出所の行が、主題を書いている——アーノルドのニューヨーク図画500点超、1954年
コレクションの名の中に、何を集めたかが入っている。版画と地図と図画。同じ湾を三度描いた水彩、通りを埋める群衆、日付と時刻まで題に入った油彩。六十年で都市がどう変わったかを、九点で読みたい。紙の種類の書き分けが、年代の手がかりになっている。

出所の行が、主題を書いている
これまで読んできた出所の行は、人と金のことを書いていた。
誰が渡したか。
どの財布から出たか。
ところが、次の一行は違う。
エドワード・W・C・アーノルドのニューヨーク版画・地図・図画コレクション。
エドワード・W・C・アーノルドの遺贈、一九五四年。
前半に、コレクションの名がある。
そして、その名の中に、何を集めたかが書かれている。
ニューヨークの版画と地図と図画。
つまり、集めた主題が、出所の行に入っている。
当サイトで公開している分だけで、三十四点ある。
番号は五四・九〇で始まり、枝番は八から五一五まで。
もとの遺贈は五百点を超えていたと考えてよい。
種別は、絵画が十八点、水彩が十三点、素描が三点。
今回は、その九点を年の順に見たい。

淡い線だけの素描である。
左手に、屋根の高い建物が二棟。
その手前に、大きな木が数本。
枝と葉が、細かい線の重なりで表される。
木の下に、下る坂道。
右手には、水が広がる。
水平線の向こうに、細長い町の輪郭。
尖塔らしいものが、いくつか立つ。
手前の岸辺に、小さな人影が二つ。
そして、画面の下に、手書きの文字が横に走る。
題と、日付らしい数字が読める。
材料の欄に、没食子インクとある。
虫こぶから作るインクである。
時間とともに褐色に変わり、紙を傷めることがある。
九点のなかで、いちばん古い。
版画と、地図と、図画
コレクションの名にある三つの語を、順に見たい。
版画。
同じ図柄を何枚も刷るものである。
都市の眺めは、版画として売られることが多かった。
旅の記念にも、家の飾りにもなる。
地図。
こちらは実用の品である。
道と番地と区画を示す。
そして、都市が広がるたびに作り直される。
古い地図は、消えた区画の記録になる。
図画。
一点ものの絵である。
素描、水彩、油彩を含む。
版画の下絵として作られたものも、ここに入る。
三つの語は、同じ対象を三つの方法で記録したものを指している。
同じ通りが、地図では線になり、版画では図になり、水彩では色になる。
一つの都市を、三通りの記録で覆おうとした収集である。
当サイトが公開している三十四点は、そのうち図画にあたる部分である。
版画と地図は、別の部門に入っているか、公開の対象になっていない。
つまり、いま見えているのは、この収集の一部だけである。
紙の種類が、書き分けられている
九点の技法の欄には、紙の種類が書かれている。
生成りの簀の目紙。
生成りの簀の目のない紙。
白い簀の目のない紙。
簀の目紙というのは、簀の目の跡が残る紙である。
手で漉くと、簀の細い線が紙に写る。
光にかざすと、細い縞が見える。
一方、簀の目のない紙は、目の細かい金網で漉く。
十八世紀の後半に普及した。
だから、紙の種類が年代の手がかりになる。
いちばん古い一七九六年の一点だけが、簀の目紙である。
残りは、すべて簀の目のない紙である。
館の記録が紙の種類を書き分けているのは、そのためだろう。
第十二回で書いた素地の話と、同じ構造である。
材料の欄の一語が、時代を指している。
同じ湾を、三度描く

横に長い水彩である。
手前は、木の茂った高台。
その斜面が、画面の左から右へ下る。
高台の上に、白い衣の人が三人立つ。
さらに右にも、腰を下ろした人影。
その向こうに、広い水面。
水色に塗られ、細かい帆が点々と浮かぶ。
中ほどに、平たい島。
島の上に、低い建物が並ぶ。
その奥に、対岸の町の輪郭が横に伸びる。
空は淡く、雲がわずかに刷かれる。
幅七十六・八センチ。
九点のなかで、二番目に大きい。

