名画の楽しみ方

人の名と、会社の名が並ぶ——アメリカン・ポタリーのティーポットほか

意匠を担う人と、製造する会社。九件の作者の欄には、二つの名が並ぶ。ところが順序は三組で入れ替わり、同じ型から二つの色が出る件もある。順序に意味があるかどうかを読みたい。意匠の人が、建築家である一件も含まれる。

ティーポット
アメリカン・ポタリー製造会社《ティーポット》メトロポリタン美術館蔵

作者の欄に、人と会社が並ぶ

北米の部門から、九件を選んで並べてみる。

作者の欄には、いずれも二つの名がある。

一つは、人の名である。

もう一つは、会社や工房の名だ。

役割の欄を見ると、こう書かれている。

意匠を担う人、そして製造する会社。

図案を引いた人と、実際に作った組織。

一つの品に、二つの主体が関わっている。

前の回の記事で、家具の記録に同じ形を見た。

北米の陶磁や家具でも、まったく同じ書き方が使われている。

順序が、三組で入れ替わる

九件のうち六件は、三つの組に分かれる。

同じ二者が、二件ずつ登場する。

そして、その二件で名の順序が入れ替わっている。

一方の件では、人の名が先。

他方の件では、会社の名が先。

役割の欄も、それに合わせて入れ替わる。

三つの組すべてで、同じことが起きている。

偶然とは考えにくい。

館は、順序に規則を持っていないのだろう。

前の回の記事で、銃や刀の作者の欄でも同じ揺れを見た。

分野をまたいで、同じ現象が起きている。

ティーポット
ダニエル・グレイトバッチ意匠、アメリカン・ポタリー製造会社《ティーポット》1838年から1850年。館の記録では、土器。縦9.2センチ、横17.5センチ、奥行き11.7センチ。番号は1984.38。メトロポリタン美術館蔵。アメリカン・ポタリー製造会社《ティーポット》メトロポリタン美術館蔵

蓋の付いた急須である。

地は淡い黄褐色で、つやがある。

胴は横に張り、下がすぼまる。

その全面に、浮彫の文様が広がる。

葉と枝が絡み合い、地が見えない。

蓋の上に、小さなつまみが立つ。

つまみも、蕾のような形をしている。

右に、注ぎ口が高く伸びる。

先が上を向き、鋭く尖る。

左に、把手が大きな輪を描く。

把手の上端が、外へ跳ね上がる。

型で押し出して作られた形である。

ティーポット
アメリカン・ポタリー製造会社、ダニエル・グレイトバッチ意匠《ティーポット》1838年から1850年。館の記録では、土器。高さ9.5センチ、直径12.1センチ。番号は1982.67.1。メトロポリタン美術館蔵。アメリカン・ポタリー製造会社《ティーポット》メトロポリタン美術館蔵

