版で摺らず、筆で挿す——奥村利信
色は版で摺られていない。摺り上がった墨の線に、あとから筆で色を置いている。丹の橙、黒の光る漆絵。八点を並べ、色版が生まれる前の版画の作り方を見る。記録の年代が合わない点も、そのまま書いておく。一枚ずつ手で塗るという、量産以前の版画である。

色が、版で摺られていない
一枚の役者絵から始めたい。

二人の人物が描かれている。
上に立つのは、赤い衣の若い男。
右腕を上げ、手に何かを持つ。
下に座るのは、黒い衣の人物。
小さな台の前に身をかがめる。
台の上には、丸い物が載る。
背後には、建物の柱と屋根が見える。
右上には、役者の名を記した文字がある。
左下には、絵師の署名と版元の印がある。
そして、色である。
赤、黄、緑。
この色が、版で摺られたものではない。
筆で、色を挿す
技法欄には、丹絵とある。
まず、墨だけで輪郭を摺る。
その紙に、筆で色を塗っていく。
つまり、色の部分は手作業である。
一枚ずつ、人が塗る。
だから、同じ図でも色が違うことがある。
塗り忘れや、はみ出しも起きる。
この一枚でも、赤の縁が線からわずかにずれている。
摺りではなく、塗りだからである。
丹という色
丹絵の丹は、色の名である。
橙色に近い赤を指す。
鉛を原料とする顔料で、当時よく使われた。
この色を主に使うので、丹絵と呼ばれる。
そこへ、黄や緑を少し添える。
色数は限られている。
多くの色を塗れば、手間と費用が増えるからである。
安く、速く、しかし色のある版画。
その要求に応えた技法である。
二人を、上下に置く
この一枚の構図を見ておきたい。
縦長の画面に、二人を入れている。
横に並べる余裕はない。
そこで、一人を立たせ、一人を座らせる。
上下に積む形である。
そして、上の人物は腕を上げ、下の人物は身をかがめる。
姿勢の差が、そのまま高さの差になる。
狭い画面に二人を入れる、確実な方法である。
初期の役者絵では、この上下の配置がよく使われた。
描いた人について
奥村利信は、生没年が分かっていない。
美術館の記録は、活動期を一七一七年ごろから一七五〇年ごろとする。
つまり、十八世紀の前半に働いた絵師である。
師は奥村政信とされる。
その名は、当サイトの
紙の形で遊ぶでも扱った。
利信は、その門下として役者絵と美人画を残した。
作品の数は多くない。
生涯の記録も、ほとんど残っていない。
記録の年代が、合わない
この一枚には、注意すべき点がある。
館の記録は、制作を一七九三年ごろとしている。
しかし、絵師の活動期は一七五〇年ごろまでである。
四十年以上の開きがある。
記録どおりなら、活動期より後の刷りということになる。
版木が残っていれば、後年にも摺れる。
あるいは、記録の年代に誤りがある可能性もある。
当サイトでは、館の記載をそのまま示し、判断は保留する。
数字が合わないときは、合わないと書いておく。
黒が、光っている
二点目は、技法が変わる。

女の姿の役者が立っている。
大きな笠をかぶり、右手に細い棒を持つ。
左手には、枝のようなものを抱える。
衣は黒地で、その上に細かい文様が入る。
裾は赤と黄で、大きく広がる。
足元には、葉の形が散る。
さて、この黒である。
平らな墨ではない。
厚みがあり、艶がある。
漆絵という技法
技法欄には、漆絵とある。
墨に膠を多く混ぜ、厚く塗る。
乾くと、漆のような光沢が出る。
実際に漆を使うわけではない。
見た目が漆に似ているので、そう呼ばれる。
さらに、金属の粉を撒くこともあった。
真鍮の粉を散らせば、金のように光る。
丹絵より、ひと手間かけた仕様である。
そのぶん、値も上がっただろう。
手彩色の限界と工夫
手で色を塗る以上、精度には限りがある。
細かい文様を、筆で描き分けるのは難しい。
そこで、文様は版で摺る。
墨の線として、あらかじめ彫っておく。
色は、その線の内側に塗る。
つまり、線が塗りの案内になる。
輪郭線がはっきりしているのは、そのためでもある。
技法の制約が、絵の見た目を決めている。
櫛を売る男
三点目も、漆絵である。

