

一つには、測れるからである。

大きな絵画の重さを量るのは、簡単ではない。

小さな金具なら、天秤に載せればよい。

もう一つは、その数字に意味があるからである。

厚さは、鞘の溝に入るかどうかを決める。

重さは、金属の使用量を示す。

そして、同じ寸法のものが何百点もあるとき、区別できるのは厚さと重さだけになる。

記録の細かさは、そのものの性質に従っている。

第十七回でも同じことを書いた。

記録の欄は、そのものの扱われ方に合わせて増減する。

五つの金属を、使い分ける

材料の欄が長いものほど、色数が多い。

金属の色を、絵具のように使う。

金は黄色。

銀は白。

銅は赤みのある橙。

赤銅は黒。

四分一は灰。

宣徳は黄褐色。

六色ある。

これらを嵌め込んだり、貼り付けたり、象嵌したりする。

小さな面積に、六色を収める。

絵具なら混ぜて中間色が作れるが、金属ではそうはいかない。

合金の配合を変えるしかない。

だから、色を増やすには、材料を増やすことになる。

材料の欄の長さは、そのまま色数である。

落款を探す

刀装具には、作った人の銘が刻まれる。

たいていは裏面である。

表は絵の面なので、そこには入れない。

九点の作者名が分かっているのは、この銘によるはずである。

しかし、公開されている画像は表側だけである。

だから、銘そのものは確認できない。

第十一回で書いた銀器の刻印と、同じ状況である。

作者の欄は、記録を信じるほかない。

そして、刀装具の銘には、後から入れられたものもある。

有名な工人の名を、別人の作に刻む。

そういう例が知られている。

館の記録は、その可能性に触れていない。

作者の欄に、名前がそのまま入っている。

一方で、生没年の書き方には幅がある。

一六二八年から一七〇八年、と確定しているもの。

一八二五年から五〇年ごろに没した、と幅を持たせたもの。

一八五〇年ごろに没した、というもの。

分かっている度合いが、書き方に出ている。

第十七回でも書いたが、記録は確からしさに応じて語を変える。

規格が、形式を作る

最後に、寸法の話に戻りたい。

四十一点のうち三十三点が、まったく同じ長さと幅である。

なぜか。

これらは、刀の鞘に開けられた溝に差し込む部品だからである。

溝の寸法が決まっている。

だから、部品の寸法も決まる。

一ミリでも違えば、入らないか、緩む。

つまり、この形式は用途によって完全に規定されている。

作り手が変えられるのは、厚さと、装飾と、材料だけである。

第十七回で扱った「一点という単位」の話とは、事情が逆である。

あちらは、記録が単位を決めていた。

こちらは、道具の側が形を決めている。

そして、その制約のなかで、二百年以上にわたって作り続けられた。

九点の年を見ると、十七世紀から十九世紀まで並ぶ。

同じ寸法のまま、装飾だけが変わっていく。

家の名が、作者の欄にある

九点の作者名を並べたい。

同じ姓が、何度も出てくる。

一点目と二点目は同じ姓である。

そして、館の記録は、その二人に説明を付けている。

十代目の当主、六代目の当主、というふうに。

つまり、これは工房を代々受け継ぐ家である。

刀装具の世界では、こうした家がいくつもあった。

初代が確立した様式を、子や弟子が受け継ぐ。

同じ姓を名乗り、代を重ねていく。

五点目と六点目も、同じ姓である。

三点目と七点目も、同じ姓である。

九点のうち六点が、三つの家に属している。

これは偶然ではないだろう。

集めた人が、家ごとにそろえていたと考えられる。

一人の作を集めるのではなく、系統を集める。

第六回で読んだ寄贈にも、親子の作が並んでいた。

集める人は、しばしばこの単位で考える。

作者の欄に代の数が書かれているのは、その単位を記録するためである。

二百年の幅

九点の年を並べたい。

十七世紀が二点。

十八世紀の前半から半ばが一点。

十八世紀の後半から十九世紀の半ばが一点。

十九世紀が五点。

もっとも古いものと新しいもので、二百年以上離れている。

そのあいだ、寸法は変わっていない。

長さ九・七センチ、幅一・四センチ。

装飾の様式は変わる。

十七世紀の二点は、黒い地に金の枠を回す。

十九世紀の五点には、枠がない。

地の処理も違う。

古いものは平らな地に浮き彫りを置く。

新しいものは、地そのものに線を刻む。

そして、使う金属の数が増える。

十七世紀の二点は三色。

十九世紀の一点は五色である。

技術が積み重なっていることが、材料の欄から読める。

二人の名前

出所の行に戻りたい。

寄贈者が二人いる。

姓が同じで、名が違う。

一つの寄贈を、二人の名で行っている。

第七回で読んだ行にも、兄弟が二人並んでいた。

あちらは、亡くなった姉の名を残すためだった。

こちらは、そういう句がない。

二人がそろって渡した、という事実だけである。

共同で集めたのかもしれない。

相続したものを、二人で渡したのかもしれない。

記録は、そこまでは書かない。

年は一九四三年。

第二次世界大戦のさなかである。

日本の金工品が、この年にアメリカの美術館へ入っている。

そのことについても、記録は何も書いていない。

出所の行は、名前と年しか書かない。

その年に何があったかは、読む側が知っているものとされている。

次の回では、また武具の分野を読みたい。

二人の収集家が、それぞれ別の方針で集めた甲冑の話である。

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