顔だけが、仕上がっている——ジョン・ホプナー
顔は完成し、衣は白く塗られただけ。未完成の一枚は、どこから描き始めるかを教えてくれる。もう一枚は裏に子どもの頭部があるが、裏打ちの布に隠れて見えない。保存と公開のあいだの判断まで、六枚の記録が残している。

木立の下の二人
一枚の大きな絵から始めたい。

画面の中央に、二人の女性が座る。
いずれも、白い衣を着ている。
左の一人は、大きな板を抱える。
そして、右の一人が肩に腕を回す。
足元には、白と茶の犬がいる。
背景には、大きな木と岩。
奥に、山と空が見える。
白い衣の二人
二人の衣を見たい。
いずれも、薄い白の布である。
そして、腰の高い位置に切り替えがある。
つまり、同じ形式の衣である。
一八世紀末に流行した装いだろう。
二人の姿勢
姿勢を見たい。
左の一人は、板に肘を置く。
そして、体を右へ傾ける。
右の一人は、左の肩に手を回す。
つまり、二人が触れ合っている。
対の肖像を二枚並べるのとは違う。
一枚の中で、関係が描かれている。
白の重なり
二人の衣は、いずれも白である。
そのため、境目が分かりにくい。
そこで、影で分ける。
左の人物の衣に、灰色の襞。
右の人物の衣に、青みの影。
同じ白でも、影の色で区別する。
抱えている板
左の人物が抱える板を見たい。
赤い面が、こちらを向く。
裏側だろう。
つまり、絵を描くための板か、あるいは楽器か。
館の記録に、説明はない。
だから、形の説明にとどめる。
犬という同席者
足元の犬を見たい。
長い毛で、白と茶。
そして、伏せている。
肖像に犬を入れるのは、当時の作法である。
暮らしと、身分を示す。
犬の描き方
犬の毛を見たい。
長い毛が、線で描かれる。
そして、白い部分に茶の斑がある。
つまり、犬種が分かる程度には描き込まれている。
人物と同じ手間がかけられている。
手前の草
足元には、草と土がある。
そして、白い衣がその上に広がる。
つまり、地面に直接座っている。
椅子はない。
屋外の設定を、そこでも徹底している。
背景の風景
背景を見たい。
大きな木が、画面の右上を覆う。
そして、左には岩と水面。
奥に、青い山がある。
つまり、屋外の設定である。
もっとも、実際にこの場所で描いたわけではないだろう。
屋外という装置
十八世紀の英国の肖像には、屋外が多い。
土地と、家柄を示すためである。
そして、木や岩が人物を引き立てる。
背景は、装置として機能している。
空の明るさ
背景の空を見たい。
左奥だけが、明るい。
そして、雲が浮かぶ。
その明るさが、画面に抜けを作る。
暗い木立の中に、一か所だけ光がある。
視線が、そこへ逃げる。
木の暗さ
右上の木は、暗い。
葉の一枚ずつは描かれない。
そして、茶と暗緑の塊になる。
つまり、人物とは描き方が違う。
背景は、粗く、速く描かれている。
下端の文字
画面の左下に、文字が見える。
小さく、数行にわたる。
誰を描いたかを記したものだろう。
館の記録も、その情報にもとづくのかもしれない。
もっとも、画像からは読み取れない。
一七九五年という年
制作年は、一七九五年である。
作者は、三十七歳ごろになる。
六枚の中では、ちょうど中間にあたる。
この時期、英国の肖像画には需要があった。
そして、大きな注文も入るようになる。
大きな寸法
縦155センチ、横125センチである。
六枚の中で、最も大きい。
つまり、広間に掛けるための絵である。
二人を並べるには、幅が要る。
寸法は、人数で決まる。

