画家を知る

紋で、役者を示す——鳥居清信

顔は似せていない。目は細い線、鼻は短い線、口は小さな点である。では、誰か分かるのか。衣に染め抜かれた紋が答える。似顔絵が生まれる七十年前の役者絵七枚を、筆で色を挿した丹絵から柱絵まで並べて見る。始まりの形が、そこにある。

七夕の女に扮する初代沢村小伝次
鳥居清信《七夕の女に扮する初代沢村小伝次》メトロポリタン美術館蔵

筆で、色を置く

一枚の版画から始めたい。

七夕の女に扮する初代沢村小伝次
鳥居清信《七夕の女に扮する初代沢村小伝次》1698年。墨摺に手彩色(丹絵)。縦59.1センチ、横31.8センチ。メトロポリタン美術館蔵。ハリス・ブリスベン・ディック基金およびロジャーズ基金による購入、1949年。鳥居清信《七夕の女に扮する初代沢村小伝次》メトロポリタン美術館蔵

大きな笠をかぶった人物が立つ。

体をひねり、両手を広げる。

衣には、渦を巻く大きな模様がある。

そして、赤と黒が交互に置かれる。

足元には、笹の葉がある。

上方には、雲と屋根が見える。

紙は茶色く焼けている。

色は、版で摺られていない

この作品の技法欄を見たい。

館の記録では、墨摺に手で彩色したとある。

つまり、線だけが版で摺られている。

そして、色は筆で置かれた。

一枚ずつ、人の手で塗る。

だから、同じ版から摺った紙でも、色が違う。

丹という色

使われている赤は、橙に近い。

館の記録では、丹絵と呼ばれる種類とされる。

丹は、鉛を含む顔料である。

そして、時間が経つと黒く変わることがある。

この一枚でも、赤の一部が暗い。

もっとも、もとの色がどうだったかは分からない。

いま見えているのは、現在の状態である。

太さの変わる線

線に注目したい。

衣の輪郭は、太いところと細いところがある。

肩から袖にかけて、線が膨らむ。

そして、袖口で細くなる。

つまり、筆圧の変化が版に彫られている。

このうねる線は、鳥居派の絵に共通する。

版下を描く筆の運びが、そのまま木に移されている。

塗りむらを、見る

手で塗ると、むらが出る。

この一枚でも、赤の濃さが場所によって違う。

袖の赤は濃く、裾の赤は薄い。

そして、線からはみ出している箇所がある。

版で摺れば、こうはならない。

手の仕事の痕跡が、そのまま残っている。

欠点ではなく、この段階の版画の性格である。

一六九八年という年

制作年は、一六九八年と記録される。

作者は一六六四年生まれとされる。

つまり、三十四歳ごろの仕事である。

版画としては、きわめて早い時期にあたる。

墨一色の版画に手で色を足す段階である。

色版が使われるようになるのは、これより後になる。

当サイトの
版で摺らず、筆で挿すでも、
この段階の版画を扱った。

大きな紙

寸法にも触れておきたい。

縦59.1センチ、横31.8センチである。

かなり大きい。

後の錦絵の大判は、縦39センチほどである。

つまり、それより二割以上長い。

初期の役者絵には、こうした大判が多い。

芝居小屋の看板に近い性格だったのだろう。

吉原の街を練り歩く花魁に扮する生島大吉
鳥居清信《吉原の街を練り歩く花魁に扮する生島大吉》1701〜06年ごろ。木版、墨と色、紙。縦53.3センチ、横30.2センチ。メトロポリタン美術館蔵。フランシス・ラスロップ・コレクション、フレデリック・C・ヒューイット基金による購入、1911年。鳥居清信《吉原の街を練り歩く花魁に扮する生島大吉》メトロポリタン美術館蔵

