名画の楽しみ方

役割の欄に、かつての帰属とある——コプリーの作とされた肖像ほか

以前はこの人の作とされていた。九件の役割の欄には、取り消された名が残されている。消せば過去の資料とつながらなくなるからだ。取り消される名ほど有名である理由を読みたい。一枚の絵が、二つの番号を持つ件もある。

ジェイコブ・ハード
ウィリアム・ジョンストン《ジェイコブ・ハード》メトロポリタン美術館蔵

役割の欄に、かつての帰属とある

作品を九件、記録の欄で並べてみる。

作者の欄に、二人の名が並ぶ。

そして役割の欄に、こういう語が入る。

かつての帰属。

つまり、以前はこの人の作とされていた、という意味だ。

いまは違う人の作と考えられている。

館は、取り消された名を消していない。

新しい名と並べて、そのまま残している。

九件とも、この形である。

同じ館には、かつての帰属の名しかない作品もある。

いまの作者が分からない場合だ。

ここでは、新しい名を持つ九件を選んだ。

なぜ、取り消した名を残すのか

作者の判断は、変わる。

新しい資料が出れば、覆る。

そのとき、古い名を消してしまうとどうなるか。

過去の展覧会の図録や研究書と、名が食い違う。

読む人は、同じ作品だと気づけなくなる。

だから、古い名も残しておく。

役割の欄に、かつての帰属と書き添えて。

前の回の記事で、帰属の語の段階を何度も見てきた。

工房、追随者、周辺、に帰される。

それらは、いまの判断の強さを示す語だった。

かつての帰属は、時間の方向を示す語である。

ジェイコブ・ハード
ウィリアム・ジョンストン《ジェイコブ・ハード》1762年ごろ。かつてジョン・シングルトン・コプリーの作とされた。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦76.2センチ、横63.5センチ。番号は64.114.1。メトロポリタン美術館蔵。ウィリアム・ジョンストン《ジェイコブ・ハード》メトロポリタン美術館蔵

暗い背景に、男性が胸から上で描かれる。

顔はやや左を向き、こちらを見る。

髪は後ろへ撫でつけられ、白いものが混じる。

眉が太く、目のまわりに皺がある。

濃い青の上着に、金色の丸い釦が並ぶ。

釦は縦に一列と、袖口にも見える。

首もとに、白い襟が覗く。

左手を胸の前に上げる。

袖口から、白いレースが幾重にも出る。

指のあいだに、小さな紙を挟む。

紙には、細い線で文字が書かれている。

対の肖像に、同じ二人の名

九件のうち二件は、対になった肖像である。

一方が夫、他方が妻と子。

番号も、点のあとの数字が一つ違いである。

同じ年に、同じ経路で入っている。

そして、作者の欄も役割の欄もまったく同じだ。

いまの作者の名が一つ、かつての帰属が一つ。

二件が同時に、同じように判断し直されたのだろう。

対の作品では、こういうことが起きやすい。

一方の作者が変われば、他方も変わる。

前の回の記事で、対の品の扱いを何度も見てきた。

判断も、対で動く。

ジェイコブ・ハード夫人と子
ウィリアム・ジョンストン《ジェイコブ・ハード夫人と子》1762年ごろ。かつてジョン・シングルトン・コプリーの作とされた。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦76.2センチ、横63.5センチ。番号は64.114.2。メトロポリタン美術館蔵。ウィリアム・ジョンストン《ジェイコブ・ハード夫人と子》メトロポリタン美術館蔵

暗い背景に、女性と子どもが描かれる。

女性は椅子に座り、右を向く。

顔はこちらへ向けられる。

髪を後ろでまとめ、額を出す。

首に、黒いリボンを巻く。

リボンの中央に、小さな飾りが付く。

白い衣に、緑の上着を重ねる。

袖口に、レースが重なる。

その左に、幼い子が立つ。

白い帽子をかぶり、白い衣を着る。

腰に緑の帯を結ぶ。

手に、赤い実の付いた枝を持つ。

取り消される名ほど、有名である

九件のかつての帰属を並べてみる。

十八世紀のアメリカを代表する肖像画家。

十九世紀の風景画家。

イングランドの宮廷画家。

いずれも、よく知られた名である。

なぜ、有名な画家の名ばかりが取り消されるのか。

作者が分からない作品に名を付けるとき、有名な名が選ばれやすい。

似た様式であれば、その人の作と考える。

そして、値打ちも上がる。

後の調査で、別の人の作と分かる。

そのとき、有名な名が取り消される。

つまり、かつての帰属の欄は、期待の記録でもある。

館は、その期待も残している。

洪水の終わり
ジョシュア・ショー《洪水の終わり》1813年ごろ。かつてワシントン・オールストンの作とされた。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦122.6センチ、横167.6センチ。番号は09.14。メトロポリタン美術館蔵。ジョシュア・ショー《洪水の終わり》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。

