滑稽な詩を、線だけで——ジョン・W・エニンガー
上端が弧になった画面に、二人が誓いを立てる。英国の滑稽詩に付けるための素描である。物語の筋をたどりながら、色を使わず線だけで場面を組み立てる挿絵の仕事を六点で見る。上端が弧になっている理由も、本の作りから説明できる。

誓いを立てる二人
一枚の素描から始めたい。

縦長の画面である。
上部が、弧を描いて切り取られている。
その中に、室内が描かれる。
中央に、男と女が並ぶ。
男は椅子に腰かけ、身を乗り出す。
女は立ち、両手を前に組む。
二人の顔が、近く寄せられる。
左には、卓と食器がある。
右奥には、子どもが数人いる。
手前の床には、犬が伏せる。
線だけで描かれ、影がほとんどない。
上が弧になっている理由
画面の上部が、半円形に切り取られている。
これは、印刷の枠の形である。
書物の挿絵では、こうした形がよく使われた。
四角い枠だけでなく、上が丸い枠、楕円の枠。
つまり、この素描は本の頁に入る前提で描かれている。
枠の形が、あらかじめ決まっている。
そして、その形に合わせて構図を組む。
挿絵のための素描
六点は、いずれも同じ詩の挿絵である。
そして、いずれも一八五七年の作である。
さらに、受け入れの記録も同じである。
一九九四年、同じ基金による購入。
つまり、一組の挿絵原画として残っている。
館の題にも、詩の名が記されている。
英国の詩人が書いた、滑稽な物語詩である。
詩の挿絵という仕事
書物の挿絵は、文章に従属する。
まず本文があり、そこへ図が添えられる。
だから、場面の選択は文章に縛られる。
そして、図の大きさと数も、出版の都合で決まる。
画家は、その枠の中で構図を作る。
自由に主題を選べる絵とは、条件が違う。
六点も、その制約のもとにある。
制約の中でどう工夫するかが、挿絵の腕である。
物語の筋
詩の筋を、簡単に書いておきたい。
主人公は、ロンドンの布地商である。
結婚の記念に、家族と郊外へ出かけることになる。
しかし、店の仕事で出発が遅れる。
そして、馬に乗って追いかける。
ところが、馬が言うことを聞かない。
そのまま走り続け、目的地を通り過ぎる。
さらに、引き返す途中でも制御できない。
つまり、馬に振り回される話である。
滑稽な詩を、絵にする
この詩は、十八世紀に書かれた。
そして、十九世紀を通じて広く読まれた。
滑稽で、覚えやすく、朗読に向く。
だから、挿絵つきの版が繰り返し出された。
つまり、この六点も、その一つのための原画である。
有名な物語の挿絵は、需要が安定している。
読者が筋を知っているぶん、絵が理解されやすい。
描いた人について
ジョン・ホイッテン・エニンガーは、一八二七年に生まれた。
ニューヨークの出身である。
一八八九年に没した。
欧州で学び、帰国後に画家として働いた。
風俗画と、書物の挿絵を手がけた。
十九世紀半ばの米国では、挿絵の仕事が増えていた。
印刷物が増え、図版の需要が生まれたためである。
六点は、その仕事の記録である。
線だけで描く
六点は、いずれも線だけで描かれている。
鉛筆と、灰色のインク。
そして、影がほとんど入らない。
つまり、輪郭線の絵である。
理由は、印刷の方法にある。
当時、書物の図版は版に彫って刷られた。
濃淡は、線の密度で表す。
だから、原画も線で描くほうが写しやすい。
印刷を、前提にする
挿絵の原画には、制約がある。
まず、印刷の枠に収まること。
次に、線で再現できること。
そして、縮小しても読めること。
六点は、いずれも縦二十センチから三十センチ弱である。
書物の頁は、それより小さい。
つまり、縮小して印刷される。
だから、線を詰めすぎない。
潰れてしまうからである。
出発の場面
二点目は、横長である。

