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伊藤若冲の代表作と特徴——極彩色と墨一色をどう使い分けたのか

伊藤若冲の代表作と特徴を、当サイトで画像を扱える5点から読みます。家督を譲った1755年の《白梅と月》から最晩年の《二羽の鶴》まで、絹に重ねた極彩色、墨一色の即興、版木で刷った黒地の絵を館の記録とともに並べます。

葡萄に雌雄の鶏
伊藤若冲《葡萄に雌雄の鶏》メトロポリタン美術館蔵

伊藤若冲の代表作と特徴は、「同じ人が描いたとは思えない」というところから見ると分かりやすい。極彩色で絹を埋め尽くす絵と、墨一色で形だけを抜く絵が、同じ画家の手から出ている。ここでは当サイトで画像を扱える5点を、館の記録とともに並べる。

葡萄に雌雄の鶏
伊藤若冲《葡萄に雌雄の鶏》1792年。館の記録では、掛幅、絹本着色。画面は縦101.9センチ、横41.3センチ。番号は1975.268.69。メトロポリタン美術館蔵。伊藤若冲《葡萄に雌雄の鶏》メトロポリタン美術館蔵

伊藤若冲とはどんな画家か

江戸時代の中ごろに、京都で描いた画家である。館の記録は、生年を1716年、没年を1800年とする。主題は鳥と植物に偏り、とくに鶏を描いた絵が多い。

生家は京都の錦小路にあった青物問屋で、若冲はその長男だった。メトロポリタン美術館の解説では、家業を継いで15年以上営み、30代の終わりになって絵に専念した。

1755年に家督を弟へ譲ったとされる。生年から数えて、40歳前後のことである。館は、この年の銘がある《白梅と月》を、年の分かる作のうち最も早いものの一つとする。

同じ解説は、若冲を江戸時代の「三奇人」の一人に数える。残る二人は曽我蕭白(1730〜1781年)と長沢芦雪(1754〜1799年)である。写実と鮮やかな色と、模様のような抽象を、ふつうは両立しないはずの形で組み合わせた画家だという。

家業を離れてからの画業は45年に及ぶ。当サイトで扱える5点は、その最初の年から最晩年までに散らばっている。順に見ると、同じ手が三つの作りを使い分けているのが分かる。

晩年は災難も重なった。1788年の天明の大火で、若冲は京都の住まいを失う。のちに伏見の深草にある石峰寺のかたわらに庵を結んだ。

寺の裏山には、若冲が下絵を描いて石工に彫らせた羅漢の石像群が残る。墓も同じ寺にある。京都国立博物館は、若冲の《石峰寺図》を持っている。1789年、大火の翌年に描かれた一幅である。

《葡萄に雌雄の鶏》と《二羽の鶴》は、大火の後に描かれた絵である。

代表作はどこで見られるか

当サイトで画像を扱える5点は、すべてメトロポリタン美術館にある。《葡萄に雌雄の鶏》、《白梅と月》、《二羽の鶴》、《豌豆図》、《乗興舟》である。

いっぽう、もっともよく知られる《動植綵絵》三十幅は在庫にない。この連作は皇室に伝わったもので、所蔵館が画像を公開していない。本文で触れることはできても、図版としては見せられない。

《動植綵絵》は、鶏や鳳凰、魚や貝、草花を描いた絹本着色の掛幅三十幅である。文化遺産オンラインの解説では、若冲が40歳を過ぎたころから10年ほどかけて描き継ぎ、数度に分けて京都の相国寺へ寄進した。

