法廷を、絵の主題にする——ジャン=ルイ・フォラン
劇場の裏、競馬場、川辺。フォランの初期の絵には軽さがある。ところが後半、主題は法廷と嘆願と徴発に移り、色が暗くなる。風刺画家が笑わなくなるまでの四十年を、九点で順に追いかける。笑いを外したとき、絵には状況の重さだけが残った。

舞台の裏に、二人
一枚の絵から始めたい。

小さな画面である。縦46.4センチ、横38.4センチ。
左半分に、花模様の描かれた大きな面がある。
緑の地に、赤い花が散っている。
これは実際の花ではない。舞台の書き割りである。
その手前に、踊り子が一人腰かけている。
薄い水色の衣装を着て、裾が大きく広がっている。
胸元は開き、肩が出ている。
顔は横を向き、うつむいている。表情は読みにくい。
その右後ろに、男が立っている。
黒い上着に、白い襟。頭には山高帽をかぶっている。
顔は影になり、目が見えない。
男は踊り子のほうを見下ろしている。
二人の距離
この絵で描かれているのは、二人の関係である。
踊り子は座り、男は立つ。
踊り子は舞台衣装、男は外出着。
踊り子は職場にいて、男は客としてそこにいる。
十九世紀のパリの劇場では、こうした光景が日常だった。
裕福な男性が、楽屋や舞台裏に出入りする慣習があったと伝えられる。
つまりこれは、私的な逢引の絵ではない。
制度として存在していた場面である。
同じ主題は、当サイトでも
ドガの動きで少し触れた。
ドガも、劇場の裏側を繰り返し描いた画家である。
画家について
ジャン=ルイ・フォランについて、記録から書く。
1852年に生まれ、1931年に没したフランスの画家である。
油彩やパステルのほか、新聞や雑誌の風刺画を数多く描いた。
つまり、印刷される絵で生計を立てた時期が長い。
同時代の画家たちとも交流があり、若い頃の展覧会にも参加している。
日本では名前を聞く機会が少ないが、当時のパリではよく知られていた。
風刺画家としての名声のほうが、先にあったと考えられる。
風刺画家の目
風刺画には、独特の作法がある。
一枚の絵で、状況をすべて説明しなければならない。
誰が、どこで、どういう立場にいるか。
それを、人物の姿勢と服装だけで伝える。
説明の文章は、下に短く添えるだけである。
この訓練は、油彩の絵にも影響する。
《舞台裏》の二人も、姿勢と服装だけで関係が読める。
顔の表情に頼っていない。
むしろ、二人とも顔がよく見えない。
それでも、何が起きているかは分かる。
書き割りという背景
左半分を占める花模様にも、意味がある。
これは舞台の背景として作られた作り物である。
本物の庭ではない。近くで見れば、絵具の塗られた布か板である。
その作り物の前に、実在の人物が二人立っている。
つまり画面の中で、虚構と現実が隣り合っている。
しかも、作り物のほうが明るく、色が鮮やかである。
実在の二人は、影の側に置かれている。
この対比は、偶然ではないだろう。
華やかな舞台と、その裏で成り立っている関係。
その両方を、一枚に収める構図になっている。
説明の言葉は一つもない。配置だけで語られている。
小さな画面を選ぶ
この作の寸法が小さいことにも触れておきたい。
縦46.4センチ、横38.4センチ。
大きな展覧会に出す絵の寸法ではない。
個人の家に掛ける、あるいは手元に置く大きさである。
主題を考えると、これは納得がいく。
公の場で堂々と掲げる主題ではない。
近くで見て、事情を察する種類の絵である。
寸法が、絵の性格に合っている。
素描のような一枚
二枚目は、仕上げの度合いが違う。

