題に、日付が入っている——ジャーヴィス・マッケンティー
九点の題には、年月日が書かれている。五月の八点を並べると、十二日間に収まる。その間に二つの湖を移っている。開いた帖ごと撮られた画像は、三点で共有される。日付から旅の順を読みたい。表と裏が、別々の記録になる。

題に、日付が入っている
九点の題には、いずれも日付が書かれている。
年月日である。
八点は1869年の5月。残る一点は1868年の11月。
5月の八点を日付順に並べると、1日から12日までに収まる。
十二日間の記録である。
その間に、この画家はイタリアの湖を移動している。
題の日付を追えば、旅の順序がそのまま分かる。
九点を並べて、その十二日間を読みたい。

九点の内訳
先に、九点の中身を確かめておく。
寸法は九点とも同じで、縦11.4センチ、横22.9センチ。
一冊の写生帖の頁だからである。
技法も、七点までは同じ書き方をされる。
青い紙に、鉛筆と白いグワッシュ。
残る二点には、そこに水彩が加わる。
年は、一点が1868年、八点が1869年である。
日付を、なぜ書くのか
写生帖に日付を書き込む画家は、少なくない。
後で見返したときに、いつのものか分かるようにするためだろう。
旅先では、同じような景色が続く。
日付がなければ、順序が分からなくなる。
この九点の場合、その書き込みがそのまま題になっている。
画家が自分のために書いた文字が、館の記録に移されている。
誰が題を付けたか
題に日付が入るのは、紙にその日付が書かれているからである。
画面の下のほうに、細い文字が読める。
館は、その書き込みを読んで題にした。
つまり、この題は画家の手によるものに近い。
後から誰かが付けた題とは、性格が違う。
十九世紀の旅
十九世紀の後半、アメリカの画家がヨーロッパへ渡ることは多かった。
古い建物と、南の光を見るためである。
数か月から数年、滞在して帰る。
その間に描いた紙が、帰国後の大きな絵の材料になる。
九点の帖も、そうした旅の途中で使われたものだろう。
題の作り
題は、三つの部分でできている。
場所の名。日付。そして括弧の中の説明。
括弧の中には、頁の表と裏のどちらかと、写生帖から出たことが書かれる。
三つとも、絵の中身を説明していない。
どこで、いつ、帖のどの位置か。それだけである。
何が描かれているかは、題からは分からない。
括弧の中の、二つの情報
括弧の中には、二つのことが書かれる。
面の表裏と、写生帖から出たという事実である。
後者は、九点とも同じである。
だから、実際に区別に使えるのは前者だけになる。
同じ語を九点に繰り返し書くのは、無駄のようにも見える。
しかし、一点だけを見る人にとっては、必要な情報である。
表と裏
括弧の中には、表か裏かが書かれる。
一枚の紙には、二つの面がある。
帖に綴じられていれば、開いたときに右になる面と、左になる面がある。
館は、その両方を別々の記録として登録している。
九点のうち、表が三点、裏が六点である。
つまり、一枚の紙の両面が、二つの番号を持つ。
表が三点、裏が六点
表と裏の数がそろわないのは、なぜか。
一枚の紙には、必ず表と裏がある。
九点が同じ枚数から出ているなら、表と裏は同数になるはずである。
そうなっていないのは、九点が帖の全部ではないからである。
対になる面が、館に入っていないか、選ばれなかった。
九点は、より大きな一群から抜き出されたものである。
同じ日が、三度出てくる
日付を数えてみると、妙なことに気づく。
5月1日の記録が、三点ある。
表が一点、裏が二点である。
一枚の紙なら、表は一つ、裏も一つのはずである。
裏が二点あるということは、紙が二枚あるということになる。
同じ日に、二枚の紙を使ったのだろう。

帖の綴じ
画像には、帖の背が写っている。
紙を重ねて、糸か針金で綴じたものらしい。
厚みは、二センチほどに見える。
この厚みなら、数十枚の紙が入る。
九点は、その一部でしかない。
前年の一点
九点のうち一点だけ、日付が前年である。
1868年11月12日。場所はローマの近郊である。
5月の八点より、半年ほど古い。
同じ帖の頁なので、この帖は少なくとも半年使われたことになる。
冬をローマで過ごし、春に北へ移った旅だと考えられる。
この一点だけ、画像に青い紙の色が見える。
灰色がかった青の上に、白い線で建物が描かれている。
長く続く水道橋らしい構造が、画面を横切っている。
開いた帖を、撮る
いま見た一点の画像には、開いた写生帖が写っている。
左右に頁が広がり、片方に絵がある。
もう片方は、白いままである。
つまり、この画像は一頁ではなく、見開き全体を撮ったものである。
ところが、記録の寸法は縦11.4センチ、横22.9センチ。
これは、一頁ぶんの寸法である。
画像に写っている範囲と、記録の寸法が合わない。
なぜ、見開きで撮るのか
理由は想像できる。
帖はまだ綴じられたままである。
一頁だけを平らに広げて撮ることはできない。
開いた状態で撮るほかない。
その結果、画像には隣の白い頁も入る。
記録は一頁を指し、画像は見開きを写す。
この差は、綴じられた帖を扱う限り避けにくい。
白い頁の意味
見開きの画像を見ると、片方の頁が白いことが多い。
これは、その面に何も描かなかったということである。
紙の両面に描けば、裏写りする。
鉛筆なら問題は少ないが、絵具を使えば透ける。
一面おきに使う描き方は、珍しくない。
しかし、館は白い面にも番号を付けているのだろうか。
九点の記録からは、それは分からない。
三点が、同じ画像を持つ
九点の画像を見比べると、もっと大きなことに気づく。
三つの記録が、まったく同じ画像を使っている。
5月1日の表、5月1日の裏、5月3日の表。
この三点が、一枚の写真を共有している。

