作品を知る

扉の板が写るのは、二点だけ——デューラー・春信・トライプほか九点の戸口

戸口には通す働きと止める働きがある。九点で数えると、人が通れる開口があるのは六点、扉の板が写るのは二点しかない。書物の扉、家具の引き戸、扉のない扉飾りまで、同じ字が四つのものを指していた。閉じた扉の向こうは、誰にも見えない。

扉に描かれた絵
《扉に描かれた絵》スミソニアン協会蔵

男が、扉を押している

一枚の油彩に、戸口がある。

石を積んだ壁に、四角い穴が開いている。

穴の上は、丸いアーチになっている。

壁には蔦がからむ。

穴の右側に、厚い板の扉が見える。

扉は外へ大きく開いている。

その扉に、男が手をついている。

背を向けているので、顔は見えない。

緑がかった上着に、革の半ズボン。

足もとは編み上げの靴である。

男は敷居をまたごうとしている。

まだ、またいでいない。

左足だけが、赤い煉瓦の段に載る。

その向かいに、女性が立っている。

白い袖に、赤い胴着、青い前掛け。

腕を組んでいる。

裸足である。

女性は建物の内側にいる。

男は外側にいる。

二人のあいだに、煉瓦の段が三段ある。

段の上で、二人の視線が交わる。

奥は暗く、何も見えない。

扉に描かれた絵
《扉に描かれた絵》1887年。館の記録では、油彩・カンヴァス。62.2×51.3センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。《扉に描かれた絵》スミソニアン協会蔵

この作品の記録には、変わった点がある。

作者の欄が確定していない。

館の記録は、二つの読み方を並べて書いている。

姓の最初の字が、二通りに読めるらしい。

制作年は1887年と書かれている。

年は分かるのに、名前は分からない。

署名が読みにくいときに、こういう記録が残る。

館は、どちらかに決めてしまわなかった。

決めないまま公開している。

扉は、通すためか、隔てるためか

戸口には、二つの働きがある。

人を通すことと、人を止めることである。

同じ穴が、開けば通り道になり、閉じれば壁になる。

絵は、そのどちらの瞬間を選ぶのか。

九点を並べて、数えたい。

集めかたは、館の記録の題による。

「扉」「戸口」「門」にあたる語が入るものを拾った。

拾った九点には、思わぬものが混じった。

紙の上の扉、家具の扉、扉のない扉飾り。

そこは後半で扱う。

まず、通れる戸口として描かれた例を見る。

九点のうち、人が通れる大きさの開口が描かれるのは六点だった。

そのうち、実際に人が出入りしているのは二点である。

残る四点では、開口の前後に人がいるだけである。

立ち止まっている、と言ってもよい。

戸口は、通過の場所として描かれにくい。

門は、大きくなりすぎると通れない

大きな門を撮った写真が一点ある。

十九世紀のインドで撮られた塩紙の印画である。

鶏卵紙の処理がしてある。

画面は38×30.2センチ。

紙は39.5×31.2センチで、黒い縁が付く。

写っているのは、寺院の西の塔門である。

石の塔が、画面の上まで届く。

塔の面は、細かい彫刻で埋め尽くされている。

小さな神像と小さな祠が、段になって積み上がる。

段は、上へ行くほど狭くなる。

塔の下のほうに、暗い開口が見える。

人が通る場所である。

だが、その開口は塔の高さに比べて小さい。

画面の十分の一もない。

そして、人が一人も写っていない。

館の記述によれば、この撮影者は場面から人を意図的に除いた。

参拝者や見物人を、いったん下がらせたという。

館は、その効果を「時を超えた驚異」の印象と書いている。

同じ記述は、この寺院が今も毎日数万人を集めるとも書く。

人を消すことで、門は建築になった。

通る場所ではなく、見る対象になっている。

マドゥライ、ミーナークシ・スンダレーシュヴァラ寺院の西塔門
リンネウス・トライプ《マドゥライ、ミーナークシ・スンダレーシュヴァラ寺院の西塔門》1858年。館の記録では、鶏卵紙処理をした塩紙印画。画面38×30.2センチ。紙は39.5×31.2センチ。番号は2020.208。クリーヴランド美術館蔵。リンネウス・トライプ《マドゥライ、ミーナークシ・スンダレーシュヴァラ寺院の西塔門》クリーヴランド美術館蔵