前の一点と、ほぼ同じ場所からの眺めである。
同じ画家、同じ時期、同じ材料。
寸法も近い。
しかし、少し違う。
手前の高台に、木がより多く茂る。
人物は二人で、やはり白い衣を着る。
水面には、大きな帆船が三隻。
帆柱が高く、索具が細かく描かれる。
対岸の町が、前の一点より近く見える。
つまり、視点がわずかに動いている。
同じ場所を、二度描いている。
同じ場所を、繰り返し描く理由
この二点について、少し考えたい。
なぜ同じ眺めを、二度描くのか。
答えは、売れたからである。
十九世紀の初め、都市の眺めを描いた水彩には需要があった。
版画の下絵として使われることもあった。
一枚を版にすれば、何百枚も刷れる。
だから、良い構図は繰り返される。
そして、注文があれば、同じ構図を描き直す。
第十七回でも同じことを書いた。
同じ図像が繰り返されるのは、需要があるからである。
集める側から見れば、この繰り返しは好都合である。
同じ場所の見え方が、少しずつ違って残る。
対岸から見る

同じ画家の、別の場所からの眺めである。
手前に、赤茶けた岩の露頭。
その右に、大きな木が立つ。
木の根もとに、人と馬が一組。
白い馬らしい。
中ほどに、蛇行する道。
道は左へ下り、白い建物の前を通る。
その先に、広い川。
川面は淡く、小さな帆が散る。
対岸には、低い丘が長く連なる。
町らしいものは、遠くに霞んでいる。
前の二点が対岸から町を見ていたのに対し、こちらは川の上流から見ている。
同じ都市を、違う方角から見た三枚がそろっている。
町の中に入る

視点が、町の中に入る。
通りを、奥へ向かって見ている。
右手に、煉瓦造りの建物が並ぶ。
四階から五階建てで、窓が規則正しく並ぶ。
一階には、看板が掲げられている。
文字が書かれているが、読み取りにくい。
左手には、帆船の船首が突き出している。
船が岸に横付けされ、船首の斜檣が通りの上まで伸びる。
その下に、帆柱と索具が林立する。
通りには、人と荷物が溢れている。
樽が積まれ、荷車が引かれる。
働いている人が、二十人以上描かれている。
寸法は二十四・四センチ掛ける三十四・六センチ。
小さい。
その中に、これだけの情報が詰まっている。

白黒の画像である。
川の上から、岸を見ている。
手前に、杭が何本も並ぶ。
渡船の桟橋である。
その向こうに、蒸気船が一隻。
煙突から、黒い煙が高く上がる。
外輪の覆いが、胴の中ほどに見える。
さらに右にも、小さな蒸気船。
岸は木で覆われ、その上に建物が点在する。
空は白く、雲がわずかに残る。
材料はグワッシュである。
水彩に白を混ぜ、不透明にしたものである。
紙の白を残す必要がない。
だから、上から明るい色を置ける。

色の付いた画像である。
中央に、白い建物が横長に立つ。
二階建てで、旗が二本掲げられている。
その建物の下に、アーチ形の口が開く。
トンネルの入口である。
手前は、掘り下げられた地面である。
岩が露出し、そこに梯子が斜めに掛かる。
人が数人、その上や下で作業している。
そして、画面の中央下で、白い光が弾けている。
火薬が爆発している場面である。
破片が放射状に飛ぶ。
左手に、大きな木と斜面。
空は青く、雲が浮かぶ。
工事の記録である。
工事を、絵に残す
この一点は、他の八点と性格が違う。
眺めではなく、出来事を描いている。
しかも、進行中の工事である。
一八三七年ごろ。
鉄道が都市に入り込む時期である。
岩を掘り、トンネルを通す。
その現場を、その場で描いている。
こういう絵は、記録として作られる。
工事を発注した側が、進捗を残すために描かせることもある。
あるいは、出来事を売り物にするために描かれる。
いずれにせよ、絵を描く目的が違う。
美しい眺めではなく、起きていることを写している。
日付が、題に入っている

