ほとんど白い頁も、残す——トマス・ヒューズ・ヒンクリー
犬と鼠を描いた油彩二枚に、同じ写生帖から外された七葉を添える。鹿の素描もあれば、線が数本しかない頁もある。完成品と、その手前。美術館は白い紙も収蔵し、寸法と紙の色まで記録している。帖のまま残ったからこそ、頁ごとの差が見える。密な頁と、白い頁。

岩陰の犬たち
一枚の大きな絵から始めたい。

横長の画面である。
中央に、大きな岩がある。
その手前に、犬が二匹。
一匹は毛が長く、明るい茶。
もう一匹は黒と白である。
岩の上に、兎が横たわる。
そして、その脇に銃が置かれる。
左奥にも、犬が二匹見える。
何を描いた絵か
題は、兎を狩る者たちを意味する。
つまり、狩りの場面である。
そして、描かれているのは犬である。
人は、いない。
人のいない狩り
狩りの絵で、人を描かない。
これは、選択である。
主役は、犬と獲物である。
つまり、動物を描くための絵である。
岩という中心
中央の岩を見たい。
大きく、灰色である。
そして、画面の高さの半分ほどを占める。
つまり、構図の中心にある。
犬も、獲物も、その周囲に配置される。
獲物の扱い
岩の上の兎を見たい。
横たわり、動かない。
つまり、すでに死んでいる。
そして、脚が垂れる。
狩りの絵では、避けられない描写である。
当サイトも、見えるとおりに書く。
銃という道具
岩に立てかけられた銃を見たい。
長い筒と、木の台。
そして、暗い色である。
人はいないが、道具はある。
つまり、人はすぐそばにいる。
左奥の二匹
左奥にも、犬がいる。
暗い色で、小さく描かれる。
そして、輪郭が曖昧である。
つまり、手前の二匹と描き方が違う。
近くを細かく、遠くを粗く。
犬の毛
手前の犬を見たい。
長い毛が、細い線で描かれる。
そして、明るい茶と白が混ざる。
一本ずつではないが、束としては描き分けられている。
動物画家の腕の見せどころである。
背景の風景
左奥を見たい。
丘と、木立が広がる。
そして、空に雲がある。
つまり、屋外である。
背景は、人物画より広い。
木の幹
岩の右上に、太い幹がある。
そして、樹皮の割れ目が線で示される。
つまり、細部が描き込まれている。
背景でありながら、手を抜いていない。
光の向き
明るい部分を追いたい。
岩の上面と、左奥の丘が明るい。
そして、犬の背にも光が当たる。
つまり、光は左上から来ている。
大きな画布
寸法を見たい。
縦101.6センチ、横137.8センチ。
つまり、かなり大きい。
動物の絵としては、堂々とした寸法である。
一九四三年の寄贈
来歴を見たい。
館の記録では、一九四三年の寄贈である。
つまり、二枚の油彩のうち先に館へ入った。
もう一枚は、四十年近く後になる。
一八五〇年という年
制作年は、一八五〇年である。
作者は一八一三年生まれと記録される。
つまり、三十七歳ごろの仕事である。
そして、一八九六年に没している。