前の一件と、形がよく似ている。

同じ型から作られたのだろう。

胴の張り方も、注ぎ口の角度も同じである。

蓋のつまみの形も変わらない。

違うのは、色である。

こちらは白く、釉が厚くかかる。

浮彫の凹凸が、釉に埋もれて浅く見える。

前の一件では、文様の輪郭がはっきりしていた。

同じ型でも、釉の掛け方で見え方が変わる。

寸法の欄も、書き方が違う。

一方は高さと直径、他方は縦横奥行き。

同じ品で、測り方が揃っていない。

同じ型から、二つの色

いま見た二件は、ほぼ同じ品である。

同じ会社が、同じ型で作った。

そして、釉を変えて焼き分けている。

工場では、これがふつうのやり方だ。

型を一つ作れば、何百個も抜ける。

抜いたあとに、仕上げで違いを出す。

前の回の記事で、同じ版から摺られた版画を見た。

版画では、同じであることが原理だった。

型による陶器も、同じ原理で作られる。

そして、仕上げで差をつける。

館の記録は、その事情を書かない。

書かないが、二件を並べれば見えてくる。

連番の三件で、一件だけ順序が違う

九件のうち三件は、番号が連番である。

点のあとの数字が、一、二、三と続く。

同じ年に、同じ経路で入った。

同じ二者が、作者の欄に並ぶ。

ところが、その順序が揃っていない。

一件目と三件目は、人の名が先。

二件目だけ、会社の名が先である。

三件のうち一件だけが、逆になっている。

記録を作るときに、うっかり順序を変えたのだろう。

意図があったとは考えにくい。

館は、それを直していない。

直せば、いつ付けられた記録か分からなくなる。

蓋付きの壺
ユストゥス・ブラウエル意匠、ポースリン・アックス工房《蓋付きの壺》1739年から1775年。館の記録では、土器。高さ38.1センチ。番号は26.25.1。メトロポリタン美術館蔵。ユストゥス・ブラウエル《蓋付きの壺》メトロポリタン美術館蔵

白黒の写真である。

背の高い壺が、一つだけ写る。

胴は下でふくらみ、上へすぼまる。

その面に、花と葉の文様が密に描かれる。

濃い色で描かれ、白い地から浮き上がる。

肩のあたりに、渦を巻く枠がある。

その中にも、細かい模様が入る。

蓋は、円錐に近い形である。

蓋の面にも、透かしのような文様がある。

蓋の上に、人物の像が立つ。

長い衣をまとい、頭に飾りを載せる。

高さは三十八センチある。

蓋付きの壺
ポースリン・アックス工房、ユストゥス・ブラウエル意匠《蓋付きの壺》1739年から1775年。館の記録では、土器。高さ39.4センチ。番号は26.25.2。メトロポリタン美術館蔵。ユストゥス・ブラウエル《蓋付きの壺》メトロポリタン美術館蔵

白黒の写真に、壺が二つ並ぶ。

左の一つは、白い地に細い枝が描かれる。

枝は縦に一本のび、細かい葉が付く。

装飾は、それだけである。

右の一つは、面いっぱいに花が描かれる。

大きな花が三つ、重なり合う。

そのまわりを、葉が埋める。

二つとも、蓋の上に鳥が止まる。

鳥は嘴を下に向け、翼をたたむ。

蓋の縁には、細かい文様が回る。

二つの壺は、形が同じで装飾が違う。

二件が、同じ写真を持つ

いま見た写真も、この一件だけのものではない。

連番の三件のうち、二件が同じ写真を持っている。

壺が二つ並んだ、同じ白黒写真である。

そして、二件の寸法も同じ39.4センチだ。

つまり、写真の中のどちらがどちらか分からない。

三件のうち一件だけが、単独の写真を持つ。

そちらは、高さ38.1センチである。

三件のうち一つだけ、一センチ低い。

写真と寸法を突き合わせても、対応は取れない。

前の回の記事で、群の写真が共有される例を見た。

まとめて撮った写真を、各件に割り当てる。

同じことが、ここでも起きている。

蓋付きの壺
ユストゥス・ブラウエル意匠、ポースリン・アックス工房《蓋付きの壺》1739年から1775年。館の記録では、土器。高さ39.4センチ。番号は26.25.3。メトロポリタン美術館蔵。ユストゥス・ブラウエル《蓋付きの壺》メトロポリタン美術館蔵