黄土色の地に、女性の顔と肩が描かれている。
髪は大きく膨らみ、輪郭が曖昧である。
顔は白く塗られ、目と口の位置が示される程度である。
肩から下は、線が数本引かれているだけだ。
背景には、緑がかった色が乱雑に置かれている。
未完成の習作、と言ってよい状態である。
画布にパステルを使っている点も珍しい。
紙よりも目が粗いので、粉が引っかかりやすい。
その引っかかりが、髪の質感になっている。
未完成のものが残る理由
完成しなかった絵が、なぜ美術館にあるのか。
理由はいくつか考えられる。
一つは、画家の死後に画室から出てきた場合である。
遺族が整理し、まとめて売却されることがある。
もう一つは、本人が手元に置いていた場合である。
売るためではなく、記録として保存する。
いずれにせよ、途中の状態は情報が多い。
どこから描き始め、どこまで進んだかが見える。
この一枚では、顔がまず白く起こされている。
次に髪の輪郭が探られ、肩の線が引かれている。
背景は最後に、大まかに置かれただけである。
つまり、内側から外側へ描き進める順序である。
完成作では、この順序は塗り重ねで消えてしまう。
パステルという材料
パステルについても、少し書いておきたい。
顔料を棒状に固めた画材で、紙などにこすりつけて使う。
混ぜずに色を並べ、指でぼかして中間色を作る。
十九世紀後半のフランスで、盛んに使われた。
乾く時間が要らず、その場で仕上がるからである。
屋外や劇場での速写に向いていた。
一方、定着が弱く、こすれると落ちる。
保存には、ガラスと額でしっかり覆う必要がある。
当サイトが扱うパステルの作が少ないのも、その脆さと関係がある。
展示にも輸送にも気を使う材料なのである。
競馬場の群衆
三枚目は、屋外の絵である。

競馬場である。手前に人が群れている。
男は黒い上着に山高帽、女は色のついた衣と帽子。
椅子がいくつも並び、その間に人が立つ。
手前の右寄りに、白い帽子の女性が座っている。
その隣で、男が身をかがめて話しかけている。
奥には柵があり、その向こうに馬の列が小さく見える。
さらに奥は緑の芝と、木立である。
空は薄く、桃色の雲がかかる。
つまり、競馬そのものはほとんど描かれていない。
主役は、見に来ている人々である。
見る場所を、描く
これは、この時期の絵によくある選び方である。
出来事そのものより、それを見に集まった人を描く。
劇場でも、舞台ではなく客席や桟敷を描く。
競馬でも、レースではなく観客席を描く。
理由の一つは、社交の場だからだろう。
誰が誰と来ているか、どういう服装か。
そこに当時の関心があった。
風刺画家であれば、なおさらである。
人の集まる場所には、必ず可笑しみがある。
帽子と、上着の黒
この絵で人物を見分けるのは、帽子と衣の形である。
男たちは、ほぼ全員が黒い上着に山高帽をかぶっている。
顔の違いはほとんど描かれていない。
つまり、個人ではなく階層が描かれている。
同じ服装をした人々が、同じ場所に集まっている。
女性のほうは、衣の色が一人ずつ違う。
桃色、赤、白、青。帽子の形も変えられている。
男の黒と、女の色。この対比が画面のリズムを作る。
十九世紀後半のパリの絵には、この対比がよく出てくる。
当時の服装の習慣が、そのまま画面の構成になっている。
風刺画家は、こういう記号をよく知っていた。
帽子の形一つで、身分も職業も示せる。
その知識が、群衆を描くときに効いてくる。
もう一枚の競馬場
四枚目も、同じ主題である。

こちらは、空が大きく取られている。
青い空に、白い雲が大きく広がる。
下半分は緑の芝で、なだらかに起伏している。
その芝の上を、馬が数頭走っている。
騎手の服が、赤や白の点として見える。
手前には、人が数人立っている。
黒い上着の男、桃色の衣の女、灰色の外套の人物。
先ほどの絵より、人の数はずっと少ない。
そして描き方も違う。
グワッシュという、不透明な水性の絵具が使われている。
絵具が変わると
グワッシュは、油彩とは性質が違う。
乾きが速く、塗り重ねが利く。
一方、油彩のような深い艶は出ない。
表面はやや粉っぽく、色がくすんだ感じになる。
この絵の空の青も、油彩ほどには澄んでいない。
その代わり、絵が軽い。
紙に描く感覚に近く、筆を速く動かせる。
新聞の挿絵を描いていた人にとって、これは扱いやすい材料だったはずだ。
同じ画家が、目的に応じて材料を変えている。
夕方の川辺
五枚目は、家族の絵である。

