作品を知る

名前が、いまも買い続けている——チェスター・デイル・コレクションと同名の基金

コレクションとして九十二点、基金として十八点。そして基金は二〇二五年の受け入れにも現れる。裏打ちに覆われて見えなくなった書き込みを、記録だけが残している一点についても書きたい。制作年と受入年の差を並べると、収集の姿勢が見えてくる。

静物
ウィレム・カルフ《静物》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

名前が、いまも買い続けている

ワシントン・ナショナル・ギャラリーの記録に、こういう出所の行がある。

チェスター・デイル・コレクション。

前の回までと同じく、年が書かれていない。

当サイトで公開している分で、九十二点がこの行を持つ。

そして、同じ姓を持つ別の行もある。

チェスター・デイル基金。

こちらは十八点。

さらに、他の基金と組み合わせた行が七点ある。

合わせると、百十七点になる。

番号の年を数えると、こうなる。

一九六三年が六十八点。

一九四三年が十二点。

一九四二年が三点。

そして、二〇〇〇年、二〇一九年、二〇二五年にも、この名前が現れる。

八十年以上にわたって、同じ名前が受け入れの記録に載り続けている。

今回は、その九点を読みたい。

静物
ウィレム・カルフ《静物》1660年ごろ。館の記録では、布に油彩。64.4×53.8センチ。額を含めて83.8×69.9センチ。番号は1943.7.8。出所の行は「チェスター・デイル・コレクション」。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ウィレム・カルフ《静物》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

暗い背景の静物画である。

卓の上に、模様のある厚い布が掛かる。

その上に、器が並ぶ。

中央やや左に、背の高いガラスの水差し。

蓋が付き、細い脚で立つ。

その左に、丸いガラスの杯。

中に、琥珀色の液体が入る。

右には、青と白の磁器の鉢。

縁が波打ち、内側に文様が見える。

その手前に、果物。

橙色の実、桃、そして皮を剝いた檸檬。

檸檬の皮が、螺旋を描いて垂れる。

第一回で読んだ小さな静物画と、構成が近い。

同じ主題の系統である。

そして、光が左上から差す。

ガラスの縁と、磁器の白が強く光る。

一九六三年に、六十八点

番号の年を、もう少し見たい。

一九六三年が六十八点で、突出している。

一九四三年が十二点、一九四二年が三点。

そのほかは、一点か二点ずつである。

つまり、大きな受け入れが一九六三年に一度あった。

そして、その二十年ほど前に、小さな受け入れが二度あった。

この形は、これまで何度も見てきた。

生前に一部を渡し、死後に残りが入る。

第十七回で読んだ例が、そうだった。

第二十回の例も、同じ形である。

まず数点を渡して、館との関係を作る。

そして、最後にまとめて入る。

出所の行に年がないので、この順序は番号からしか読めない。

九点の番号を見ると、一九四三年が二点、一九五四年が二点。

一九五八年、一九六〇年、一九六三年が三点。

二十年にわたって、少しずつ入っている。

そして、一九六三年の番号は、一〇〇と一〇一まで伸びている。

その年だけで、百点を超える受け入れがあったことになる。

二つの行の違い

出所の行の二つの形を、確かめたい。

一つはコレクション。

もう一つは基金である。

第二十三回で読んだ例と同じ区別である。

コレクションは、集めたものがそのまま入った。

基金は、金だけが渡され、館が選んで買った。

この人の場合、その両方が記録されている。

そして、基金のほうは、いまも使われている。

二〇一九年、二〇二五年の受け入れに、その名がある。

つまり、亡くなってから六十年以上たっても、その名で作品が買われている。

第四回で読んだ基金と、同じ仕組みである。

元本を減らさず、利息で買う。

そして、買ったものに、元本を作った人の名を書く。

一つの名前が、時間の外に置かれる。

聖ルチア
フランシスコ・デ・スルバラン《聖ルチア》1625年から30年ごろ。館の記録では、布に油彩。104.14×77センチ。額を含めて133.7×106×8.9センチ。番号は1943.7.11。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。フランシスコ・デ・スルバラン《聖ルチア》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

