作品を知る

五十年にわたって、同じ一行——クレス・コレクションの310点

一九三九年に百二点、一九五二年に九十二点、一九六一年に八十一点。年を書けば一回だけを指すことになる。金地の板から布の油彩まで四百年。そして作者の欄に人名がない二点についても書きたい。かつて額に覆われていた範囲まで測った寸法欄についても書きたい。

使徒ペテロとアンデレの召命
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ《使徒ペテロとアンデレの召命》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

五十年にわたって、同じ一行

前の回に続いて、年の書かれていない行を読みたい。

サミュエル・H・クレス・コレクション。

それだけである。

当サイトで公開している分だけで、三百十点がこの行を持つ。

そして、番号の年を数えると、こうなる。

一九三九年が百二点。

一九五二年が九十二点。

一九六一年が八十一点。

一九四三年が十七点。

一九四六年が九点。

そのほか、一九五七年、一九五九年、一九九一年。

つまり、五十年以上にわたって、同じ一行を持つ作品が入り続けている。

年を書かない理由が、これで分かる。

書けば、その一回だけを指すことになる。

この名前は、一回の受け入れではない。

半世紀の受け入れをまとめて指している。

そして、同じ名前は別の館の記録にも現れる。

メトロポリタン美術館には、この名の寄贈が一九二七年、一九三六年、一九三七年にある。

一つの収集が、複数の館に分かれて入っている。

今回は、その九点を読みたい。

使徒ペテロとアンデレの召命
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ《使徒ペテロとアンデレの召命》1308年から11年。館の記録では、板にテンペラ。描かれた面42.7×45.5センチ。板全体43.3×46.2×4.4センチ。額を含めて54.61×57.15×4.45センチ。番号は1939.1.141。出所の行は「サミュエル・H・クレス・コレクション」。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ《使徒ペテロとアンデレの召命》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

金地の板である。

背景が一面、金で覆われている。

その上に、細かい傷が無数に走る。

左端に、人物が一人立つ。

赤い衣に、青い外套。

右手を上げ、指を前へ向ける。

その足もとは、緑の岸。

中央に、木の舟が浮かぶ。

舟には、二人が乗る。

一人は青い衣で、こちらを向く。

もう一人は赤い衣で、櫂を持つ。

舟の下に、網が沈んでいる。

網目が細い線で描かれる。

水は緑がかった灰色で、小さな魚がいる。

祭壇画の一部である

この板は、単独の絵ではない。

大きな祭壇画の下部に並んでいた小さな板の一つである。

第十七回で、この形式を扱った。

祭壇画の下の帯に、物語の場面が横に並ぶ。

その一枚ずつが、後にばらされて別々の番号を持つ。

寸法を見れば分かる。

四十二・七掛ける四十五・五センチ。

祭壇画としては小さすぎる。

そして、横長である。

物語の場面を並べるための形である。

同じ祭壇画から出た他の板は、いま世界の各地にある。

館の記録は、そこまで書かない。

分類の欄と、寸法だけが、もとの位置を示している。

聖フランチェスコの受印
ドメニコ・ヴェネツィアーノ《聖フランチェスコの受印》1445年から50年ごろ。館の記録では、ポプラ材の板にテンペラ。27.5×30.5センチ。額を含めて40.6×44.5×5.1センチ。番号は1939.1.140。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ドメニコ・ヴェネツィアーノ《聖フランチェスコの受印》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