納屋の中
二点目は、室内である。
奥に、大きな樽が二つ。
そして、その手前に麦の束。
犬が三匹、麦に群がる。
一匹は、口に何かをくわえる。
床は、藁が散る。
背景は、暗い。
何が起きているか
画面の中央を見たい。
犬が、口に小さなものをくわえる。
そして、その体は暗い。
つまり、捕らえた鼠だろう。
農作業の場では、日常の光景である。
鼠を、追う
題によれば、麦の束のなかの鼠である。
つまり、犬が鼠を追っている。
そして、一匹が捕らえている。
農家では、日常の作業だった。
樽という背景
奥の樽を見たい。
木の板を輪で締めた形である。
そして、上に別の樽が重なる。
つまり、貯蔵の場である。
農作業の場所が、背景になっている。
熊手という道具
左奥に、細長い柄が立てかけてある。
先に、爪が並ぶ。
つまり、熊手だろう。
道具が、場所の性格を示す。
麦の束
床の麦を見たい。
黄色い茎が、束にされる。
そして、細い線で一本ずつ示される。
犬の毛と同じく、線の集まりで質感を作る。
三匹の描き分け
犬を見比べたい。
左の一匹は、黒と白。
中央は、黒と茶。
そして、右は明るい茶。
つまり、毛の色で描き分けている。
尻尾の向き
三匹の尻尾を見たい。
いずれも、上へ跳ね上がる。
つまり、興奮している。
姿勢の細部が、動物の状態を語る。
動きの瞬間
三匹の姿勢を見たい。
いずれも、前脚を伸ばして低く構える。
つまり、追っている最中である。
静止した絵で、動きを示す。
暗い背景
背景を見たい。
ほとんど黒に近い。
そして、麦と犬だけが明るい。
明暗の差で、視線を集める。
一点目の屋外とは、対照的である。
一九八二年の寄贈
来歴を見たい。
館の記録では、一九八二年の寄贈である。
そして、ある人物を記念する寄贈とされる。
記念の形で作品が館へ渡ることは多い。
二枚の年
一点目が一八五〇年、二点目が一八五一年。
つまり、続けて描かれている。
そして、いずれも犬が主役である。
誰が買ったか
動物画を買うのは、どういう人か。
まず、狩りをする人である。
そして、犬を飼う人。
つまり、描かれた対象に親しむ人々である。
肖像と同じく、注文の絵でもあった。
動物画という分野
動物を主役にする絵は、十九世紀に流行した。
犬、馬、牛、鹿。
そして、狩りの場面。
つまり、需要のある分野だった。

写生帖の一葉
三点目から、性格が変わる。
油彩ではなく、素描である。
そして、写生帖の一葉である。
紙に、黒鉛で描かれている。
黒鉛という材料
技法欄を見たい。
黒鉛とある。
つまり、鉛筆である。
線の濃さは、力の入れ方で変わる。
そして、消すことができる。
写生に向いた材料である。
一枚に、六つの絵
画面を見たい。
左上に、立つ鹿が二頭。
右上に、横たわる鹿。
中央に、鹿の頭部。
下に、横たわる鹿の全身。
そして、右下に枯木。
つまり、六つの絵が同じ紙にある。
余白の使い方
配置を見たい。
絵と絵のあいだに、余白がある。
そして、向きもばらばらである。
つまり、計画して並べたのではない。
思いついた順に、空いた場所へ描いている。
頭部の素描
中央の鹿の頭を見たい。
耳、目、鼻の順に線が置かれる。
そして、首まで描いて止まる。
つまり、部分だけを写している。
全身を描く必要がないときもある。
横たわる鹿
横たわる鹿を見たい。
脚が伸び、首が垂れる。
つまり、死んだ鹿だろう。
狩りの後に描いたのかもしれない。
動物を、観察する
なぜ、死んだ動物を描くのか。
動かないからである。
生きた鹿は、じっとしていない。
だから、細部を写すには都合がよい。
枯木の一つ
右下の枯木を見たい。
枝が四方に伸びる。
そして、葉がない。
つまり、冬か、あるいは枯れた木である。
動物とは無関係の対象も、同じ紙に描かれる。
油彩の下準備
写生帖の絵は、油彩の下準備でもある。
まず、実物を見て写す。
そして、画室でそれを使う。
一点目、二点目の犬も、そうして描かれたのだろう。
ほとんど白い紙
四点目は、変わった一葉である。

画面のほとんどが、白い。
そして、上部に二つの小さな絵がある。
左は、座る人物。
右は、横たわる鹿。
それ以外は、何も描かれていない。
頁の向き
二つの絵の向きを見たい。
いずれも、紙の上部に寄っている。
そして、下は空いている。
つまり、帖を開いて上から描き始めた。
手の動きが、配置に残る。
空白という記録
なぜ、これほど空いているのか。
途中で止めたのだろう。
あるいは、時間がなかったのかもしれない。
理由は、記録にない。
未完の頁も、収蔵される
ほとんど白い紙も、収蔵品である。
そして、寸法も技法も記録される。
つまり、完成度で選ばれていない。
写生帖は、一冊として意味を持つ。
頁ごとに、番号が付く
画像の右下に、小さな文字がある。
整理番号だろう。
つまり、頁ごとに管理されている。
人を、描く
写生帖には、人物も現れる。
動物画家でも、人を写す。
つまり、目に入ったものを描いている。
主題を選んでいない。
座る人物
左の小さな絵を見たい。
人が、地面に座る。
そして、体を丸める。
つまり、休んでいる姿勢である。
数本の線で描かれている。
一九九二年の購入
七枚の来歴を、まとめておきたい。
いずれも、一九九二年の購入である。
そして、同じ基金と寄付による。
つまり、帖ごとまとめて館へ入った。
少ない線で、示す
この小さな絵は、線が少ない。
輪郭と、わずかな影だけである。
しかし、姿勢は分かる。
つまり、必要な線だけが引かれている。
写生の速さが、そこに出る。