川辺である。手前に葦が茂っている。
青と緑の細い葉が、上へ向かって伸びる。
その向こうに水面があり、鏡のように静かである。
水面には、空の色が映っている。桃色と灰色である。
左寄りに、桃色の衣の女性が立っている。
竿を持ち、水面へ向けている。
その右奥にも、白い衣の人物が見える。
対岸は暗い緑の帯で、その上に紫の雲が横たわる。
穏やかで、私的な絵である。
主題の幅
ここまでの五点を並べると、幅の広さに気づく。
劇場の裏、女性の習作、競馬場が二枚、そして川辺。
一人の画家が、これだけ違う場面を描いている。
風刺画で鍛えた観察は、どの主題にも使える。
人の集まり方、姿勢、服装、視線。
それを読む目は、家族の絵にも働いている。
《釣りをする画家の妻》でも、人物は小さい。
風景の中に置かれた姿として描かれている。
近づいて顔を描く、という選び方をしていない。
水面の使い方
《釣りをする画家の妻》の水面についても書いておきたい。
この絵の下半分近くを、水面が占めている。
そこに空の色と対岸の緑が映り込んでいる。
映り込みは、実際の景色を上下に反転させたものである。
つまり、一枚の画面に景色が二度出てくる。
しかも、映った像は輪郭がゆるみ、色が沈む。
同じものを、はっきりした版とぼやけた版で並べられる。
水辺の絵が好んで描かれるのは、この効果のためでもある。
葦の細い葉が手前に立っているのも、効いている。
縦の線が何本も入ることで、水平の水面が引き締まる。
その葉には、青と緑と黒が使い分けられている。
近くの葉は濃く、奥の葉は淡い。
小さな部分だが、ここで奥行きが決まっている。
家族を描くこと
この一枚は、注文で描かれた絵ではないだろう。
題に「画家の妻」とあるとおり、身内を描いている。
売るための絵と、身内の絵は、性格が違う。
締め切りも、注文主の意向もない。
そのぶん、画家の関心がそのまま出る。
この絵で彼が関心を向けているのは、夕方の光である。
人物は小さく、顔もほとんど描かれていない。
家族の絵でありながら、肖像にはなっていない。
法廷という主題
六枚目から、絵の性格が変わる。

室内である。全体が褐色に沈んでいる。
左奥に、高い机がある。法廷の裁判官席だろう。
その上に、黒い法服を着た人物が数名並ぶ。
手前には、木の柵か仕切りがある。
その内側に、人が座っている。
左に男が二人、うつむき気味に腰かける。
右には、白い頭巾をかぶった女性がいる。
膝の上に、白い布に包まれたものを抱えている。
赤子だろうか。判別はしにくい。
笑わない絵
フォランは、この時期から法廷を繰り返し描いた。
風刺画家としての彼は、政治や社会を笑いの対象にしてきた。
しかし、これらの法廷画には笑いがない。
裁く側は高い場所にいて、顔が影になっている。
裁かれる側は低い場所で、身を縮めている。
その高低差だけで、力の関係が示される。
説明も、皮肉の一言も添えられていない。
風刺画では、必ず一言が付く。
その一言を外したとき、絵はこうなる、ということかもしれない。
高低差が、意味を作る
この絵の構図をもう少し見たい。
裁判官席は、画面の左上にある。
嘆願する人々は、右下にいる。
つまり、対角線の両端に配置されている。
画面を斜めに横切る線が、二つの立場を分けている。
その線は、木の柵によって物理的にも引かれている。
柵の内と外。上と下。明るい側と暗い側。
構図が、そのまま制度の形になっている。
こういう画面の作り方は、風刺画の得意分野である。
一目で構造が読めるように、要素を配置する。
もう一人の嘆願者
七枚目も、同じ系統の絵である。