大きな帽子
二点目は、一人である。
胸から上が描かれる。
つばの広い帽子をかぶる。
そして、白い衣を着る。
首元に、大きな飾り結びがある。
背景は、暗い青緑である。
手前に、卓のような線が見える。
帽子の面
帽子を細かく見たい。
つばが広く、顔の幅より大きい。
そして、上に布の飾りがある。
つまり、装いの中心である。
明るい面が、顔の上に置かれる。
卓という線
画面の下に、暗い横線がある。
卓の縁だろう。
そして、その上に腕が置かれる。
つまり、人物は卓の向こうにいる。
一本の線で、手前と奥ができる。
腕の位置
両腕を見たい。
体の前で、軽く組まれる。
そして、袖口に細かい縁飾りがある。
顔と、手元。
明るい部分が二か所ある。
黄色い光
この絵は、全体が黄色みを帯びる。
衣も、帽子も、肌も。
つまり、暖かい色で統一されている。
仕上げの層が変色した可能性もある。
古い油彩では、よくあることである。
明暗の幅
この絵の明るさを見たい。
顔と衣が明るく、背景が暗い。
そして、その差はきわめて大きい。
暗い地に、明るい人物を置く。
十八世紀の肖像で、よく使われる型である。
首元の結び
首の下に、大きな布の結びがある。
そして、そこから縁飾りが広がる。
つまり、顔のすぐ下に細かい部分がある。
視線が、そこで一度止まる。
背景の縦線
画面の左に、縦の線がある。
そして、そこだけ明るい。
柱か、扉の枠だろう。
暗い背景に、一本の線を入れる。
平坦さを避けるための工夫である。
髪の巻き
帽子の下から、髪が見える。
太く巻かれ、肩へ落ちる。
そして、白い粉を打ったように明るい。
当時の髪の整え方である。
装いの記録として、意味がある。
制作年の幅
年代は、一七八一年から八二年とされる。
つまり、二年にまたがる。
作者は一七五八年生まれと記録される。
そして、一八一〇年にロンドンで没した。
つまり、二十三、四歳ごろの仕事である。
二枚の性格
ここまでの二枚は、対照的である。
一枚は大きく、屋外で、二人。
もう一枚は小さく、暗い背景で、一人。
つまり、注文の性格が違う。
寸法と人数が、まず決まる。
そして、それに応じて構図が決まる。
若い時期の一枚
六枚の中で、最も早い作である。
そして、最も後の作とは二十年以上の差がある。
若い時期と、後年の作を並べられる。
そこに、この六枚を選んだ意味がある。
描きかけの一枚
三点目は、途中で止まっている。

顔だけが、仕上がっている。
頬に赤みがあり、唇は赤い。
そして、目には光が入る。
一方、衣は白く塗られただけである。
袖の線は、太い筆で示されるにとどまる。
背景も、下地が透けて見える。
顔だけが、明るい
明るさを比べたい。
顔は、はっきり塗られている。
そして、衣と背景は下地が透ける。
つまり、明度の差が大きい。
未完成であることが、かえって顔を強調している。
未完成という状態
この絵は、完成していない。
館の記録も、そのようには書かない。
しかし、画面を見れば分かる。
顔が仕上がり、他が途中である。
下地の色
背景に透ける色を見たい。
薄い茶色である。
つまり、画布に下地を塗ってある。
白い画布に直接描くのではない。
中間の明るさの地を作ってから、明暗を載せる。
その手順が、この一枚で見える。
描く順序が、見える
未完成の絵には、価値がある。
制作の順序が分かるからである。
まず、下地を塗る。
次に、人物の位置を大まかに置く。
そして、顔から仕上げる。
最後に、衣と背景を描く。
途中で、止まる理由
なぜ、絵は途中で止まるのか。
依頼主が亡くなることがある。
支払いが滞ることもある。
あるいは、画家が没する場合もある。
この一枚の事情は、記録にない。
だから、当サイトは推測を書かない。
なぜ、顔からか
顔から描くのには、理由がある。
依頼主が見に来るのは、顔だからである。
似ているかどうかが、まず問われる。
そして、承諾を得てから残りを描く。
つまり、商いの都合が順序を決めている。
目の光
顔の中で、最も仕上がっているのは目である。
黒い瞳に、白い点が入る。
そして、その点が濡れた感じを作る。
小さな一点だが、効果は大きい。
生きた顔に見えるかどうかは、ここで決まる。
髪の描き方
髪を見たい。
茶色い絵の具が、太い筆で置かれる。
そして、輪郭は曖昧である。
つまり、まだ整えられていない。
それでも、髪の量と形は分かる。
右肩の筆跡
右肩のあたりを見たい。
暗い絵の具が、数回置かれている。
そして、その隣は塗り残されている。
つまり、筆を置いたところで止まっている。
作業の最後の一筆が、そこに残る。
白い衣の筆
衣を見たい。
白い絵の具が、薄く広く置かれる。
そして、その上に細い暗線が数本走る。
つまり、襞の位置を示す印である。
この線に沿って、あとで陰影を作る。
肩の線
肩の輪郭を見たい。
太い暗線が、一本引かれる。
そして、その外側は塗られていない。
つまり、位置を決めただけの線である。
完成すれば、この線は消える。
途中だから、残っている。
没年が、記録される
館の記録には、描かれた人物の没年がある。
一八七三年である。
一方、制作はおそらく一八〇五年とされる。
つまり、描かれてから六十八年生きた。
肖像の中の若い姿と、実際の生涯には長い隔たりがある。
「おそらく」という語
制作年には、「おそらく」が付く。
つまり、確定していない。
未完成の絵は、記録が残りにくい。
支払いも、納品もないからである。
だから、年代の手がかりが少ない。