《動植綵絵》には何が描かれているのか

文化遺産オンラインの記録には、三十幅の題が並ぶ。第一幅は《芍薬群蝶図》、第三十幅は《紅葉小禽図》である。

題を数えると、鶏が主役の幅が八つある。《向日葵雄鶏図》《紫陽花双鶏図》《大鶏雌雄図》《芙蓉双鶏図》《老松白鶏図》《南天雄鶏図》《棕櫚雄鶏図》《群鶏図》である。

ほかに孔雀や鳳凰、鸚鵡、鶴、鴛鴦、雁、魚の群れ、貝、池の虫がある。鳥と植物を中心に、水の生き物まで広げた連作である。

寸法も記録されており、どの幅も縦142センチ前後、横79から80センチである。三十幅がほぼ同じ大きさにそろえられている。

第八幅には《梅花皓月図》がある。梅と月の組み合わせは、当サイトで見られる《白梅と月》と同じ題である。

《白梅と月》は縦140.7センチ、横79.4センチで、連作の幅とほとんど変わらない。連作に取りかかる前から、若冲がこの大きさの絹で花鳥を試していたとみることができる。

1765年には、《釈迦三尊像》三幅とともに、まず二十四幅を納めた。残る六幅は、その後に描き足されて加わった。

1889年、相国寺は寺の財政を立て直すため、連作を皇室へ献上した。いまは東京の皇居三の丸尚蔵館が収め、2021年に国宝に指定された。常に並んでいるわけではないので、見たいときは館の展示予定を確かめるほかない。

《動植綵絵》の色は何でできているのか

三の丸尚蔵館は1999年度から6年をかけて全三十幅を修理し、その間に東京文化財研究所と絵具を調べた。絵に触れずに元素を測る、蛍光X線分析が中心である。

両者の報告によれば、この連作はもともと相国寺の《釈迦三尊像》を荘厳する絵として描かれた。青には、銅を含む群青と、植物から取る藍が使われていた。

例外が一か所だけある。第二十八幅《群魚図》は、大小18匹の魚がみな右上から左下へ泳ぐ図である。その最下段の左端にいる濃い青の魚、ルリハタである。ここだけ銅が出ず、鉄が主に検出された。

報告は、西洋から入った合成顔料プルシアンブルーである可能性が非常に高いとする。確定には別の分析が要るが、日本の絵で最も早い使用例の一つになるという。若冲の絵で絵具の本格的な調査が行われたのは、この連作が初めてだった。

緑の葉の一部からも藍に似た反応が出ており、藍と黄色の染料を混ぜて緑を作った可能性が示されている。

当サイトが図版に使うのは、館が権利の制約なく公開した画像(CC0)だけである。有名な絵ほど扱えないことがあるのは、このためである。

館の記録には来歴も残っている。《葡萄に雌雄の鶏》と《乗興舟》は、アジア美術の収集家ハリー・パッカードの旧蔵品で、1975年に館へ入った。記録では、本人からの寄贈と館の購入を合わせて収められた一群である。

《白梅と月》と《二羽の鶴》は、バーク・コレクションが2015年に寄贈されて加わっている。ニューヨークの収集家メアリー・グリッグス・バークが集めた日本美術である。京都で描かれた絵が、どの経路でニューヨークに渡ったかまで記録されている。

特徴その一、絹に色を重ねる花鳥画

白梅と月
伊藤若冲《白梅と月》1755年。館の記録では、掛幅、絹本着色。画面は縦140.7センチ、横79.4センチ。番号は2015.300.213。メトロポリタン美術館蔵。伊藤若冲《白梅と月》メトロポリタン美術館蔵

館の記録では、この絵は1755年の作である。家督を譲った年にあたる。画面は縦140.7センチ、横79.4センチあり、掛幅としては大きい。

枝は画面の四隅まで伸び、余白がほとんど残らない。白い花は一つずつ形を取って並び、数えきれないほどある。幹と枝は濃い墨でねじれながら走り、花の白を縫うように横切る。

月は描き足されていない。右上の枝の奥に、絵具を置かない淡い円が空いているだけである。明るい円を描くのではなく、周りを塗ることで円を残している。

館の解説は、夜の静けさの中で老いた梅の木から白い花がいっせいに噴き出し、それを大きな満月だけが見ている絵と読む。

絹の地は、いまは茶色く沈んでいる。そのぶん白い花が強く見え、枝の墨との差も大きい。描かれた当時の見え方とは違うはずだが、どれだけ違うかは、ここでは決められない。右の中ほどには落款と朱の印が入る。