こちらも横長の小さな板である。

二十七・五掛ける三十・五センチ。

やはり、祭壇画の下部の一枚だろう。

画面には、岩の多い風景が広がる。

灰色と桃色の岩山が、幾重にも重なる。

その手前に、緑の草地。

左に、糸杉のような細い木が数本。

中央に、修道服の人物が跪く。

両手を上げ、顔を右上へ向ける。

その右に、もう一人が横たわる。

こちらは眠っているらしい。

そして、画面の右上に、赤い形が浮かぶ。

翼を広げた姿である。

その形から、細い線が地上の人物へ伸びる。

金地という技法

九点のうち二点が、金地の板である。

背景の全面が、金で覆われている。

作り方は、こうである。

板に白い下地を塗り、磨く。

その上に、赤い粘土の層を薄く置く。

そこへ、きわめて薄く延ばした金の箔を貼る。

そして、瑪瑙などの硬い石で磨く。

磨くと、金が鏡のように光る。

赤い層は、金を暖かい色に見せる働きをする。

金が薄くなった部分では、下の赤が透ける。

一点目の画像を見ると、金地に無数の細かい傷が走っている。

七百年ぶんの擦れである。

そして、ところどころ、下地が見えている。

金地は、光を反射して画面を明るく保つ。

しかし、遠近を表すことはできない。

背景に空間がないからである。

十五世紀に入ると、金地は風景に置き換えられていく。

九点を古い順に並べると、その移り変わりが見える。

十四世紀の二点が金地。

十五世紀の二点は、背景に風景がある。

十六世紀以降は、風景か、暗い室内である。

材料の欄が、木の種類を書く

この一点の技法の欄には、木の名が入っている。

ポプラ材の板にテンペラ。

木の種類まで書かれている。

九点のうち、三点にこの記載がある。

いずれもポプラである。

イタリアで板絵に使われた代表的な材である。

軽く、加工しやすい。

一方、北方の絵画では樫が使われることが多い。

つまり、木の名は制作地の手がかりになる。

第一回でも書いたが、支持体は時代と場所を示す。

そして、板絵の記録では、その情報が明示される。

第一回で読んだ記録は、板とだけ書いていた。

館によって、書く精度が違う。

金の地と、青い天使

磔刑
パオロ・ヴェネツィアーノ《磔刑》1340年から45年ごろ。館の記録では、板にテンペラ。描かれた面31×38センチ、板全体33.85×41.1センチ、額を含めて37.2×45.4×5.7センチ。番号は1939.1.143。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。パオロ・ヴェネツィアーノ《磔刑》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

こちらも金地である。

中央に、十字架が立つ。

そこに人物が架けられている。

体は細く、腰に白い布。

十字架の上部に、小さな板が付く。

そこに文字が書かれている。

館の記録の銘記の欄が、その文字を写している。

十字架のまわりに、青い衣の天使が四人。

いずれも翼を広げ、身をよじる。

左に、青い外套の女性が二人。

一人は手で顔を覆う。

十字架の足もとにも、女性が跪く。

赤い髪が長く垂れる。

右には、兵士が数人。

赤と青の衣で、兜をかぶる。

槍と旗を持つ。

背景の下部に、緑の壁が横に走る。

銘記の欄が、文字を写す

前の回でも触れたが、この館の記録には銘記の欄がある。

九点のうち二点に、記載がある。

一点は、十字架の上の四文字。

もう一点は、画面の下に書かれた作者の名と年である。

つまり、画面に文字があれば、それを写す。

第十六回で扱った、画面のなかの文字である。

そして、この欄があると、画像を拡大しなくても内容が分かる。

館によって、書く欄が違う。

同じ作品でも、別の館にあれば別の情報が残る。

聖母子と天使たち
十五世紀フェッラーラ派《聖母子と天使たち》1455年から70年ごろ。館の記録では、ポプラ材の板にテンペラ。53.5×36.2センチ。額を含めて68.6×51.4×7センチ。番号は1939.1.115。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。《聖母子と天使たち》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の板である。

中央に、聖母が胸から上で描かれる。

濃い青の外套を、頭からかぶる。

縁に、金の細い線が入る。

両手を胸の前で合わせる。

顔は下を向き、目を伏せる。

その下に、幼児が横たわる。

裸で、白い布の上に置かれる。

左右に、天使が三人。

いずれも赤い衣で、小さい。

背景の左には、岩と海。

小さな船が浮かぶ。

右には、桃色の岩山。

作者の欄に、人名がない

この一点の作者の欄を見たい。

十五世紀フェッラーラ派、と書かれている。

人名ではない。

地名と、世紀である。

つまり、誰が描いたか分かっていない。

分かっているのは、いつごろ、どのあたりで描かれたかだけである。

館は、その範囲を作者の欄に書いている。

第十七回で扱った「散逸した写本の画家」と、事情は似ている。

個人の名がないところに、別の名が置かれる。

そして、その名は分類の記号として働く。

同じ書き方の作品を集めれば、地域と時代のまとまりができる。

聖母子
バルトロメオ・ヴィヴァリーニ《聖母子》1475年ごろ。館の記録では、ポプラ材の板にテンペラ。描かれた面53×41.5センチ。かつて固定された額に覆われていた範囲を含めて54.4×42.6センチ。額を含めて72.39×60.01×5.08センチ。番号は1939.1.118。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。バルトロメオ・ヴィヴァリーニ《聖母子》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

寸法の欄に、変わった記述がある。

かつて固定された額に覆われていた範囲。

つまり、この板にはもともと額が直接取り付けられていた。

板と額が、一枚の木から作られるか、釘で固定される。

その額の下になっていた部分には、絵具が塗られていない。

いまは額が外され、その痕跡だけが残る。

館は、その範囲まで測って記録している。

第十七回で扱った「面と全体」の書き分けが、ここでは三段になっている。

絵の面。

額に覆われていた範囲を含む面。

そして、現在の額を含めた寸法。

画面には、聖母が座る。

濃い青の外套に、赤い衣。

膝に幼児を抱く。

幼児は黄色い布に包まれ、体をひねる。

背景の左に、明るい風景。

小さな木と、道と、遠い山。

右には、暗い緑の壁。

署名のある一点

聖カタリナ
ロレンツォ・ロット《聖カタリナ》1522年。館の記録では、板に油彩。57.2×50.2センチ。額を含めて74×68.3×5.1センチ。番号は1939.1.117。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ロレンツォ・ロット《聖カタリナ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