横長の画面である。
左に、大きな馬車がある。
車輪と、箱形の車体が見える。
その扉から、人が乗り込もうとする。
中央には、馬が二頭立つ。
そして、その周りに人が集まる。
大人と子どもが、十人ほどいる。
右には、店の入口がある。
窓から、人が顔を出す。
手前には、犬が座る。
大人数を、線で描く
この一枚には、十数人が描かれている。
いずれも、輪郭線だけである。
そして、顔の造作も線で示される。
つまり、影を使わずに人を描き分けている。
区別の手がかりは、姿勢と衣の形である。
帽子、上着の丈、裾の広がり。
そして、大人と子どもの背丈の差。
線だけで、これだけの情報を入れている。
群衆の配置
群衆の並べ方を見たい。
左に馬車と人の塊。
中央に馬。
右に店と、覗く人。
つまり、三つの塊に分かれる。
そして、その間に隙間がある。
均等に散らすと、模様になってしまう。
塊と隙間を作る。
群像を描くときの基本である。
顔の描き分け
六点には、同じ人物が繰り返し登場する。
主人公、その妻、子どもたち。
つまり、場面が変わっても同じ顔でなければならない。
これは、挿絵に特有の要求である。
一枚の絵なら、顔は自由でよい。
連作では、同一性が要る。
六点の主人公は、いずれも丸い顔で、鼻が短い。
そして、帽子の形が同じである。
顔と装いの両方で、同一人物だと示している。
縦と横を、使い分ける
六点の画面の向きを確かめたい。
縦長が二点、横長が四点である。
そして、縦長は上が弧になっている。
つまり、二種類の枠が使われている。
書物の中で、頁いっぱいの図と、横長の図。
その二つを組み合わせる。
読者は、頁を繰るたびに違う形の図に出会う。
同じ形が続くと、単調になる。
店に来た客
三点目は、屋外である。

横長の画面である。
中央に、馬が一頭立つ。
前脚を上げ、首をひねる。
その脇に、男が立つ。
手綱を握り、馬を押さえようとする。
左には、別の男がいる。
樽のようなものに寄りかかる。
右には、女性と子どもがいる。
女性は、車輪のついた台を押す。
手前には、犬が二匹寝そべる。
馬を、暴れさせる
この詩の主題は、制御できない馬である。
だから、挿絵にも馬が繰り返し出てくる。
そして、いずれも姿勢が激しい。
前脚を上げ、首をひねり、跳ねる。
つまり、動きの絵である。
線だけで動きを描くのは、難しい。
影がないので、量感が出ない。
そこで、姿勢の極端さで動きを示す。
動物を、散らす
六点には、動物が多く描かれている。
馬、犬、猫、鶏、鳥。
いずれも、画面の隅や足元に置かれる。
理由は、いくつかある。
まず、画面の下部を埋める。
次に、場面ににぎわいを加える。
そして、動きの方向を散らす。
人がみな同じ方向を向くと、絵が硬くなる。
動物が別の方向を向くと、緩む。
服装を、時代に合わせる
六点の人物の服装を見たい。
男は膝下の半ズボンに、長い上着。
女は裾の広がる衣に、前掛け。
つまり、十八世紀の装いである。
詩が書かれた時代に合わせている。
一八五七年の挿絵だが、当時の服では描かない。
物語の時代を、服装で示す。
歴史を扱う挿絵では、この考証が要る。
読者も、そこを見ている。
建物を、背景に置く
六点の背景には、建物がよく描かれる。
店の入口、窓、扉、看板。
いずれも、線だけで示される。
そして、木組みの壁や、庇の形が描かれる。
つまり、場所の性格が背景で示されている。
店先なのか、道端なのか、郊外なのか。
背景がなければ、人物が宙に浮く。
線の絵でも、背景は省けない。
見送る人々
四点目は、混乱の場面である。