上半分は、灰色の空が広がる。

雲は厚く、左上が暗い。

雲の切れ間から、光がわずかに差す。

空を、白い鳥が数羽横切る。

下半分は、荒れた海である。

波が右へ向かって砕ける。

波頭は白く、高く上がる。

手前の岸辺は、褐色の砂と岩である。

その上に、動物が横たわる。

倒れて動かない姿である。

画面全体が、褐色と灰色に沈む。

一枚の絵が、二つの番号を持つ

九件のうち二件は、同じ番号の枝で分かれている。

末尾がaとbである。

一方は肖像、他方は断片と書かれる。

もとは一枚の絵だったのだろう。

それが切られ、二つに分かれた。

館は、二つを別々に登録している。

そして、寸法の欄には同じ数字が並ぶ。

縦112.4センチ、横47センチ。

まったく同じである。

切り分けた二片が同じ大きさになることは、ありうる。

しかし、記録を写すときに片方の数字を使った可能性もある。

館は、そこを注記しない。

同じ数字が二度並んでいる、という事実だけが残る。

ベンジャミン・ウェスト
ジェームズ・グリーン《ベンジャミン・ウェスト》1818年。かつてベンジャミン・ウェスト自身の作とされた。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦112.4センチ、横47センチ。番号は95.22.6。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・グリーン《ベンジャミン・ウェスト》メトロポリタン美術館蔵

この一件の公開画像は、写真の写真である。

黒い地の中央に、白い縁の紙が写る。

その紙に、絵の複製が印刷されている。

複製の中では、男性が立っている。

白い髪を長く垂らし、黒い衣をまとう。

顔はやや右を向き、下を見る。

右手を、机の上に置く。

机の上に、白い紙が数枚ある。

背景は暗く、輪郭がぼける。

紙の下端に、細い文字の帯がある。

館の名と番号を記した札だろう。

複製を撮った写真が、そのまま公開されている。

写真の写真が、公開されている

いま見た一件の画像は、二重に写されている。

もとの絵を撮った写真があり、その写真を撮った画像がある。

なぜ、そうなるのか。

古い記録用の写真しか残っていないのだろう。

作品そのものが、いま撮影できる状態にないのかもしれない。

館は、あるものをそのまま公開している。

画像の質は落ちる。

しかし、何も出さないよりはよい。

前の回の記事で、白黒写真の作品を何度か見てきた。

九件のうち四件が、白黒の画像である。

いずれも、受入が古い。

撮り直す機会がないまま、時間が経っている。

肖像の断片
ジェームズ・グリーン《肖像の断片》1818年。かつてベンジャミン・ウェスト自身の作とされた。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦112.4センチ、横47センチ。番号は95.22.6。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・グリーン《肖像の断片》メトロポリタン美術館蔵

縦長の断片である。

白黒の写真で写される。

中央に、馬が一頭いる。

前脚を高く上げ、首をひねる。

たてがみが、風になびく。

口を開き、歯が見える。

目が大きく見開かれる。

背後は暗く、何があるか分からない。

下部に、別の形が重なる。

倒れた人物のようにも見える。

絵具のひび割れが、細かく走る。

銀器と陶器にも、同じ役割が使われる

九件のうち二件は、絵画ではない。

一つは銀の器、一つは焼き物の壺である。

作者の欄には、作った人の名がある。

そして、かつての帰属の名が並ぶ。

絵画と同じ形式で書かれている。

銀器には、作り手の刻印が押される。

その刻印を読み間違えれば、別人になる。

後に読み直され、名が変わる。

焼き物でも、同じことが起きる。

館は、どちらも同じ欄の形で記録する。

分野をまたいで、記録の形式が共通している。

前の回の記事で、その共通性について何度も書いてきた。

両手付きの杯
ジャン・ガヴェイ《両手付きの杯》1730年から1745年。かつてジョゼフ・ゴールドスウェイトの作とされた。館の記録では、銀。高さ7.6センチ、幅16.5センチ、重さ約140グラム。番号は33.120.229。メトロポリタン美術館蔵。ジョゼフ・ゴールドスウェイト《両手付きの杯》メトロポリタン美術館蔵