暗い背景の前に、若い女性が立つ。

体は左を向き、顔は正面に近い。

頭に、花の冠をかぶる。

赤、白、青の小さな花が並ぶ。

首に、真珠の首飾り。

上衣は白く、袖が大きく膨らむ。

その上に、赤い胴着。

胸元に、青いリボンが結ばれる。

腰から下は、深い緑の裾。

布の襞が、太く重い。

右腕を下げ、細長い葉を持つ。

棕櫚の葉である。

左手に、平たい皿を持つ。

その皿の上に、二つの小さな形が載る。

そして、画面の左上に、文字が書かれている。

聖女の名である。

館の記録の銘記の欄が、それを写している。

静物と、聖女

最初の二点は、いずれも十七世紀の作である。

そして、性格がまったく違う。

一点は、卓の上の器と果物。

もう一点は、聖女の立像である。

前者は、家に飾るために描かれた。

後者は、教会か、信心のための場所に置かれた。

作られた目的が違う。

そして、いずれも十七世紀の作でありながら、国が違う。

一方はオランダ、もう一方はスペインである。

第一回で読んだ九点も、十七世紀のオランダ絵画が中心だった。

同じ時代に、別々の国で、まったく違う絵が描かれていた。

宗教改革を経た地域では、教会の絵の需要が減る。

代わりに、家に飾る絵が増える。

静物、風景、室内。

一方、そうでない地域では、教会の絵が作られ続ける。

聖人像、祭壇画、殉教の場面。

この二点は、その差をそのまま示している。

そして、二点とも同じ番号の年に受け入れられている。

一九四三年である。

集める側は、その差を気にしていない。

良い絵であれば、国も主題も問わない。

第一回で書いた見取り図の考え方に近い。

裏に書かれた、別の画家の名

ヘンリエッタ・マーチャント・リストン
ギルバート・スチュアート《ヘンリエッタ・マーチャント・リストン》1800年。館の記録では、布に油彩。74×61.3センチ。額を含めて92.4×79.7×8.3センチ。番号は1960.12.1。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ギルバート・スチュアート《ヘンリエッタ・マーチャント・リストン》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

女性の胸から上の肖像である。

大きな帽子をかぶっている。

つばが顔の上を広く覆う。

帽子の上に、水色のリボンが結ばれる。

顎の下でも、同じ色のリボンが結ばれる。

衣は白く、襟ぐりが広い。

肩から、橙色の肩掛けを垂らす。

体は右を向き、顔は正面をやや外す。

頬に赤みがある。

目はこちらを見て、口の端がわずかに上がる。

両手を前で組む。

背景は暗く、右上に空らしい明るい部分。

ここで、銘記の欄を見たい。

この記録は、驚くべきことを書いている。

裏面に、後の人の手による書き込みがある。

そして、その書き込みは、いま裏打ちの布に覆われている。

書き込みの内容は、こうである。

描かれた人物の名。

その夫の肩書き。

そして最後に、画家の名。

覆われた文字を、記録が残す

問題は、その画家の名である。

館の記録の作者の欄に書かれている名前とは、違う。

同じ時代の、別の画家の名前である。

つまり、裏面の書き込みは、誤った帰属を記していた。

そして、いまはその書き込みが見えない。

布に描かれた絵が傷むと、裏から新しい布を貼って補強する。

裏打ちという処置である。

そのとき、裏面の書き込みは覆われてしまう。

館の記録は、覆われる前に読み取った文字を残している。

つまり、いま実物を見ても確認できない情報が、記録に書かれている。

第十一回で読んだ銀器の彫りは、いまも見える。

こちらは、もう見えない。

記録だけが、それを伝えている。

そして、その内容は、この絵が長いあいだ別の画家の作と考えられていたことを示す。

帰属が変わった経緯まで、銘記の欄が残している。

献辞のある一点

シモン・アイエム
ジュール・バスティアン=ルパージュ《シモン・アイエム》1875年。館の記録では、布に油彩。40.5×32.6センチ。額を含めて62.2×53.3センチ。番号は1963.10.1。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ジュール・バスティアン=ルパージュ《シモン・アイエム》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

小さな肖像である。

四十・五掛ける三十二・六センチ。

年配の男性が、椅子に座る。

体は正面をやや外す。

頭は禿げ上がり、耳のまわりに髪が残る。

黒い上着に、白い襟。

首もとに、黒い蝶ネクタイ。

胸に、小さな赤い飾りが留まる。

両手を膝の上で組む。

その左に、小さな動物がいる。

犬らしい。

背景は暗く、何もない。

そして、画面の左下に、文字が二行ある。

館の記録は、その文字を写している。

誰それへの思い出に、という趣旨の言葉と、作者の署名である。

つまり、この絵は誰かに贈られたものである。

第二十二回でも、同じ形の献辞を見た。

画面に書かれた献辞と、館の出所の行。

二つの記録が、一枚の絵に重なっている。

洗濯女たち
テオフィル・アレクサンドル・スタンラン《洗濯女たち》1899年。館の記録では、布に油彩。83.2×68.2センチ。額を含めて101.3×85.1×10.1センチ。番号は1954.4.4。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。テオフィル・アレクサンドル・スタンラン《洗濯女たち》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