横長の画面である。
左に、走る人物が数人いる。
腕を上げ、口を開ける。
中央には、身をかがめる子どもがいる。
右には、太った男が立つ。
杖を持ち、こちらを向く。
さらに右には、別の人物がいる。
背後には、建物の壁と扉がある。
手前には、犬が二匹走る。
いずれも、線だけで描かれる。
笑いを、絵にする
この場面は、笑いの場面である。
人々が、走り去る主人公を囃し立てる。
つまり、他人の失敗を笑っている。
滑稽な詩の挿絵では、この描写が要る。
そして、笑いを線で描くのは難しい。
口を開け、腕を上げ、体を傾ける。
その姿勢の集まりで、騒ぎを示す。
顔の表情だけでは、伝わらない。
姿勢で、感情を示す
六点の人物の姿勢を見比べたい。
身を乗り出す、腕を上げる、しゃがむ、走る。
いずれも、極端である。
日常では、これほど動かない。
つまり、誇張されている。
挿絵では、この誇張が要る。
小さな図版で、感情を伝える必要があるからである。
演劇の所作に近い考え方である。
子どもを、混ぜる
六点には、子どもが多く描かれている。
大人の足元や、群衆の隙間に置かれる。
そして、背丈が低いぶん、画面の下部を埋める。
つまり、構図の部品としても働く。
同時に、場面の性格も示す。
子どもがいる場所は、日常の場所である。
そして、騒ぎに加わることで、にぎわいが増す。
滑稽な物語の挿絵には、都合のよい登場者である。
樽と、荷車
背景の小道具にも触れておきたい。
樽、荷車、桶、柵。
いずれも、線で簡単に描ける形である。
そして、場所の性格を示す。
樽があれば商いの場、荷車があれば道端。
つまり、少ない線で場面を説明できる。
挿絵では、この効率が重要である。
描き込む余裕がないぶん、記号として働く物を選ぶ。
帽子を差し出す人
五点目は、道端の場面である。

横長の画面である。
中央に、馬が立つ。
その背に、人が乗る。
馬は右を向き、脚を踏ん張る。
左には、男が二人立つ。
一人が、腕を上げて何かを差し出す。
帽子だろう。
右には、女性と子どもが数人いる。
背後には、木立と柵がある。
手前には、犬が伏せる。
物語の細部を、選ぶ
詩の中には、多くの出来事がある。
その中から、六つの場面が選ばれている。
誓いの約束、出発、店の客、走り出し、道での出会い、そして帰路。
つまり、筋の要点を追っている。
挿絵の企画では、この選択が重要である。
多すぎれば、費用がかかる。
少なすぎれば、筋が追えない。
六つは、短い物語詩には適当な数だろう。
六場面で、筋を追う
六点を順に並べると、物語が追える。
始まりから終わりまで、時間順である。
そして、場面ごとに場所が変わる。
室内、店先、道、そして郊外。
つまり、場所の変化が物語の進行を示す。
同じ場所が続くと、進んでいる感じが出ない。
挿絵の企画では、この配慮がなされる。
帰りの疾走
六点目は、縦長である。