赤い上着
四点目は、男性の肖像である。
胸から上が描かれる。
上着は、鮮やかな赤である。
そして、肩に金色の飾りが付く。
襟元に、白い布が見える。
背景は、暗い茶色である。
髪は、白く整えられる。
白い襟
首元の白い布を見たい。
大きく膨らみ、顎の下まで届く。
そして、赤い上着と接する。
白と赤の境が、はっきりする。
その線が、顔の位置を決める。
軍装という装い
赤い上着と、肩の飾り。
そして、題にある階級。
つまり、軍務の装いである。
肖像は、職や地位を示す場でもある。
背景の暗さ
背景を見たい。
暗い茶で、ほぼ一色である。
そして、上部がわずかに明るい。
赤い上着を引き立てるための暗さである。
背景に色を置けば、赤が弱まる。
赤を、どう塗るか
赤い上着を細かく見たい。
明るい部分と、暗い部分がある。
そして、その差が布の襞を作る。
赤は、明暗の幅が取りにくい色である。
暗くすると濁り、明るくすると白ける。
だから、赤の衣は難しい。
肩の金
肩の飾りは、金糸の房である。
細い線が、いくつも垂れる。
そして、光を受けて輝く。
小さな筆触を重ねて、金属の光を作る。
赤の上に、黄と白を置く。
髪の白
髪は、白く見える。
当時、男性は髪に粉を打つ習慣があった。
あるいは、鬘をかぶる。
どちらかは、画像からは分からない。
館の記録にも、記載はない。
顔の向き
体は正面を向く。
そして、顔もほぼ正面である。
つまり、改まった姿勢である。
三点目の斜めの顔とは、印象が違う。
一七九九年という年
制作年は、一七九九年である。
つまり、十八世紀の最後の年にあたる。
そして、次の一枚も同じ年である。
夫婦の肖像が、同じ年に描かれた。
生没年が、分かる
題には、生没年が入る。
一七五三年生まれ、一八二六年没。
つまり、制作の一七九九年には四十六歳ほどである。
肖像の年齢が、計算できる。
対になる、もう一枚
五点目は、四点目と対をなす。

女性が、やや右を向いて座る。
白い衣を着ている。
そして、頭に白い被り物。
肩から、暗い色の布が掛かる。
背景は、暗い茶色である。
頬に、赤みがある。
寸法が、揃う
四点目と五点目の寸法を比べたい。
縦は、いずれも76.2センチ。
横は、63.2センチと63.5センチ。
つまり、三ミリしか違わない。
同じ規格の画布である。
画布は、既製品
画布について補いたい。
当時、画布は既製品として売られていた。
枠に張られ、下地まで塗ってある。
つまり、画家は買ってきて描く。
規格が揃うのは、そのためである。
三十インチ掛ける二十五インチ
館の記録は、インチでも寸法を記す。
三十インチ掛ける二十五インチである。
つまり、当時の標準の一つだった。
画布は、この寸法で売られていた。
そして、値段も寸法で決まる。
規格が、値段を決める
肖像画の値段は、寸法で決まっていた。
頭だけ、胸から上、膝から上、全身。
それぞれに、決まった値段がある。
つまり、注文主は寸法を選ぶ。
当サイトの
同じ寸法で、七人を描くでも、
同じ仕組みに触れた。
六枚のうち、四枚
寸法を数えてみたい。
六枚のうち四枚が、76.2センチ掛ける63センチ台である。
つまり、同じ規格である。
一枚だけが大きく、一枚がやや小さい。
規格の絵が、仕事の中心だったことが分かる。
二枚の来歴
四点目と五点目の来歴を見たい。
いずれも、同じ人物の遺贈である。
つまり、二枚が離れずに伝わった。
対の肖像は、散逸しやすい。
相続で分かれることがあるからである。
受け入れの年のずれ
館の記録に、細かい点がある。
遺贈は一九四五年、受け入れは一九四六年。
つまり、一年の差がある。
遺言の手続きに時間がかかるためだろう。
対の向き
四点目と五点目の向きを見たい。
男性はほぼ正面、女性はやや右を向く。
並べたとき、二人が近づく配置である。
対の肖像では、よく用いられる。
白い被り物
女性の頭には、白い布がある。
そして、髪を包んでいる。
つまり、当時の装いである。
その白が、顔の周囲を明るくする。
暗い背景の中で、顔が浮かぶ。