人物が、頭の上に大きな箱を載せている。
箱には、細かい仕切りが描かれる。
商品を入れる箱だろう。
衣は、赤と黄と緑の文様で埋まる。
裾は長く、後ろへ引く。
右手は箱を支え、左手は前へ出す。
背後には、文字を記した札がある。
足元は、素足に近い。
行商の姿を、役者が演じている。
商いの姿を、絵にする
芝居では、行商や職人の役がよく出る。
櫛売り、魚売り、飴売り。
日常の職業を、役者が演じる。
観客にとっては、身近な姿である。
だから、その扮装を描いた絵も売れた。
役者絵でありながら、風俗の記録にもなっている。
十八世紀前半の江戸の商いの姿が、こうした絵に残る。
もっとも、舞台の扮装である。
実際の姿とは、多少違うだろう。
版元の印
八点のいくつかには、版元の印が入っている。
四角い枠の中に、屋号や記号が刻まれる。
版元は、企画し、費用を出し、売る立場である。
印は、その責任の表示でもある。
同時に、他所が同じ図を勝手に摺るのを防ぐ徴でもあった。
初期の版画では、版元の名が絵師の名と並んで大きく入ることもある。
商品としての性格が、そこに表れている。
いまでいえば、出版社の名が表紙に出るのと似ている。
十八世紀前半という時期
九点ではなく、八点の記事である。
その八点の年代は、一七二八年ごろから一七三〇年ごろに集中している。
一七三〇年前後の江戸である。
このころ、版画はまだ多色摺ではない。
墨で摺り、手で色を塗る。
多色摺の錦絵が現れるのは、一七六五年ごろである。
つまり、この八点は錦絵より三十年以上前の作にあたる。
当サイトの
錦絵が生まれるまでで書いた、その前史である。
傘を持つ女方
四点目も、漆絵である。

女の姿の役者が、右を向いて立つ。
頭の上に、小さな傘をかざす。
傘の骨が、放射状に描かれる。
衣は黒地に、赤と黄の文様が入る。
裾は大きく広がり、丸い文様が並ぶ。
左手は、袖の中から出て前へ伸びる。
背後には何もない。
紙の地が、そのまま背景になっている。
背景を、描かない時代
八点のうち、背景が描かれているのは二点だけである。
残りは、紙の地のままである。
これは、この時期の版画の特徴である。
背景を摺れば、版木が増える。
手で塗るなら、手間が増える。
だから、人物だけを描く。
背景がないぶん、衣の文様に目が行く。
初期の役者絵が、装束の絵でもある理由がここにある。
同じ役者を、二枚
五点目は、四点目とよく似ている。

同じ役者を描いた別の一枚である。
こちらは、笠を大きく前へ傾ける。
顔の上半分が、笠の陰に入る。
衣は淡い黄で、扇の形の文様が散る。
裾には、丸い花の形が並ぶ。
背後には、細い枝のようなものが立つ。
四点目と比べると、色が淡い。
同じ役者、同じ絵師、同じ年代。
しかし、印象がずいぶん違う。
色の濃淡が生む差
二枚の差は、主に色の濃さから来ている。
四点目は、黒が広い面積を占める。
五点目は、淡い黄が主である。
黒が多ければ、締まって見える。
淡い色が多ければ、軽く見える。
手彩色では、この配分を一枚ごとに決められる。
版で摺る場合は、あらかじめ決まってしまう。
塗る自由が、この時期にはまだ残っていた。
遊女を演じる
六点目も、同じ役者と推定されている。