見開きと、記録の関係
なぜ三点が同じ画像になるのか。
見開きを撮れば、左右に二つの面が写る。
左の面は前の紙の裏、右の面は次の紙の表である。
つまり、一枚の写真には二つの記録が写っている。
その写真を、両方の記録に割り当てれば、画像は共有される。
三点目については、事情が分からない。
隣の見開きと似た構図なので、取り違えた可能性もある。
ここでは、同じ画像が三点に使われているとだけ書いておく。

湖の形
コモ湖は、細長い形をしている。
上から見ると、二股に分かれた形になる。
そのため、岸に立つと、対岸までの距離が近い。
山が水際まで迫り、平地が少ない。
九点の湖の絵で、手前の岸が狭く描かれるのは、そのためである。
二日の空き
5月1日の次は、5月3日である。
一日、記録がない。
移動していたのかもしれない。
天気が悪かったのかもしれない。
描いたが、その紙が残っていないのかもしれない。
写生帖の記録から分かるのは、描かれた日だけである。
描かれなかった日については、何も分からない。

村を描いた一点
同じ5月1日には、もう一点の裏面がある。
こちらの題には、湖の名だけでなく、村という語が入る。
そして、場所と日付のあいだの区切りが、他と違う。

建物の並ぶ岸
いま見た一点の左の頁には、建物が並んでいる。
石を積んだ壁と、屋根の線が細かく描かれる。
右の頁には、水面と対岸の山が広がる。
見開きの左右で、描かれているものが違う。
これは、二つの面が別々に描かれたということである。
同じ日でも、向きを変えれば別の絵になる。
同じ湖を、四度
5月1日と3日の四点は、いずれも同じ湖を描いている。
北イタリアの、細長い湖である。
両岸に山が迫り、水面が谷のあいだを走る。
四点とも、対岸の山と、手前の岸を組み合わせている。
見る位置を少しずつ変えているらしい。
同じ湖でも、立つ場所が変われば形が変わる。
対岸の町
四点のうち二点には、対岸に建物が見える。
水際まで家が並び、その上に山が立つ。
平地が少ない土地では、町は岸に沿って細長くなる。
描かれた形が、その土地の条件を伝えている。
八日の空き
5月3日の次は、5月11日である。
八日ぶんの記録がない。
そして、場所も変わっている。
コモ湖からマッジョーレ湖へ移っている。
二つの湖は、直線で60キロほど離れている。
十九世紀の旅で、この距離を移るには数日かかっただろう。
八日の空きは、その移動と滞在の時間かもしれない。
記録されなかった日
八日のあいだ、この画家が何もしなかったとは考えにくい。
描いた紙が失われたか、別の帖に描いたか。
あるいは、この帖のその部分が、館に入っていないのか。
いずれにせよ、いま見られるのは残った分だけである。
九点は、一冊の帖の全部ではない。

横長という形
九点の頁は、縦11.4センチ、横22.9センチ。
横が縦のちょうど二倍である。
この形は、景色を描くのに向く。
湖も、山の稜線も、横に広がる。
縦長の紙では、両端が入らない。
写生帖の判型が、描けるものを決めている面がある。
一頁だけの画像
いま見た一点の画像は、他と違う。
見開きではなく、一頁だけが写っている。
帖の縁も見えるが、隣の頁は入っていない。
つまり、この一点の画像は、記録の寸法と一致する。
九点のうち、こうした画像は二点しかない。
同じ帖の頁でも、撮り方はそろっていない。
白いグワッシュ
九点の技法の欄には、いずれも白いグワッシュが入る。
グワッシュは、水で溶く不透明な絵具である。
水彩と違い、下の紙の色を隠す。
青い紙の上に白を置けば、そこだけ明るくなる。
雪、雲、水面の光。明るいところを起こすために使う。
紙の青を中間の調子として使い、白で明るいところを作る。
鉛筆で暗いところを作れば、三つの調子がそろう。
少ない道具で、幅のある画面ができる。
山を、正面から
この一点では、画面のほとんどを山が占める。
湖は、下の細い帯である。
対岸の山が、正面から迫っている。
尾根の線が幾重にも重なり、その奥にさらに高い峰が見える。
鉛筆の線を細かく重ね、斜面の向きを示している。
白いグワッシュは、頂の近くにわずかに置かれる。
雪か、光の当たる面だろう。