夜の街路である。

石畳が手前に広がる。

そこに、女性たちが立つ。

いずれも大きな包みを抱えている。

洗濯物である。

白い布が、包みからはみ出す。

中央の一人は、腰をかがめて包みを持ち上げる。

背が丸くなる。

その右にも、包みを抱えた一人。

左には、頭に布を巻いた一人。

背後に、店の窓が並ぶ。

黄色い明かりが漏れる。

その上に、赤い建物の壁。

奥にも、人影が数人。

労働の場面である。

第二十二回で読んだ絵と、主題の系統が近い。

同時代の絵を、買う

火番
ジョージ・ラクス《火番》1925年。館の記録では、布に油彩。153.1×128センチ。額を含めて181×156.2×6.4センチ。番号は1954.2.1。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ジョージ・ラクス《火番》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

九点のなかで、いちばん大きい。

高さ百五十三・一センチ。

暗い緑の背景である。

その前に、男が一人座る。

黒い上下を着ている。

頭に、つばの短い帽子。

帽子の前に、小さな金具が光る。

坑夫の安全灯を留める部分だろう。

顔は正面を向く。

日に焼け、皺が深い。

口髭がある。

両手を膝の上に置く。

右手に、金属の器を持つ。

足もとは、白っぽい靴。

そして、右下に署名がある。

作者の名と、地名である。

炭鉱のある町の名だろう。

第十六回で読んだ絵にも、題に日付と場所が入っていた。

画面に地名を書き込むのは、そこで描いたという申告である。

制作年と、受け入れ年の差

九点の制作年と、番号の年を並べたい。

一六六〇年ごろの静物が、一九四三年。

差は二百八十三年。

一六二五年ごろの聖女が、一九四三年。

三百十八年。

一八〇〇年の肖像が、一九六〇年。

百六十年。

一八七五年の肖像が、一九六三年。

八十八年。

一八八六年の少年像が、一九六三年。

七十七年。

一八八八年の風景が、一九五八年。

七十年。

一八九九年の洗濯女が、一九五四年。

五十五年。

一九二五年の坑夫が、一九五四年。

二十九年。

いちばん短いのが二十九年である。

前の回の九点は、平均で百年を超えていた。

こちらは、それより短い。

とくに二十世紀の二点は、五十年と二十九年。

同時代に近い絵を、比較的早く買っている。

朝の靄
クロード・モネ《朝の靄》1888年。館の記録では、布に油彩。74×92.5センチ。額を含めて89.7×107×5.4センチ。番号は1958.12.1。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。クロード・モネ《朝の靄》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

画面のほとんどが、白に近い。

淡い水色と、桃色と、薄い緑が混じる。

その中に、わずかに濃い部分がある。

木の形らしい。

輪郭はまったくない。

細かい筆の点が、無数に置かれている。

下のほうに、緑と桃色の帯。

地面だろう。

上のほうは、白い空。

境目がない。

第二十三回で読んだ一点も、光だけで描かれていた。

こちらは、それよりさらに輪郭が薄い。

左下に、署名が読める。

二百年前の絵と、四十年前の絵

九点の制作年を並べると、幅が大きい。

一六二五年ごろから、一九二五年まで。

三百年である。

そして、その内訳が偏っている。

十七世紀が二点。

十八世紀の末が一点。

十九世紀が五点。

二十世紀が一点。

十九世紀に重心がある。

とくに、その後半に集中している。

一八七五年、一八八六年、一八八八年、一八九九年。

四点が、二十五年のあいだに収まる。

これは、この時期のフランス絵画への関心を示している。

十九世紀末のパリで描かれた絵が、二十世紀の半ばにアメリカへ渡る。

第二十七回で読んだ収集も、同じ流れの中にあった。

違うのは、時期である。

あちらの遺贈は一九二九年。

こちらの大きな受け入れは一九六三年。

三十四年の開きがある。

そのあいだに、同じ分野の絵の価格は大きく変わった。

早く買った人と、遅く買った人。

どちらも、同じ画家の絵を持っている。

出所の行の年だけでは、その差は見えない。

番号の年と、制作の年を並べて、はじめて見えてくる。

子どもの肖像が、二点

画家の息子ポール
ポール・セザンヌ《画家の息子ポール》1886年から87年。館の記録では、布に油彩。65.3×54センチ。額を含めて90.8×80.6センチ。番号は1963.10.100。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ポール・セザンヌ《画家の息子ポール》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

少年の胸から上である。

濃紺の帽子をかぶる。

つばが短く、丸い形である。

顔は正面をやや外し、目は左を見る。

頬が丸い。

上着は灰青色。

襟が大きく開き、中に白い襟が見える。

首もとに、青い布。

背景は淡い灰褐色。

その右に、赤と白の縦縞の帯。

椅子の背か、垂れ幕だろう。

筆の跡が、面として並ぶ。

輪郭の線が、部分的に太く描かれる。

ルイ・ギヨーム
ポール・セザンヌ《ルイ・ギヨーム》1879年から1890年。館の記録では、布に油彩。番号は1963.10.101。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ポール・セザンヌ《ルイ・ギヨーム》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