二人が、歩く

二点目には、二人が描かれる。

左の人物は、派手な衣をまとう。

そして、右の人物が大きな傘を差しかける。

傘には、三角の模様がある。

背景には、格子の建具が見える。

そして、上方に三つの紋がある。

左の人物の衣には、渦と鱗の模様が広がる。

上方の三つの紋

画面の右上に、紋が三つ並ぶ。

三角を組み合わせた形である。

そして、四角い枠に囲まれている。

つまり、意図して目立たせてある。

紋は、役者を示す記号である。

だから、隠さず、画面の上に置く。

現代の広告に近い置き方である。

衣の模様が、画面を作る

この絵で最も目立つのは、衣である。

人物の顔は小さく、簡略に描かれる。

一方、衣の模様は画面いっぱいに広がる。

渦、鱗、そして大きな花。

つまり、模様が主役である。

役者の衣裳を見せるための絵だったのだろう。

傘を差す人

右の人物は、衣が短い。

そして、下半身が露わである。

つまり、供の者である。

主役の人物と、供の者。

その差が、衣の量で示される。

一方は布に包まれ、他方はほとんど裸である。

服装が、そのまま身分を語っている。

三つの模様

二点目の衣を、細かく見たい。

まず、渦を巻く大きな文様がある。

次に、鱗を並べた三角の連なり。

そして、丸く大きな花。

三種類が、一つの衣に同居する。

つまり、模様の見本のような画面である。

芝居の衣裳そのものが、そう作られていたのだろう。

顔は、似ていない

役者絵でありながら、顔は似ていない。

目は細い線、鼻は短い線、口は小さな点である。

つまり、個人の顔ではない。

では、どうやって誰か分かるのか。

紋である。

衣に染め抜かれた紋が、役者を示す。

当サイトの
顔で、紙を埋めるで扱った時代とは、
やり方がまったく違う。

紋という記号

この時代、役者は固有の紋を持っていた。

そして、それを衣裳に付けた。

見る側は、紋で誰かを判断する。

つまり、顔を似せる必要がない。

似顔絵が生まれるのは、これより七十年ほど後である。

初期の役者絵は、記号で人を示していた。

桜の木に腰かける出島半弥
鳥居清信《桜の木に腰かける出島半弥》1700〜05年ごろ。木版、墨と色、紙。縦55.9センチ、横32.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。フランシス・ラスロップ・コレクション、1911年。鳥居清信《桜の木に腰かける出島半弥》メトロポリタン美術館蔵

大判という判型

初期の役者絵の寸法を、まとめておきたい。

一点目が縦59.1センチ、二点目が53.3センチ。

三点目は55.9センチである。

つまり、いずれも五十センチを超える。

紙は、当時としては高価な材料である。

それを大きく使う。

見せるための絵だったことが、寸法から分かる。

木に、腰かける

三点目は、一人だけである。

人物が、太い枝に腰かける。

枝は、画面を斜めに横切る。

そして、枝には花が咲く。

上方には、丸い紋が下がる。

衣の裾が、大きく広がって垂れる。

その裾に、鳥のような模様がある。

紙の地色

この一枚は、紙全体が茶色い。

保存の過程で焼けたのだろう。

そのため、白い部分が残っていない。

もとは、もっと明るい紙だったはずである。

版画は、紙の白が効く絵である。

その白が失われると、印象が変わる。

見るときは、そのことを差し引きたい。

小さい紙の二枚

四点目と五点目は、寸法が小さい。

梅の木の下に立つ女に扮する生島大吉
鳥居清信《梅の木の下に立つ女に扮する生島大吉》1705年ごろ。木版、墨と色、紙。縦30.2センチ、横14.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。フランシス・ラスロップ・コレクション、1911年。鳥居清信《梅の木の下に立つ女に扮する生島大吉》メトロポリタン美術館蔵