前の一件と、同じ写真である。

同じ二つの壺が、同じ配置で並ぶ。

左が白い地に枝、右が花で埋まる。

蓋の上の鳥の向きも変わらない。

背景の影の落ち方も同じである。

違うのは、記録の番号だけだ。

寸法は、どちらも39.4センチ。

同じ数字が、二つの記録に並ぶ。

二つの壺が、たまたま同じ高さなのかもしれない。

あるいは、片方の数字を写したのかもしれない。

記録は、その区別を書かない。

出所の行が、基金と寄贈に分かれる

九件の出所の行を並べてみる。

基金による購入が五件。

個人の寄贈が二件。

寄贈を原資とした購入が二件。

連番の三件は、いずれも同じ基金の購入である。

1926年、まとめて三点が買われた。

一方、ほかの六件は受入の年が散らばる。

1969年、1979年、1982年、1984年、1986年、1989年。

二十年のあいだに、一件ずつ入っている。

北米の装飾芸術が集められはじめたのは、比較的近年だ。

工業的に作られた品を美術館が収める。

その考え方が定着するまでに、時間がかかった。

番号の頭が、その時期を示している。

材料の欄が、短い

九件の技法の欄は、いずれも短い。

土器。磁器。パリアン磁器。紫檀。樫。

一語か二語で終わる。

前の回の記事で、刀の拵や甲冑の技法の欄を見た。

あちらは、十種類の材料が並んでいた。

こちらは、一つか二つである。

理由は、作り方にある。

型で抜き、焼く。

あるいは、木を削り、組む。

材料の数が少ないほど、量産に向く。

技法の欄の短さが、工業的な作り方を示している。

そして、短い欄の隣に、会社の名が並ぶ。

二つの欄が、同じことを別の側面から語っている。

会社の名に、年が添えられる

九件の作者の欄では、会社の名にも年が付く。

1863年から1922年。

1833年からおよそ1854年。

1870年に創業。

人の生没年と、同じ形式で書かれている。

会社を、一人の作者のように扱っているのだ。

前の回の記事で、窯の名や工房の名について同じことを書いた。

組織を個人と同じ枠に押し込む。

そうしなければ、記録の形が保てないからだ。

そして、その年の幅から分かることもある。

九件のうち一つの会社は、六十年続いた。

もう一つは、二十年ほどである。

続いた長さが、作られた品の量を左右する。

センチュリー・ヴェイス
カール・L・H・ミュラー意匠、ユニオン・ポースリン・ワークス《センチュリー・ヴェイス》1876年ごろ。館の記録では、磁器。高さ32.4センチ。番号は69.194.1。メトロポリタン美術館蔵。カール・L・H・ミュラー《センチュリー・ヴェイス》メトロポリタン美術館蔵

背の高い花瓶である。

口が大きく開き、下がすぼまる。

胴の中ほどが、細くくびれる。

上半分は白い地で、赤い線の文様が広がる。

菱形の格子が、斜めに交差する。

その中央に、円い枠がある。

枠の中に、人物の横顔が白く浮き出る。

胴の両側に、獣の頭が付く。

角のある獣で、白い。

下半分にも、浮彫の場面がある。

人物が数人、並んで描かれる。

口の縁と、胴の境に、金の線が回る。

意匠を担った人の名が、残る理由

九件の意匠の人は、いずれも個人名で記録されている。

なぜ、意匠の人の名が残るのか。

会社は、その人を雇って図案を作らせた。

図案は、紙に残る。

紙には、署名が入ることがある。

そして、当時の記事や広告に名が出る。

新しい意匠は、宣伝の材料になるからだ。

一方、型を抜き、釉をかけ、窯を焚いた人の名は残らない。

その仕事は、宣伝にならない。

前の回の記事で、名が残る条件を何度も見てきた。

ここでは、宣伝されたかどうかが条件になっている。

水差
ユニオン・ポースリン・ワークス、カール・L・H・ミュラー意匠《水差》1875年。館の記録では、パリアン磁器。高さ20.8センチ。番号は1989.34。メトロポリタン美術館蔵。カール・L・H・ミュラー《水差》メトロポリタン美術館蔵