白黒の画像である。
縦長の画面である。
九点のなかで、これだけが縦長である。
通りを、奥へ向かって見ている。
左右に、石造りの高い建物。
その奥に、細い尖塔が高く立つ。
教会である。
通りは、人で埋まっている。
前景に、二十人以上。
さらに奥にも、群衆が続く。
いずれも、丈の高い帽子をかぶっている。
黒い上着を着ている。
中央やや右に、乗合馬車らしい車体。
人々は、あちこちで顔を寄せ合っている。
そして、画面の下端に、文字が書かれている。
題と同じ文言である。
通りの名、時刻、日付。
一日の、一時刻
この題は、九点のなかで際立っている。
場所だけでなく、時刻と日付が入っている。
午後二時半、一八五七年十月十三日。
なぜ、そこまで書くのか。
この年の秋、アメリカの金融は大きな混乱に見舞われた。
銀行が支払いを停止し、街に人が集まった。
十月十三日は、その混乱がとりわけ激しかった日として知られる。
題の日付は、その日を指していると考えられる。
館の記録は、そこまでは書いていない。
書かれているのは、題と年だけである。
しかし、群衆の描かれ方は、ただの往来ではない。
人が固まり、話し込み、動かない。
そして、画家はその日付を題に入れた。
出来事を記録するつもりだった、と読んでよいだろう。
紙に描かれた油彩
この一点の技法の欄も、変わっている。
紙に油彩、とある。
布ではない。
油絵具は、ふつう布か板に描く。
紙に描くこともあるが、多くは下絵や習作である。
そして、この遺贈のなかには、同じ技法の作品が九点ある。
さらに、粘板岩紙に油彩、という記述の作品もある。
つまり、この収集には、紙に描いた油彩がまとまって含まれている。
版画の下絵として作られたものが多いのだろう。
版画にするには、原画が要る。
その原画が、紙に描かれる。
出所の行のコレクション名に、版画という語が入っているのと符合する。