赤い壁を背にした肖像である。

壁には、文様が織り出されている。

その前に、若い女性が座る。

鮮やかな赤い衣。

袖が大きく膨らみ、襞が細かい。

肩から、深い緑の外套を掛ける。

頭に、金の冠。

宝石が嵌まっている。

顔は正面をやや外し、目はこちらを見る。

右手に、細長い剣を持つ。

刃が斜めに上がる。

左手は膝の上。

指に指輪が光る。

そして、右下に、車輪の一部が見える。

その車輪に、文字が書かれている。

作者の名と、年である。

館の記録の銘記の欄が、それを写している。

大きな板と、小さな板

ヴィーナス
ベルナルディーノ・ルイーニ《ヴィーナス》1530年ごろ。館の記録では、板に油彩。106.7×135.9センチ。額を含めて138.4×167.2×9.2センチ。番号は1939.1.120。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ベルナルディーノ・ルイーニ《ヴィーナス》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

九点のなかで、いちばん大きい。

百六・七掛ける百三十五・九センチ。

板でこの大きさは、かなり大きい。

横長の画面に、女性が横たわる。

裸で、体を右へ向ける。

肘をついて上体を起こす。

腰から下に、白い布が掛かる。

その下に、赤い布。

顔は正面を向き、目は伏せる。

髪は結い上げられ、赤みを帯びる。

背景の左に、岩と建物。

その向こうに、水と山。

右には、緑の草地と木。

第一回で書いたとおり、大きな板は反りやすい。

百三十五センチの板を保つには、裏に補強が要る。

館の記録は、そこまで書かない。

厚さの記載もない。

額を含めた奥行が九・二センチとあるだけである。

髪に花を挿した少女
ピエトロ・ロータリ《髪に花を挿した少女》1760年から62年。館の記録では、布に油彩。45.8×35.4センチ。番号は1939.1.108。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ピエトロ・ロータリ《髪に花を挿した少女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

九点のうち、この一点と次の一点だけが布に描かれている。

暗い背景の前に、少女が胸から上で描かれる。

顔は正面をやや外し、目はこちらを見る。

口の端がわずかに上がる。

髪は後ろで編まれ、肩から前へ垂れる。

その髪の上に、白い花が一輪挿してある。

衣は白く、襟ぐりが広い。

その上に、青緑の胴着。

右手を胸の下に上げ、指を軽く曲げる。

顔の描写が細かい。

頬の丸み、鼻の影、唇の艶。

十八世紀の絵である。

九点のなかで、いちばん新しい。

作者の欄に、渾名がある

果物と水差しのある静物
サラチェーニの下宿人と呼ばれる画家《果物と水差しのある静物》1610年から20年ごろ。館の記録では、布に油彩。番号は1939.1.159。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。《果物と水差しのある静物》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