白い水差である。

釉はかからず、素地のままの質感である。

胴は下でふくらみ、上へすぼまる。

口は大きく開き、注ぎ口が前へ突き出る。

縁は波打ち、左右に反り上がる。

左に、把手が大きな輪を描く。

把手の上端に、渦の飾りが付く。

胴の正面に、円い枠がある。

その中に、人物の横顔が浮き出る。

枠のまわりを、細い縁飾りが囲む。

胴の下部にも、縦の筋が並ぶ。

全体が白一色で、影だけが形を作る。

同じ意匠の人が、二件に出る

いま見た二件は、同じ二者の組である。

一件は花瓶、もう一件は水差。

どちらも同じ人が意匠し、同じ会社が作った。

そして、順序が入れ替わっている。

年の欄も、1875年と1876年ごろ。

一年しか違わない。

しかし、番号は69.194.1と1989.34である。

受け入れた年が、二十年離れている。

同じ時期に作られた二件が、別々の経路で館に入った。

一方は寄贈、他方は購入である。

前の回の記事で、同じ経路と別の経路について何度も書いた。

作られた順と、入った順は関係がない。

家具にも、同じ形式が使われる

九件のうち二件は、椅子である。

一件は、十九世紀なかばの側椅子。

もう一件は、十九世紀末の肘掛け椅子。

どちらも、意匠の人と製造の会社が並ぶ。

陶磁と、まったく同じ書き方である。

品の種類が違っても、記録の形式は変わらない。

そして、こちらでも順序が揃っていない。

一件は人の名が先、他件は会社の名が先。

三つ目の入れ替わりの組である。

前の回の記事で、家具の記録を見たときも同じ形だった。

意匠と製作を分けて書く。

それが、工業的に作られる品の記録の基本形になっている。

側椅子
アレクサンダー・ジャクソン・デイヴィス意匠、バーンズ・アンド・トレインク製作《側椅子》1848年ごろ。館の記録では、紫檀。高さ106.7センチ、幅47センチ、奥行き54.6センチ。番号は1979.182。メトロポリタン美術館蔵。アレクサンダー・ジャクソン・デイヴィス《側椅子》メトロポリタン美術館蔵

背の高い椅子である。

背もたれが、まっすぐ上へ伸びる。

その上端に、彫刻の飾りが載る。

葉と渦が組み合わさった形だ。

飾りの左右に、丸い突起が付く。

背もたれの中は、赤い布が張られる。

布には、細かい文様が織り出される。

座面も、同じ赤い布である。

座面の下に、透かし彫りの飾りが回る。

尖った弧が、いくつも連なる。

脚は細く、下へ向かって細くなる。

木の色は、赤みの強い褐色である。

マッキンリー肘掛け椅子
フェニックス家具会社、デイヴィッド・ウォルコット・ケンドール意匠《マッキンリー肘掛け椅子》1894年から1896年。館の記録では、樫。高さ86.4センチ、幅74.3センチ、奥行き61センチ。番号は1986.202。メトロポリタン美術館蔵。デイヴィッド・ウォルコット・ケンドール《マッキンリー肘掛け椅子》メトロポリタン美術館蔵