女の姿の役者が、正面をやや外して立つ。
頭上に、開いた傘を掲げる。
衣は黒地で、金茶と赤の文様が入る。
腰の帯は幅が広く、前で結ばれる。
袖は長く、両手が隠れる。
足元は高い下駄である。
背後は、紙の地のままである。
館の題には、疑問符が付いている。
つまり、役者の同定が確定していない。
疑問符という記号
美術館の記録には、しばしば疑問符が現れる。
人名や年代に確証がないときに付けられる。
これは、慎重さの表れである。
推定であることを、記号で示している。
当サイトでも、その扱いをそのまま引き継ぐ。
館が疑問符を付けたものは、断定しない。
八点のうち、疑問符の付いたものが一点ある。
小さな記号だが、情報としては重い。
立ち姿の型
八点のうち六点は、一人立ちの姿である。
いずれも、体をわずかにひねっている。
肩の線と腰の線が、平行になっていない。
そして、裾が体の向きと逆へ流れる。
顔は、進行方向とは別の側を向くことが多い。
この三つの組み合わせが、初期の役者絵の型である。
真正面でも、真横でもない。
その中間で、衣の文様がいちばんよく見える角度を選ぶ。
型は、見せたいものから決まっている。
髪と、かぶり物
八点の頭部を見比べたい。
笠、傘、箱、そして結い上げた髪。
頭に何かを載せている図が、半分を超える。
理由の一つは、縦長の画面である。
上部が空くと、間が持たない。
そこへ、傘や箱を置く。
構図の必要から、持ち物が決まることがある。
同時に、笠や傘は役柄も示す。
旅、雨、行商、忍び。
一つの道具が、二つの働きを担っている。
手の見え方
初期の役者絵では、手がほとんど見えない。
袖が長く、指先だけが出る。
あるいは、完全に隠れている。
これは、当時の装束の形による。
同時に、描く手間を省く効果もある。
手は、描くのが難しい部分である。
指の関節、爪、握りの形。
小さな画面では、破綻しやすい。
だから、袖で隠す。
八点のうち、指がはっきり見えるのは三点だけである。
ハヴマイヤー・コレクション
八点のうち四点は、同じ寄贈による。
一九二九年、ある収集家の遺贈である。
その収集は、印象派の絵画で知られる。
同時に、日本の版画も大量に集めていた。
十九世紀末から二十世紀初めの米国では、こうした収集が盛んだった。
欧州の近代絵画と、日本の版画を並べて集める。
その組み合わせが、当時の趣味だった。
八点の来歴には、その時代が写っている。
紙のこと
初期の版画の紙にも触れておきたい。
楮を主な原料とする和紙である。
繊維が長く、丈夫で、水を含んでも破れにくい。
摺るときには、紙を湿らせる。
湿った紙を版木に載せ、馬楝でこする。
乾けば、絵具が繊維に定着する。
手で色を塗る場合も、この紙の吸いが効く。
にじみすぎず、はじきすぎない。
紙の性質が、技法を支えている。
初期の版画が残る理由
十八世紀前半の版画は、現存数が少ない。
紙が薄く、色が褪せやすいためである。
そして、当時は消耗品として扱われた。
飾って眺めるより、手に取って見る。
汚れれば捨てる。
だから、残るものが限られる。
いま美術館にあるものは、たまたま束ねて保管された分である。
八点の紙の状態を見ると、いずれも黄ばみと折れがある。
きれいすぎないことが、かえって年代を物語る。
荷を担ぐ男
七点目は、色が濃い。

男が、大きな箱を肩に担ぐ。
箱は縦に長く、細かい仕切りが描かれる。
その表面に、文字が書き込まれている。
商品の名か、店の名だろう。
衣は黒地に、赤と黄の文様が入る。
袖は短く、脚が出ている。
足元は草鞋である。
体は左を向き、顔だけがこちらへ寄る。
背景は、紙の地のままである。
文字を、絵に入れる
この一枚には、箱に文字が書かれている。
役者絵の文字には、いくつかの種類がある。
役者名、役名、演目名。
そして、この一枚のように画中の物に書かれた文字。
後者は、場面の説明を兼ねる。
何を売っているかが、それで分かる。
読める人には情報になり、読めない人には模様になる。
文字が絵の一部として働いている。
墨だけの一枚
八点目は、色がない。