湖の景
五点目は、風景である。
画面の中央に、岩が突き出る。
そして、その上に木が数本立つ。
左右には、水面が広がる。
奥に、対岸の木立が見える。
岩の描き方
中央の岩を見たい。
輪郭が、太い線で引かれる。
そして、内側に短い線が並ぶ。
つまり、影を線の集まりで示す。
黒鉛の基本的な使い方である。
動物画家の風景
この一葉には、動物がいない。
つまり、風景だけを描いている。
写生帖には、こうした頁も混ざる。
主題を限らずに描いている。
中央に、重心を置く
構図を見たい。
岩と木が、画面の中央にある。
そして、左右は水面である。
つまり、中心が重い。
安定した構図である。
木の枝
岩の上の木を見たい。
細い枝が、上へ伸びる。
そして、葉が点で示される。
一枚ずつは描かない。
水面の描き方
水面を見たい。
ほとんど描かれていない。
紙の白が、そのまま水になる。
つまり、引き算である。
描かないことで、水を示す。
一八六四年という年
題にも、記録にも、一八六四年とある。
つまり、年が確定している。
写生帖の頁には、日付を書き込むことがある。
だから、年代が分かる。
旅の順序
写生帖の頁は、旅の順に並ぶことが多い。
つまり、めくれば道筋が分かる。
もっとも、七枚だけでは順序は分からない。
館の記録も、頁の順を示していない。
場所の名
題には、山地の名がある。
つまり、どこで描いたか分かる。
写生帖は、旅の記録でもある。

技法が、違う
六点目は、技法欄が長い。
黒鉛だけではない。
インクの淡彩と、グワッシュが加わる。
つまり、色材が使われている。
インクの淡彩
インクの淡彩にも触れたい。
薄めたインクを、筆で広く塗る。
そして、影の面を作る。
線ではなく、面で描く方法である。
グワッシュという材料
グワッシュについて、補いたい。
水で溶く絵の具である。
そして、白を混ぜて不透明にする。
つまり、明るい部分を後から描き足せる。
紙の白に頼らなくてよくなる。
山あいの眺め
画面を見たい。
左に、木立の生えた斜面。
そして、右奥に山が連なる。
中央には、谷が開ける。
つまり、高い場所から見下ろしている。
谷という主題
題には、谷を意味する語が入る。
つまり、山あいの地形である。
そして、その地形が絵の主題になっている。
人も、動物もいない。
奥行きの作り方
遠近を見たい。
手前の木は、濃く細かい。
そして、奥の山は淡い。
つまり、濃さの差で距離を示す。
黒鉛一色でも、遠近は作れる。
紙の色
技法欄には、紙の色も記される。
オフホワイトの網目紙とある。
つまり、白に近い紙である。
三点目と四点目は、ベージュの紙だった。
三つの材料を、使い分ける
この一葉では、三つの材料が使われる。
黒鉛で輪郭を引く。
インクの淡彩で、影を広く置く。
そして、グワッシュで明るい部分を足す。
つまり、工程がある。
写生帖の中でも、手をかけた頁である。
紙の色を、選ぶ
なぜ、紙の色を変えるのか。
色の付いた紙は、中間の明るさになる。
そして、白を足せば明るい部分が作れる。
つまり、明暗の幅が広がる。
当サイトの
青い紙に、枯れた季節をでも、
同じ工夫に触れた。
緑の紙
七点目は、紙の色がさらに違う。

技法欄には、緑に染めた紙とある。
つまり、緑の紙に描いている。
もっとも、公開画像はほとんど無彩色である。
だから、緑がどの程度かは分からない。
緑の紙という選択
なぜ、緑の紙を使うのか。
風景の中間の色に近いからである。
そして、黒鉛の線が沈みすぎない。
もっとも、これは推測である。
館の記録は、理由を示していない。
山の稜線
画面を見たい。
中央から左へ、山の斜面が下る。
そして、その麓に木立がある。
右には、なだらかな線が伸びる。
つまり、山と谷の形を捉えている。
一本の線で、示す
稜線を見たい。
一本の線で、引かれている。
そして、途中で切れる箇所もある。
つまり、迷いのない線である。
写生では、速さが要る。
左右の広がり
画面の横幅を見たい。
稜線が、左端から右端まで届く。
つまり、横に広い眺めである。
題にある山の名も、その広がりを示す。
密度の差
画面を見比べたい。
木立の部分は、線が密である。
そして、山の上部は、線がほとんどない。
つまり、力の入れどころを選んでいる。
書き込みの文字
画面の右下に、文字が見える。
地名と年だろう。
つまり、その場で書き込んでいる。
写生帖は、記録の道具でもある。