似た例が、水彩にもある。

エジプトの神殿の塔門を描いた紙である。

紙は35.5×43.3センチ。

横長の画面の中央に、四角い門が立つ。

門の柱は太く、上に重い横石が載る。

石の面には、彫り込まれた文字が並ぶ。

館の記録は、それを象形文字の記録と書いている。

門の内側には、青い空が見える。

その空の下に、小さな柱列がある。

つまり門を抜けた先は、また建物である。

門の周りは、砂と土に埋まっている。

館の記述によれば、当時この神殿は十二メートルほど埋まっていた。

だから画面では、門の下半分が地面に隠れている。

人は一人も描かれていない。

門の大きさは、埋まった深さからしか測れない。

エドフ神殿の塔門の扉
ジョン・フレデリック・ルイス《エドフ神殿の塔門の扉》1850年。館の記録では、水彩とグワッシュと黒鉛。紙は35.5×43.3センチ。番号は2015.73。クリーヴランド美術館蔵。ジョン・フレデリック・ルイス《エドフ神殿の塔門の扉》クリーヴランド美術館蔵

三点目は、油彩である。

題が長い。

ビザンティン建築の門の前で、騎兵が指揮官を待っている場面だという。

副題に「東方の思い出」とある。

画面は64.7×54.6センチ。

額を含めると91.8×82.6センチになる。

画面の上半分は、建物の正面である。

丸いアーチが幾つも並ぶ。

その上に、円蓋と小塔が載る。

赤い布が、開口のいくつかに垂れている。

画面の下半分に、人と馬が集まる。

数十人はいる。

だが、門をくぐっている人はいない。

みな門の前で待っている。

題そのものが「待っている」と書いている。

門は、待ち合わせの目印になっている。

ビザンティン建築の門前で指揮官を待つチェルケス騎兵、東方の思い出
アルベルト・パシーニ《ビザンティン建築の門前で指揮官を待つチェルケス騎兵、東方の思い出》1880年。館の記録では、油彩・カンヴァス。64.7×54.6センチ。額を含めて91.8×82.6×8.3センチ。番号は2003.48。シカゴ美術館蔵。アルベルト・パシーニ《ビザンティン建築の門前で指揮官を待つチェルケス騎兵、東方の思い出》シカゴ美術館蔵

格子は、見えるが通れない

隔てるほうの例を見たい。

十八世紀の日本の版画である。

紙は29×21.7センチ。

画面の左に、赤い格子が立つ。

太い縦の桟が、等間隔に並ぶ。

格子の向こうに、若い女性がいる。

こちらへ顔を向け、身を乗り出している。

格子の手前には、三人が立つ。

中央の男は、傘のようなものを抱えている。

館の記述によれば、それは小さな芝居の道具である。

右には、縞の着物の人物がいる。

上の空に、雲の形をした枠がある。

その中に、歌が書かれている。

館の記録は、歌の訳も載せている。

恋しく思うが、日々が過ぎても口には出さない。

杉の戸の向こうで、この秘密をどう堪えようか。

そういう内容だという。

歌のなかにも、戸が出てくる。

画面の格子と、歌の戸が重なる。

館の記述によれば、この格子は客に姿を見せるためのものだった。

見えるが、通れない。

そのために作られた仕切りである。

妓楼の門口の恋
鈴木春信《妓楼の門口の恋》1760年代後半。館の記録では、多色木版。紙は29×21.7センチ。番号は1921.349。クリーヴランド美術館蔵。鈴木春信《妓楼の門口の恋》クリーヴランド美術館蔵