横長の画面である。
八点の中で、これだけが横長である。
室内が描かれている。
床には、格子の敷物が敷かれる。
左に、袋を背負った人物が座る。
右には、髭の濃い人物が横たわる。
二人の間に、盤が置かれる。
盤の上には、石が並ぶ。
碁を打っている場面である。
大黒と鍾馗
館の題は、二人を大黒と鍾馗としている。
いずれも、福や魔除けに関わる存在とされる。
一方は袋を担ぎ、一方は髭を蓄える。
その姿で、見る人は誰かが分かる。
役者絵とは、まったく違う主題である。
同じ絵師が、こうした絵も描いていた。
版画の絵師は、注文に応じて主題を変える。
役者、美人、神仏、動物、風景。
主題の幅が、仕事の幅でもある。
墨摺絵という原型
この一枚は、色が塗られていない。
墨だけで摺られている。
これを墨摺絵と呼ぶ。
版画の最も基本的な形式である。
丹絵も漆絵も、この墨摺絵から始まる。
まず墨で摺り、そのあと色を塗る。
つまり、この一枚は途中の状態でもある。
塗られなかったのか、はじめから塗らない品だったのか。
館の記録には、その説明がない。
線だけで、どこまで描けるか
墨だけの一枚は、線の見せ場である。
床の格子は、細い線が交差する。
壁の板の目地も、線で示される。
人物の衣の襞も、線の集まりである。
そして、髭は短い線を何本も並べて表す。
色がないぶん、線の太さと間隔で調子を作る。
濃く見せたい場所は、線を詰める。
薄く見せたい場所は、線を離す。
版画の基本が、この一枚によく出ている。
室内を描く
この一枚には、室内が描かれている。
床の格子、壁の板、障子の桟。
いずれも直線で構成される。
直線を彫るのは、意外に難しい。
板の木目に沿えば刃が走り、逆らえば欠ける。
長い直線ほど、彫師の腕が出る。
そして、直線が交差する格子は、さらに手間である。
この一枚の床は、その手間をかけた部分である。
人物より、床のほうが線の数が多い。
遊びを、絵にする
碁を打つ場面は、絵の主題としてよく使われた。
盤を挟んで、二人が向かい合う。
構図として安定し、動きも作れる。
そして、対局の緊張が読み取れる。
ここでは、その相手が神仏の姿をした存在である。
つまり、日常の遊びを、超自然の存在にやらせている。
見立ての遊びである。
こうした趣向は、当時の版画によく見られる。
見る人は、その取り合わせを楽しむ。
三つの技法を、並べる
八点の技法を整理したい。
丹絵が一点。
漆絵が五点。
墨摺絵が一点。
そして、うち一点は年代の記録に疑問が残る。
つまり、この八点だけで、初期の版画の三つの段階が並ぶ。
墨で摺り、丹で塗り、漆のような黒を加える。
そのあとに、多色摺の錦絵が来る。
八点は、その一つ手前の時代の記録である。
役者の名を、どう読むか
八点の題には、役者の名が入っている。
市村竹之丞、佐野川市松、市村羽左衛門、三条勘太郎。
いずれも、十八世紀前半に舞台に立った役者である。
名跡は代々受け継がれるため、何代目かが問題になる。
館の記録は、生没年を添えている場合がある。
一六九七年から一七六三年、一七二二年から一七六三年。
その年から、どの代の役者かが絞れる。
役者絵の年代推定は、こうした人物の在世期間にも支えられている。
判型のこと
八点の寸法を見ておきたい。
縦は27〜33センチ、横は14〜15センチ。
つまり、縦長の細い紙である。
後の細判に近い比率である。
横長の一点だけが、22.9×30.5センチと形が違う。
初期の版画では、判型がまだ定まっていなかった。
紙の大きさも、絵師や版元によって幅がある。
規格が固まるのは、もう少し後である。
八点の寸法のばらつきは、その過渡期を示している。
手で塗るということ
最後に、手彩色について考えたい。
版画は、同じものを大量に作る技術である。
しかし、色を手で塗れば、一枚ずつ違うものになる。
つまり、複製と一点物の中間にある。
同じ図でも、色の濃さや塗り分けが違う。
いま各地の館にある同じ図の版画を比べると、その差が見える。
どれが正しい色か、という問いは成り立たない。
塗った人の数だけ、色がある。
八点を、順に見る
見方を提案して、終わりたい。
八点の色の縁を、拡大して見てほしい。
墨の線と、色の縁がずれている箇所がある。
はみ出し、塗り残し、重なり。
版で摺った色なら、こうはならない。
そのずれこそが、手で塗った証拠である。
きれいに揃っていないことが、この時代の版画の特徴である。
ずれを探しながら見る。
そういう見方をすると、八点はぐっと近づいて見えてくる。
三百年近く前に、誰かが筆で塗った紙である。