九点のなかで、いちばん小さい。
十九・二センチ掛ける二十九・五センチ。
そして、色がきわめて淡い。
白黒の画像なので、なおさら薄く見える。
手前に、低木と草の茂る斜面。
左に、大きな木が一本。
葉が細かい点で表される。
斜面の向こうに、平地が広がる。
さらに向こうに、水面。
水と空の境が、ほとんど見えない。
遠景は、灰色の霞に沈む。
輪郭線がほとんどなく、濃淡だけで作られている。
年の欄に、一八四一年ごろ、または一八五二年とある。
十一年の幅がある。
どちらとも決められていない。
人が、小さく描かれる
九点のうち、人物が大きく描かれているのは二点だけである。
通りの水彩と、ウォール街の油彩。
残りの七点では、人はごく小さい。
高台に立つ三人。
岸辺の二つの影。
馬を引く一人。
工事現場の作業員。
いずれも、画面の一部を占めるにすぎない。
これは、都市の眺めを描く絵の作法である。
主役は、土地と水と建物である。
人は、大きさを測るための目盛りとして置かれる。
高台の人が小さければ、高台は広い。
工事現場の人が小さければ、掘削の規模は大きい。
第一回で読んだヴェネツィアの眺めにも、同じ工夫があった。
人を小さく描くことで、空間の広さを示す。
一方、通りの絵では逆になる。
人が密集していることが、その通りの性格を示している。
だから、人が大きく、多く描かれる。
同じ都市を描いても、何を見せたいかで人の大きさが変わる。
水の面積
九点のうち、七点に水が描かれている。
湾、川、港、渡船。
そして、多くの場合、画面の半分近くを水が占める。
これは、この都市の地形による。
島と半島と川に囲まれている。
どこから見ても、視界に水が入る。
そして、十九世紀の半ばまで、水は主要な交通路だった。
橋はまだ少ない。
対岸へ行くには、渡船に乗る。
港には帆船が並び、荷を揚げる。
九点に描かれた船を数えると、帆船と蒸気船が混じっている。
一八二〇年代の三点には、帆船しかいない。
一八三八年ごろの一点には、蒸気船が二隻いる。
十数年のあいだに、動力が変わっている。
絵は、その変化を記録している。
五十年を、一つの場所で
九点の年を並べたい。
一七九六年。
一八二〇年から二五年が三点。
一八二七年ごろ。
一八三七年ごろ。
一八三八年ごろ。
一八五七年。
一八四一年ごろ、または一八五二年。
六十年ほどの幅がある。
そして、描かれているのは、すべて同じ都市とその周辺である。
一七九六年には、遠くに小さな輪郭として見えていた。
一八二〇年代には、湾の向こうに横たわる帯になっている。
一八二七年には、通りの中に入り、人と荷物で埋まっている。
一八三七年には、岩を掘って鉄道を通している。
一八五七年には、石造りの高層が並び、群衆が街路を埋める。
一つの都市が、六十年でどう変わったか。
九点を年順に並べると、それが見える。
題に、地名が二つ入る
九点の題を並べると、共通する形がある。
どこそこから見た、どこそこ。
見た場所と、見られた場所の両方が題に入っている。
ホーバックから見たニューヨーク。
ブルックリン・ハイツから見たニューヨーク湾。
ウィホーケンから見たニューヨーク。
メイデン・レーンから見たサウス・ストリート。
渡船から見たホーボーケン。
ガワナス・ハイツから見た湾と港。
六点が、この形である。
眺めを描いた絵の題としては、標準的な書き方である。
そして、この書き方には理由がある。
同じ対象を、違う場所から描いた絵が複数あるからである。
区別するには、視点の位置を書くしかない。
第十七回で扱った「題の欄の書き方」の問題が、ここにも現れる。
題は、その一点を他と区別するために付けられる。
だから、区別が必要な情報が題に入る。
作者が付けたのか、後の人が付けたのかは分からない。
館の記録は、そこまでは書いていない。
しかし、題の形がそろっていることは確かである。
場所を集めるということ
この収集の性格をまとめたい。
作者で集めたのではない。
九点の作者は六人に分かれる。
様式で集めたのでもない。
素描、水彩、グワッシュ、油彩が混じる。
集める軸は、描かれた場所である。
第九回で読んだ寄贈は、描かれた人物を軸にしていた。
こちらは、場所を軸にしている。
どちらも、美術史の分類とは違う軸である。
そして、どちらも館の分類を横切る。
素描、水彩、絵画。
種別がばらばらになる。
一方で、こういう収集には強みがある。
一つの対象について、時系列の資料が残る。
美術品としてではなく、都市の記録として読める。
遺贈の名に、主題が入る
最後に、出所の行に戻りたい。
コレクションの名に、集めた主題が入っている。
ニューヨークの版画と地図と図画。
これは、館がその名をそのまま受け入れたということである。
集めた人が付けた名前が、記録に残る。
第六回で読んだ長い行も、コレクションの名が先頭にあった。
そちらは、集めた人の名と分野の名だった。
こちらは、集めた人の名と、対象の場所と、形式の三つが入っている。
つまり、この一行を読むだけで、中身の見当がつく。
出所の行は、由来を書く欄である。
しかし、こういう場合には、目録の見出しにもなっている。
次の回では、東洋の美術がアメリカに渡った経路を読みたい。
一九一一年に、まとめて買われた日本の絵の話である。
そこでも、コレクションの名が出所の行の先頭に立つ。
そして、その名は集めた人ではなく、買った金の出どころを指している。
同じ「先頭に立つ名前」でも、指すものが違う。
一行の読み方は、そのつど変わる。
読む前に、まずどの型かを見分けたい。
主題が入る型。
分野が入る型。
そして、資金の名が入る型。
三通りを覚えておけば、たいていの行は読める。
残る回で、その三通りをもう少し細かく見ていきたい。
型が分かれば、書かれていないことも見当がつく。


