青い紙に、枯れた季節を——ジャーヴィス・マッケンティー
葉の落ちた木、対岸の湖、低い光。緑の盛りではなく、枯れた季節ばかりを選んだ画家の写生帖である。中間色の青い紙を使う工夫を含め、帖のまま撮影された九点を順に見ていく。紙の色が、そのまま画面の中間の調子として働いている。落とした葉の一枚まで線で追う。

葉の落ちた木
一枚の油彩から始めたい。

横に長い画面である。
中央に、大きな木が二本立つ。
葉はほとんど落ちている。
細い枝が、空へ向かって広がる。
その左に、浅い水たまりがある。
水面には、空が映る。
水辺には、人が数人立つ。
赤い衣の人物が、二人見える。
手前の地面は、枯れた草で覆われる。
空は灰色と黄土で、雲が低い。
季節は、晩秋か初冬だろう。
枯れた季節を、選ぶ
この画家の絵には、葉の落ちた木が多い。
緑の茂った夏ではなく、枯れた季節を選ぶ。
理由はいくつか考えられる。
まず、枝の形がよく見える。
葉に隠れず、構造が露わになる。
次に、色が抑えられる。
茶と灰と黄土だけで、画面が作れる。
そして、静かな気配が生まれる。
十九世紀後半の米国では、こうした絵に需要があった。
描いた人について
ジャーヴィス・マッケンティーは、一八二八年に生まれた。
ニューヨーク州ロンダウトの出身である。
一八九一年に、同じ町で没した。
ハドソン川流域の画家の一人である。
風景画を主に描いた。
そして、日記を長く書き続けたことでも知られる。
その日記は、当時の画壇の記録として使われている。
つまり、絵と文章の両方を残した人物である。
九点の構成
今回の九点は、三つに分かれる。
油彩が二点。
写生帖の頁が六点。
そして、大きめの素描が一点。
写生帖の頁は、いずれも同じ帖から出ている。
一八六八年から一八七〇年にかけての旅の記録である。
つまり、イタリアと米国の両方が含まれる。
一冊の帖が、二つの大陸をまたいでいる。
帖のまま、撮影する
二点目から、写生帖の頁になる。

画像には、開かれた帖が写っている。
左右に、二頁が並ぶ。
紙の束の厚みも見える。
つまり、綴じられた状態のままである。
左の頁には、水面と遠くの山が描かれる。
右の頁には、木立と丘が続く。
二頁にまたがって、景色が続いている。
下部には、日付らしき書き込みがある。
青い紙に描く
技法欄に注目したい。
鉛筆と白のグワッシュ、青い紙とある。
つまり、紙が青い。
そこへ、鉛筆で形を取る。
そして、白い絵具で明るい部分を置く。
紙の青が、中間の調子になる。
暗い部分は鉛筆、明るい部分は白。
三段階の調子が、少ない手数で作れる。
前回の記事で扱った画家も、同じ方法を使っていた。
中間色の紙という工夫
白い紙に描く場合、明るい部分は紙のまま残す。
しかし、それでは紙より明るくできない。
青や灰の紙なら、白を足して明るくできる。
つまり、明暗の幅が広がる。
戸外の写生では、この幅が要る。
強い日差しと、深い影を同時に記録するからである。
白い紙では、その差が出せない。
材料の選択が、記録の精度を左右する。
湖の対岸を、描く
三点目も、写生帖の頁である。

左の頁に、建物の群れが描かれる。
塔のような形が、いくつも立つ。
その手前に、水面が広がる。
右の頁には、山の稜線が長く伸びる。
線は薄く、白い絵具が点々と載る。
二頁で、湖の一方の岸から他方までを収めている。
つまり、横に長い景色を、見開きで受け止めている。
日付が書き込まれている。
日付が、旅程を語る
六点の写生帖の頁には、いずれも日付がある。
一八六八年十一月十二日。
一八六九年五月一日。
五月十一日、五月十二日。
そして、一八七〇年六月二十六日。
つまり、二年近くにわたる。
その間に、ローマ近郊から北イタリアの湖へ移り、米国へ戻っている。
一冊の帖が、その全部を記録している。
湖水地方の五月
一八六九年五月の日付が、三点ある。
一日、十一日、十二日。
いずれも、北イタリアの湖の風景である。
つまり、その時期に湖水地方を回っている。
五月は、この地域の景色がよい季節である。
雪の残る山と、緑の湖岸が同時に見える。
十九世紀の画家にとって、定番の行き先だった。
水彩を、少しだけ加える
四点目は、技法が増える。