《葡萄に雌雄の鶏》も同じ作りである。雄鶏の尾は白い弧を幾重にも重ね、胸の羽は一枚ずつ輪郭を取る。

館の解説では、雄鶏は片足で立ち、鋭い目を上へ向けて派手な尾を持ち上げる。下の白い雌鶏は、雄鶏が鬨をつくるのを待ちながら見上げている。

葡萄の房は墨で塗られ、蔓が細い線で曲がる。館は、庭の鶏はどんな種類でも若冲の好んだ画題だったと書く。

館の記録では1792年の作で、没年の1800年から数えれば8年前になる。晩年の手が、羽の一枚ずつを追っている。

特徴その二、墨一色で形を抜く

二羽の鶴
伊藤若冲《二羽の鶴》1795年。館の記録では、掛幅、絹本墨画。画面は縦108.2センチ、横39.3センチ。番号は2015.300.214。メトロポリタン美術館蔵。伊藤若冲《二羽の鶴》メトロポリタン美術館蔵

色の絵と同じ画家の手とは見えにくい。鶴の体は塗られていない。背景に薄い墨を掃き、体の部分だけ絹の地を残している。翼の先と尾だけを濃い墨で置く。

首は長い一本の線で曲がり、二羽が前後に重なる。脚は細い縦線で、節を短い横線で刻む。地面は白い土手の一本の曲線で示されるだけである。館の記録では1795年の作で、亡くなる5年前にあたる。右上には落款と二つの朱印が縦に並ぶ。

鶴は、古くから手本のある画題でもある。若冲と縁の深い相国寺にも、14世紀から15世紀の中国の画家、文正の《鳴鶴図》が伝わり、重要文化財になっている。

ここでも、白は塗って作られていない。周りを決めることで白が現れる。《白梅と月》の円と同じ考え方が、鳥の体の全体に及んでいる。

豌豆図
伊藤若冲《豌豆図》1750年代後半から1764年より前。館の記録では、掛幅、紙本墨画。画面は縦125.7センチ、横47.9センチ。番号は1985.97。メトロポリタン美術館蔵。伊藤若冲《豌豆図》メトロポリタン美術館蔵

紙に描いた一点では、筆はもっと速い。葉は一筆ずつ向きを変えて垂れ、実は細長い袋のように下がる。蔓の途中には、黒い粒の房が一つだけ濃く置かれている。根もとの石と草は、太い墨と細い線で一気に置かれる。

左上には賛が書かれ、朱の印が並ぶ。絵と字が同じ紙の上で釣り合い、字の線と葉の線は太さも速さも近い。

《豌豆図》の賛は何を言っているのか

兄弟の争いを、豆の木にたとえた故事を踏まえている。館の記録では、賛を書いたのは黄檗宗の禅僧、無染浄善(丹崖)である。

無染浄善は1764年に亡くなった。館がこの絵を1764年より前とするのは、賛の書き手の没年が手がかりになっているとみられる。

館の解説によれば、賛は中国の詩人曹植の故事を引く。兄の曹丕に、七歩あるくうちに詩を作れ、できなければ殺すと迫られた話である。

曹植は、豆と豆がらが同じ根から生まれたのに争うさまを詠んだ。丹崖の賛は、緑の蔓が花を咲かせ、さやは作りかけの剣のようだと歌う。そして豆と茎は離れられず、同じ根から生まれたと結ぶ。

館は、兄弟の詩にかけながら、ものを二つに分けない禅の考えも重ねた賛と読む。青物問屋に生まれた若冲は、野菜や植物に道徳や信仰の意味を込めて描くことが多かった、とも館は書く。

特徴その三、版木で白と黒を入れ替える

乗興舟
伊藤若冲《乗興舟》1767年ごろ。館の記録では、巻子、木版、紙に墨。縦28.4センチ、全長1189.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。伊藤若冲《乗興舟》メトロポリタン美術館蔵