滝の一葉
八点目は、密度が高い。
中央に、岩の重なりがある。
そして、そのあいだを水が落ちる。
左右には、木の幹が立つ。
上部にも、枝が広がる。
つまり、画面いっぱいに描き込まれている。
岩の重なり
中央の岩を見たい。
いくつもの塊が重なる。
そして、そのあいだに隙間がある。
つまり、複雑な形である。
一本の線では、示せない。
線の量
七点目と比べたい。
七点目は、線が少ない。
そして、八点目は線が多い。
同じ写生帖でも、頁によって差が大きい。
時間の差
線の量は、時間の差でもある。
短時間なら、輪郭だけ。
時間があれば、細部まで。
つまり、その日の条件が紙に残る。
木の幹の線
左右の幹を見たい。
垂直に立ち、樹皮が線で示される。
そして、上部で枝に分かれる。
つまり、画面を縦に区切る役目もある。
水の描き方
滝の水を見たい。
線が、縦に流れる。
そして、下部で乱れる。
つまり、落ちて砕ける様子である。
黒鉛だけで、水の動きを示している。
バフ色の紙
技法欄には、バフ色の紙とある。
つまり、黄みがかった紙である。
写生帖には、色の違う紙が混ざっている。
もっとも、公開画像は無彩色に近い。

ほとんど、何もない紙
九点目は、四点目よりさらに薄い。
画面には、細い線が数本あるだけである。
そして、上部に稜線らしき線が横切る。
右上と下部に、小さな文字が見える。
つまり、ほとんど白い紙である。
文字の書き込み
右上と下部に、文字がある。
日付か、地名だろう。
つまり、絵より先に文字を書いた可能性もある。
もっとも、読み取れない。
見えるものが、少ない
この一葉から、何が読めるか。
まず、稜線を引こうとしたことである。
そして、それ以上進まなかったこと。
つまり、始まりだけが残っている。
題は《山のパノラマ》
題には、山の眺めとある。
つまり、館の記録はそう読んでいる。
薄い線から、そう判断したのだろう。
当サイトも、その記録を伝える。
薄い線を、どう扱うか
黒鉛の線は、薄いと写真に写りにくい。
そして、公開画像では消えかかる。
実物では、もっと見えるのかもしれない。
だから、当サイトは断定を避ける。
九点の内訳
九点をまとめたい。
油彩が二枚、素描が七枚。
そして、素描はすべて同じ写生帖からである。
寸法も、七枚すべて24.8センチ掛ける35.2センチ。
帖から、外される
写生帖は、一冊のまま残るとは限らない。
頁が外され、一枚ずつ売られることもある。
この七枚も、一枚ずつ番号が付いている。
つまり、いまは個別に管理されている。
一冊の帖
七枚が同じ寸法なのは、同じ帖だからである。
そして、同じ年に館へ入っている。
一九九二年の購入である。
つまり、帖ごと収蔵された。
帖のまま、残る意味
写生帖が一冊として残るのは、貴重である。
一枚だけでは、比較ができない。
七枚あれば、頁ごとの差が見える。
密な頁と、白い頁。
風景の頁と、動物の頁。
何を描いたか
七枚の主題を並べたい。
鹿が二枚、風景が五枚。
つまり、風景のほうが多い。
動物画家として知られた人が、風景を多く写している。
完成品と、その手前
最後に、二枚の油彩へ戻りたい。
犬と、麦と、樽。
いずれも、細部まで描き込まれている。
その手前に、七枚の写生帖がある。
見えない工程
美術館に並ぶのは、たいてい完成品である。
しかし、その前には長い工程がある。
外へ出て、実物を見て、紙に写す。
そして、画室でそれを組み立てる。
九点は、その両端を同時に見せてくれる。
ほとんど白い紙も、その工程の一部である。