低い円筒形の器である。

胴はまっすぐで、上端がわずかに開く。

両側に、把手が付く。

把手は細い帯で、渦を巻いて上下につながる。

上の渦は大きく、下の渦は小さい。

胴の正面に、細い文字が横に刻まれる。

三文字ほどの略記である。

持ち主の頭文字だろう。

銀の面は磨かれ、光を鈍く返す。

面には、小さな傷が無数にある。

使われてきた跡である。

底に近い部分が、わずかに膨らむ。

重さが、古い単位で書かれる

いま見た一件の寸法の欄には、重さがある。

しかも、二つの単位で書かれている。

一つは、いまも使われる重さの単位。

もう一つは、銀の取引で使われた古い単位である。

館は、両方を並べて書く。

古い単位で書かれた記録が、元にあるのだろう。

それを換算しつつ、元の数字も残す。

前の回の記事で、二つの単位を併記する記録を何度も見た。

換算のときに誤りが入ることもある。

それでも、元の数字を残すほうがよい。

残さなければ、元の記録に戻れなくなる。

寸法の欄に、四つの数字が並ぶ

九件のうち一件の寸法の欄は、形が崩れている。

数字が四つ、記号でつながれている。

高さ、幅、奥行き、そしてもう一つ。

四つ目が何を指すのか、書かれていない。

口の直径かもしれない。

底の直径かもしれない。

あるいは、三つ書くつもりが一つ多く入ったのかもしれない。

館は、注記を置いていない。

読む側には、判断できない。

前の回の記事でも、寸法の欄の傷を何度か見てきた。

数字は、意味を持たないぶん誤りに気づかれにくい。

九件を並べて、はじめてこの一件が浮いて見える。

壺
トーマス・W・コメロー《壺》1796年から1819年。かつてデイヴィッド・モーガンの作とされた。館の記録では、炻器。高さ24.1センチ。番号は18.95.13。メトロポリタン美術館蔵。トーマス・W・コメロー《壺》メトロポリタン美術館蔵

丸くふくらんだ壺である。

胴は下でふくらみ、上へすぼまる。

口は短く、外へ開く。

肩の両側に、小さな把手が付く。

把手は青く塗られる。

肩には、文字が横一列に刻まれる。

地名らしい語である。

胴の正面に、青い草花が描かれる。

花は丸く、いくつも重なる。

葉は細長く、左右に広がる。

青は濃く、地の灰色とよく分かれる。

表面には、焼きむらが茶色く残る。

出所の行が、九件でほぼ違う

九件の出所の行を並べると、七つの経路になる。

同じ経路から二件ずつ来た組が、二つある。

いずれも、対や断片として関係の深い作品どうしだ。

寄贈が四件、基金による購入が四件、遺贈が一件。

匿名の寄贈という書き方が、二件に出てくる。

一方はそのままの寄贈、他方はそれを原資とした購入である。

受入の年は、1895年から1964年まで。

七十年のあいだに、九件が集まった。

そして、九件のすべてが北米の部門に属する。

作られた場所は、必ずしも北米ではない。

イングランドで描かれた肖像も含まれる。

部門の分け方は、作られた場所だけで決まらない。

その土地の歴史に関わるかどうかで決まる。

前の回の記事で、部門の分け方に複数の原理が混ざる話を書いた。

ここでも、同じことが起きている。

技法の欄に、疑問符が入る

九件の技法の欄を読むと、一件に疑問符がある。

木炭、と書いたすぐあとに括弧で疑問符。

木炭かもしれないが、確実ではない。

顔料の同定は、見ただけでは難しい。

分析すれば分かるが、していないのだろう。

分からないことを、分からないままにする。

作者の欄でも、同じ姿勢が取られている。

かつての帰属という語も、留保の一種である。

いま分かっていることと、以前分かっていたこと。

その両方を並べる。

前の回の記事で、技法の欄の疑問符を何度か見た。

欄が違っても、記録の態度は一貫している。

素描にも、かつての帰属がある

九件のうち一件は、素描である。

黒い顔料と白い顔料で描かれた横顔だ。

作者の欄には、いまの作者の名がある。

そして、かつての帰属として別の名が並ぶ。

その名は、当時よく知られた肖像の描き手である。

同じ工房で働いていた人だろう。

工房の仕事を、主の名で呼ぶことは多い。

後に、実際に描いた人が特定された。

館は、両方の名を残している。

前の回の記事で、工房の名が作者の欄に入る例を見た。

こちらは、工房の主の名が、かつての帰属に回っている。

クリントン知事
トマ・ビュジェ・ド・ヴァルドニュイ《クリントン知事》1797年ごろ。かつてシャルル・バルタザール・ジュリアン・フェヴレ・ド・サン=メマンの作とされた。館の記録では、コンテ、木炭、白亜。縦54.6センチ、横36.5センチ。番号は40.167.1。メトロポリタン美術館蔵。トマ・ビュジェ・ド・ヴァルドニュイ《クリントン知事》メトロポリタン美術館蔵