戸口は、遊び場になる

もう一点、人のいる戸口がある。

十九世紀のアメリカの素描である。

スケッチブックの一葉で、16.8×20.3センチ。

黒鉛だけで描かれている。

紙の中央に、小さく場面がある。

そこだけ線が濃い。

周りは、ほとんど白いままである。

描かれているのは、戸口に座る少年たちだ。

三人か四人が、身を寄せている。

戸口の枠は、四角い線で示される。

奥は、細かい斜線で暗くしてある。

顔の造作は、ほとんど描かれていない。

館の記録に、詳しい記述はない。

書かれているのは、技法と寸法と番号だけである。

だが、この紙の白さは意味を持つ。

画家は、場面の外を描く必要がなかった。

戸口という枠が、すでに場面を囲っているからである。

戸口で遊ぶ少年たち(スケッチブックより)
フランシス・ウィリアム・エドモンズ《戸口で遊ぶ少年たち(スケッチブックより)》1838年頃以降。館の記録では、オフホワイトの網目紙に黒鉛。16.8×20.3センチ。番号は1987.196.3a。メトロポリタン美術館蔵。フランシス・ウィリアム・エドモンズ《戸口で遊ぶ少年たち(スケッチブックより)》メトロポリタン美術館蔵

「扉」の語は、紙と家具へ広がる

ここからは、語で拾ったことの結果である。

日本語の「扉」は、建物の扉だけを指さない。

書物の最初の一枚も、扉と呼ぶ。

その用法で拾われた版画が一点あった。

十六世紀初めの木版である。

聖母の生涯を主題にした版画集の、最初の一枚。

画面の中央に、女性が幼子を抱いて座っている。

その背後に、大きな三日月の形がある。

上には、光の輪が広がる。

画面の上部に、大きな文字が四行ある。

下部にも、細かい文字が並ぶ。

これは書物の題と、序の詩である。

扉は、どこにも描かれていない。

にもかかわらず、日本語の題は《扉絵》となる。

英語の記録では、題の頁と書かれている。

翻訳の段階で、建物の扉と同じ字が当てられた。

紙の束の入り口を、扉と呼ぶ習慣があるからである。

言われてみれば、そこも一つの入り口ではある。

扉絵(聖母伝より)
アルブレヒト・デューラー《扉絵(聖母伝より)》1511年。館の記録では、木版。番号は1922.343。クリーヴランド美術館蔵。アルブレヒト・デューラー《扉絵(聖母伝より)》クリーヴランド美術館蔵

もう一点、扉のない扉がある。

十七世紀のイギリスで彫られた木彫である。

題は《扉上部の装飾》という。

扉の上に取り付けられていた飾りである。

材はシナノキ。

全体で68.6×86.4センチ。

画面には、果実と穀物と貝と花が渦を巻く。

中央に、壺のような形が置かれる。

厚みがあり、影が深い。

館の記述によれば、これはロンドン近郊の館の書斎の扉上部にあった。

同じ記述は、その館が1922年に取り壊されたと書く。

装飾は売られ、館の外へ出た。

ただし、取り壊しの前に各室が写真に撮られていた。

そのおかげで、どの扉の上にあったかが特定できるという。

扉そのものは残っていない。

扉の上の飾りだけが、番号を持って残っている。

扉上部の装飾
グリンリング・ギボンズ《扉上部の装飾》1675〜77年頃。館の記録では、シナノキ材。全体で68.6×86.4センチ。番号は1943.663。クリーヴランド美術館蔵。グリンリング・ギボンズ《扉上部の装飾》クリーヴランド美術館蔵