青緑の背景
六点目は、背景が明るい。
青緑と、灰色が混ざる。
そして、上部に雲のような形がある。
つまり、屋外を示唆している。
四点目と五点目の暗い背景とは違う。
白い衣と、青い帯
女性は、白い衣を着る。
そして、腰に青灰色の帯がある。
肩には、暗い色の布が掛かる。
頭には、白い布と、灰色の羽飾り。
つまり、装いが凝っている。
羽飾り
頭の飾りを見たい。
灰色の羽が、数本立つ。
そして、白い布と組み合わさる。
つまり、手の込んだ装いである。
肖像は、装いの記録でもある。
頬の赤
頬に、はっきりした赤みがある。
そして、唇も赤い。
背景の青緑と、対比される。
暖かい色と冷たい色。
その差が、顔を前へ出す。
裏側に、別の絵がある
この一枚には、特別な記録がある。
館の題を見たい。
《女性の肖像》に続けて、こう記される。
裏面に、子どもの頭部の習作がある、と。
そして、いまは裏打ちの布で覆われている、と。
見えない絵
つまり、裏に絵がある。
しかし、見ることはできない。
修復のとき、裏に新しい布を貼ったからである。
その布が、裏面の絵を隠している。
裏打ちという処置
裏打ちについて、補いたい。
古い画布は、傷み、たるむ。
そこで、裏に新しい布を貼って支える。
つまり、保存のための処置である。
しかし、裏面に絵があれば、それは隠れる。
保存と、公開の衝突
ここには、難しい問題がある。
絵を守るには、裏打ちが要る。
しかし、裏の絵は見えなくなる。
どちらを取るか。
過去の担当者は、表を守ることを選んだ。
そして、その判断が記録に残っている。
記録が、残る意味
見えない絵でも、記録には残る。
だから、私たちはその存在を知ることができる。
館の題に、わざわざ書いてある。
つまり、隠したのではない。
見えないものを、見えないと記す。
記録の誠実さである。
表と裏という使い方
なぜ、画布の裏に絵があるのか。
画布は、高価な材料である。
だから、試し描きに裏を使うことがある。
あるいは、途中で放棄した絵を裏返して使う。
つまり、節約である。
六枚を、並べる
最後に、六枚をまとめたい。
制作年は、一七八一年から一八〇五年ごろ。
つまり、二十四年ほどの幅がある。
主題は、すべて肖像である。
風景も、物語もない。
肖像だけを描く
一人の画家が、肖像だけを描く。
これは、当時の英国では珍しくない。
肖像には、確実な注文があるからである。
そして、値段も決まっている。
つまり、生活が成り立つ分野である。
描かれた人が、分かるか
六枚のうち、名が記録されるのは五枚である。
一枚は《女性の肖像》とだけある。
つまり、誰かが分からない。
裏に子どもの頭部があることは分かるのに、表の人物の名は分からない。
記録の残り方は、一様ではない。
六枚が示すもの
六枚には、それぞれ違う情報がある。
大きな二人の像は、家柄を示す。
若い時期の一枚は、初期の描き方を示す。
未完成の一枚は、制作の順序を示す。
対の二枚は、規格と値段の仕組みを示す。
そして、最後の一枚は、保存の判断を示す。
完成品だけでは、分からない
美術館には、仕上がった絵が並ぶ。
しかし、そればかりでは仕組みが見えない。
途中で止まった絵、裏に別の絵がある絵。
そうしたものが、制作と保存の実際を教える。
六枚のうち二枚が、それにあたる。
見えている面の後ろにも、記録がある。