左の頁には、湖に浮かぶ島が描かれる。
島の上には、建物が並ぶ。
右の頁にも、別の島がある。
こちらは、建物が密集している。
背後には、山の稜線が続く。
技法欄には、水彩が加わっている。
つまり、色が置かれている。
もっとも、画像では色は控えめである。
薄い青と、わずかな褐色だろう。
色を、どこまで記録するか
写生帖に色を入れるかどうかは、判断である。
色を入れれば、記録は詳しくなる。
しかし、時間がかかる。
そして、絵具と水と筆を持ち歩く必要がある。
鉛筆と白の絵具だけなら、荷物は軽い。
六点のうち、水彩が使われているのは二点だけである。
残りは、鉛筆と白だけである。
つまり、必要なときだけ色を足している。
五月十一日と、十二日
五点目は、その前日の頁である。

左の頁には、山と丘が描かれる。
右の頁には、湖岸の村がある。
建物が集まり、その背後に山が重なる。
水面には、小さな舟が一艘。
線は細く、白い絵具が屋根と水面に置かれる。
前日と翌日の頁が、両方残っている。
つまり、同じ湖を二日続けて描いている。
場所を変えながら、繰り返し見ている。
同じ場所を、繰り返す
二日続けて同じ湖を描くのは、なぜか。
一つは、天気と光が変わるからである。
同じ場所でも、日が変われば見え方が違う。
もう一つは、位置を変えているからである。
湖岸を移動すれば、島の見え方が変わる。
つまり、複数の視点から記録している。
後で絵に起こすとき、どの角度を使うか選べる。
写生は、選択肢を増やす作業でもある。
雲だけを描く
六点目は、対象が空だけである。

画面には、雲だけが描かれる。
地平線も、山も、木もない。
青い紙の上に、白い絵具が置かれる。
雲は横に流れ、上部でちぎれる。
下部には、細い横の線が並ぶ。
遠くの雲だろう。
技法欄には、白のグワッシュとだけある。
つまり、鉛筆すら使っていない。
白い絵具の一色である。
一色で、雲を描く
青い紙の上に、白を置く。
それだけで、雲になる。
厚く置けば、明るい雲。
薄く置けば、薄い雲。
そして、置かない場所が空になる。
つまり、紙の青がそのまま空の色である。
この方法は、雲の記録に非常に向いている。
雲は、明るい部分と暗い部分の集まりだからである。
輪郭線は、必要ない。
空を、記録する必要
風景画家にとって、空の記録は重要である。
画面の半分近くを、空が占めることもある。
そして、空は最も速く変わる。
だから、見たときに素早く写す。
当サイトの
空を描くということや
紙に描いた、空だけの絵でも、この主題を扱った。
十九世紀の風景画家には、空の習作を残した人が多い。
マッケンティーも、その一人である。
白い絵具の置き方
六点の白の置き方を、見比べてほしい。
点として置いたもの、線として引いたもの、面として塗ったもの。
雲は面、水面の反射は線、屋根や壁は点である。
つまり、対象によって置き方を変えている。
白い絵具は、青い紙の上で最も目立つ。
だから、どこに置くかで画面の焦点が決まる。
置きすぎれば、画面が白く濁る。
置かなければ、暗いままである。
その加減が、この技法の要である。
帖の寸法
写生帖の一頁は、縦11.4センチ、横22.9センチである。
つまり、横に長い。
見開きにすれば、横46センチ近くになる。
風景を描くには、都合のよい比率である。
そして、閉じれば手に収まる。
上着の内側にも入る大きさだろう。
旅先で持ち歩くには、この寸法が合う。
前回扱った別の写生帖より、さらに横長である。
用途に応じて、帖の形が選ばれている。
米国に戻ってから
七点目は、場所が米国に戻る。