三点目は、家具である。

十九世紀初めにアメリカで作られた机。

題は《蛇腹扉付きの机》という。

上部に、細い板をつないだ引き戸がある。

板は横に並び、左右へ滑って開く。

画像では、閉じている。

机の脚は細く、四本とも先が絞られている。

引出しは二段。

引手は、白い丸と金色の金具でできている。

全体で105.4×96×49.9センチ。

館の記述によれば、この机の内側は青く塗られている。

閉じているので、その青は見えない。

扉は、内側を隠すためにある。

家具の扉は、人を通さない。

通すのは、手だけである。

蛇腹扉付きの机
ジョン・シーモア《蛇腹扉付きの机》1800年頃。館の記録では、マホガニー、真鍮と七宝の引手。全体で105.4×96×49.9センチ。番号は1987.11。クリーヴランド美術館蔵。ジョン・シーモア《蛇腹扉付きの机》クリーヴランド美術館蔵

扉の向こうは、たいてい暗い

開口が描かれた六点で、その向こうを見たい。

奥が暗く塗られているのは四点だった。

最初の油彩では、家の中がほとんど黒に近い。

女性の背後に、何があるかは分からない。

版画の格子の奥も暗い。

女性の顔と手だけが、明るく浮かぶ。

素描の戸口も、細かい斜線で暗く埋められている。

塔門の写真では、開口が黒い穴になっている。

暗さは、描かないことの言い換えでもある。

奥を描けば、そこがまた場面になってしまう。

場面が二つになると、どちらを見ればよいか分からない。

だから戸口の奥は、暗く閉じられる。

例外が一点あった。

エジプトの神殿を描いた水彩である。

門の内側に、明るい青が塗られている。

空である。

門を抜けた先は、屋根のない場所だった。

その奥に、小さな柱が並ぶ。

暗さではなく、遠さで奥行きが示されている。

塔門も神殿も、屋根のない構築物だった。

そのことが、色の違いに出ている。

門の面には、何が並んでいるか

門は、たいてい飾られる。

九点のうち、門の面に装飾があるのは四点だった。

塔門の写真では、装飾が段になっている。

小さな祠と神像が、上へ向かって積み上がる。

段は七段か八段ある。

上へ行くほど小さくなるので、実際より高く見える。

神殿の水彩では、門の面に文字が彫られている。

館の記録は、その文字を象形文字と書く。

文字が装飾を兼ねている例である。

ビザンティン建築の油彩では、アーチが装飾になる。

丸いアーチが横に並び、その上にまた小さなアーチが載る。

赤い布が、いくつかの開口に垂れている。

そして木彫の一点は、装飾だけが残った例だった。

果実、穀物、貝、花、壺。

数えられるものを数えると、十種を超える。

門の面の装飾には、共通点がある。

いずれも、通る人には見えにくい位置にある。

真下を通れば、頭上の彫刻は視野に入らない。

装飾は、離れて見る人のためにある。

つまり門は、通る人よりも見る人を想定している。

写真から人を消した撮影者の判断は、その意味で理にかなっている。

題は、長くなったり短くなったりする

今回の九点は、題の長さがきわめて不揃いだった。

いちばん短い題は、四文字である。

いちばん長い題は、四十字を超える。

長いほうは、油彩の一点だった。

建築の様式、人物の所属、状況、副題までが入っている。

これは十九世紀の展覧会の慣習に近い。

絵の内容を、題ですべて説明してしまう。

短いほうは、書物の扉の一枚である。

こちらは、書物の一部であることが分かればよい。

説明は本文が引き受ける。

題の長さは、その作品がどこに置かれたかを映している。

壁に掛けて見せるものは、題が長くなる。

束ねて綴じるものは、題が短くなる。

館の記録は、その事情を書かない。

書かれているのは、題そのものだけである。

だが九点を並べると、長短の理由が見えてくる。

見えてくるのは、作品の側の事情ではない。

作品が置かれた場所の事情である。

数え直す

扉という語で記録を引くと、こういう九点が集まる。

建物の扉、書物の扉、家具の扉、そして扉のない扉飾り。

同じ字が、四つの違うものを指している。

その広がりは、日本語に訳した時点で生じたものでもある。

英語の記録では、それぞれ別の語が当たっている。