縦30.2センチ、横14.6センチである。

一点目の四分の一ほどの面積になる。

画面には、女の姿の人物が立つ。

そして、腕に何かを抱える。

上方には、赤い花が咲く枝がある。

左上に、文字が記される。

衣の裾には、赤い模様が散る。

立ち姿の型

四点目の姿勢を見たい。

体は正面を向き、顔だけが横を向く。

そして、片足を前に出す。

腰がわずかにひねられる。

この姿勢は、以後の役者絵にも繰り返される。

つまり、型として定着した構えである。

同じ型を使えば、描くほうも速い。

花の枝という約束

上方の枝にも、意味がある。

梅の花である。

つまり、季節を示す。

芝居には、季節ごとの演目がある。

そして、版画も季節に合わせて売られる。

花の枝は、その時期を告げる印である。

背景ではなく、情報である。

小さくすると、何が変わるか

大判と小判を比べたい。

大判では、衣の模様が細かく描ける。

一方、小判では模様が簡略になる。

線の数を減らさなければ、潰れるからである。

そして、色の面も大きく取る。

つまり、寸法が描き方を決める。

同じ絵師でも、紙が変われば線が変わる。

値段と、寸法

寸法の違いには、値段が関わる。

大きな紙は高く、小さな紙は安い。

そして、小さな紙のほうが売れる部数は多かっただろう。

つまり、大判は見せるため、小判は買わせるためである。

もっとも、当時の値段は館の記録には示されない。

だから、ここでは推測として書いておく。

抱えているもの

四点目の人物が抱えるものを見たい。

丸く、赤と白の模様がある。

犬か、獅子の玩具のようにも見える。

しかし、館の記録に説明はない。

だから、断定はしない。

見えているのは、両手で何かを抱える姿である。

踊り子に扮する柿村吉三郎
鳥居清信《踊り子に扮する柿村吉三郎》1705年ごろ。木版、墨と色、紙。縦29.5センチ、横15.2センチ。メトロポリタン美術館蔵。フランシス・ラスロップ・コレクション、1911年。鳥居清信《踊り子に扮する柿村吉三郎》メトロポリタン美術館蔵