前の一点と、番号が一つ違う。

そして、同じ画家の、同じくらいの年齢の少年である。

暗い緑の背景。

その前に、少年が胸から上で立つ。

黒い上着を着ている。

首に、白い布を巻く。

それが胸元で結ばれる。

顔は正面を向く。

髪は短く、額に垂れる。

目は大きく、こちらを見る。

口は結ばれる。

肌の色は暗く、背景と近い。

前の一点より、色数が少ない。

第十七回で扱った、対の肖像のような番号の並びである。

しかし、この二人は別人である。

一方は画家の子、もう一方は別の家の子である。

同じ受け入れに、たまたま隣り合って登録された。

番号の隣り合わせ

第十七回で、続き番号の意味を扱った。

対の肖像は、続き番号を持つ。

しかし、続き番号だからといって、対とは限らない。

この二点が、その例である。

同じ画家の、似た主題の作品が、続けて登録された。

登録の順は、種別や作者ごとにまとめられることが多い。

だから、同じ画家の作が並ぶ。

それは、対であることを意味しない。

番号の並びを読むときは、そこに注意したい。

第一回で読んだ一八七一年の番号は、順に意味が薄かった。

第二十三回の番号も、そうだった。

一方、第十七回で読んだ対の肖像は、意味があった。

同じ番号の並びでも、読み方が違う。

額の寸法に、奥行がない一点

九点の額の寸法を見比べたい。

多くは、縦、横、奥行の三つの数字が書かれている。

しかし、二点だけ、二つしか書かれていない。

八十三・八掛ける六十九・九センチ。

九十・八掛ける八十・六センチ。

奥行がない。

測り忘れか、測れなかったのか。

あるいは、登録の時期が違うのか。

同じ館の、同じ種類の記録でも、精度が揃わない。

第十九回でも、寸法欄の書き方が二通りある例を見た。

第十五回では、一つの数字しかない兜があった。

記録は、いつも均質ではない。

そして、揃っていないことが、かえって登録の実際を伝えている。

数百点を一度に登録すれば、抜けは生じる。

そして、後から測り直す機会は、なかなか来ない。

抜けたままの欄が、そのまま公開される。

読む側は、書かれていないことにも意味があると考えて読みたい。

銘記の欄が、五点にある

九点のうち、銘記の記載があるのは五点である。

聖女の名。

作者の署名と地名。

作者の署名と、裏面の年。

作者の署名。

献辞と署名。

そして、裏面の長い書き込み。

つまり、六種類の文字が記録されている。

画面の中の文字と、裏面の文字。

作者が書いたものと、後の人が書いたもの。

第十六回で扱った、画面のなかの文字の問題である。

そして、この館の記録は、それを丁寧に写している。

どこに、どういう順で書かれているか。

読めない部分には、疑問符を置く。

一点の銘記の欄には、括弧付きの疑問符が二つ並んでいる。

判読できなかった文字である。

記録は、読めなかったことを隠さない。

一つの名前の、三つの形

最後に、この名前の現れ方を整理したい。

コレクションとして、九十二点。

基金として、十八点。

他の基金と組み合わせた形で、七点。

そして、基金は二〇二五年まで使われている。

集めた人が亡くなってから、六十年以上たっている。

第四回で読んだ基金は、一九〇三年から二〇〇〇年まで働いていた。

第二十三回の基金も、同じ性格を持っていた。

一つの名前が、時間の外に置かれる。

そして、その名前で買われたものは、集めた人の好みとは関係がない。

館が、その時々に必要と判断したものである。

第四回で書いたとおり、基金の行は館の判断を記録する。

コレクションの行は、集めた人の好みを記録する。

同じ名前が、両方に現れる。

読むときは、その差を見分けたい。

コレクションの九十二点は、この人が選んだものである。

基金の十八点は、館が選んだものである。

次の回では、最後の収集を読みたい。

二人の研究者が、アメリカの静物画だけを集めた例である。

そこでは、集めた人の職業が、集めた対象を決めている。

美術を研究する人が、自分の研究の対象を集める。

そして、その分野は、当時ほとんど評価されていなかった。

第十二回で読んだ美術陶器と、似た事情である。

評価が定まる前に、集めていた人がいる。

出所の行の名前は、その人の名である。

そして、その寄贈は二十一世紀に入ってからのものである。

これまで読んできたなかで、いちばん新しい行になる。

新しい行が、何を書き、何を書かないか。

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