黒く塗られた椅子である。

背もたれは低く、四角い。

その中に、細かい網が張られる。

座面にも、同じ網が張られる。

両側に、幅の広い肘掛けが付く。

肘掛けは平らな板で、前へ長く伸びる。

その下を、細い縦の桟が三本ずつ支える。

脚は角材で、まっすぐ床まで下りる。

装飾らしい装飾は、ほとんどない。

直線だけで組み立てられている。

前に見た側椅子と、対照的である。

五十年で、椅子の作りがここまで変わった。

品名に、人の名が付く一件

いま見た一件の題には、人の名が入る。

ある大統領の名である。

椅子の意匠が、その人物と結びついていたのだろう。

前の回の記事で、甲冑の題に持ち主の名が入る例を見た。

こちらは、持ち主ではなく、宣伝の名である。

会社が、名を借りて売り出した。

館は、その題をそのまま記録している。

題が商品名であることは、書かれていない。

書かれていないが、九件の中でこの一件だけが人の名を持つ。

ほかの八件は、壺、急須、花瓶、水差、椅子。

いずれも用途の名である。

その中に、一件だけ商品名が混じっている。

意匠の人が、建築家である一件

九件のうち一件は、意匠の人が別の分野で知られている。

十九世紀なかばの、ある人物である。

生没年が、生まれた都市と没した町まで添えて書かれる。

九件のうち、ここまで細かく書かれるのはこの一人だけだ。

ほかの意匠の人は、生没年か活動期だけである。

情報量の差は、その人の知られ方の差である。

よく知られた人ほど、記録が細かい。

椅子の意匠は、その人の仕事のごく一部だったろう。

しかし、館はこの椅子を作品として収めている。

意匠した人の名で、椅子が残る。

作った工房の名は、活動期しか分からない。

同じ欄に並びながら、情報量がまるで違う。

建物のために作られた椅子

いま見た一件は、ある建物のために意匠されたと考えられる。

十九世紀のアメリカでは、建築家が家具まで設計した。

部屋の様式に合わせて、椅子や机を作る。

だから、意匠の人が建築家になる。

館の記録は、その事情を書かない。

書かれるのは、意匠と製造の二つの名だけである。

どの建物のためかも、書かれていない。

書かれていないことを、こちらで補わない。

補うなら、補ったと分かるように書く。

九件から言えるのは、意匠と製作が分かれていたということだけだ。

都市の欄が、九件で五つに分かれる

九件の都市の欄を並べてみる。

デルフト。ジャージーシティ。

ブルックリン。ニューヨーク。グランドラピッズ。

五つの都市に分かれる。

そして、国の欄はオランダと合衆国の二つだ。

デルフトの三件は、オランダで作られている。

それでも、北米の部門に入っている。

なぜか。

北米で使われ、北米の歴史に関わるからだろう。

前の回の記事で、部門の分け方について何度も書いてきた。

作られた場所ではなく、使われた場所で分ける。

その原理が、ここでも働いている。

寸法の書き方が、揃わない

九件の寸法の欄を並べると、三通りの形がある。

高さだけを書くものが四件。

高さと直径を書くものが一件。

縦と横と奥行きを書くものが四件。

同じ品名の中でも、書き方が違う。

前に見た二件の急須が、その例である。

一方は高さと直径、他方は縦横奥行き。

同じ形の品を、別の方法で測っている。

測った人が違うのだろう。

記録の作られた年も、二年離れている。

館の記録は、こういう小さな差を抱えたまま積み上がる。

統一しようとすれば、測り直しが要る。

数十万点を測り直すことは、できない。

二つの名を、並べるということ

九件を並べ終えて、作者の欄に戻ってみたい。

人の名と、会社の名。

この二つは、性質がまるで違う。

一方は一人、他方は何十人もの集まりである。

それを、同じ欄に並べて書く。

順序で優劣を示すこともしない。

いや、示せないと言うべきだろう。

三つの組で順序が入れ替わっているのだから。

順序に意味がないことは、九件を並べれば分かる。

一件だけを見ていれば、意味があるように読める。

読み違えを防ぐのは、比べることだけである。

最後に、九件の年の欄を確かめておく。

いちばん古いのが1739年から1775年。

いちばん新しいのが1894年から1896年。

百五十年のあいだに、作り方が大きく変わった。

手描きの装飾から、型による量産へ。

そして、装飾を削ぎ落とした直線の家具へ。

作者の欄の形は、そのあいだ変わっていない。

人の名と、組織の名が並ぶ。

この形式が、百五十年ぶんを同じ枠で扱えている。

枠が変わらないから、変化のほうが見える。

九件のうち三件は、白黒の写真で公開されている。

いずれも、1926年に受け入れた連番の三件である。

古い受入ほど、撮り直されていない。

色が分からなければ、釉の色も分からない。

技法の欄に土器とあっても、どんな色かは読めない。

記録と画像は、たがいの欠けを補い合う。

どちらか一方では、必ず足りない。

そして、両方揃っても足りないことがある。

九件のうち二件は、写真を他の件と共有していた。

共有されていれば、対応が取れない。

取れないまま、記録だけが残る。

それでも、記録があることのほうが大きい。

記録がなければ、この九件を並べることもできなかった。

並べたから、順序の揺れが見えた。

揺れが見えたから、順序に意味がないと分かった。

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