棒を担ぐ

五点目も、小さな紙である。

人物が、細長い棒を肩に担ぐ。

棒の先には、丸いものが付く。

太鼓だろうか、あるいは飾りだろうか。

衣には、赤い花が散る。

そして、裾が大きく広がる。

左上に、四角い枠の中の紋がある。

二枚の共通点

四点目と五点目は、よく似ている。

寸法がほぼ同じである。

人物が一人、立ち姿。

上方に紋、下方に広がる裾。

そして、赤い花の模様。

つまり、同じ型で作られている。

棒の先のもの

担いだ棒の先を、もう少し見たい。

丸く、縁に細かい飾りが付く。

そして、そこから紐のようなものが垂れる。

踊りに使う道具だろう。

館の記録は、題に踊り子とだけ記す。

道具の名までは示されていない。

だから、形の説明にとどめる。

裾の広がり

四点目と五点目に共通するのは、裾である。

いずれも、下へ行くほど布が広がる。

そして、床に届いて溜まる。

つまり、三角形の輪郭になる。

細長い紙の中で、下を重くする。

そうすると、姿が安定して見える。

構図の工夫である。

揃いで作られる

役者絵は、揃いで作られることが多い。

一つの芝居に出る役者を、何枚かで出す。

そして、まとめて売る。

四点目と五点目も、そうした組の一部かもしれない。

もっとも、館の記録には組の情報がない。

だから、可能性として書いておく。

版元の印

画面の隅には、小さな印がある。

四角い枠の中に、文字が入る。

版元、つまり出版した店の印である。

版画は、絵師だけの仕事ではない。

版元が企画し、彫師が彫り、摺師が摺る。

そして、店で売る。

印は、その仕組みの跡である。

四人の仕事

版画の制作を、順に並べてみたい。

まず、版元が何を出すかを決める。

次に、絵師が版下を描く。

彫師が、その紙を板に貼って彫る。

最後に、摺師が紙に摺る。

つまり、絵師の線は他人の手を経て紙に届く。

太い線が残るのは、彫師の腕にもよる。

同じ収集からの五枚

ここまでの五点のうち四点は、同じ寄贈である。

館の記録では、ある個人の収集から一九一一年に購入されている。

つまり、まとまった一群として館へ入った。

初期の役者絵をまとめて集めた人がいたということである。

そして、その収集が一つの館に残った。

散逸しなかったから、比較ができる。

収集家の目

一九一一年という年にも触れておきたい。

欧米で日本の版画が集められた時期である。

そして、初期の版画は当時から評価が高かった。

数が少なく、状態のよいものが限られるからである。

館の記録には、購入に充てた基金の名が記される。

つまり、館が資金を投じて買っている。

手彩色と色版のあいだ

四点目と五点目の色を見たい。

赤と、わずかな緑がある。

館の記録では、墨と色とだけ書かれる。

つまり、手彩色か色版かは示されていない。

この時期は、両方が併存していた。

だから、画像だけでは判断できない。

当サイトも、断定はしない。

保存の状態

五点の紙の状態を見比べたい。

一点目と三点目は、全体が茶色い。

四点目と五点目は、やや明るい。

そして、二点目には染みがある。

三百年を経た紙である。

破れや虫の跡がないだけでも、状態はよいほうだろう。

もっとも、館の記録に修理の履歴は示されていない。

細長い一枚

六点目は、極端に細長い。

初代坂東彦三郎か
鳥居清信《初代坂東彦三郎か》1725年ごろ。木版、墨と色、紙。縦69.8センチ、横15.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。フランシス・ラスロップ・コレクション、1911年。鳥居清信《初代坂東彦三郎か》メトロポリタン美術館蔵

縦69.8センチ、横15.6センチである。

つまり、縦横の比が四対一を超える。

かなり細い紙である。

そこへ、一人の人物を縦に収める。

人物は、赤い衣をまとう。

顔には、太い線が引かれる。

そして、腰に短い刀を差す。

一七二五年という時期

この一枚は、一七二五年ごろとされる。

作者は一六六四年生まれである。

つまり、六十歳を過ぎたころの仕事になる。

そして、没年の四年前にあたる。

一点目からは、二十七年が経っている。

同じ絵師の、長い活動の後半である。

極端な形の理由

なぜ、これほど細いのか。

日本の家屋には、柱がある。

そして、柱には幅がある。

その幅に収まる紙が求められた。

つまり、家の作りが版画の形を決めている。

絵の都合ではなく、貼る場所の都合である。

柱に貼る絵

この形の紙は、柱絵と呼ばれる。

家の柱に貼るための版画である。

だから、細長い。

そして、人物を縦に伸ばして描く。

構図の自由度は低い。

しかし、この制約が独特の姿勢を生む。

体をひねり、腕を上げ、縦に収める。

顔の線

六点目の顔には、太い線が入る。

眉が吊り上がり、目のまわりに線が走る。

つまり、化粧の線である。

歌舞伎の隈取りだろう。

役柄の性格を、顔の線で示す。

小さな顔でも、線があれば分かる。

縦に、伸ばす

細長い画面では、人物を縦に伸ばす。

胴を長くし、脚を長く見せる。

そして、腕を上げて上部を埋める。

つまり、実際の体の比率とは違う。

見た目の収まりが優先される。

版画の人物が長身に見えるのは、この事情による。

題に付く疑問符

この一枚の題には、疑問符が付く。

館の記録では、初代坂東彦三郎かとされる。

つまり、確定していない。

理由は、紋や記載が読み取れないためだろう。

役者絵は、誰を描いたかが分からなくなることがある。

そのときは、推定のまま登録される。

当サイトも、記録のとおり疑問符付きで伝える。

緑と黄の衣の武士に扮する八代目市村羽左衛門
鳥居清信《緑と黄の衣の武士に扮する八代目市村羽左衛門》1742年ごろ。木版、墨と色、紙。縦27.6センチ、横14.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1925年。鳥居清信《緑と黄の衣の武士に扮する八代目市村羽左衛門》メトロポリタン美術館蔵