左の頁には、岩と水辺が描かれる。
線は薄く、形だけを取っている。
右の頁には、木立が密に描かれる。
細い幹が何本も立ち、上へ伸びる。
その根元に、岩と倒木がある。
線は濃く、密である。
左右で、描き込みの量がまったく違う。
同じ見開きの中で、力の入れ方が変わっている。
描き込みの差
見開きの左右で、密度が違う。
これは、写生帖ではよくある。
一つの頁を描き終え、隣へ移る。
途中で光が変わり、あるいは時間が来る。
だから、片方だけが仕上がる。
つまり、この差は制作の順序を示している。
薄いほうが後か、先か。
それは分からないが、二つの状態が並んでいる。
キャッツキルという土地
ストーニー・クローヴは、ニューヨーク州の山地にある。
キャッツキル山地の峡谷である。
当時、多くの画家がこの地域を歩いた。
当サイトの
新大陸の風景を描くでも、その動きを扱った。
イタリアの湖から、この峡谷へ。
同じ帖の中で、風景が入れ替わる。
つまり、この帖は帰国後も使われている。
一冊が、二年以上にわたって使われた。
灰色の紙の素描
八点目は、写生帖ではない。

写生帖の頁より、はるかに大きい。
縦27センチ、横35.4センチ。
紙は灰色である。
画面の中央に、細い木が何本も立つ。
幹は上へ伸び、枝が交差する。
葉は、ほとんど描かれない。
下部には、草と岩がある。
右下に、日付らしき書き込みがある。
一八八八年と読める。
二十年後の素描
写生帖の頁は、一八六八年から七〇年である。
この一枚は、一八八八年。
つまり、二十年近く後の作である。
紙も、青ではなく灰色になっている。
大きさも、倍以上である。
つまり、写生帖の頁とは用途が違う。
その場の記録ではなく、じっくり描いた素描だろう。
あるいは、展示や販売のための素描かもしれない。
素描が、作品になる
十九世紀の後半、素描の地位が上がった。
展覧会に素描だけを出す機会も増えた。
そして、収集の対象にもなった。
つまり、習作ではなく作品として扱われる。
この一枚の大きさと丁寧さは、その文脈で理解できる。
写生帖の頁は、見せるためのものではない。
大きな素描は、見せるためのものである。
同じ画家の中で、二つの性格が分かれている。
木の交差を、描く
この素描の主題は、木の枝である。
細い幹が何本も立ち、枝が交差する。
その交差の形が、丁寧に追われている。
葉がないので、構造がすべて見える。
つまり、木の骨組みの記録である。
風景画の中の木を描くには、この知識が要る。
枝がどこで分かれ、どの角度で伸びるか。
種類ごとに、その規則が違う。
最初の油彩と、つながる
最初の油彩に戻りたい。
そこにも、葉の落ちた木が描かれていた。
枝が空へ広がり、構造が露わになる。
つまり、この素描と同じ関心である。
十三年の開きがあるが、見ているものは変わらない。
画家には、繰り返し戻る主題がある。
マッケンティーの場合、それは枯れた木だった。
九点のうち三点に、葉のない木が出てくる。
岩の上の人
九点目は、別の館の油彩である。