緑の壁の部屋である。
壁には、額に入った絵が何点も掛かっている。
風景画らしきもの、肖像らしきもの。
中央に、卓がある。青い花瓶に花が生けてある。
その手前に、黒い衣の女性が立っている。
頭から足元まで、黒一色である。
顔だけが白く浮かんでいる。手に何かを持っている。
書類だろうか。あるいは手袋かもしれない。
女性は、こちらを向いて立ち尽くしている。
部屋の主が、いない
この絵で目を引くのは、不在である。
部屋は立派である。絵が掛かり、花が飾られている。
しかし、部屋の主らしき人物は描かれていない。
女性は、誰かを待っているように見える。
あるいは、面会を断られた直後かもしれない。
先ほどの法廷画と同じで、力を持つ側は画面にいない。
いないことで、かえって存在が強く感じられる。
黒い衣の重さが、この絵を支えている。
壁に掛かった絵
この部屋の壁には、絵が何点も掛かっている。
風景らしきもの、人物らしきもの、額の形もさまざまである。
絵を集めて壁に掛ける習慣は、当時の裕福な家に広く見られた。
つまりこの部屋は、経済的に余裕のある人の部屋である。
その部屋で、黒衣の女性が立ち尽くしている。
絵に囲まれた空間と、そこに立つ人の事情の落差。
その落差が、この一枚の要点だろう。
壁の絵は、いずれも中身が判別できない。
ぼんやりした色の面として置かれているだけである。
はっきり描けば、そちらに目が行ってしまう。
曖昧に留めることで、豊かさの気配だけが残る。
戦争のころの絵
最後の二点は、時代が下る。

暗い画面である。手前に人が数人集まっている。
女性と、子どもと、外套を着た男。
いずれも顔が暗く、うつむいている。
その後ろに、高い板の柵が立っている。
柵の向こうには、建物と煙突が見える。
煙突からは、煙が上がっている。
空は灰色と黄色が混ざり、濁っている。
何が起きているのかは、絵からは分からない。
分かるのは、人々が柵の外にいるということだけである。

こちらも暗い。褐色と灰色で埋まっている。
中央で、男が大きな白い包みを抱えている。
その男は、帽子をかぶり、外套を着ている。
左側には、女性と子どもがいる。
女性は手を伸ばし、包みのほうへ向けている。
背景には、煙のような灰色が渦を巻く。
題は《徴発》。物資を取り立てる場面である。
第一次世界大戦の前後に描かれたと記録されている。
笑いから、離れていく
九点を年代順に並べる。
1880年ごろ、1885年から90年、1891年ごろが二点、1896年。
そして1906年、1908年ごろ、1910年ごろ、1919年ごろ。
四十年の幅がある。
初期の絵には、まだ軽さがある。
劇場の裏も、競馬場も、見て面白い場面である。
後半になると、その軽さが消える。
法廷、嘆願、柵、徴発。
いずれも、力を持つ者と持たない者の場面である。
そして、色が暗くなる。
初期の水色や桃色は、後半には出てこない。
風刺の、行き着く先
最後に、この変化をどう見るかを書いておきたい。
風刺画は、笑いによって批判する形式である。
笑いは、対象との距離を作る。
距離があるから、こちらは安全な場所にいられる。
その距離をなくしたら、どうなるか。
批判の対象は残るが、笑いは消える。
残るのは、状況そのものの重さである。
後半の絵には、その重さだけがある。
これを成熟と呼ぶか、疲れと呼ぶかは、見る人次第だろう。
当方には、判断する材料がない。
ただ、九点を順に並べたとき、線がはっきり引ける。
同じ目が、同じ対象を見続けて、笑わなくなった。
その経過が、絵として残っている。
印刷される絵と、一点物の絵
もう一つ、この画家の立場について書いておきたい。
新聞や雑誌の絵は、何万部も印刷されて広まる。
翌日には捨てられるが、その日は大勢が目にする。
油彩の絵は、一点しかない。見る人はごく限られる。
その代わり、百年後にも残る可能性がある。
フォランは、この二つの世界を行き来していた。
同時代の影響力は、印刷のほうが圧倒的に大きかったはずである。
しかしいま残り、美術館に並んでいるのは油彩のほうだ。
当サイトが扱えるのも、その残ったほうである。
どちらがこの人の本業だったのかは、簡単には言えない。
生活を支えたのは印刷の仕事だったかもしれない。
けれども、笑いを外した絵を描き続けたのは油彩の側である。
九点を通して見えるのは、後者の歩みだけだ。
そのことも、承知したうえで見たほうがよいと思う。