年が、合わない

七点目には、記録上の問題がある。

館の記録では、制作年が一七四二年ごろとされる。

一方、作者の没年は一七二九年と記録される。

つまり、没後十三年の作品になる。

数字が合わない。

考えられること

なぜ、こうなるのか。

いくつか考えられる。

まず、名跡が継がれた可能性である。

鳥居派では、同じ名を後継者が名乗ることがある。

次に、制作年の推定が誤っている可能性。

そして、作者の推定が誤っている可能性。

いずれも、館の記録からは判断できない。

分からないと、書く

当サイトでは、こうした食い違いをそのまま書く。

推測で埋めることはしない。

記録の数字が合わないのなら、合わないと書く。

そして、考えられる説明を並べる。

読む側が、自分で判断できるようにするためである。

美術館の記録は、長い年月と多くの担当者の積み重ねである。

だから、まれに整合しない箇所が出る。

名跡という仕組み

名跡について、少し補いたい。

日本の芸能や工芸では、名を継ぐ習慣がある。

親から子へ、師から弟子へ。

そして、同じ名で仕事を続ける。

だから、記録の上では一人に見える。

しかし、実際には複数の人物である。

年代の食い違いは、その仕組みからも生じる。

緑と黄の衣

七点目の画面を見たい。

人物が、正面に近い姿勢で立つ。

衣は、淡い黄と緑である。

そして、丸い紋が胸と袖にある。

腰には、刀を二本差す。

上方には、文字が三行に書かれる。

紙は、これまでの六点より白い。

色が、増えている

この一枚では、色の数が多い。

黄、緑、そして薄い赤。

一点目の丹と墨だけの画面とは違う。

つまり、時期の差が色に表れている。

版で色を摺る技術が広がった後の姿である。

もっとも、色版か手彩色かは、画像だけでは分からない。

館の記録も、そこまでは示していない。

七枚を、時間順に並べる

最後に、七枚を年代順に並べてみたい。

一六九八年、丹絵の大判。

一七〇一年から〇六年、大判の二人立ち。

一七〇五年ごろ、小判の二枚。

一七二五年ごろ、細長い柱絵。

そして、一七四二年ごろとされる一枚。

四十年余りの幅がある。

収蔵の時期も、ばらつく

館へ入った年も並べておきたい。

五枚が一九一一年、一枚が一九二五年、一枚が一九四九年である。

つまり、四十年近くかけて集まっている。

一人の絵師の作品が、少しずつ揃っていく。

美術館の収蔵は、こうして厚みを増す。

一度にまとめて買えるものではない。

何が変わったか

並べると、変化が見える。

紙の形が、大判から小判へ、そして柱絵へ広がる。

色は、丹と墨から、黄と緑へ増える。

線は、一貫して太く、うねる。

そして、顔は最後まで似顔になっていない。

紋で人を示す方式が、この四十年は続いている。

看板から、紙へ

鳥居派は、芝居小屋の看板も手がけた。

大きな板に、役者の姿を描く仕事である。

そして、その様式が版画にも及んだ。

太い線、大きな模様、誇張した姿勢。

遠くから見て分かる絵の作り方である。

紙の版画にも、その性格が残っている。

手元で見る絵に、看板の描き方が持ち込まれた。

始まりを、見る

この絵師は、鳥居派の初代とされる。

そして、役者絵という分野の初期を担った。

後の写楽や豊国の似顔絵は、ここから七十年以上先である。

いま見ると、素朴に見えるかもしれない。

しかし、比べる対象がまだ無い時代の仕事である。

太い線と、大きな模様と、紋。

その三つだけで、芝居の一場面を紙に留めた。

始まりの形が、七枚に残っている。

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