上部が、弧を描いて切り取られている。
一枚目と同じ枠である。
その中に、馬が描かれる。
四本の脚を、大きく伸ばす。
首を前へ突き出し、たてがみが乱れる。
背には、人が乗る。
体が前へ倒れ、帽子が飛ぶ。
手前には、犬が並んで走る。
背後には、柵と木立がある。
そして、走る人影が小さく見える。
走る馬を、どう描くか
馬が走る姿勢は、描くのが難しい。
四本の脚が、どの順で動くか。
十九世紀半ばには、まだ写真で確かめられていない。
だから、画家は目と経験で描く。
そして、慣習的な型が使われた。
前脚を前へ、後脚を後ろへ伸ばす。
実際の走り方とは違うが、速さは伝わる。
この一枚も、その型である。
写真が、走りを変える
一八七〇年代以降、連続写真で馬の走りが解明される。
そして、絵の描き方も変わった。
当サイトの
動きをどう描くかでも、その話を書いた。
六点は、その二十年ほど前の作である。
つまり、まだ古い型で描かれている。
いまの目には、不自然に見えるかもしれない。
しかし、当時としてはこれが標準だった。
最初と最後を、揃える
一枚目と六枚目は、いずれも縦長で、上が弧である。
つまり、始まりと終わりの枠が揃っている。
そして、間の四枚は横長である。
つまり、縦、横、横、横、横、縦。
この配列は、書物の構成として自然である。
始めと終わりに、大きな図を置く。
間は、横長の図を並べる。
読者の目に、変化と区切りが与えられる。
ブリストル紙という材料
六点の紙は、いずれもブリストル紙である。
厚く、表面が滑らかな紙である。
線を引くのに向いている。
そして、消しても表面が荒れにくい。
つまり、修正がしやすい。
挿絵の原画には、この紙がよく使われた。
線を何度も引き直すからである。
材料の選択が、仕事の性格を示している。
灰色のインク
技法欄には、鉛筆と灰色インクとある。
つまり、二種類の画材を使っている。
まず鉛筆で下描きをする。
そのうえから、インクで線を引く。
灰色のインクは、黒より柔らかい。
そして、印刷で写すときに濃淡が出る。
六点の線を見ると、太さに差がある。
主要な輪郭は太く、細部は細い。
その差が、印刷後の見え方を決める。
縮小して、印刷する
六点は、書物の頁より大きい。
つまり、縮小して印刷される。
縮小すると、線の間隔が詰まる。
そして、細い線は消える。
だから、原画では線を離して描く。
六点の線が比較的まばらなのは、そのためだろう。
濃く見せたい場所でも、線を詰めすぎない。
印刷を前提にした描き方である。
挿絵という仕事
十九世紀半ば、挿絵は画家の重要な収入源になった。
書物、雑誌、新聞。
いずれにも、図版が入るようになった。
そして、印刷の技術が進む。
つまり、需要が拡大していた。
画家にとっては、安定した仕事である。
一方で、原画は印刷のための材料として扱われる。
だから、印刷後に処分されることも多い。
原画が、残る
六点が残っているのは、幸運である。
挿絵の原画は、版に写した後、不要になる。
そして、印刷所や出版社で失われる。
あるいは、画家の手元で処分される。
六点は、そのいずれも免れた。
そして、一九九四年に館へ入った。
一組六枚が、まとまって残っている。
つまり、企画の全体が読める。
一八五七年という年
六点は、いずれも一八五七年の作である。
画家は三十歳ごろにあたる。
そして、この年に挿絵つきの版が出たとされる。
つまり、六点はその出版のために描かれた。
短期間に、まとめて仕上げたのだろう。
同じ紙、同じ画材、同じ年。
一組の仕事の記録である。
一九九四年の購入
六点は、基金による購入である。
つまり、市場に出た一群を館が買った。
比較的新しい受け入れである。
十九世紀の挿絵原画への関心は、二十世紀後半に高まった。
印刷文化の研究が進んだためである。
そして、原画と印刷物を比較する研究が生まれる。
六点も、その文脈で価値を持つ。
印刷物と、原画を比べる
原画があれば、印刷物と比較できる。
どこが省かれ、どこが強調されたか。
線の太さは、どう変わったか。
そして、縮小率はどれくらいか。
つまり、印刷の工程が復元できる。
原画だけ、あるいは印刷物だけでは分からない。
両方が揃って、初めて見えるものがある。
六点は、その片方である。
影を、入れない
六点には、影がほとんど描かれていない。
人物の足元にも、地面の影がない。
つまり、光の方向が示されていない。
これは、線の絵の特徴である。
影を入れると、線が増える。
そして、印刷で潰れやすくなる。
だから、輪郭だけで済ませる。
その代わり、立体感は弱くなる。
平らな絵になるが、読みやすい。
挿絵と、風俗画
エニンガーは、風俗画も描いた画家である。
日常の場面を、油彩で描く。
そして、挿絵も手がける。
この二つは、方法が近い。
いずれも、場面を語る絵だからである。
人物の姿勢、持ち物、背景。
その組み合わせで、出来事を示す。
当サイトの
日々の場面を描くでも、風俗画を扱った。
挿絵は、その技術を印刷に向けたものである。
出版という産業
十九世紀半ばの米国では、出版が急速に伸びた。
読み書きのできる層が広がり、印刷が安くなる。
そして、図版入りの本が売れる。
つまり、挿絵の需要が生まれた。
画家にとっては、新しい市場である。
一方で、原画は商品ではなく材料になる。
報酬も、油彩の注文より低かっただろう。
それでも、数をこなせば安定する。
六点は、その仕事の一端である。
六点を、順に見る
見方を提案して、終わりたい。
六点の犬を、順に探してほしい。
いずれの場面にも、犬が描かれている。
伏せる犬、走る犬、座る犬。
そして、いずれも画面の下部にいる。
つまり、構図の部品として置かれている。
人物の足元を埋め、視線を受け止める。
物語の筋には、犬は関係ない。
にもかかわらず、六点すべてにいる。
絵の必要から生まれた登場者である。
そういう目で見ると、挿絵の作り方が見えてくる。