白黒の写真で写される。

淡い地に、男性の横顔が描かれる。

顔は左を向き、胸から上が入る。

額が広く、鼻がまっすぐである。

口は結ばれ、顎が丸い。

髪は白く、後ろで束ねられる。

束ねた髪が、首の後ろに垂れる。

首もとに、白い襟が立つ。

上着は明るい灰色で、輪郭だけが引かれる。

顔の部分だけが、細かく描き込まれる。

背景は、白いまま残される。

紙の縁に、汚れと折れが見える。

名が一つしか残らない場合

同じ館には、かつての帰属の名だけを持つ作品がある。

新しい作者が特定されていない場合だ。

判断が取り消され、次の判断がまだない。

作者の欄が、空になるはずのところである。

しかし館は、取り消された名だけを置く。

読む人は、少なくとも手がかりを得られる。

その画家の周辺で描かれた可能性は、残っている。

何も書かなければ、その手がかりも消える。

九件では、いずれも新しい名が付いている。

つまり、判断が二段階まで進んだ作品である。

一段階で止まっている作品のほうが、実は多い。

作られた年は、変わらない

作者の名が変わっても、年の欄はふつう変わらない。

九件の年の欄を見ると、いずれも幅を持って書かれている。

1720年から1730年ごろ。1796年から1819年。

1730年から1745年。

年に幅があるのは、様式から推定しているからだ。

作者が変われば、その推定も変わるはずである。

しかし、九件では年の書き方に大きな差がない。

作者が変わっても、時代の判断は動かなかったのだろう。

似た様式の別人に移っただけだからだ。

かつての帰属の名と、いまの名は、同じ時代の人である。

九件のうち八件で、そうなっている。

前の回の記事で、模倣者の年について書いた。

あちらは、年が数百年ずれていた。

こちらは、ずれていない。

同じ時代の中で、名だけが移っている。

受入の年と、判断の年

九件の受入の年を並べてみる。

1895年、1909年、1918年、1933年。

1940年、1954年、1964年が二件。

七十年に散らばる。

一方、作者の判断が変わった年は、記録に書かれない。

受け入れたときの名なのか、後で変わった名なのか。

それが分からない。

かつての帰属という語は、時間の前後を示す。

しかし、いつ変わったかは示さない。

年の欄を持たない情報である。

前の回の記事で、修復の年が書かれる例を見た。

作品への処置には年が付き、判断の変更には付かない。

その差は、興味深い。

男性の肖像
ゴドフリー・ネラー《男性の肖像》1720年から1730年ごろ。かつてジョン・スマイバートの作とされた。館の記録では、カンヴァスに油彩。縦125.2センチ、横99.8センチ。番号は54.196.1。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・スミバート《男性の肖像》メトロポリタン美術館蔵

白黒の写真で写される。

男性が椅子に座り、こちらを見る。

大きな鬘をかぶる。

巻き毛が、肩まで幾重にも垂れる。

顔は明るく、目が大きい。

上着は暗く、前が開く。

その下に、明るい色の胴着が見える。

胴着には、小さな釦が縦に並ぶ。

袖口から、白いレースが出る。

右手を腰に当て、左手に本を持つ。

背景の左に、厚い布が垂れる。

布の襞が、深い影を作る。

白黒の四件が、いずれも古い受入

九件のうち、公開画像が白黒なのは四件である。

いずれも十九世紀末から二十世紀なかばの受入だ。

一方、彩色の画像を持つ五件も、同じ時期に散らばる。

受入が古いほど白黒だ、とは言い切れない。

つまり、撮り直された作品と、そうでない作品がある。

どちらが撮り直されるかは、展示の機会によるだろう。

展示されれば、撮影の機会が生まれる。

館の記録は、そこには触れない。

画像の質の差が、見えない事情を映している。

名を消さないという判断

九件を並べ終えて、この欄の意味を考えたい。

取り消された名を残すことには、危険もある。

読む人が、いまも有効な名だと誤解しかねない。

役割の欄を読み飛ばせば、二人の作に見える。

それでも、館は残す。

消せば、過去の記録との接続が切れるからだ。

美術館の記録は、その時点の判断の集積である。

判断は変わる。

変わったことまで含めて、記録する。

前の回の記事で、記録が書き換えられる話を何度か書いてきた。

書き換えの跡を残すか、消すか。

その選択が、この欄に表れている。

九件の記録は、いずれも残すほうを選んでいる。

役割の欄に置かれた短い一句が、これだけのことを含んでいる。

かつて、という一語が、記録に時間の層を作る。

層が見えるから、いまの判断も暫定だと分かる。

暫定であることを示すのが、この欄の役目である。

最後に、この九件を並べて何が見えたかを書いておく。

見えたのは、作品ではなく、判断の履歴である。

誰の作かという問いに、館は二度答えている。

一度目の答えを消さずに、二度目を書く。

消さないから、比べられる。

比べられるから、三度目があることも分かる。

美術館の記録は、完成した答えの一覧ではない。

問いが立ち、答えが出て、また問い直される。

その途中経過が、欄の中に折り重なっている。

折り重なりを読むには、欄の名を読むしかない。

役割の欄は、そのためにある。

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