館の記録では、これは肉筆の絵ではなく版画である。巻物なので、右から左へ繰りながら見る。木版を使い、墨で刷っている。巻物の全長はおよそ11.9メートルに及ぶ。

題の「乗興舟」は、興に乗って舟を出すという意味である。館の解説では、1767年の春、若冲は師と仰ぐ相国寺の禅僧、大典顕常と淀川を舟で下った。

京から大坂へ向かうあいだに、大典はその場で詩を詠み、若冲は岸の景色を写した。その写生をもとに、この一巻を版画に仕立てている。

刷り方も変わっている。日本では「拓版」と呼ばれ、石碑の文字を写し取る拓本のやり方を版画に移したものである。館も、中国の石碑の拓本の見え方をまねた技法と説明する。

東京国立博物館の解説では、版木の彫り込んだ凹みに濡らした紙を貼り、表から墨を塗る。凹みに当たった紙は墨がつかず、白く残る。

同じ図の巻は京都国立博物館も持つ。翌1768年の《玄圃瑤華》も、同じ刷り方で作られている。草花や野菜、虫を描いた全48図で、東京国立博物館が所蔵する。

同館の解説では、題の「玄圃」は仙人の住む所、「瑤華」は玉のように美しい花を指す。相国寺の僧、梅荘顕常らがあとがきを寄せ、葉の虫食いの穴まで白く刻まれている。

館の記録の番号は1975.268.70で、《葡萄に雌雄の鶏》の1975.268.69と続き番号になっている。同じ旧蔵者から一緒に入ったことが、番号からも分かる。

画面は黒く、形は白い線で現れる。ふつうの木版画とは、紙と墨の役割が入れ替わっている。川沿いの家並み、堤の木、水面の小舟が、黒い地から白く浮かび上がる。

上部には白い字で賛が入る。山の形も家の屋根も、輪郭だけで示される。色を使わず、濃淡もほとんどないのに、遠近は読み取れる。

三つの作りに共通するものがある。白を塗らずに残すことである。梅の奥の月も、鶴の体も、版画の線も、周りを決めることで白を作っている。

もう一つは、数の多さである。梅の花も、鶏の羽も、葡萄の粒も、省略されずに最後まで置かれる。細かさが飾りではなく、形を確かめる手つきとして働いている。

若冲の絵は日本のどこで見られるか

まとまって見られるのは、東京と京都の館である。《動植綵絵》は皇居三の丸尚蔵館、《乗興舟》と《石峰寺図》は京都国立博物館、《玄圃瑤華》は東京国立博物館が持つ。

《動植綵絵》とともに寄進された《釈迦三尊像》は、献上されずに相国寺に残った。寺の宝物は、境内の承天閣美術館が預かって公開している。

どの館でも常に並んでいるわけではない。訪ねる前に、それぞれの館の展示予定を確かめたい。

見るときに間違えやすいこと

一つ目は、《乗興舟》の白い線である。墨で描いた線ではなく、版木に彫った溝が紙に白く残ったものである。

二つ目は、《二羽の鶴》の白である。白い絵具を塗ったのではなく、絹の地を塗り残している。墨だけの絵なのに白が一番強く見えるのは、周りの薄墨が白を押し出しているからである。

三つ目は、《動植綵絵》の行き先である。相国寺から外へ流れたのではなく、寺が皇室へ献上したものである。いまも国の館が収め、寺には《釈迦三尊像》が残っている。

初めて見るなら、まず《白梅と月》で塗り残した月を探し、次に《二羽の鶴》で塗らない白を確かめるとよい。最後に《乗興舟》の黒い地を見ると、三つの作りが一つの考えから出ていることが分かる。

ほかの作品は伊藤若冲の作品一覧から見られる。京都で一世代前に、金地に花だけを並べた画家もいる。尾形光琳《八橋図》の解説と見比べると、同じ町の装飾の系譜が見える。

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