書物の扉は、題の頁と呼ばれる。

家具の引き戸には、専用の呼び名がある。

日本語では、そのいずれもが扉になる。

語をまたいで集まったこの九点は、翻訳の産物でもある。

そのことは、隠さずに書いておきたい。

九点を並べ直したい。

人が通れる大きさの開口があるのは、六点。

そのうち、扉の板が写っているのは二点だけである。

一点は木の扉、もう一点は家具の引き戸だった。

開口だけがあって、扉のないものが四点ある。

門、塔門、戸口、格子。

いずれも、板をはめる場所はあるはずである。

だが画面には描かれていない。

扉は、外されるか、開かれて画面の外にあるか、もともとないか。

そのどれかである。

開いている扉は一点。

閉じている扉も一点。

残る七点は、開閉が問えない。

そして、敷居が描かれているのは三点だった。

煉瓦の段、石の敷居、床と地面の境である。

敷居は、扉より描かれやすい。

理由は簡単で、下は隠れないからである。

扉は開けば見えなくなる。

敷居は開いても残る。

境目は、床の高さの差で示される

戸口を絵にするとき、いちばん確実な手は段差である。

段差があれば、内と外が分かれる。

最初の油彩では、煉瓦の段が三段あった。

女性はその上、男はその下にいる。

高さの差が、そのまま立場の差に見える。

歌の版画では、格子の下に低い縁がある。

女性は縁の内で、男たちは道の上にいる。

素描では、戸口の床が一段高い。

少年たちは、その段に腰かけている。

段差は、座る場所にもなる。

だから戸口には人が溜まる。

通り道でありながら、留まる場所でもある。

これは、九点のうち三点で確かめられることである。

残る六点には、そもそも人がいない。

門を撮った写真も、神殿の水彩も、人を写していない。

装飾も、机も、紙の扉も、人とは関係なく置かれている。

開口の形は、四角と丸に分かれる

もう一つ数えておきたいことがある。

開口の上がどうなっているかである。

四角い上枠を持つものが四点あった。

丸いアーチを持つものが三点ある。

残る二点には、開口そのものがない。

四角と丸の違いは、材料の違いに対応する。

石を横に渡せる幅なら、四角でよい。

渡せない幅になると、アーチが要る。

エジプトの神殿の門は、四角い横石を載せている。

石が太く、重い。

ビザンティン建築の油彩では、開口はすべて丸い。

石を小さく積んで、弧を作っている。

最初の油彩の戸口も、丸いアーチだった。

壁は石を積んだ造りである。

版画の格子と素描の戸口は、木の造りだから四角い。

木は横に渡せるので、丸くする必要がない。

つまり開口の形は、好みではなく構造で決まる。

絵はその構造を、そのまま写している。

館の記録は、描かれた建物の構造を書かない。

書かれているのは、作品の材料だけである。

紙、絹、木、布、金属。

描かれた石やレンガは、記録の欄に入らない。

記録は、開いているか閉じているかを書かない

最後に、記録の欄を見ておく。

九点の記録に、扉の状態を書く欄はない。

開いているのか、閉じているのか。

内から見ているのか、外から見ているのか。

どちらも書かれていない。

書かれるのは、材と寸法と番号と出所である。

例外は、家具の一点だった。

館の記述が、内側の色に触れている。

青く塗られている、と書いてある。

だが画像では、扉が閉じているので見えない。

記録が画像を補っている、珍しい例である。

逆に、木彫の一点では、記録が失われた場所を補っていた。

館が建物の写真を根拠に、もとの位置を特定している。

物は残り、建物は残らなかった。

その差を埋めるのが記録である。

門や扉は、動かせない建築の一部だと思われがちである。

しかし今回の九点には、外されて館に来たものが二点あった。

扉上部の装飾と、家具の引き戸である。

境目は、切り取って持ち運べる。

持ち運ばれた境目は、何も隔てない。

隔てるものがなくなっても、形だけは残る。

その形を、館は番号を付けて保管している。

形だけが残ったとき、それは境目ではなく彫刻になる。

九点の最後の二点は、その状態にあった。

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