小さな油彩である。
縦27.1センチ、横40.4センチ。
手前に、大きな岩が広がる。
岩肌は、黄土と桃色である。
その右上に、人が一人座る。
背中を向け、遠くを見ている。
奥には、緑の丘が連なる。
さらに奥に、青い山がある。
空は、薄い黄と桃色である。
夕暮れか、朝方だろう。
小さな油彩
この一点は、油彩としては小さい。
つまり、戸外で描かれた可能性がある。
あるいは、写生をもとに工房で描いた小品だろう。
十九世紀の風景画家は、こうした小品を多く残した。
大作の準備であり、同時に商品でもある。
小さいので、値段も手ごろである。
そして、飾る場所を選ばない。
九点のうち、油彩は二点だが、大きさは倍以上違う。
座る人を、置く
岩の上の人物に注目したい。
背中を向け、遠くを見ている。
顔は見えない。
つまり、見る人と同じ方向を向いている。
こうすると、見る人はその人物と視線を共有する。
風景画では、しばしば使われる手である。
人物を通して、景色の中に入る。
そして、岩の大きさの目安にもなる。
一人置くだけで、二つの働きをする。
九点の技法
九点の技法を整理したい。
油彩・画布が二点。
鉛筆と白のグワッシュ、青い紙が四点。
そこに水彩を加えたものが二点。
そして、鉛筆とグワッシュ、灰色の紙が一点。
つまり、色つきの紙を使った素描が七点を占める。
これは、この画家の特徴である。
白い紙より、色のついた紙を好んだ。
一九八二年の購入
写生帖の六点は、一九八二年に館へ入っている。
基金による購入である。
つまり、市場に出た写生帖を館が買った。
そして、頁ごとに番号を付けて登録している。
大きな素描は、一九七六年の購入。
油彩は、一九一三年の購入である。
つまり、七十年にわたって少しずつ集まっている。
油彩が先で、素描が後である。
評価の順序
作品が館に入る順序には、意味がある。
まず、完成作が評価される。
そのあとで、素描や写生帖が集められる。
これは、多くの画家に共通する。
制作の過程への関心が、後から高まるからである。
二十世紀の後半、この関心が大きく育った。
美術館が写生帖を買うようになったのも、その流れである。
九点の受け入れ年の並びは、その変化を映している。
日記を書いた画家
冒頭で触れた日記について、もう少し書きたい。
マッケンティーは、長年にわたって日記を残した。
そこには、日々の制作、天気、訪ねてきた人、絵の売れ行きが記される。
十九世紀の米国の画家の暮らしを知る資料として、重要とされる。
つまり、この画家は記録を残す人だった。
写生帖に日付を几帳面に書き込むのも、同じ性向だろう。
見たものを、日付とともに残す。
その習慣が、九点にも表れている。
岩の色
最後の油彩の岩の色を見ておきたい。
黄土、桃色、そして薄い紫。
灰色ではない。
つまり、朝夕の光が当たった状態である。
岩の面ごとに、色が変わる。
日の当たる面は暖かく、陰は冷たい。
その差を、色相の違いで示している。
明暗だけでなく、色で立体を作る方法である。
戸外での観察がなければ、この色は出ない。
海辺という主題
マウント・デザート島は、米国東海岸の島である。
十九世紀半ばから、画家が集まる場所になった。
岩の海岸と、内陸の湖と山がある。
そして、避暑地としても発展した。
つまり、画家と旅行者が同じ場所を訪れる。
風景画の需要も、そこから生まれる。
訪れた土地の絵を、記念に買う。
九点の中で、この一点だけが海辺である。
記録という主題
九点を通して見ると、記録という言葉が浮かぶ。
日付、場所、天気、雲の形。
いずれも、後で使うための情報である。
そして、その情報が二年、二十年と積み上がる。
完成した油彩は、その蓄積の上に立つ。
美術館は、両方を収蔵している。
蓄積と結果の両方が見られる。
これは、恵まれた状態である。
二つの油彩の距離
九点の油彩二点を比べたい。
一方は一八六四年、縦27センチの小品。
他方は一八七五年、縦61センチ、横114センチの大作。
十一年の開きがある。
小品は明るく、色が澄んでいる。
大作は暗く、灰と茶が主になる。
主題も違う。
海辺の岩と、内陸の枯れた木立。
同じ画家の中で、関心が移っている。
その間に、イタリアの旅がある。
九点を、順に見る
見方を提案して、終わりたい。
九点の空を、順に見比べてほしい。
青い紙に白で置かれた雲。
薄く色をのせた湖上の空。
そして、油彩の灰色と黄土の空。
いずれも、同じ画家が見た空である。
材料が変われば、方法が変わる。
しかし、雲の形の捉え方は変わらない。
横に流れ、下側が重く、端がちぎれる。
その形を、青い紙の上でも、画布の上でも同じように取っている。
空を追って、九点を見送ってほしい。