暗い室内である。

白い布を掛けた卓の上に、果物が並ぶ。

左に、緑の皮の瓜。

半分に切られ、中が見える。

中央に、桃と林檎と無花果。

皿の上に積まれている。

右に、西瓜。

大きく切られ、赤い実と黒い種が見える。

その手前に、梨と葡萄。

そして、卓の上に、ガラスの水差し。

透明で、中の液体が見える。

背景は暗く、何もない。

光は左上から差す。

果物の一つずつに、明るい部分と影がある。

ここで、作者の欄を見たい。

ある画家の下宿人、と呼ばれている。

人名ではない。

ある有名な画家と同じ家に住んでいた、と考えられている無名の画家を指す呼び名である。

誰かは分かっていない。

しかし、作風から同一の人物と判断されている。

前の一点の「十五世紀フェッラーラ派」と、同じ種類の名である。

三段の寸法が語ること

九点のうち四点に、三段以上の寸法がある。

描かれた面。

板の全体。

そして、額を含めた寸法。

なぜ描かれた面と板の全体を書き分けるのか。

板絵では、絵具が板の縁まで塗られていないことが多い。

縁の部分は、枠に隠れるからである。

あるいは、制作のときに枠に押さえられていた。

だから、絵の面と、板の面に差が出る。

その差は、数ミリから二センチほどである。

一点目では、四十二・七センチと四十三・三センチ。

差は六ミリである。

五点目では、五十三センチと五十四・四センチ。

差は一・四センチ。

この差の部分に、かつて枠があった。

つまり、寸法の欄が、失われた枠の幅を記録している。

第十七回で扱った、面と全体の書き分けの一種である。

そして、五点目だけは、その意味を言葉で書いている。

かつて固定された額に覆われていた範囲、と。

ほかの三点は、数字を並べるだけである。

同じ館の記録でも、説明の詳しさが違う。

聖母子が、二点

九点のうち二点が、聖母子を主題にしている。

そして、二点とも縦長の板である。

五十三・五掛ける三十六・二センチ。

五十三掛ける四十一・五センチ。

大きさが近い。

これは偶然ではない。

聖母子の板絵には、標準的な寸法がある。

個人の家の礼拝に使われたからである。

壁に掛けるか、机の上に置く。

そのため、五十センチ前後に作られることが多い。

第十回で読んだ細密肖像も、用途が寸法を決めていた。

同じことが、ここでも起きている。

そして、構図もよく似ている。

聖母が上半身で描かれ、幼児が前に置かれる。

背景の片側に風景、もう片側に暗い面。

繰り返し作られた形式である。

だから、同じ構図の作品が各地にある。

第十五回で扱った複製と反復の問題は、注文制作の絵にも当てはまる。

売れる形式は、繰り返される。

光の向き

九点の光の向きを見てみたい。

金地の二点には、光の向きがない。

背景が金なので、影が作れない。

十五世紀の三点では、左上から光が差す。

顔の右側に影ができる。

十六世紀の二点も、左からである。

そして、十七世紀と十八世紀の二点も、左上から。

九点のうち七点が、左から照らされている。

これは、当時の慣習である。

右利きの画家が窓を左に置いて描くと、自然にそうなる。

そして、見る側も、その向きに慣れている。

館の記録は、光の向きを書かない。

見て確かめるほかない。

しかし、七対〇という偏りは、明らかに意味がある。

名前のない作者を、どう書くか

九点のうち二点で、作者の欄が人名ではなかった。

一点は、地域と世紀。

もう一点は、別の画家との関係。

この二つは、書き方の方向が違う。

前者は、範囲で示す。

いつごろ、どのあたり。

後者は、関係で示す。

誰の近くにいた人。

どちらも、個人を特定できないときの手段である。

そして、どちらも、複数の作品をまとめるための名として働く。

同じ呼び名の作品を集めれば、一人の画家の輪郭が浮かぶ。

名前がなくても、作品の群れは作れる。

第十七回で扱った「散逸した写本の画家」も、同じ仕組みだった。

失われたものの名が、そのまま画家の呼び名になる。

板から布へ

九点の技法の欄を並べたい。

板にテンペラが二点。

ポプラ材の板にテンペラが三点。

板に油彩が二点。

布に油彩が二点。

年代順に並べると、きれいに移り変わる。

十四世紀の二点は、板にテンペラ。

十五世紀の三点も、板にテンペラ。

十六世紀の二点は、板に油彩。

十七世紀と十八世紀の二点は、布に油彩。

つまり、材料と技法が二段階で変わっている。

まず、テンペラから油彩へ。

次に、板から布へ。

テンペラは、顔料を卵で溶く。

乾きが速く、重ね塗りに向く。

しかし、透明な層を作るのは難しい。

油彩は、顔料を油で溶く。

乾きが遅いぶん、混ぜたりぼかしたりできる。

十五世紀に北方で広まり、イタリアへ伝わった。

第一回でも書いたが、板から布への移行は十六世紀から十八世紀にかけて進む。

九点は、その全過程を含んでいる。

技法の欄の三語だけで、四百年の変化が読める。

五十年の受け入れ

最後に、出所の行に戻りたい。

年が書かれていない。

そして、実際の受け入れは五十年以上にわたる。

一九三九年に百点。

一九五二年に九十二点。

一九六一年に八十一点。

三度の大きな受け入れが、四十年にわたって行われている。

つまり、この行は一人の収集家の名であると同時に、その財団の名でもある。

本人が亡くなったあとも、同じ名で受け入れが続いた。

第四回で読んだ基金と、同じ構造である。

一つの名前が、人の生死を越えて働き続ける。

そして、同じ名前が別の館の記録にも現れる。

一九二七年、一九三六年、一九三七年。

いずれも、この館ができる前である。

つまり、この収集家は複数の館にものを渡していた。

一つの収集が、複数の場所に分かれている。

出所の行の名前を手がかりにすれば、その広がりを追うことができる。

次の回では、また別の収集を読みたい。

二人でアメリカの素朴な絵を集めた夫妻の話である。

そこでは、行に二人の名前が並ぶ。

夫と妻が、そろって出所の行に入っている。

そして、集めた対象が、これまでとまったく違う。

職業の画家ではない人が描いた絵である。

作者の名が分からない作品が、大半を占める。

作者の欄に何を書くか、という問題が、また別の形で現れる。

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