水彩の入る二点
いま見た一点の技法の欄には、水彩が加わっている。
九点のうち、水彩の入るのは二点だけである。
どちらも5月11日以降のものである。
旅の後半になって、絵具を使い始めたことになる。
もっとも、公開されている画像は色が乏しい。
どこに色が入っているかは、画像からは分かりにくい。
技法の欄がなければ、水彩の存在に気づかない。
題が、長くなる一点
この一点の題は、他より長い。
湖の名だけでなく、山々という語と、見下ろすという語が入る。
つまり、何が描かれているかが題に書かれている。
九点のうち、こうした題は二点だけである。
残る七点は、場所の名で止まっている。
同じ帖の、同じ日の頁でも、題の作り方が違う。
区切りの記号
題の書き方には、もう一つ違いがある。
場所と日付のあいだに、読点を置くものが八点。
一点だけ、二重点を置いている。
意味は変わらない。
しかし、書式はそろっていない。
大文字の一点
括弧の中の書き方にも、揺れがある。
写生帖という語の頭を、大きく書くか小さく書くか。
表の三点は、いずれも大きく書く。
裏の六点は、五点が小さく書き、一点だけ大きく書く。
日本語の題に直すと、この違いは消える。
もとの記録を読まなければ気づかない差である。

二点の水彩
水彩の入る二点は、どちらもマッジョーレ湖である。
同じ日と、その翌日にあたる。
つまり、旅の最後の二日だけ、絵具を出したことになる。
天気が良かったのかもしれない。
滞在が長く、時間があったのかもしれない。
理由は記録に書かれていない。
最後の一日
九点で最も新しいのは、5月12日である。
前の日と同じ湖を描いている。
対岸には、建物の並ぶ町が見える。
水面には、小さな舟が一艘。
前日の山の絵に比べると、視線が低い。
岸に近い場所から描いたのだろう。
低い視線
前日の一点では、山が画面のほとんどを占めていた。
この一点では、水面が広く取られている。
同じ湖でも、立つ場所が変われば構図が変わる。
読点の位置
この一点の技法の欄にも、細かい揺れがある。
前の一点では、水彩の後に読点が入る。
この一点では、読点が入らない。
同じ三つの材料を並べているのに、区切りが違う。
九点をまとめて入力したのなら、こうはならない。
別々の時期に、別々に入力された跡だと考えられる。
十二日間を、並べる
九点の日付を並べ直しておく。
5月1日が三点。3日が二点。11日が二点。12日が一点。
そして、前年の11月12日が一点。
5月の八点は、十二日間に収まる。
その間に、二つの湖を訪れている。
舟という目安
いま見た一点には、小さな舟が一艘描かれる。
輪郭だけの、数本の線である。
舟があると、対岸までの距離が推し量れる。
山と水だけの画面では、大きさが分からない。
小さな一つの形が、画面全体の縮尺を決めている。
一枚の紙の、二つの面
この帖の記録の作りは、一枚の紙を二つに分ける。
表と裏を、別々の番号で扱う。
紙としては一枚だが、絵としては二点である。
どちらの数え方も、間違いではない。
館が数えているのは、紙ではなく、面である。
十二日という長さ
十二日で、二つの湖を回る。
いまなら、車で二時間ほどの距離である。
十九世紀には、馬車と鉄道と船を乗り継いだ。
宿を取り、天気を待ち、描く時間を作る。
八点の紙が残っているのは、決して多くない。
それでも、十二日の輪郭は見えてくる。
青い紙
九点の紙は、いずれも青い。
技法の欄に、青い紙と書かれている。
しかし、公開されている画像の多くは、色が乏しい。
青が見えるのは、最も古い一点だけである。
その一点では、灰色がかった青の地に、白い線が浮かんでいる。
残る八点も、同じ紙のはずである。
記録がなければ、白い紙だと思って見ることになる。
色の見えない画像
青い紙の色が見えるのは、九点のうち一点だけである。
残る八点は、灰色に近い画像で公開されている。
同じ帖の頁であり、同じ紙であるはずだが、見え方が違う。
撮影の時期と方法が、そろっていないのだろう。
技法の欄を読まなければ、この八点が青い紙だとは分からない。
記録の揺れを、まとめる
九点をまとめて見ると、細かい揺れがいくつも見つかる。
題の区切りの記号が、一点だけ違う。
括弧の中の語の書き方が、一点だけ違う。
技法の欄の読点の位置が、一点だけ違う。
画像の撮り方が、二通りある。
同じ画像が、三点で共有されている。
どれも、記録として致命的なものではない。
しかし、九点をそろえて読もうとすると、いちいち引っかかる。
帖という単位で読む
九点は、一点ずつでは意味を持ちにくい。
小さな鉛筆の素描である。
しかし、日付順に並べると、一人の旅の記録になる。
どこにいて、どちらへ動いたか。
何日描き、何日描かなかったか。
題に入った日付が、それを可能にしている。
同じ画家の同じ帖については、青い紙に、枯れた季節を——ジャーヴィス・マッケンティーでも扱った。
写生帖を一頁ずつ記録する扱いについては、写生帖の、一頁ずつ——ジェームズ・マクニール・ホイッスラーを参照されたい。



